1999年8月21日(土曜日)

Q&A? -4-



 お付き合いいただいている方はいらっしゃるんでしょうか。随分長々としたテキストですがこれで最後です。
 ここからは「マンガオンライン」というウェブ雑誌に対する答えです。

今さん個人について

1.アニメーション業界で仕事をなさる前に、どんなアニメやマンガがお好きでしたか?

 子供のころによく読んでいたのは、手塚治虫氏のマンガです。アニメーションもやはり手塚氏の原作ものが多かったですね。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」等、私が慣れ親しんだ手塚氏のマンガ・アニメ作品を数え上げるときりがありません。
 中学・高校の頃には、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「機動戦士ガンダム」「未来少年コナン」等、当時のアニメファンが夢中になった作品を私も熱心に見ておりました。
 高校生の時、読むだけでなく自分で漫画を描こうという気になりました。
 その当時、日本のコミックシーンはニューウェイブなどといわれるちょっとしたムーブメントがあり、その旗手と目されていたのが大友克洋氏でした。
 それまでのマンガになかったリアリズムを湛えた作品に触れて、ある種啓蒙されたといってもよいかもしれません。作品としては「AKIRA」がもっとも有名ですが、私個人としては、「童夢」が一番衝撃的でしたね。娯楽とアートが高い次元でバランスした、素晴らしい作品だと思います。私のこれまで読んだ漫画の中でベストに入ると思います。

◆          ◆          ◆

 アニメも漫画も好きな普通なオタクだったと思うけど。
 いまだにガンダムの印象深いいくつかのセリフは日常会話に冗談として登場させられるくらいだし、「999」の公開当時には朝早くから劇場に並んだ覚えもある。人並みのオタクだな。
 漫画は随分読んだな。ほとんど売っ払った。一時期は何百冊か持っていたと思うがいまだに大事にしているような漫画は数少ないなぁ。
 それにしてもいくら漫画だのアニメが好きだったからって、まさか本当にその筋の仕事をするとは思わなかった。

4.パーフェクトブルーもメモリーズもマッドハウスで制作されておられますが、マッドハウスとお仕事される一番の魅力はなんですか?

 「パーフェクトブルー」は確かにマッドハウス制作ですが、「MEMORIES/彼女の思いで」はスタジオ4℃の制作です。(「MEMORIES/最臭兵器」は、マッドハウスの制作ですが、この作品に私は参加していません)
 現在制作中の新作「千年女優」は、「パーフェクトブルー」同様マッドハウスでの制作となります。
 「なぜマッドハウスと仕事をするのか?」ということですが、消極的にいえば他の制作会社から「監督」ということで声がかからないという、少々寂しい事情かもしれません。
 ただ、マッドハウスというスタジオは非常に元気のある会社であり、作品を仕上げるというもっとも基本的な点で、大変な基礎体力を持っています。動画や仕上げといった人海戦術を要する制作プロセスに特に強い。
 作品の仕上がりの細かい質に関しては少々難点もあるような気もしますが、小さなことにこだわらず、作品を回転させていけるところは大きな魅力です。
 現在の日本のアニメーションに必要なのは、アニメーションテクニックの完成度に血道を上げることよりは、少々出来が荒くても「見て面白い」作品を一本でも多く作ることではないかと思っています。

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 マッドの魅力は色々な意味で「ドンブリ」なところ(笑)
 
5.メモリーズを見たすべての人は、最初のセグメントである”マグネティック・ローズ”に魅惑されるようですが、監督がこのショートフィルムを振り返ってみて、どの部分が一番魅力的だと思われますか?

 もちろん私のシナリオです。
 半分冗談です。
 しかし、この仕事で一番思い出深いのは「現実と幻想の境界、あるいはその狭間そのもの」といったテーマを捻りだし、自分なりに深化させられたことです。結局その後もそうしたテーマを踏襲し、アプローチを変えて考えて続けているわけですからね。
 実際そうしたテーマに魅力を感じた観客が多かったように思えます。また、この作品の主役とも言うべきエバが、決して悪意を持った人物ではなく、純粋な思いが特化したが故に悲劇を招いているという点は、共感を呼びうるものだったかもしれません。
 それと私個人にとっては、より小さな世界に向かう視点が非常に有効であることに気が付いたこと、でしょうか。得てしてアニメーションの大作が、より大きなテーマや素材に向かって大味なテイストに拡散してしまうことに甚だ疑問を感じておりましたので、「より小さな視点」という、スポンサーからお金を引き出すのに少々不利ではありますが、気の利いた物の見方を体得できたのはその後の財産になりましたね。
 それが私にとっては特定の個人の内面に入って行く方向性でありました。
 また「彼女の思いで(マグネティック・ローズ)」は作画的な部分でも高い完成度を得られたことは何より素晴らしいことでした。

