2009年7月1日(水曜日)

未来の姿



ちょっと前の話。
6月の20日(土)から3泊4日で、故郷である北海道の鶴居と釧路に行ってきた。去年も同じ時期に行った。名目は一応母方の祖父母の墓参りであるが、年寄りの親戚たちが顔を揃える交流会のようなもの。
正直な話、後期高齢者ばかりなのでこの先、何度顔を合わせることが出来るか分からない。こういう機会は大切にしておきたいし、またこういう機会でも利用しないとなかなか釧路に行くこともない。いや、別にどうしても釧路に行きたいわけでもないのだが、私が高校時代を含めて計10年以上は暮らした場所なので、少なからぬ思い入れはある。
自分が住んでいた往時の面影が歳を重ねるごとに消え去っていく、その様を見たくないような見たいような気持ちもある。

20日(土)は8時半起きで、11時には羽田に存在するという常ならぬ奇跡。おかげで眠くてだるくて暑い。
チェックイン用の機械は愛想よく応対し、Eチケットのナンバーを打ち込むとペロリと往復のチケットを吐き出す。カウンターに荷物を預けて胃の腑の嘆きを癒すことにする。
ビールと天ざるそば。食券という段取りが旅行の始めにはいささか味気ないが、出て来た蕎麦はもっと味気なくも粗雑であった。
「すいません!そば粉をもう少し入れてください」
言っても仕方がないので、その要望は蕎麦みたいな振りをしたひも状のものと一緒に喉の奥に流し込む。

飛行機内では本を読む。普段まとまった読書の時間を取ることなどできないので移動の時間は絶好の贅沢である。
読みかけだった『人生読本 落語版』(矢野誠一/岩波新書)のページを開いてしばらくは落語にまつわる人生の知恵に和んでいたが、普段酷使している二つの目が疲労を訴える。
「頼むから瞼を締めてくれ」
そう言われては仕方ない。iPodで志ん生を聞きながら瞼のモードを「閉」にすると、あっという間に眠りのポケットに落ちる。

着陸間近のアナウンスに促されて脳を再起動すると、もう釧路上空。
心なしか機内の温度も下がったような気がした。
出発前に預けた荷物を回収して空港の外に出ると、ひんやりとして気持ちがよい。というよりは肌寒い。東京の気温の半分ほどしかないのではないか。
あいにくのどんよりとした鈍色の雲が空を覆っているが、それもまた釧路らしい風景である。久しぶり。わずか一年のご無沙汰だけど。
肺いっぱいに釧路の冷たい空気と一緒にニコチンとタールを吸い込む。
「ああ、美味い」
煙草2本の休憩をして、タクシーに乗り込む。
「鶴居のグリーンパークまで」

釧路湿原を右に見て車は走る。灰色を吸い込んだ緑の風景が目に穏やかで心地よい。
「北欧と似ているなぁ」
とぼんやり思うが、北欧ではこう思った。
「北海道に似ているなぁ」
何かに似ていることを思い起こすことより、目の前の風景をそのまま味わうべきかもしれない、などと非日常の緩くなった頭で考えていると、道路脇の駐車場に野良犬が一匹、毛繕いしているのが目に入る。
「あ、キツネだ」
一台も車がいない広い駐車場、うっすらと湿ったアスファルトに座り込んで、上手に焼けたトースト色のキタキツネは、観客の不在に少々不満げな様子に見えた。
車を止めてよほど挨拶の一つもしてやりたかった。
「私もコン」
頭のネジが緩んでいる。

30分ほどで目的地に到着。タクシー代は¥8000ほどだ。
30分でその値段は高いのではないかと思う向きもあろうが、何しろ空港から目的地までの間に存在する信号機は片手の指に足りないくらいである。信号待ちもなく、走っている車も極端に少ないので70〜80?程度が巡航速度となるのだから、移動距離は相当なものだ。
タクシー代が高いか安いかはともかく、私を育ててくれた地元になるべくお金を落としたいと思っているので、たまにはこんな贅沢も悪くない。

参加した親戚はうちの両親、母の兄弟やその子供(つまりは私の従兄弟)、うちの夫婦を含めて総勢10名。去年より2人増えていっそう賑やかな一団である。母の兄弟は世間でも珍しいのではないかと思えるほど仲がよい。楽しい親戚である。
翌日は朝から雨がひどくなるとの予報に素直に従い、到着してすぐにお墓参りを済ませる。
お墓の周りを掃除して、花やお菓子やお酒を供えて線香をともし、手を合わせる。
「南無ぅ……」
お墓に供えたものはすぐに持ち帰らねばならない。いまどきの墓参りは慌ただしいものだよ。
「敏、これ飲んでや」
渡されたお供え物のお下がり「ワンカップ大関」の蓋を開けて墓場で煽る。
「ううん……ワンカップ脳に染みいる甘さかな」

