2009年3月16日(月曜日)

嬉々としてげんなりする



先週の土曜日、世間は「ホワイト・デー」ということだそうで、洋菓子コーナーなどは売り場のムードにあまり似つかわしくない人たちで賑わっていた。
何でそんな光景を目にしたかというと、私も数少ないとはいえお返しをせねばならない人がいるので、売り場に似つかわしくないものの一人として洋菓子のショーケースの前に並んだ次第である。
鼻孔にからみつく甘い香りは得意ではないが、2月に甘いものをくださった動画部のうら若くも可愛い娘さんなどのためにチョコレートやケーキを買い求める。

この日は、夜に見学者が訪れる予定で、晩御飯に出る時間もないだろうしその後きっと飲みに出るであろう、いや飲みに出たいという希望的予測から、夕方の繋ぎとして荻窪ルミネの地下で軽い弁当を買っておくことにした。
「スエヒロの天むす」を3個。
いや、一人で食べるわけではない。
周りにいるスタッフの分も含まれている。
天むすの箱を3つ、片手にむんずと摑んでレジに向かおうとして、一人の若い女性と目が合った。
「あ……知り合いみたいだ。誰だっけ誰だっけ?」
しばし顔を見合わせながら思い出そうとしていると、
「今 敏さん…ですか?」
「いいえ、違います」
というわけにもいかない。
「はい、そうですけど……?」
「ファンなんです、ミーハーの」
そうだったのか、てっきり仕事関係の方かと思って少々焦った。
去年開催した「十年の土産」にもいらしてくれたそうで、上品な感じのするその女性はあの新宿眼科画廊のスペースに似つかわしいような気がすると同時に、懐かしさを覚える。
ファンといっていただくのはたいへん光栄であるし、お声をかけてもらえるのもアニメーション芸人……いや、監督として嬉しくもあるのだが、左手にはがっちりと天むすの箱が3つも摑まれている。少々恥ずかしい姿である。
「一人で食べる訳じゃないんですよ」
握手を求められ、気持ちよく応じたのだが、しかし荻窪ルミネの地下食料品売り場で左手に3つも天むすの箱を抱えたオッサンと妙齢のご婦人が握手をしている姿というのは少々奇妙な光景であったろう。

夜の8時。マッドハウス社内の見学を終えた紅顔の若者4人がスタッフルームを訪れた。
彼らは「映像部」( http://eizobu.sakura.ne.jp/ )所属の大学生。「映像部」さんには今年1月31日にこちらが見学にお邪魔したので、その「お返し」という意味もありこの日の見学ということになった。
彼らは卒業後、アニメーターや制作職を希望しているとのことなので、実際のアニメーション制作会社見学は、リアリティを持って将来像を考えるには良い機会であり刺激になるであろう。
ま、その機会が「今 敏監督のスタッフルーム」というのはいいのか悪いのかは分からないが。
現在制作中の『夢みる機械』の素材などを紹介し、パソコン上で彩色した設定や「オハヨウ」の撮出し、『パプリカ』の原画ムービーなども披露しつつ、監督業務のごく一端をお見せする。

監督が何をしているのかよく分からない人相手に、監督の仕事を紹介する機会がたまにあるのだが、喋っているうちにいつもひどく「げんなり」してくるのである。
「げんなり」の正体はこういうことである。
「……そんなにいっぱい仕事をせねばならんのか、私は……」
特に現在は新作の制作中であり、これから訪れる数々の仕事や障害をついつい想像してしまうせいもある。
これまで映画にして4本の体験があるのだから、どれだけの仕事をすればいいのか分かってはいるつもりなのだが、それだけに仕事を一時に想像するとげんなり、というか目眩を覚えそうになる、ということだ。
それはある意味、食事に似ているかもしれない。
フレンチでもイタリアンのフルコースでもいい。あるいは焼肉だって、もしくはビールでもいいのだが、少しずつ出てくるから量を食べたり飲んだり出来るもので、満腹するだけの量を最初からすべて目の前に出されたらとても食べられる気がしないであろう。
分かるような分からないようなたとえかもしれないが。

映画のネタを考え、そこから話をこしらえ、脚本に起こす。キャラクターデザインや美術設定を考え、1000を越えるカットすべての絵コンテを描く。作画や背景の打ち合わせをして、カット数と同じだけのレイアウトチェック、原画チェック、背景チェック。色彩設計や特殊効果、3Dや撮影の打ち合わせ、当然それらもチェックがあり、撮出しもしなければならない。チェックする回数は合わせると数千回。編集で頭を悩めるのも監督の仕事だし、音楽の発注、声優のキャスティング、アフレコやダビングも勿論重要な仕事である。映画が完成したところで仕事が終わるわけもなく、その後の宣伝においても原作や監督という役柄で取材を受けることも多く、宣伝素材としてポスターやチラシのビジュアル制作、さらにはDVD用のハイビジョンマスターの監修やパッケージ用のビジュアルだってある。フィルムが映画祭に招かれれば、時には参加することもある。
書き連ねていても目眩がしそうになる。
もっとも、そのどれもが楽しめるのだからまったくもって世話はない。
それに遠い完成の二文字を夢に見つつも、日々の仕事を少しずつこなして行くだけである。その積み重ね以外に完成に辿り着くことはないし、一品ずつ供される料理を楽しんでいるうちにデザートに辿り着くようなものである。まぁ、フルコースなんて私にはとても食べきれるものではないが。
映画制作においても御同様で、食べきれぬものを残したり消化不良も常である。