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 「彼女の思いで」「最臭兵器」「大砲の街」の三本含めてそれぞれに変なことをやっているとは思うけど、受けるわけはない気がする。あれを作れた環境に感謝している、というのが本当のところ。
 興行的にはかなり失敗だったと聞くし、海外で高く売ろうとしたのが裏目に出て買い手がつかなかったという噂も聞いた。オムニバスは当たらない、というジンクスがあるというが、オムニバスであろうが一本物の普通の映画であろうが、作品として収束して行くべき核を持たないことには通用しないのは当然といえる。作り手の満足度と興行的価値は、なかなかバランスしないようですな。

6.アニメーションの仕事をしておられない時は、何をしておられますか?

 酒を飲んでます。
 本を読んだり、音楽を聴いたり、映画やビデオを見るのももちろん大好きです。旅行に行って温泉にはいることにも無上の喜びを感じます。しかし、私の場合そのどれにも酒がつきものです。
 健康マニアのアメリカ人の方から見たら、私などはクレージーな人間ということになるでしょう。何といっても私のエンジンはアルコールとカフェインとニコチンで動いているのですから。

◆          ◆          ◆

 仕事以外の時間にすることでも、結局全部が仕事に繋がっている。公私は混同しっぱなし。それで良いのではないかと思っている。

7.アニメの監督でいらっしゃる今、どのくらい多くのアニメをご覧になりますか?

 ほとんど見ません。
 積極的にそれらを遠ざけているわけではなく、単に興味が薄くなってしまったようです。
 業界の友人が参加しているような作品は時々見ますし、テクニカルな面で刺激を受けることもたまにはあります。しかし、アニメーションということではなく、一本の映像作品として見ると、そこで描こうとしている話やテーマがあまりに陳腐であったり、繰り返されてきた借り物の安直な焼き直しであったり、語り口も凡庸の極みに思えます。また多くのアニメ作品に登場するキャラクターの顔は私には区別の付かない、ほとんど同じ絵に見えます。
 アニメファンが制作者に回り、ファン意識だけに頼り、アニメファンのためだけに作っているとしか思えません。その不毛なサイクルの中に、私が刺激されるようなものは生まれ得ないのではないかと思っています。
 そうして垂れ流されているアニメなどは、見るとひどく不愉快な気持ちにすらなりますが、こうした「メインストリーム」の作品が多々あるお陰で、私のような偏屈な少数部族のものが監督できる裾野が広がっているとも思います。

◆          ◆          ◆

 たまにアニメを見ると暗澹たる気持ちになるのでなるべく見ないようにする。自分の作品を見るのが一番憂鬱だけど。
 

8.アニメの監督さんたちは、一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりなさるのですか。例えば、押井守監督や、川尻善昭監督が一緒に飲んだりなさるのですか?

 あまり考えられないケースですね。アニメの監督に限らず、自称にしろ他称にしろ「作家」といわれる人種は、「自分が一番」だと思っているはずです。
 あまり仲良く酒を酌み交わしている図は想像しにくいですね。

◆          ◆          ◆

 私が一緒に飲んだことのあるアニメ監督、という範囲でいえば大友さん、森本さん、「人狼」の沖浦君、北久保、押井さん、ナデシコの佐藤さん、「オネアミス」の山賀さんくらい、あと「スプリガン」の川崎さんとか。楽しいことの方が多いと思うけど、お互いの作品の話はしないに限る。

9.今監督の映画の多くが現実とファンタジーの錯綜を描かれていますが、現実とファンタジーの錯綜が今後も監督の作品のテーマになるのでしょうか?

 しばらくはそのテーマを、手を変え品を変えていじり続けるような気がします。現に、今進行中の作品もそうした流れの延長にある作品です。

10.カードキャプターさくらやセーラームーンのような”マジカルガール”の少女アニメがアメリカでも日本でも人気がありますが、今監督はこういった作品にはご興味がありませんか?

