展覧会へと心が逸っている私の前に立ち塞がったのは、異例の2泊3日の合宿仕事「アジア学生アニメコラボレーション」の講師、そして同じく2泊3日の出張仕事「アートカレッジ神戸学校説明会」出演の仕事。
この二つの仕事が中一日で続くことになる。
さらに神戸から帰ってから中一日で「デジスタ」出演。
映画の宣伝期間以外で、本業ではない仕事がこんなに続くのも珍しい。
2/5(火)に、大判出力用に用意したデータを揃え(どうしてもリファインなどが必要な2点だけは後日に回すことにした)、新宿の出力屋へ持って行く。仕上がりは中二日とのこと。
マッドハウスに戻って、家内が作成してくれた案内状のデータを渡してほっと一息。
大判の中で、どうしてもリファインしたかった「熊手千代子」の修正作業にかかるが、この日中に終わらせることが出来ず、やむなく「泊まり込み仕事」にデータを持参することにした。
翌日、自宅のMacBOOKプロとペンタブレット、外付けハードディスクをバッグに突っ込んで、コラボレーションの会場となる目黒のホテルへ向かった。重いったらありゃしない。
この日は雪が舞っていた。わずか一月前のことなのに。
この仕事、NHK解説委員にして「デジスタ」司会でもある中谷日出さんに誘われたので気軽に引き受けたのだが、思った以上にたいへんだった。
疲れた。本当に疲れた。
しかし、それ以上に楽しかったと言える仕事であった。
2月の6日から2泊3日、都内目黒にある「プリンセスガーデン」という、踏み入れるのも気恥ずかしい名前のホテルに泊まりこんでアニメーションを作る、という仕事である。
いや、何も私が直接作るわけではない。
何しろ、「アジア学生アニメコラボレーション」である。
作るのはアジアの学生さんたち。総勢13人。
いずれも日本の美術系大学の学生さんたちで、韓国や台湾の留学生が数人混じっている。
彼らがアニメーションを作るのだが、私はそれを見守る講師の一人としてお声掛けいただいたしだいである。
講師は二人で、もうお一方は伊藤有壱さん。
http://www.i-toon.org/
「デジスタ」のキュレーターのお一人で、年末好例の「デジスタ・アウォード」で何度か面識のあるお方。
そして、講師と学生たちを繋ぐ「チューター」という役割で、
青木純くん( http://www.aokijun.net/)
遠藤雪代さん( http://www.geocities.jp/thaws1006/)
児玉徹郎くん( http://www.kodama-kodama.com/)
松村麻郁さん( http://chava-doron.com/)
という4人が参加。
いずれもデジスタのセレクションに輝くクリエイターたちで、私も面識のある若者たち。
特に、遠藤さんと児玉くんは「今 敏セレクション」で選ばせてもらった人たちで、作品としても個人としても馴染みがある。
つまりは、中谷“デジスタ”日出コネクションによって集まった人々である。
しかし、だからといって「アジア学生アニメコラボレーション」という企画はNHKによるものではなく、「文化庁メディア芸術祭」という催しの一環である。
私も『千年女優』や『東京ゴッドファーザーズ』で賞をいただいた縁のあるイベントだ。
もっとも、主催の趣旨や主催者がどこなのかは今ひとつ認識しないまま引き受けた仕事である。
だって、中谷さんに言われたんだもの。
「今さんにお願いしたことがある。2月の6日から「アジア学生アニメコラボレーション」というのがあって、その講師がどうしたこうした……」
去年末の「デジスタ・アウォード」(生放送)収録の最中のことだ(笑)
私なんざ、簡単なものである。
「ええ、いいっすよ」
受けるのは簡単、そして仕事はいつもたいへん。
ま、大変でもない仕事なんかつまらないけど。
13人の選ばれたアジアの学生さん(といっても日本、韓国、台湾の学生さんだけだけど)が2泊3日でアニメーションを作る。私は講師として見守る。
要はこれだけなのだが、何しろ三日間の最後の日には「発表会」があるのだ。
つまりはこういうこと。
「絶対に完成させなくてはいけない」
2泊3日である。その間にどういう形であろうと終わらせないとならない。
気楽に引き受けたものの、当日合宿会場に行って実際に作業に入ったところで強く実感がした。
「締め切り間際の2日間がいきなりスタートする」
助走もなしに締め切り前に放り込まれたようなものである。突然、忙しい。
正直な気持ちはこうだ。
「まいったな(笑)」
しかも、私は3月1日からの展覧会の準備で、ただでさえ時間が欲しいという時期だ。
学生に付き合うことより自分のケツを拭け、といわれても仕方ないのだが、いくら気楽に引き受けた仕事であれ、仕事の責任を気楽に考えていいというものではない。
後々考えてみれば、別に2泊3日「べったり」付き合わなくても良かったようにも思えるし、講師の相方である伊藤さんは、他の仕事もお忙しいようで実際そうしておられた。
それはそれで良いと思う。事情は人それぞれだ。
しかし、私自身がそういう態度で仕事に臨むのは好ましくない。
仕事に序列をつけるのはやむを得ない面はあるが、だからといって仕事に貴賤があるわけではない。
それに、「中抜け」をせず「2泊3日べったり」付き添うことでしか得られない「何物か」があると最初から予想していたし、実際その「場」から得たものは筆舌に尽くしがたい。
チューターの一人にはこんなことも言われた。
「今さんはお忙しい方だから、ちょっと顔を出すだけなのかと思っていた」
失敬な(笑)
私はそんな名前だけで金を取れるような「巨匠」ではないんだってば。
やる以上はちゃんと、やる。
なにより私はあくまで働いた分の報酬をいただくのであって、それ以上を求めない。それがモットーだ。印税は欲しいけど。
私が受けたのは「2泊3日の仕事」である。
途中、適当に「中抜け」をするなら、ギャラだって異なってくる。
実はこの仕事、一度ギャラの件でトラブったこともあって、意地でも私は2泊3日にこだわった、という面も多少はある。
だってさー(っていきなり雑談モードであるが)、最初に提示された額はどう考えたって「一日分」なんだぜ!?
