2008年7月12日(土曜日)

「評判悪い」



月曜日、近所のセブンイレブンで待望の『傷だらけの天使』DVD-BOX1と2を受け取る。ネットで注文したものである。
なぜ今頃になって『傷だらけの天使』なのかというと、先日読んだ矢作俊彦の新刊『傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを』に懐かしさを刺激されたからである。ついついネットで検索してBOXがあることを知り、ついつい「カートに入れる」をクリックしてしまった。ついついはついついを呼ぶ。
さらに物が届くまでの間、萩原健一の自伝『ショーケン』を一気に読んでしまった。TBSラジオ「ストリーム」で吉田豪が紹介していて、これがまたたいへん面白そうだったのである。いやぁ、実際楽しめる一冊だった。
松田優作とジーパンと『探偵物語』には思い入れはないが、ショーケンとマカロニと『傷だらけの天使』に思い入れのある人には是非お薦めしたい。
いそいそとDVDBOXを持って帰り、早速1、2話を見る。
オープニングの音楽がたまらなく懐かしい。
懐かしくも新鮮で、面白くも情けなく、悲しくもおかしい。
しばらく楽しめそうだ。

火曜日はムサビでレギュラーのゼミ。
少なくない学生が「流出騒動」をすでに知っている。こうしたことは若い耳の方が敏感であろう。中にはネット上のキャッシュで住所などが「黒塗り」されていないデータを見たという子もいる。
旬の話題なので、この件についてもう少し考えてみたい。

まず「流出騒動」には、大きく分けて3つの問題が含まれている。
まずデータが流出したという「データ管理」の問題が一つ。
リストの作成自体に問題はないだろうが、その「内容」の是非という点が二つめ。
そして三つめは、不祥事にはお定まりともいえる「対処」の仕方、という問題である。
Bさんのウェブサイトではこう「釈明」されている。

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@uploader.jpサイト内「自由にアップ↑フリーアップローダー」等に「○○○○○(社名)」等と題名が付せられた、弊社の管理情報であるかのような体裁で、弊社スタッフの個人情報等が含まれたエクセルファイルがアップロードされておりました件につきましては、弊社社内調査の結果、弊社内で同様のフォーマットで管理している情報は存在せず、社内管理情報ファイルが流出したものではないことを確認致しております。従いまして、同ファイル内のスタッフの属性等に関する記述に関しましても、弊社内の資料でなく、第三者が誹謗中傷等を目的として作成・公開したものと判断致しております。
以上の次第でありますので、同ファイルのインターネット上へのアップロード行為は、リストに記載されたスタッフの皆様、当社および当社のスタッフの信用・名誉等を毀損する悪質な行為であり、現在弊社において行為者の特定の為の調査を行っているところです。行為者の特定が出来次第、厳正な対応を行う予定でおります。

株式会社○△▽ 代表取締役 □□□

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この釈明によるとデータの「作成・公開」はいずれも第三者による「悪質な行為」ということで、第一の問題であるデータの管理に不備はなかったし、第二の問題である「あのような」リストも作成していない、と。
この文言を鵜呑みにして同社の潔白を信じる人間ばかりだとしたら、世の中はよほどシンプルに出来ている。まるでアニメのように平板な世界だ。
私が聞く範囲では流出騒動について、リスト内容ももちろんだが、何よりこの「釈明」に対するリアクションの方が印象的だ。
ある制作の人間は「驚きましたね……」といって呆然と間を置き、こういった。
「あれは、ダメですよ」
そう思う。ダメだよ。
まるで筋立てがなっちゃないもの。
この釈明に対する「評価」はこうだろう。
「評判悪い」
ニュースですっかりお馴染み、組織の不祥事への対処、その雛形を借りて細部を変換しただけのように思えてしまう。
「ミートホープ」や「船場吉兆」、枚挙にいとまがない産地偽装、その他諸々種々雑多の不祥事が発覚した組織のお定まりの態度と同じように思える。
繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し、その隠蔽工作が失敗に終わり、恥と罪の上塗りをしてきた実例が山のように積み上げられてきたにもかかわらず、敢えて同じような真似をするとは、あるいはもしかしたら万が一ことによったらひょっとしたら本当に仰るとおりなのかもしれないし、あるいはこういうことかもしれない。
「チャレンヂア」?
もちろん、同社には責任がないと言っている以上、上記のような釈明が導き出されるのだろうが、この状況でそれが相手に「信用されるかどうか」という客観的な視点が欠落していることが、何より問題である。
ここには「自分の言いたいこと」があるだけで「相手に伝えたいこと」や伝えようという意志などまったく感じられない。
せめてプロデューサーとか監督、演出という職種にある人間は、他人を騙す技術の一つくらいは身につけておいて欲しいではないか。
あの釈明では、まるで下手くそな演出みたいだ。
私は別に流出リストによる被害者ではないし、Bさんやその代表取締役さんに対して、個人的な感情など何もない。Bさんの仕事はしたこともないし、利害関係があるわけでもない。
だが、同じ業界の一人としてこの態度にはさすがにこういう危惧を抱くのである。
「やばいかも」「難有り」
Bさんと仕事で関係のあるアニメーターの娘さんは、引用した釈明をこのように嘆いていた。
「謝罪になっているんですかね、あれ……」
なってないさ。謝罪じゃないもん。
あの文言はつまりこういうことだよ、娘さん。
「私も被害者なんですゥ」
Bさんの釈明の通り落ち度がなかったとしても、Bさんがきっかけとなった「被害者」は間違いなく存在する。同社の責任ではなかったとしても、常識的に考えれば一言くらい詫びるものではなかろうか。
だって、被害者はBさんの「取引先」なのである。
中には正式な「社員」も含まれているかもしれないが、400に近いリストにある名前の大半は「被雇用者」ではなく、フリーランスという「取引先」のはずだ。
Bさんが雇用する社員だけが迷惑を被ったのなら、「社内の問題」として上記の態度も「有り」だと思う。褒められた態度ではないが「社員思いじゃない会社」というだけのことである。
しかし、フリーランスは社員ではないし、それぞれが自営業であり、Bさんにとっては原則的には「取引先」という形である。
もしこれがスポンサーやテレビ局、配給会社などといった「取引先」の担当者リストが流出したとしたらどうか。
もそれが自社の責任ではなかったとしても、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」では済まない程度の謝罪はあって当然と思われる。
そのお詫びの一言もないということは、これは制作会社がアニメーターを「使ってやっている」という態度の現れと考えて差し支えなかろう。