 ありません。
 現在のところ私には子供に向けて作品を作る気が、まったく無いようです。
 よくアニメーションは「夢を売る」という、砂糖まみれの甘ったるい修飾語が冠されるようですが、夢を見ているのは観客である子供の方ではなく、作り手の大人の側のような気がします。
 夢というのは現実があってこそのフィールドです。今一番足りないのは現実を認識するということだと思います。夢を見る前には、しっかりと覚醒した時を過ごすことが必要ではないかと思います。
 私はまず自分なりの現実と向き合いたいと思っています。その先に自分の中で余裕が生まれたら、そうした”マジカルガール”を作ることもできるかもしれませんね。

◆          ◆          ◆

 ホントはちょっとだけやってみたい気もする。シリーズのコンテの一本くらいなら。「消えたさくら」とかそういうイレギュラーなやつね(笑)

11.アニメの将来をどのように予測されますか?

 これといった展望は持っておりませんが、当分の間、金銭的人的状況が改善されていくとは思えないですね。勿論作品内容の質の向上も期待は出来ないでしょう。
 まず作品に関わる人間の意識が向上しない限りは、漫画やゲーム原作、あるいは過去のアニメ作品のリメイクといった安直な企画が横行するでしょう。
 また少ない予算枠の中でスタッフの努力によって良いものが出来、なおかつそれが商業的にある程度の成功を収めたとしても、それが必ずしも好影響ばかりを与えるとは思いません。
 というのも、例えば1億円でそうした善良な作品が出来たとしても、出資する側はより大きな資本投下をするわけではなく、逆に「ならばもう少し質を落として、8000万の予算で作ればさらに儲かる」という発想になるようです。
 アニメーションの将来に期待する芽すらないと思えます。
 悲観的なことばかり列挙しておりますが、私個人はそうした状況でも、いやそうした状況だからこそ、私に出来うる限りの作品制作への、もっとも正しいと信じる態度を取り続けたいと思っています。というよりは、他の人の心配をしているほど私には余裕がないというのが本当のところかもしれません。

◆          ◆          ◆

 良くなって行くと思う材料はほとんど無い。勿論私にとって「良い」という状態がファンや一般客にとっての「良い」と甚だずれいていると思うけど。

パーフェクトブルーについて

2.映画評論家はパーフェクトブルーをヒッチコックの作品と比較されますが、ヒッチコック作品がパーフェクトブルーに影響を与えましたか?

 無いとは言えませんが、あるとしてもそれは例えばジョン・フォードが、あるいはアキラ・クロサワが与えている影響の量と変わらないかもしれません(笑)。
 明確に影響を指摘できる作品はないですね。私はこれまでに数多くの映画を観ていて、そのどれもが少しずつ影響を与えているでしょうし、私自身が気づかない影響も多々あると思います。私の映像や作劇に対するセンスは、その多くを実写映画に学んでおりますので、多大な影響があるはずです。
 他作品との比較やそれらからの影響についての論は、見た方の批評眼にお任せする次第です。

◆          ◆          ◆

 どこがヒッチコックなんだよ、まったく。泣くよ、ヒッチコックが。
 ヒッチコック作品もそれほど見ている方じゃないと思うけど、「裏窓」「めまい」「鳥」「サイコ」「北北西に進路を取れ」「レベッカ」「ダイヤルMを廻せ!」「知りすぎていた男」あたりが印象的で、「間違えられた男」「トパーズ」「フレンジー」「マーニー」「泥棒成金」「ハリーの災難」「見知らぬ乗客」「汚名」「白い恐怖」「断崖」「逃走迷路」「サボタージュ」「海外特派員」「スミス夫妻」なんかは見た覚えがあるくらいかな。印象がごっちゃになっている作品が多いかもしれない。
 ヒッチコックの有名なインタビュー集「ヒッチコック/トリュフォー」はえらく面白かった覚えがある。ヒッチコックって観客の気をひくのがもの凄く巧みなんだな。内容的テーマ的なことを別にして、とにかく上映時間の中でお客の気を引き続けるためのアイディアや技術が実に素晴らしい、という印象かしら。

3.監督がパーフェクトブルーでこだわられた点は何ですか?

