2008年4月8日(火曜日)

そういうことか!



ブログの更新が間遠になっている。
「十年の土産」が終わって放心していたわけでは無論なく(そんな暇はない)、せっせと新作の準備をしていた。というと言い過ぎ。地道にシナリオを書いている。
マッドハウスの新人歓迎を兼ねた花見やら飲み会、Hくんの結婚パーティやら飲む機会は相変わらず多い。「多くしたい」という欲求による面が大きいとは思うが。

うちの制作班にも新人が配属された。
偏屈な監督の少々風変わりなスタッフルームゆえ、これまで多くの新人が顔と名前も覚えるほどの間もなく離脱していった。顔と名前を覚えても脱落した人もいるが(笑)
中にはこんなひともいた。
「是非今監督の仕事をしたかった!」
彼は三ヶ月ほどでやめた。
さらには上がいる。
「是非今監督と仕事をしたい!」
入る前にやめた(笑)
『若者はなぜ3年で辞めるのか?』という本が売れたそうだが、3年も保つなんて羨ましい限りである。劇場映画一本の制作期間はせいぜい2年だから、仕事を教える方としても「見返り」は期待できる。
新人は何も出来ない。だからあれこれ教える必要があるのだが、仕事を覚える前に辞めるので、教えた方としてはその時間がまったくの無駄になる。
辞める方が自分の都合で時間を無駄にするのは勝手だが、こちらの時間をただ泥棒して行くのは甚だ迷惑である。どうせ、そんな相手の都合や事情を考える思考の習慣など持ち合わせない人たちなんだろうけど。さすが「オレ様」世代。
そうした「先人たちの業績」によって、後から来る人たちだって迷惑を被ることも十分あるのだが、きっと「オレ様」たちは「知ったこっちゃない」なのであろう。
私なんかは新人たちを見ればすぐにこう思うようになった。
「いつまでいることやら」
辞めるかもしれない人を相手に親切に教えるのは、「泥棒に追銭」という気がしてくるが、私はなるべくこう思うことにしている。
「しょうがない」
新人には頑張って欲しいものである。
世の新人たちのために44歳のアニメーション監督から一言アドバイスをしておく。
「仕事とは他人の都合でするものである」
「オレ様」の出番はいつか来るかもしれないが、それまでは押し入れの奥深くにしまっておく方がきっと精神衛生上にもよろしかろう。

さて、新人の話から一足飛びに中年の話になる。
以前、このブログで「40の坂」について書いた。
http://konstone.s-kon.net/modu……chives/123
以前から、なぜそれまで「上手といわれた人」たちが、急速に能力を低下させるのか(実際に低下することもあるが、成長がなくなった分、相対的に低下して見えることが多いということ)たいへん不思議に思っていたのだが、そのことについて実に適切な解説の一つを目にした。
「内田樹の研究室」4月7日のブログ、「原則的であることについて」である。
http://blog.tatsuru.com/2008/0……7_1315.php
長いが引用する。

【「ブレークスルー」は「向上心」とは次元が違う。
自分自身が良否の判定基準としている原則そのものの妥当性が信じられなくなるというのが「ブレークスルー」である。
ところが、「原則的な人」はこのような経験を受け容れることができない。
自分が立てた原則に基づいて自分自身を鞭打ち、罵倒し、冷酷に断罪することにはずいぶん熱心だが、その強権的な原則そのもの妥当性については検証しようとしない。
原則の妥当性を検証する次元があるのではないかということに思い及ばないのである。
それが「原則的な人」の陥るピットフォールである。
そのようにして「原則的な人」はしばしば全力を尽くして自分自身を「幼児」段階に釘付けにしてしまう。】

さすが内田先生! そうですそうです! 私が言いたかったことはまさにそれです(多分)。
「全力を尽くして自分自身を「幼児」段階に釘付け」の何と多いことか。
身の回りにそのサンプルを見出すのはまったくもってたやすいし、自分もその落とし穴にはまらぬよう心がけなくてはならないと思うことしきり。
さらにこう続く。

【「原則的に生きる人」はある段階までは順調に自己教化・自己啓発的であるが、ある段階を過ぎると必ず自閉的になる。
そして、どうしてそうなるのか、その理路が本人にはわからない。
これだけ努力して、これだけ知識や技能を身につけ、これだけ禁欲的に自己制御しているのに、どうして成長が止まってしまったのか。それがわからない。だから、ますます努力し、ますます多くの知識や技能を身につけ、ますます自己制御の度合いを強めてゆく。
そして、知識があり、技能があり、言うことがつねに理路整然とした「幼児」が出来上がる。
若い頃にはなかなか練れた人だったのだが、中年過ぎになると、手の付けられないほど狭量な人になったという事例を私たちは山のように知っている。】

いやぁ、まったく仰るとおり。まさに「私たちは山のように知っている」(笑)
そして、将来そういう人の仲間入りをしないために、ここから以下は是非、中年にさしかかる前の若者や、いずれは中年になる新人たちにも肝に銘じて欲しいところ。

【彼らは怠慢ゆえにそうなったのではなく、青年期の努力の仕方をひたすら延長することによってそうなったのである。
これを周囲の人の忠告や提言によって改めることはほとんど絶望的に困難である。
本人が自覚するということも期しがたい。】

「青年期の努力の仕方をひたすら延長することによってそうなった」である。いつでも本人なりの努力を積み重ねている。にもかかわらず成長は止まり、それが全力で「幼児」にとどまることにつながる、と。
『ブリキの太鼓』じゃないんだから(笑)
努力の仕方は本人の成長と共に「シフトチェンジ」が必要なのは、多少の想像力さえあれば分かることだろう。
受験や学校のテストで良い点を獲得する方法と、仕事場でノウハウを身につけるやり方が同じでないことくらい経験しているはず。
学生さんならば、小学校と高校で学習の仕方が異なるくらいは想像は可能だろう(もっとも、小学校も高校も良い成績を収めるための方法に実は変わりはないのだが、それは社会に出てみなければ分からない)。
同じ落とし穴にはまらないことを期待する。

一方、すでに「そうなってしまった人」たちに対して、我々はどういう対処をすればいいのか。
やはり、さすが内田先生である。
このような態度をご披露くださっている。

【そういう人を見たら、私は静かに肩をすくめて立ち去ることにしている。
けれども、たまに相手をすることもある(なにしろ無原則だから)。】

見習おうっと。

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