2008年3月17日(月曜日)

多忙な道のり・その2



それまで自宅にはペンタブレットがなかったので(以前のものはとっくに廃棄)、新たにタブレットを購入して、自宅のMacBOOKプロでも絵の作業が出来る環境を急遽用意した。
まずは『パーフェクトブルー』トレーディングカードシリーズに手を入れる。
結局3日間も要してしまったのだが、この画像は並べてB1の大判で出力するため、急がなくてはならなかった。
そのため、これも新規に購入したハードディスクを持って、仕事場と自宅両方で作業を進めることになる。
ちなみに、このハードディスクはファイヤーワイヤーで接続できるものを選んだのだが、いまどきはほとんどUSB接続のものばかりで選択に難儀した。
仕事場のG4は古いもので、USB1.0しか使えない。現在は2.0が当たり前で転送速度も速いが、1.0接続だと転送速度が遅すぎるので、携帯に不向きだがやむなくファイヤーワイヤーを選ぶしかなかったのである。
これがまた重くて(笑)
日々の移動だけで少しは痩せたかもしれない。

時間がないのは重々分かっている。
だが、絵の作業にかかると所詮私も「ただの絵描き」になってしまう。
別に「ただの絵描き」を軽んじているわけではない。
単に私個人の中での「ディレクトリ」の問題である。
今回「十年の土産」でさらに強化されたように思うが、「今 敏」内部における仕事上のディレクトリは以下のような構成になっている。

  |−「プロデューサー」
  |
  |−「監督」
  |
  |−「絵描き」

上記はあくまで想像的に自分を捉える仕方である。
下に行くほど「机」に近く、上に行くほど「世間」に近くなる。
簡単に説明すれば、「絵描き」はそのまま描き手としての今 敏で、これは割と働き者である。その能力も業界の相対評価でいえばかなり高いと言わざるを得まい。ワッハッハ。
その「絵描き」をどう運用するかを考えるのが「監督」の今 敏で、世間的に言われる「アニメーション監督・今 敏」という場合の監督とは多少異なってはいるが、概ねイコールといっても差し支えない。
「監督」である以上、スタッフに指示を出すのが主な仕事であるが、今 敏内部にある「絵描き」もそのスタッフとして勘定するところが、私以外には理解しづらい点であろう。
この「監督」もけっこうな働き者で、十年の間に劇場アニメーション4本とTVシリーズを1本リリースしており、世界的な評価も高いと言わざるを得まい。ワッハッハ。
その上にある「プロデューサー」というのが、近年強化されてきている部分。
「絵描き」を使うのが「監督」であるのと同様に、「監督」をどう運用するかを考えるのが「プロデューサー」である。
こいつの評価や能力は私にもさっぱり分からない。
これまでの具体的な実績がないに等しく現在育成中なのだが、手始めに試用してみた「十年の土産」が応分の手応えを与えてくれたので、今後私なりに徐々に運用度合いを高くして行くつもりだ。
「十年の土産」を企画したのは、「絵描き」でも「監督」でもなく、この「プロデューサー」である。多分。

説明が長くなったが、所詮「ただの絵描き」に戻ってしまう、という話。
時間のない状況を切実に認識しているのは「プロデューサー」と「監督」レベルなのだが、絵に関わる作業が始まるとついつい没頭してしまい、「絵描き」の比重が極端に大きくなってしまう、ということだ。
「無邪気」と化した絵描きほど時間や状況や制限を無視するものはない(笑)
アニメーション制作現場ではお馴染みの状況である。
「展覧会に出すのだから、解像度を上げるついでに少しは絵に手を入れる」
という考えは「監督」レベルからの指示なのだが、得てして「絵描き」は「はいはい」と言いつつ、作業の進行に連れて徐々に言うことを聞かなくなる。
プロデューサー「最低限の直しにしておかないとスケジュールが……ね?」
絵描き「でも、どうせ直すのならちゃんとした方がいいよ」
監督「確かにね。でも気持ちは分かるんだけど、そうやってどんどん直して行くと、ほら、時間がさ、あれだろ? 完成しないことには展示も出来ないんだからさ」
絵描き「絵を直す画の面白くなってきたぞ!気に入るまで手を入れよう!」
こうなるともういかん(笑)
寝食を忘れて、とまでいうと大袈裟だが、朝起きた途端に絵の仕事に取りかかるなんて百年ぶりではないのか。
無邪気な野郎だ、まったく。