 画面の中のモチーフが、「普通に見える」というごく基本的なことでしょうか。あくまで目標としていた、ということですが。
 キャラクターにしろ背景にしろ、従来のアニメーションやコミックで記号化された芝居や描写の方法をなるべくやめようと思ったわけです。ごくごく基本的なリアリズム、まず自分の周りの風景や人を自分の目で見る、ということを実践しようと思ったのですが、ごく一部のスタッフを除いて、そのことを分かってくれる関係者は少なかったようです。
 みなこれまでに慣れ親しんできた方法論に頼ってしまいがちでした。
 ですからその部分でのこだわりが作品内で徹底できたとはとても思えません。
 私としてはキャラクター・背景デザインをする上で、特に留意したのは「どこかにいそうな人、ありそうな場所」というテーマでした。リアリティを感じさせるデザインで、それでいてアニメーションとして成立するくらいこなれた絵、ということですね。自分なりに上手くいったとは思っていたのですが、完成したフィルムを見るとまだまだ甘い点が多すぎました。

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 殊更にこだわったという部分はないと思うのだけど。私のスタンダードが他のスタッフに多々迷惑をかけたのは間違いないかもしれない。だからといって私が勿論優れたことを考えているわけではない。ただ従来の型からはほんの少しだけはみ出しているということなのかもしれない。本人は至って真っ当なつもりなんだけどなぁ。
 初めて監督する、という気負いも特になかった気がするが、最初に作るアニメーション作品である、という意識はそれなりにあって、だからこそ身の回りの描写には気を使いたかったのである。身の回りのことも描けなくて、異世界だの未来世界が描けるはずもない、という意識が強いせいかもしれない。だからこそアニメーションであまり手を付けられない日常風景を一生懸命に描きたかったのであろう。あんまり上手くはいかなったけど。
 アニメーションに限ったことではないのだが、作品に対する自分なりのスタンスはそのあたりにあるような気もしている。
 日本の実写なんかを見ていても日常の希薄な作品が多いと思うのだが、だれも指摘しないのだろうか。それで良いと思っているのだろうか。生活感のないところに立脚する特異な出来事など絵空事にしか見えないと思うのだが。それとも私なんかの目に入らないところで、衣装さんが選んでくれたような服を着て、テレビドラマや映画のセットのような環境で、わざとらしい会話を交わして生活をしている一般的な人々が存在するのだろうか。謎だ。

4.ホラーアニメは過去にも多数ありましたが、パーフェクトブルーを見たほとんどの人が、この作品は本当に怖かったと言っていますが、この”怖い”ということがこのパーフェクトブルーを作っていらっしゃった時にゴールとしていらしたことですか?

 「怖い」という感想は嬉しいです。しかし制作中「怖さ」ということはあまり意識はしていなかったですね。
 「怖い」というその感想がどういった種類の怖さなのでしょうか?
 本作の感想を多くの人からいただいたのですが、やはり「怖い」というのが、特に女性に多かったようです。そこに大雑把な傾向を読みとることが出来ます。
 「怖い」といっても二種類あるようです。
 一つはもっとも単純な「ストーキングされる気持ち悪さ」ということのようです。この点については監督した私がこう言うのもおかしな話ですが、それほど強調して演出した覚えはありませんし、類型化された描写しかできていない気がします。もう少し観客の皮膚感覚に訴えるような、実感を伴った描写を出きれば良かったと反省しております。
 もう一つの「怖さ」は、主人公の混乱ということのようですね。私や脚本家の村井氏もその点での観客の反応には実に満足していますし、それこそが本作の狙いでもありました。ただ我々が考えていたのは「怖さ」ということではなく、「酩酊感」という言葉を使っておりました。主人公の内面の混沌を観客に伝える方法として、頭で理解するのではなくて、体感してもらいたいという狙いでした。
 本作の後半で繰り返されるシーンはその酩酊感を意図したものですが、それが「怖さ」を喚起しているのであれば、私たちとしては大成功であったといえます。

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 私にとっては見るのも「怖い」作品だな。あ〜怖い怖い。
 「ホラーアニメは過去にも多数ありました」というが、ホラーアニメというのは見たことがないな。それはホラーなのだろうか、本当に。ホラーというより気持ちの悪い描写が多いだけのアニメじゃないのだろうか。謎だ。
 

5.パーフェクトブルーで伝えたかった社会的なメッセージがありますか?

 「社会的メッセージ」というほど大袈裟な気持ちはありませんでした。
 しかし最近の世の中の傾向として「多くの問題の原因は当人を取り巻く社会や環境に求められる」という風潮があります。
 その説自体に罪はないと思いますが、問題はその説に毒され、多くの人が、抱えている問題に対して甘えた態度をとっているという風潮は批判されるべきだと思います。そこにも「境界が曖昧になっている」という傾向が悪影響を与えているのかもしれません。自分の責任を外部に転嫁するというのも境界の溶融の一つだと思うのです。
 努力もせずに救済ばかりを求める人間が多すぎるような気がしますね。
 ですから、特に若い人に対しては、自分の問題は自分で解決しろよ、という気持ちはありました。