滞在中は、あいにく天候に恵まれずずっと雨が続いたが、それもまた良し。
おかげで温泉に浸かってはマッサージ機に揉まれてうたた寝し、起きては少し酒を飲んではまた温泉に浸かる、という至福の時を過ごす。
休憩所に設置された、15分¥200のマッサージ機に続けてコインを投入する。自宅のものと同じメーカーのマッサージ機にわざわざ¥200を入れるのも何だかもったいない気もするが、なるべくお金を使うのが目的でもあるので、ささやかではあるが自動販売機でお札を崩してでも揉まれるのだ。
マッサージ機に座って読書をする。自宅においてはこれが私の「休日の基本」であり、リラックスの記号である。
新しい本を開く。
『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』(柴田元幸・高橋源一郎/河出書房新社)。対談形式の読みやすさもあって、興味深くも楽しくサクサク読む。
もう1冊持参したのが『小説作法ABC』(島田雅彦/新潮選書)で、タイトルから分かるとおり大きく言えばさきのと同じ傾向のものだが、もちろん自分で小説を書こうなんて野望を持ち合わせているわけではない。
何かの書評で目にしたのだが、要するに読者の文学に対するリテラシーが下がりすぎてしまうと、作家の工夫や技が読み取られない、結果文学全体の低下につながる。だから「読み」の仕方を紹介したり、作家の作法みたいなものを書き手の側が自ら紹介したり、といった試みが生まれているそうで、その代表にこの2冊が上げられていた(ような気がする)。
分野は異なれど、同じようなことを感じていたので手に取った次第である。
完全休息として遊びに来ているとはいえ、やっぱり仕事のことは頭から一時も退場してくれない。

旅館で他に何をするというわけでもないが、年の離れた親戚の話を聞くのもまた面白いもので、普段にはないモードが開かれる気がする。
人間、年を食うと最近のことよりずっと昔のことの方が鮮やかに思い出されるようだ。これはレミニセンス効果という名称までついている普遍的なものだそうで、最近読んでいた『なぜ年をとると時間が経つのが速くなるのか』(ダウエ・ドラーイスマ/講談社)という本に記してあった。60歳あたりから特に顕著になる傾向にあるという。
親戚同士の話で何かに付けて出てくる話題は昔話で、時に何度か同じことが繰り返されるがそれもまた「そういうもの」として楽しく思えるのは、聞き手も年を食ったせいだろう。
第一、そういうことのために集まっているのだから、出来るうちに楽しんでおきたいものである。

参加者の半分は後期高齢者という立派な年寄りだ。かつて元気だった伯母さん、叔父さんもすっかり年老いてしまった。
その様は釧路の街にも重ねって見えてくる。
かつて漁業や炭坑で栄えた街。かつて繁華街だった通りはいまでは見る影もないほどシャッター街と化している。
釧路に限らず日本の多くの地方都市が、閉まったシャッターを連ねる老いた街になっているのであろうし、それはまた引いては日本の未来の姿にも思えてきた。
やれやれ、心気くさい話だ。
現在の日本が抱える問題の多くは、ひどく大雑把な考え方だが国の発展のピークを過ぎたことに起因しているように思える。少子高齢化、経済不況や国民一人あたり600万円を超える国の借金などなど。
人間だって国だって、盛りを過ぎれば後はいかに老いるかが切実な問題だろう。いつまでも若い訳じゃないし、無限の可能性が広がっているわけでもない。

上手に年を取ること老いること。
「こんな風に年を取りたい」「こんな老人になりたい」、そんなロールモデルを探すのが困難なように、国が老いるというモデルはないだろうし、そんな考え方すらないのかもしれない。何しろ頑なに「アンチエイジング」にしがみつくのがスタンダードな世の中である。
ゴーストタウンかと思うほどの釧路の光景は極端な例かもしれないが、「なるかもしれない」日本の未来の一つなのではないか。
そう考えると、ある意味「最先端」を行く街かもしれないとも思えてきた。
では、その「最先端」のから見えるさらに先はどんなだろう?
ぼんやりとそんなことを考えていた私の目の前に、天の配剤か、こんな風景を現出させてくれた。
見ていただきたい。これが最先端の「その先」だ。

09kusiro001.jpg

つまり「その先」は霧に包まれて見えない。
ぼんやりとした白い闇。
光明は見えないし、白い霧に消えていく風景は湿気てはいるが「お先真っ暗」ともいえないじゃないか。
ただ、ひたすら心気くさいけど。

釧路の街を少し歩いてみた。
すると、可愛くも不吉な予兆が目の前を横切った。

09kusiro002.jpg

私が高校生の頃には一応繁華街の様相を呈していたあたりは、2年前に来たときよりもシャッターの面積が広がっているようだ。

09kusiro003.jpg

撮影したのは月曜日の午後。人がほとんど歩いていないのが不気味ですらある。
人影もほとんど見えない通りに掲出された、政治家の看板であろうか。大声のコピーがいっそう寂しさを誘う気がする。