これは例のリストに見られる態度と同じである。
曰く、「使えなかった」「扱いづらい」「コイツはクビ」
なるほど。
これはアニメーションを制作する「主体」は誰か、ということにもつながる根深い問題であろう。
株主や投資家がその存在を大きく主張するようになってから「会社は誰のものか」といった論議が目立つようになったが、同じような話である。
制作会社がそのアニメーションの「主体」であることに異論を挟むつもりはないが、しかし、それを公に表すかどうかは制作会社の能力と密接に関係すると言える。
というのも、制作部門の側から考えても、現場を円滑に運営するためには(それが制作の仕事だ)、絵を描くスタッフの生産性を高めなくてはならない。
「1カット描いたら¥4500くれてやるから早く描け」
そういう態度で生産性が上がると思う制作いたら、このような評価が下されるであろう。
「性格難有り」「終わってる」「コイツはクビ」等々。
こうした態度は絵描きにとっても、制作部門の人間自身のためにもならないことは自明である。
仕事とその対価に変わりがなかったとしても、そのプロセスによって生産性は大きく左右される。
まして趣味が高じて仕事をするようになった者が多いだけに、絵描きは一般的に内閉的な傾向が強く、仕事へのこだわりが大きい。自尊心がこじれている人も多い(笑)
だから、納期や契約、報酬などといった社会通念を楯にして交渉や催促をしたところで、あまり有効ではない。当たり前のことだ。
だって、会社員じゃないんだし。
不愉快な場所ならさっさとよその会社に流れる人たちなのである。
それとも何か?
制作だけでアニメーションが作れるとでも言うのだろうか。だとしたら監督の立場としてはどんなにか心強い(笑)
流出リストには興味深い記述があった。
ある「監督」の項目にはこうある。
「人脈無さすぎ」
この「人脈」とはおそらくアニメーター等の制作スタッフを指しているはずだが、スタッフを連れてくるのは制作の重要な仕事であり、監督の人脈の無さをなじるのは筋が骨折している。
身近な制作の人間に聞いた話によると、流出騒動を受けて数人のアニメーターはこう漏らしていたそうだ。
「Bさんの仕事はもうしない」
そりゃあ、そういう人も出てくるだろう。当然だろう。
若い娘さんのこんないじらしい話も聞いた。
「……Bさんに履歴書出してしまった……」
仕事相手にいやな気持ちをさせて利益になるわけがないのは誰にとっても変わりはないが、特に制作にとっては障害が大きいはずだ。
アニメ制作現場における諸々の状況が昨日今日生まれてきた訳じゃあるまいし、制作やアニメーターに代表される絵描きのスタッフなどの人間関係、その機微は制作の仕事の一つとして織り込み済みでなくてはならない。というより、仕事をする以前の前提なのである。それが分からない制作は「ド素人」である。
だから先に引用した釈明は、まるで業界の素人が書いたものに思えてしまうのである。
その点、流出したリストの方が、人間関係に対する気遣いはいくらか垣間見える、と言ってもいい。
ほら、「○○さんの彼女」とか「○氏元カノ」「○○さん元嫁」「○○さんとデキてる」とか何とか。
そういうところだけは肌理が細かいのか(笑)
制作現場の生産性を高めるためには、互いに不快になる接し方は避けた方がよい。制作としては絵描きのスタッフに対して「仕事をしてもらう」という態度が「有効」なのである。これはあくまで制作の仕事としてのノウハウの話であり、腹の底が裏腹でも全然かまわない。
平たく言えば、絵描きに気持ちよく仕事をさせた方が結果的に制作自身の利益になるということだ。そうした点に制作の能力はあると思うのだが、これは私が絵描きの側であり、フリーランスという立場だからそう思うのかもしれない。
しかし、絵描きのスタッフだって同じことで、制作の欠陥をあげつらい、「仕事をしてやっている」という態度で接するよりは、「仕事をさせてもらっている」という節度を携えておく方が結果的には自身の利益につながる。
ま、あくまで理想ではあるが。
理想ついでに少々格好を付けた言い方をするならば、制作側が絵描きなどのスタッフに対して「仕事をしてもらう」、絵描きの側が制作に対して「仕事をさせてもらう」という、双方が譲り合ったそのあわいに制作主体が現れるのでは……うん、これではきれいすぎる(笑)
きれいにまとめると気持ちが悪いので、身も蓋もない言い方もしておく。