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 メッセージなんておこがましくて(笑)
 先日そんな話題が飯時に上がったのだが、メッセージを前面に押し出している作品には胡散臭さしか感じないのだ。大声で演説する姿には生理的嫌悪すら感じるし、耳を傾ける気など微塵もない。疑ってかかる方が間違いないとすら思っている。そうした傾向を世代という括りで考えるのは無理があろうが、私たちの前の世代、学生運動華やかなりし頃の反動なのかしら、などとも思ってしまいますな。アジるのもアジられるのも嫌。
 「少なくとも私はこうです」といった態度しか信用しないな。

6.エバンゲリオンとパーフェクトブルーは両方ともリアリスティックなサイコがテーマですが、どうしてエバンゲリオンの方がSFよりの路線を取って、リアリスティックなサイコに取り組んだと思いますか。

 「エヴァンゲリオン」という作品について公式に何か語れるほど、この作品を見ているわけではないので何とも答えようがありません。
 ただ一つ言えるのは「SF・ロボット・美少女」という手垢まみれの素材で、変わった作品が出来たというのは驚いても良い事実かもしれません。

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 エヴァのことを私に聞いてどうする。庵野さんに聞け、庵野さんに。

7.パーフェクトブルーの続編が出るといううわさがありますが、続編が出るのですか?

 その噂は私も聞いたことがあります。大変驚きました。多分続編はないと思いますが、「パーフェクトブルー」については私には一切の権利がないので、私の知らないところで作られるかもしれませんね。もしそんな企画が実現したら、さぞ可笑しい物が出来るかと思いますのでちょっとだけ楽しみです

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 そんなもの知るか。

パーフェクトブルー(制作について)

1.ディレクターとして制作のどういう面にかかわられましたか?

 制作ということであれば、すべての面においてということになるかもしれません。プロットや、そのストーリーにどういうテーマ性を与えるかといった、「映画パーフェクトブルー」の根元的な成り立ちから考えました。
 脚本は村井さだゆき氏ですが、やはり脚本段階でも多くのアイディアを出しましたし、絵コンテ段階でも多くの工夫を凝らしたと思います。
 ご存知かもしれませんが、日本のアニメーションでは絵コンテが作品にとって最も重要な位置を占めます。いわばフィルム編集を先に行うようなものです。
 カット割り、構図、芝居のプラン、カットの尺、テクニカルな処理のアイディア、さらには最終的なセリフもここで決めますし、場合によってはシナリオの変更もあります。
 実際パーフェクトブルーでも、シナリオとコンテ(つまり出来上がった作品)では、殺人の実行犯が変わっていたりします。
 それに加え私は絵描きという側面も持っておりますので、コンテ段階で美術設定やキャラクター設定、コスチュームデザインまでこなしたりしてました。
 コンテを元にその後の具体的作画作業を進めるのですが、そこからは各方面から上がってくるカットの素材をチェックするのが主な仕事になります。ここでも多くの絵を描きました。レイアウトや原画段階での数多くの修正のためです。自分の絵の技術に感謝しましたね。絵を描くことで、少しでも自分の伝えたいイメージを表現できるわけですから。
 スタッフを集めるというのも重要な仕事でした。知り合いのアニメーターに声をかけたり、作画監督を口説いたりするわけです。
 私の目に狂いはなかったようで、そうしてお願いしたスタッフは素晴らしい仕事を残してくれました。特に作画監督の濱洲英喜氏の仕事は素晴らしいもので、多くのキャラクターたちに上品さを与えてくれました。
 それと音楽のイメージや効果音のムードや方向性を音楽担当者や音響監督に伝えるのも監督の重要な仕事の一つでした。声優を選ぶのもそうです。更にはフィルムが完成した後の宣伝活動も大きな仕事でした。
 アニメの監督とは終始雑用でもあります。

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 私の中には「監督の私」と「絵描きの私」がいたのは間違いない。勿論不可分ではあるのだが、一応わけて考えておかないとエライ目に遭う。実際、遭った(笑)
「絵描きの私」をこき使いすぎたかもしれない。肉体的身体的に疲労が重なった絵描きの私は先鋭化してしまい、勝手に一人歩きを始めて監督の私に襲いかかった、と。それが私のパーフェクトブルーかな(笑)

2.非常にリアリスティックな背景がこのフィルムの特徴だと思いますが、観客にこのストーリーはこの現実世界で起こったということを印象づけたかったのですか?