09kusiro004.jpg

「今こそ起つ!!」
「いまこそたつ!!」と読ませたいのだろうが、しかしこう聞き返したくなる。
「どこに?」
何よりいっそうの寂しさを覚えたのは、高校時代によく肉まんを食べに行った饅頭屋が閉店していたことである。2年前はまだ営業していたのに。無念、「北浜まんぢゅう」。

09kusiro005.jpg

幣舞橋を見下ろす花時計も、止まっているんじゃないかという気がしてくる。

09kusiro006.jpg

次の画像は先の霧の画像と同じく火曜日に撮影した幣舞橋。

09kusiro007.jpg

以前、この界隈にラッコの「くぅちゃん」(あるいはクーちゃん、くーちゃん、くぅーちゃん)が居着くようになって、一時はちょっとした「くぅちゃん景気」に沸いたらしい。くぅちゃん見たさに人々が詰めかけ、押すな押すなの大盛況で本当に釧路川に落ちた粗忽者がおったとか。しかも2人も。
お土産物屋にはくぅちゃんグッズが並び、市内のあちこちの焦点で「クーちゃん商品券取扱店」といった表示をよく見かけた。
ウェブでこんな記事を見かけた。
「「ラッコのクーちゃんは、いなくなっても釧路の顔」と、釧路商工会議所と釧路市商店街振興組合連合会は6月下旬、釧路市内限定で使える「クーちゃん商品券」を発売することとなりました。」
http://kitaguni-report.livedoo……92508.html
「いなくなっても」という強引さが涙さえそそる。
私はかつての地元を応援したいと思う。
くしろよろしくくしろよろしくしろよろしくしろよろしく……くしろよろしく無限回廊。逃れて欲しいものだ、くしろよろしく。

心気くさい話と画像ばかりで終わるのも気が滅入る。少しばかり彩りを加えよう。
釧路に行くと必ず立ち寄るのが駅前の和商市場。釧路港に水揚げされた新鮮な海の幸が並んでいる。釧路の魚は実に美味いのである。

09kusiro008.jpg

とりわけ私の好きなのはメンメ(キンキ)とシャケである。シャケは「ときしらず」が何より美味い。それも釧路ものが一番好ましい。
時折、親や親戚にシャケを送ってもらうのだが、何しろ今回の私は「かつての地元にお金を落としたい」だから、妻の実家と自宅用にときしらずを2本ほど買って送ることにした。自宅にはさらにタラコとイクラも。
次の画像は今回購入した「こまつ」の品揃え。

09kusiro009.jpg

ときしらずはだいたい¥6000〜9000くらい。左手に¥4000代で3本あるのが紅シャケ。
紅も美味しいが、やっぱりときが好き。甘塩のときに醤油をして食べるのが良いのである。
気に入ったシャケを選ぶと、店の方で適宜塩をし、切り身にして送ってくれる。シャケのお腹をめくって色や脂をチェックするのがポイント。とはいえ、私は目利きではないので店のご主人を信用して購入した。
自宅に送ったシャケもイクラもタラコもすべて食べてしまったが、いずれも絶品の美味しさであった。くしろよろしく。

次のカニの画像は和商市場の通りを一本はさんで隣にある「カニ吉」の水槽。

09kusiro010.jpg

活きたタラバや毛ガニをお好みで選んで茹でてもらうと、こうなる。

09kusiro011.jpg

親戚の家でカニパーティを催してもらったのだが、その時の画像。巨大なタラバも毛ガニもたっぷりと身が詰まっていた。この他にもう一パイ、同じくらいの大きさのタラバを食べた。
カニだけで満腹した。
さらにこの何年か、ずっと食べたいと思っていたものに出合うことも出来た。
私はカニの中ではとりわけ毛ガニが好き。ザ・キング・オブ・クラブそれは毛ガニ。
とはいえ毛ガニだって食べ続けると味に飽きてくる。そこで登場するべきなのが、これである。

09kusiro012.jpg

ほぐした毛ガニの身を甲羅に詰めてその味噌と和え、酒と醤油で味をして焼くのである。
これが食べたかったのだ。
不思議なことに、カニを食しつつおもむろにこれを作り始めたのは私の父で、父もどうしても食べたかったらしい。
親子だなぁ。
父と私は同じ卯年で、ちょうど三周り(36年)の歳の差がある。もし私がこの先36年生きられたら、毛ガニを食しつつもせっせと身をほぐして甲羅に詰めて酒と醤油をしてコンロに乗せる、そんな年寄りに是非なりたいものである。

トラックバック・ピンバックはありません

トラックバック / ピンバックは現在受け付けていません。

現在コメントは受け付けていません。