2008年3月26日(水曜日)

多忙な道のり・その11



2月25日(月)。
9時過ぎに起床し、展示イラストの解説を書く。
これまで少しは書きためてきたものの、まだまだ数が残っている。これはさすがに開催日に間に合わないかもしれない。会期途中からになるかもしれないし、量も増えてきたので解説を配布すること自体を諦めた方がいいかもしれない。

この日は、出社して14時から『パーフェクトブルー』のセル選別。
マッドハウスの人手を借りて、総勢5人でカット袋をより分ける。
お買い上げ特典として配るものとはいえ、「もらうに値しない」カットはやはり取り除いておきたいので、基本的にメインキャラクターが入っていないカット袋は除外する。
2時間半ほどで終了したものの、ずっと紙に触れる作業をしていたので、右手の人差し指の先端が水分を奪われて皮が剥けてしまった。
例年、乾燥した時期にはこうした症状が出現するようになった。
これもまた加齢の「効果」だろう。
目といい、額といい、白髪といい、年を食うと共に身体のあちらこちらに変化が出てくることだよ。

この2〜3日で完成した「Butterflies」「WAVE」の2枚をプリントアウトして、新宿へ。
「東京リスマチック」に頼んでおいたB1×1、B2×2、700角×1を受け取り、「世界堂」へ持ち込む。プリントアウトした2枚と合わせ、最後の額装分となる。
これで展示用の額装全63点が揃うことになる。よく頑張りました。
しかし、まだ用意せねばならないものがある。クリアファイルに入れて展示したいものがあるので、仕事場に戻ってファイル展示用のデータを整理する。

2月26日(火)。
11時前起床。よく寝てしまった。疲れも溜まってきているのだろう。
出社してファイル展示用にA4をプリントアウトする。
17時から「バンタンデザイン研究所」の取材と撮影。
パンフレットか何かのためのこの取材は、少々イレギュラーな経由で舞い込んだ仕事。私の高校時代の先輩がライター業をしており、2月の始めにその先輩が偶然にもマッドハウスを訪れた。私とは関係のない取材だったが、仕事場で「高校の先輩」と顔を合わせるというのは奇妙な感覚だった。どうも「文脈」がしっくり来ない。こそばゆくも嬉しい違和感。
その取材がバンタンの仕事だったそうで、その際居合わせた広報の方を紹介され、それがきっかけで今 敏にも別件で取材したいということになった、と思われる。
私の方の取材は残念ながら先輩が担当ではなかったが、しかしもし先輩が来ていたら、それはそれで楽しいかもしれないが、喋りにくかったかもしれない。
「コンはさぁ、監督になって何年?」
なんて聞かれたとしたら、どういう「モード」で返答したものか決めかねる(笑)
「監督」と「後輩」のモードは実に混在しにくい。
いつの間にか「コン」と私を呼び捨てにしてくれる人も少なくなったことだよ。

取材のお題目は少々趣向が変わっていて、「仕事場における人間関係」。
何だか喋りにくそうな話題(笑)を中心に一時間ほど喋る。
何を話したか全然覚えていないが、「スタッフをどういう基準で選ぶのか」といった質問があった気がする。
私がスタッフを選ぶと同時に、私がスタッフに選ばれている面も半分あるが、学校のパンフレット向けということだし、学生レベルではあまり話題に上がらない点も紹介しようと思い、私側からのキャスティングについて、こんなことをお答えする。
「あまりに下手な人は論外としても、能力の高低よりもむしろ一緒に仕事が出来る人かどうかという問題の方が大きい」
どんなに上手いといわれている人でも、一緒に仕事が出来そうにない人だっている。
たとえば演出の要求することよりも自身のやりたいことだけを優先するようなスタッフはちょっと遠慮しておきたい。
仕事は傑出しているかもしれないが、全然量が上がらない人とも仕事はしたくない。予算が許してくれないので(笑)
逆に、すごく上手いわけではなくても、一緒に仕事をすると良い「場」が生まれる人もいる。
私は確実な仕事を好む方だ。

レイアウト・原画や背景、色彩設計や特効、撮影、声優さんの芝居や音楽などの音響などすべての素材に対して、演出チェックをする際の私の基準は簡単である。
そのカットや芝居単体で見たときにどれほど優れた仕事、面白い仕事であっても、シーンや映画全体の「文脈」に収まらないものは直す。それだけのことだ。
例外は無論ある。
私が気に入ったものならあえて文脈の方を修正することだってある。作画にまつわる部分ではわずかにしか経験はないが(作画があまりにも面白かったので逆に演出やコンテが影響を受けたことはある)、声優さんの芝居などでは解釈をシフトして「文脈」を芝居に合わせることはままある。
というのも、アフレコは気に入った芝居にならないからといって「じゃあ、私が替わりに演じる」というわけにはいかないからだ(笑)
だからといって「気に入らない芝居」としてやり過ごすのも気持ちが悪いので、文脈の方でそれを取り込めるような配慮をする。
そうすれば結果的には収まっているように「聞こえる」はず。
作画の方も同じで、収まっているように「見える」ことが重要である。

その担当者が「本当はどう思っているか」などということは、私にはあまり(というか全然)問題ではない。私にとって大事なのは、それが文脈の中で「どう見えるか」ということであり、それだけといって良い。
それはつまりお客さんから「どう見えるか」ということである。
「本当はどう思っているか」なんてことはお客さんに関係ないのである。
「オレ様」だの「やりたいこと」を優先させることが正しいと思いこまされている人にはなかなか理解してもらえないことのようだが。
あ、そういうことか。
「スタッフをどういう基準で選ぶのか」という設問には次の一言を持ってお答えすればよいのか。
「「オレ様」じゃない人」

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。