 それも多少はありますが、むしろ本作のテーマ上、他に考えようがなかったという理由です。
 主人公、あるいはまた加害者側が後半になるに従い「壊れて」行くわけですが、「壊れる」ことを描くためには、ある程度の正常な、秩序だった状態を描く必要があります。最初から壊れていたのでは「変化」になりませんからね。
 上手くいったかどうかはともかく、本作の特に前半で提示したかったのは「確固とした日常」というイメージです。それが混乱というカオスに浸食されてくる、というのが本作の一つの切り口でした。

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 リアリスティックな背景、ね。そんなに意識はしてないっちゅうの。
 ただ、セルアニメーションにおける単純な意味での「背景」を、書き割りにはしたくないという思いは強い。
 セルアニメーションの性格上、実線で括られた動く部分と、筆で描かれた背景部分とはその見た目が大きく違う。いくら背景をシャープに描いたところで、実線に比べれば画面上甘い印象になるのはやむを得ない。その分もちろん利点も大きいのだが、日常風景の、文字通りその輪郭を際だたせたかった本作では、通常よりもシャープに描写する必要があったと思う。キャラの間近に感じられない背景では無意味だったと言えようか。
 そうして強調した部分が大きく、またレイアウトの取り方も極力不自然なカメラ位置を避けたせいもあったからリアリスティックに見えるということかもしれない。とりたててリアルな描写などはしていないと思うのだがね。謎だ。

3.パーフェクトブルーを制作するにあたり、もっとも苦労されたのは何ですか?

 お金と時間と人材が足りないことです。
 どの作品制作現場でも、概ねこのような傾向にありますが、「パーフェクトブルー」の場合は度を超してひどい状況でした。
 それは必ずしもスポンサーや制作会社の管理の問題だけではなく、実情を知らされなかったとはいえ、私の経験不足が拍車をかけていたでしょうし、予算以上のフィルムを作ろうとした作り手の善なる無謀によるものかもしれません。
 しかし時間とお金があれ以上にあったとしても、画面の質の向上は確約されますが、作品として「より面白くなったか」といえば甚だ疑問です。

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 もっとも苦労しなかったのは何だろうか? あれ?……何だろう?

5.多くの人がパーフェクトブルーでの、画期的なCGの使い方に注目していますが、CGで作るアニメーションについてどう思われますか?

 「画期的なCGの使い方」? どこを指してそのようなことをいわれているのかよく分かりません。
 「パーフェクトブルー」でCGを使用したカットはごくわずかで、ほんの5、6カットです。それも目立つ処理は1カットだけではないかと思います。
 パソコンを使用したという意味では背景の処理等で、確かに「CG」を利用したということになるでしょうが、それもプリントアウトした素材を結局カメラで撮影しているので、それをしてCGと呼ぶにはあまりにもCGに対して失礼に思います。
 CGでアニメーションを作ることに興味はあります。ただCGによるアニメーションというのも色々な意味があるかと思います。
 「トイ・ストーリー」のような、いわゆるフル3DCGアニメーションという意味ならば、私はあまり興味がありません。私の興味のあるCGはあくまで手書きの絵をベースにしたアニメーションのためのCGということになります。
 日本でもテレビアニメーションで既にデジタルペイントや、カメラの代わりに撮影をする道具としてコンピュータが導入されていますが、セルによる従来の手法と何ら変わりのない使われ方をされております。また手書きの絵と3Dを併用したアニメーションの制作もされているようですが、まだまだ技術的にこなれておらずあまり成功はしていないようです。
 私としてはもっと初歩的なCG(2D処理をメインにした)で、もっともっと面白いことが出きると思っています。CG=3Dという安直な発想ばかりでないCGがあると思うのですが、誰もやらないですね。私は是非やってみたいと思うのですが、私の手がける作品にはその予算がありません。CGデータを作ることに予算がかかるのも勿論ですが、何よりフィルムレコーディングが高くつくため使えないという事になっています。情けない話ですが、それが私の現状です。

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 あんまり笑わしてくれるなよ、まったく。何がどう間違われると「画期的なCGの使い方」なんだっちゅうの。
 大好きだよ、CG。CGの世界に行ってみたいなぁ。サイコーだよ、ホント。

6.フルCGでアニメーションを作るプロジェクトにご興味がありますか?

 興味がないといえばウソになりますが、現段階のいわゆる3DフルCGの、特に日本のそうしたデモンストレーションを見る限り、チャレンジする価値はあまり感じられません。
 こなれていない技術では、私の作りたい作品を語る言葉にはなりえないと思います。

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 単純な意味でセルを使わないフルCGなら是非是非やってみたいのだがなぁ。それならいくらでもやりたいことがある。だれかお金出して。

将来について

1.シンプルレッドについてお話しいただけますか。これはパーフェクトブルーの続編で、映画化されるのですか?