乱暴を承知で言わせてもらえば、制作の仕事を一言で言えばこういうことだ。
「人に頭を下げること」
断っておくが、監督の仕事も同じである(笑)
制作であれ監督であれ、中間管理職の色合いが濃いポジションはそうならざるを得ないと思われる。
会社員やフリーランスが混じり合った制作現場で共通言語にしなくてはならないものは、「礼儀」に他ならない。お前が言うなと仰る向きもあろうが、そういうものである。
繰り返すが、何も心底の礼儀を尽くすべきだと言っているのではない。形だけ、見かけだけでも「礼儀」が仕事上必要なのである。
互いの腹の底が分かりきっていたとしても、それはあくまで想像のうちにとどめるべきことであり、決してエクセルのファイルにしてはいけない。
制作側と絵描き側の間にある溝は、以前からその大きな存在感を主張している。それを埋めるための先の青臭い理想論もひとまず措くとするが、思うにあの釈明はこう言っているに等しい。
「謝ったら負けだ」
「世界が認めるジャパニメーション」を制作しているのだから「グローバルスタンダード」とやらの態度が相応しいのかもしれない。
どこかの大国や困った国なんかにそっくりだな。
フリーランスのスタッフに対して、雇用者面をするのが当たり前になっているのだろう。上の人間がそうなら下っ端だって態度を真似るのが組織の常だ。
ま、そりゃあそういう気にもなろう。同じ程度に使えない新人であっても、制作は固定で十数万、アニメーターは単価仕事で10万にも満たない額がやっとである。
現代の世を覆う価値観に従って考えてみよう。
「ギャラが高い方が偉い」
それでよろしいなら、私はたいていの制作を見下してもいいことになるが(笑)、少なくとも私はそうは思わない。
「仕事が出来るかどうか」
それだけが評価の対象になっているからアニメ業界は住み心地が良いのである。無論、その仕事の評価には対人関係の能力も含まれる。
流出リストの言うとおり、極度に「性格難有り」の人はたとえそれ以外の能力が高くても、結果的にスタッフワークのパフォーマンスを引き下げるのであれば評価は低くなるだろう。
ローカルスタンダードが当たり前だったアニメ業界にも、一般的な傾向が浸透してきているのかもしれない。アニメ業界の文明開化か。ふん。それも仕方あるまい。
リストが流出したことが曲がりなりにも問題になるくらいなんだから、それはそれで商業アニメーションや業界に対する認知の表れなのかもしれない。
しかし、「一般社会」にはまだまだ遠いと思わせてくれるのは、「YAHOO」のニュースにおいて、今回の流出騒動を知らせる見出しが載っていたのが、一般的な記事を扱う「国内」というカテゴリーでも、「エンターテインメント」のカテゴリーでもなく、「コンピュータ関連」というカテゴリーだったことだろう。
つまり「流出」だけが問題だった、と。
以前、確か某航空会社の「スチュワーデス評価リスト」といった存在が明るみに出て、その内容がスッチーの「容貌」などに及んでいたため問題になったことがあった。あの時は少なくとも、社会面としてのニュースになったように思える。
あの事件はその後どうなったのだろう。
今回の「流出騒動」も、そのうちすぐにうやむやにされて、被害者「だけ」が残されるような気がする。
考えてみればよい。
あのリストによる実害がどの程度に及ぶのかはともかく、あのようなリストがあれ「だけ」の訳がない、と思うのが常識的な反応だ。今後、ああしたリストが明るみに出ようが出まいが、「きっとあるに違いない」と思わなくてはならなくなったことは大きな被害であろう。

釈明によると、「行為者の特定が出来次第、厳正な対応を行う予定」ということだそうだが、なるべくうやむやに、なるべく早く忘れ去られてほしい、というのが正直なところだろう。
私が入手した情報によると、当該制作会社内部の人間はこう言っているそうだ。
「犯人はほとんど特定出来ている」
そりゃそうだろう。
某制作会社だって、かつてセルを横流ししていた制作部門の人間がいたし、当然犯人は特定されていた。だが、その犯人を特定して困るのは、犯人だけではない。
犯人が所属する組織そのものも迷惑を被る。
犯人を特定・発表したら困る人ばかりなのだから、犯人が出てくることなど、期待できるわけがないのである。

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