新作『夢みる機械』は、原作・監督・脚本・キャラクターデザイン・美術設定あたりが今 敏の主なクレジットになる。キャラクターデザインは作画監督の板津くんとの共同。美術設定も一人では賄いきれないが、現状ではすべて今 敏がこしらえている。
今回は、「メカデザイン」というこれまでの映画では馴染みのない部門もある。もっとも、登場するキャラクターすべてがロボットなんだから、全部がメカデザインみたいなものだが。
これも現状監督が兼任している。
先週は絵コンテ作業の手を少し止めて、設定作業が中心となり、仕事として多分初めて「飛行機」をデザインした。空飛ぶロボットも描いてみた。モブキャラクターたちのサンプルも描いてみた。
デザインをする度に痛感する。
「センス無ェな、まったく」
これまで現実的な世界だけを舞台にして作ってきたツケのようでもあり、単純に造形的なセンスがないだけのようにも思える。
設定されたものを活用して再現するのならそれほど苦はないが、デザインそのものは荷が重い。
しかし、苦手だとは言ってられないのである。誰も担当する人間がいないのだし、どういう世界観でどの程度のリアリティなのかといった匙加減は原作・監督が提示するしかないようにも思える。
完成する映画の画面はリアルと言われるタイプだろうが、しかし描かれる内容はほとんどファンタジーだ。
描き方はリアリスティックだが描くものは荒唐無稽。

初めてデザインした飛行機だって、全然リアルなものではない。
だって「ハト型」だし。
飛行機のデザインをするための参考画像をたくさん集めたものの、主に参考にするのはハトの画像である。
「どうやったらハトに見えつつ飛行機との整合性を取れるかね……」
まぁ、鳥と飛行機なら近い親戚みたいなものだから難しくはないが。
「ハトの特徴といったら、やっぱし鳩胸だろう……鳩胸に近いフォルムねぇ……ああ、飛行艇を混ぜるか」
センスがないので屁理屈を積み重ねる。
「飛行艇かぁ……小学校の頃に二式大艇のプラモデルを作ったことがあったっけなぁ」
そんな記憶が脳の隙間から湧き出てきたら、中学や高校の頃は好き勝手にデザインしたメカなんかをちまちまとノートに描いていたことを思い出した。
「そうか、昔はこんな仕事をしたいと思っていたこともあったな」
そういう意味では「夢が叶った」(笑)といえるのかもしれないが、叶ったからと言って得意なわけでもないのが残念である。
飛行機がハト型なら空飛ぶロボットだって、その翼は鳥の羽みたいである。
邪悪なイメージの筈だったのに、何だか滑稽な姿にも思える。
邪悪→凶暴→猛禽類……ではあまりに凡庸なイメージの展開に思えた。
「むしろ頭を大きくして……カワセミみたいなフォルムもいいかな……何だよこれじゃただ可愛いな……タガメみたいなイメージを混ぜるか……なんかけったいな形になってきたな、こりゃ……」
かくして出来上がったのは、鳥というより昆虫に鳥の羽を付けたみたいなロボットである。
「……変なの」
こんな世界観では確かに他人に頼みようがないのかもしれない。

デザインが苦手とは言っても、そこはそれ、描き始めれば楽しくなってくるもので、出来上がりに満足までは行かないものの、描いた線画に嬉々としてパソコンで着色までしている。色だって、世界観を形成する重要なファクターである。
正しくは色でも付けてみないと格好がつかないからであろう。
設定は暫定的なものだが、完成に近い状態で絵を眺めていると、イメージも湧いてくるもので、その設定をどう画面で見せるのか、どういう芝居をさせるのかが楽しみになってくる。
メカという範囲では、これまでにも蛇型ボートやトライク(3輪のバイク)、ドリルのついた4本の腕を持つ巨大な穴掘りロボットなんかもデザインしている。
「何で手がドリルになってんだか……これじゃ何とかってアニメみたいだな……顔はどうしようかねぇ……穴掘りっていやぁ、やっぱし「ヘルメットにライト」だよな」
センスが古いね、また。

モブのキャラクターたちを描くのも楽しい。
造型のセンスに不自由しているので、とても褒められた出来ではないが、色とりどりのロボットたちを描いていると、コンテの遅れをひととき忘れる……って、それじゃ現実逃避じゃないか。
いや、これも演出として世界観の把握に必要なのである、と言い張りたい。
一枚の紙に、20体ほどロボットを描いてパソコンで着色してみた。
これまでの映画では考えられないくらいカラフルな仕上がりになった。
なかなか立派に「子供向け映画の振り」である。
なぜ、そんな設定が必要になったかというと、主人公たちが大量のロボットに遭遇するシーンに絵コンテが達したからである。
主人公のロビンとリリコが発見するのは、倒れた多くのロボットたち。
色とりどりのロボットは死体となって登場する。
全然「子供向け映画の振り」じゃないじゃないか(笑)

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