 「シンプルレッド」というのは、「パーフェクトブルー」の原作者・竹内義和氏の書いた小説ですが、「パーフェクトブルー」の続編ではありませんし、その映像化に私が関わるということはないと思います。
 現在私が監督で進行中の作品は「千年女優」という作品です。
 「パーフェクトブルー」を見たあるプロデューサーに声をかけていただきました。「パーフェクトブルーみたいな作品をやりましょう」と。
 ちょっと考えて彼に質問しました。「“パーフェクトブルーみたい”の“みたい”とはパーフェクトブルーのどの部分を差すのでしょうか?リアルな面なのか?サイコな面なのか?」
 彼は答えて言いました。「“騙し絵”みたいなところ」
 その一言で私は大変乗り気になりまして、頭の中の引き出しをあれこれとさらって、思いつきの断片を整理し、以前から気になっていたアイディアの一つを企画にまとめました。それが「千年女優」です。
 「パーフェクトブルー」が神経質でダークな作品だったので、今回は明るめで楽しいムードの作品を狙っております。
 先の質問に「パーフェクトブルーは「彼女の思い出」の中で描かれたテーマのいくつかの延長でしょうか?」というのがありましたが、この「千年女優」もその流れに入るものだと思います。どちらも人間の暗い面にスポットを当てた者でしたが、今回は裏を返して、ポジティブな面を強調できればと思っております。
 「千年女優」の原案は私で、脚本はパーフェクトブルーに引き続き村井さだゆき氏、演出も同じく松尾 衡氏、美術監督も同じく池 信孝氏、作画監督にはパーフェクトブルーで原画を担当してくれた本田 雄氏が決まっております。
 現在シナリオが完成し、絵コンテに入った段階、完成は来年の予定です。

◆          ◆          ◆

「パーフェクトブルー」の完成後、すぐの頃に原作の竹内さんと企画の岡本さんから話があって、次回作として仮に「シンプルレッド」という名前で企画書が作られたりしていた。多分それが持って回られ私が監督するということになってしまったのかもしれない。その後連絡はないので私は何も知らないな。

2.もしチャンスがあれば、欧米で制作される映画やアニメーションのプロジェクトに参加することにご興味がありますか?

 それは大いにあります。
 ただ欧米、特にアメリカ製のアニメーションで私に刺激を与えるようなものにあまり出会ったことがありませんので、アメリカ的アプローチによるアニメーションならばあまり興味はありません。アメリカのアニメーションは、私にはあまりに保守的に過ぎるのではないかと思えます。

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 参加とかそういう問題ではなくて、資金を出してくれりゃ一番良いのだ。良いのだけれど、資金も出すけど口も出す、ということになるとやはり日本式アニメ制作や特徴の良い部分が減少して行くだろうから、一長一短かもしれない。
 そういえば消え去った企画でそんな物があった。アメリカの某大手映画会社関連の資本で、日本のとあるスタジオで某巨匠の監修により劇場作品を作るというものであった。予算的には「もののけ」並であったろうか。その監督として白羽の矢が立ったのがこともあろうに私であった。
 景気の良い話が飛び出す打ち合わせに何度か足を運んだが、どういう経緯か詳しくは知らないがあっという間に消え去ったようである。何となくそんな予感がしてはいたのだが、事情を知らせてこない関係者には甚だ不愉快な思いをさせられた。結果的に考えれば一緒に仕事をしなくて済んだのは良かったのかもしれない。
 この企画、アメコミが元にあるということであったが、ともかくあまりにも陳腐で時代遅れな話の内容に唖然とした。アメリカにとって、アニメとはやはりそんな物なのかもしれない。金だけならともかく内容を押しつけられた日には作る気にもならないだろうな。

4.将来のプランは何ですか?

 これといった野望があるわけではありませんが、もう少し予算に余裕のある作品を作れるようになりたいですね。

◆          ◆          ◆

 本当はアイディアもプランも野望も下心も沢山あるけど、パクられたら嫌なので言わない。

5.もっと大規模のバジェットの劇場向けアニメが公開されているようですが、劇場向けアニメの品質は高くなり続けると思われますか?