『パーフェクトブルー』トレーディングカード全10枚は、すべてに手を入れている。
具体的には、まず解像度を上げる。
ただ上げただけでは意味がないので、オリジナルの線画を高解像度でスキャンし直し、元データの線画と差し替えている。
そのため当時の画像より、かなりシャープな線になっている。
ところが、やはりスキャンし直したものを重ねると微妙に、というかなりといったほうがいいくらいに元の絵と「ずれる」のである。
「何だよ、デジタルのくせに」
当時のものとスキャナーも違うし、スキャン時の微妙な角度もズレもあるから仕方のないことだが。
線画がずれた分だけ、ペイント面がはみだしたり足りなくなったりする。
これは当然修正が必要なのだが、それらを直しているうちに、直さなくてもいいはずだった部分までもが気になり始め、ついつい直す範囲が拡大していく。
こうなると「ついつい」の連鎖反応である。
「ついつい」が次の「ついつい」を呼び覚まし、その「ついつい」がさらなる「ついつい」の扉を開けて……。
これこそが「ただの絵描き」の御しがたさに他ならない。
「分かっちゃいるけどやめられない」
という名言を残したのはいまは亡き植木等だったか。
酒とタバコと仕事に関してはまったくその通りだ。

部外者から見れば「ついついの連鎖」は「こだわり」というプラスの評価につながる部分でもあるのだろうが、特に「プロデューサー」から見れば、頭の痛いところだ。
無理に止めて止まるものでもないし、確かにそれが「こだわり」といった売り物になるところでもある。
見かけのクオリティはこの「ついついの連鎖」に支えられている面が大きい。
いっそのこと「手は入れない」と決めてしまえば、回避できるかもしれない連鎖なのだが、もしそんな真似をしたら、おそらく「絵描き」も「監督」も一気にテンションを下げてしまうだろう。
それらの「やる気」を奪って得るものといえば「スケジュール通り」という、せいぜいが「木っ端役人」的満足感だけである。
そんなもの、何が嬉しいものか。

「絵描き」の無邪気な頑張りは、無事予定の期日までに『パーフェクトブルー』トレーディングカード全10枚の修正を終わらせてくれた。
なかなか言うことを聞かない「絵描き」の私ではあるが、よその絵描きに比べればよほど納期を守る真面目な部類ではある。

大判出力のためのデータのリファインも終わり、なんとかデータは揃えたものの、大判出力するためにリサイズし、さらに出力屋さんに渡すための「サンプル」を出さねばならない。
大あわてで、プリントサンプルを作成する。
仕事場のプリンタで出すのだが、これも一苦労。
現在仕事場のサーバがダウンしたままなので、自分のG4で作業したデータを外付けのハードディスクに移し、それを引っこ抜いてプリンタつながっているマシンまで移動させるのである。
床に四つんばいになってパソコンの裏をのぞき込んではケーブルを外し、よろよろとフロアを横切ってまたもや四つんばいになってケーブルを接続する。その繰り返し。
なんか、バカみたい(笑)
どこがデジタルなんだか。
しかも、余裕のない時は物事はうまく運ばないもので、なかなか思うような出力結果が得られない。モニタで見るのと全然色が合わない。
この問題は後にかなり改善したのだが、この時は一枚の出力サンプルを作るのに何枚もの紙と高額なインクを無駄にしてしまった。何より時間が惜しい。
プリントしては元データを調整し、さらにプリントしては……。
まったくもってバカみたいだ。
だが何とかサンプルは完成、翌日出力屋に持ち込んで一安心。

だが、さらなる大きな問題はここから。
「十年の土産」の運営主体は私である。つまり開催準備上の問題、そのほとんどは私にある。
しかし、その私には別件の仕事が待っていたのだ。
別に急に決まった仕事ではないので、私の準備が悪いだけなのだが、とはいえただの別件仕事ではなく、泊まり込みという異例の仕事と出張仕事が続いたのである。

以後、つづく。

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