よく考えてみれば、頼んできた側だってこちらに「少し顔を出す」くらいのことを期待してその額だったのかもしれないが、私の考えは何しろ「2泊3日」である。
「べったり」付き合う構えなのである。徹夜に近いこともあるだろうくらいの覚悟はしている。
だからその分の額はもらわないととても引き受けられない。
主催者にその旨お伝えしたら、いきなり「なしのつぶて」である。
「検討する」なりなんなりの返信くらいしたらどうなんだ。
返事が来ないので、すっかり「仕事は流れた」つもりでいた。
だが、実施間近になってから「ではご希望の額をお出しするのでお願いします」ということになってしまった。
ありゃま。
ちなみにこちらの希望額とは、最初に提示された額の3倍である。
だって、一日分×3日なんだから(笑)
というわけでこちらのオーダーが受け入れられた以上、「ちゃんと」仕事をするのである。
2泊3日で約3分のアニメーションを制作するとはどういうことか。
一言で言えば、こういう事態が生まれる。
「アニメ・タコ部屋」
平成の太平の世で「タコ部屋」を経験するとは思わなかった。ま、締め切り間際のアニメーション制作現場は常にそうしたものかもしれないが。
しかし、スタートと同時に「タコ部屋」は私にも経験が無い。
制作の概要はこうだ。
「サンプラザ中野くんさんの「ASIA2008ASA」という曲に合わせたミュージックビデオ、約3分間分を制作する。時間の制約が厳しいので、1秒6枚のアニメーションとする(日本のアニメは秒8枚)。セル重ねは無く、動画用紙に描いた絵をデジタルカメラで撮影し、編集ソフトで並べるだけ。カメラワークもなし。デジタル加工もなし。アナログ一本やり」
この制約に従って、13人の学生が4班に分かれてコラボレーションする。
組織図としてはこんな感じ。
中谷日出
伊藤有壱 今 敏
| |
青木純 松村麻郁 遠藤雪代 児玉徹郎
| |
B、C班 A、D班
班分けがあるといっても、緩やかなものでどの班のメンバーからの質問にも答えるし、アドバイスもする。
初日。まずは学生たちが集合したところで、趣旨の説明やら注意事項の伝達をする。
講師の相方、伊藤さんがとても「先生向き」のキャラクターのようで、こうした全体に対する指示関係がとてもお上手で、私はたいへん楽をさせていただく。
最初にキャラクターデザインを決める。
各人それぞれがキャラクターを描き、全員の投票で決めることにする。
皆さん、まだ「場」に慣れないのか、絵が小さいのが印象的だった。
紙にたくさんの余白が生まれてしまうくらいに小さく頼りない絵、ばかりである。
韓国からの留学生が描いた、なかなか愛嬌のあるキャラクターデザインに決定し、作るのが楽しみになってくる。
さらに各人が担当する歌詞の文節を決めて、そのカット内容を絵にする。
つまり歌詞そのものを「字コンテ」として、レイアウトを起こすというような作業だ。
もっともこちらが考えるような具体的な「レイアウト」には遠く及ばず、イメージボードとも言えないような絵にしかならなかったのだが。
しかし、とにかく「この場所で絵を描く」という行為に慣れることが大事だ。
実際、キャラクターデザインの段階より、レイアウトの方が少しは各人の絵に元気が出てきたし、その後の作業では驚くくらいに絵が伸びやかになって行った。
レイアウトをホワイトボードに貼りだしてイメージを確認し、全体の流れを把握する。
うん、そう悪くない。
そして、いよいよ作画作業。
しかし、レイアウトでの設計がやはり心許なかったので、作業に入る前にもう少しコンテ風の設計メモを書くように指示を出す。
と、それなりに形になってくる。よしよし、その調子だ。
私は近所の「串揚げ居酒屋」で晩御飯を食べて会場に復帰。
私も絵を描きながら指導や雑談などをしてみる。
若い子の熱気にあてられてか、仕事ではなく絵を描くことの楽しさを思い出した。
23時を回るとさすがに疲れてきたので、0時前にはホテルの部屋に引き上げる。
入浴してから、やっと「熊手千代子」の修正作業にかかる。
やれやれ。やっと本題だ。
疲労もあってか全然進まない。というかそれ以前に、この絵は細かい部分が多くて修正作業の量がかなり多いのである。
元々の解像度が大判に耐えられる程度にはなっていたので、線画は元のままで使用したのだが、とはいえ、いま見るとやはり線が粗い。
だから「線」の汚い部分や潰れた部分、変に太い部分などをペンタブレットで「削る」のである。
なんて地味な作業だ(笑)
線を削ると、当然下のペイント面とズレが発生するので、そこを同じ色で塗り足す。
細かく見ていると、けっこう元データのペイントの間違いも発見するので、それらも修正。
あれこれ修正して、現状で気に入るようになるに従って、「直す予定ではなかった」ところまで気になり始める。
「ここも直した方がもっと良くなる」
かくして「ついついの連鎖」が始まり出すのだ(笑)
軽い気持ちで書き始めたこの「多忙な道のり」だが、「日誌」からの引用と書き足しまで始めてしまい、どんどん細かくそして長くなってきている。
お付き合いくださっている方には申し訳ないが、まだまだ続くかも。