 アニメの品質というのも意味合いは様々です。
 単純にアニメーション技術のクオリティという意味ならば、確かにお金と時間をかけ、またCGなどの新しい技術を取り入れて行けば向上して行くと思います。
 しかし私が思う作品の品質という意味では、先は明るくはないと思います。
 作品にとって重要なのは、面白い話であり今までにない切り口やテーマや文体といった、お金と時間では買えない部分が重要であると考えています。
 現状を見回して、一番気になるのは面白い作品が出てくるような土壌がないことであり、その芽もほとんど見あたらないことです。
 つまり面白いアイディアを持った人間がいない。
 その意味でアニメの品質がそれほど向上して行くことはないと思います。もっともこれは何も日本のアニメーションシーンに限ったことではないと思いますが。

◆          ◆          ◆

 なるわけないだろうに。世の中の価値観が安直へ安直へとなびいているのにアニメーションだけが右肩上がりに質の向上するはずもない。業界全体、日本のアニメ全体の進歩、などはアニメ雑誌の記事の中の戯言に過ぎない。あるとすれば有能な個人による成果しか期待できないのではないか。
もしもアニメーション業界が比較的元気があるとされているとしたら、それは一般社会よりも遙かに後進的な業界であるために、業界にいる人間たちの活力のピークがやっと訪れたというだけのことではないのだろうか。平たく言えば「遅れている」というだけのことだ。過去を考えても、およそマンガより先にアニメーションがあった試しはないし、これから先もマンガの従属物としてのアニメーションの側面が弱まりこそすれ、なくなることはあるまい。
いかにその先進性が失われてきているとはいえ、物を見る目や問題提起の先進性で言えば、いまだ芸術はその面目を保っているのだろうし、先端科学による新しいパラダイムの発見などはさらにその先にあるかと思われる。宗教は既に科学によって後塵を拝す結果となっているであろう。文学などもその序列においては上位に属するかと思われるが、それらで提起された価値観や問題提起は、メディアとしての伝達能力の優位性が高くなるに従って、緩やかにかみ砕かれて世間に到達浸透していく構図ではなかろうか。
大雑把な言い方で恐縮だが、先端科学で証明されたようなパラダイムが先端の文学や芸術において人文的な表現として現れ、それが文化商人たちの手によって映画や音楽としてかみ砕かれて流布していく。それがさらにマンガや歌謡曲として再生されていく。
誤解の無いように断っておくが、この流れの下位にあるから下等であるなどという気はさらさら無い。通俗であるというのは恥じるべきものではないし、私も楽しくそれを生業としている。ただそういう構図は存在していることに違いはない。
ただ現在の価値観の閉塞状況、不況のなかで、たとえアニメーションが少しばかりの元気や活力を見せているからといって、その扱う主題が高級になったわけではないのだから、作り手や受けても過度な思い上がりや期待をするのは危険だと思うのである。
あれ?……ホントに私、こんなこと思ってたかな。

6.アメリカは日本のアニメの大きな市場になり得ると思われますか?もしそう思われるのなら、大きなマーケットに紹介されることによって、日本のアニメーションが変わると思われますか?

 私の方こそアメリカの方にそれを聞いてみたいですね。
 先程もいいましたが、アメリカのアニメーションは保守的だと思います。しかし日本製のアニメーションにも興味を示す。
 ならばなぜ自分たちの手で、日本のアニメーション的アプローチによる作品を作らないのかが疑問です。そうした切り口による作品制作であれば、私などにも参加する機会があるかと思うのですが、そのような動きはアメリカにはないのでしょうか。
 アメリカという巨大なマーケットは大きな魅力です。
 出来れば是非アメリカ市場を視野に入れた作品を作りたいと思いますし、多くの業界関係者もそう思っていると思います。しかしそうした狙いがあっても、日本のアニメーションが大きく変わることはないような気がします。
 現場にいる制作者の意識がまだまだ幼いのです。
 自分の言葉で作品を作り、その中で自分なりのテーマを発言できるような人間が出てくること、その上で観客に対するサービス精神が養われることを期待しています。
 「もののけ姫」がアメリカで公開されて、どのような反響があるのか、またその成功の是非を日本のアニメーション業界がどう受け止めるのか、私も楽しみにしております。
 もちろんバジェットも知名度においても格段の差がある「パーフェクトブルー」がどの程度健闘できるのか、の方が気になるところではあります。

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 みんなアメリカが好きだよね。私は日本が好き。最近は特に大好き。
 黒い髪も黒い目も黄色い皮膚も大好きだぜ。

 ということで、長々としたインタビューテキストも終わりです。
 お付き合いいただいていた方がいらっしゃいましたら、お疲れさまでした。

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