2010年1月17日(日曜日)

卒業制作お疲れさまでした



昨日土曜日は、武蔵野美術大学映像学科の卒業制作講評会。
卒制を終えられた皆さま、本当にお疲れさまでした。
講評は木曜日から三日間行われていたようだが、私は「今ゼミ」学生の発表がある昨日だけの出席とさせてもらった。申し訳ないが、さすがに三日間通しで観る余裕はない。しかし、昨日の発表を見たらちょっともったいないことをしたとも思った。こういうと失礼かもしれないが、学生作品が思いのほか素直に「面白かった」からである。

完成や発表が危ぶまれた今ゼミの学生たちも、あらかじめ卒制提出を辞退した一人を除いて無事発表に至ることが出来た。
火曜日にゼミがあり、その段階ではほとんど映像にはなっていなかった子も立派に(と言っていいくらい)映像作品になっていた。随分長い間顔を見ていなかった気がする学生も、無事発表に漕ぎ着けてくれた。
とりわけ、先日のブログでも触れた学生の短編アニメーションは非常に良い出来で、他の先生方にも評判は上々。
内容は、「自分が何色なのか分からなくなってしまった絵の具のチューブたちが、絵の具の持ち主である子供がいない間に、それぞれの色を回復する」というもの。真っ黒になったチューブは、小人へと姿を変じて自分の色を取り戻すべく走り回る姿がたいへん可愛らしい。
1秒当たりの動画枚数がちょっと少なめので、動きはややぎこちないものの、止めがほとんどなく動き回るし、作品内容に似合っている動きとも言える。
よく動くだけでなく、ちゃんと芝居をしているのが好ましい。
台詞は一切ないが、話は勿論のこと、キャラクターたちが何をしているのか、その心情なども絵と芝居だけで十分伝わる。
それぞれの色を回復するためのアイディアもバリエーションに富んでおり、アイディアがたくさん詰まっている。
音楽は既成のものだが、曲と映像のシンクロも取れていてたいへん心地よい。
タイトルは「あみだしむくきもちはあき」(間違っていたら申し訳ない)と少々変わっている(だからなかなか覚えられないのだが)。これは、12種類の絵の具の色、その頭文字を並べたもの。

フル3Dで制作された短編アニメーション「おとぎ話が生まれるところ」も、これまた力作で、キャラクターの造型やお話も優れた出来である。途中経過をほとんど見ていなかったのだが、「よくぞここまで」と思わせてくれる。
「夜の海、大きなカメラの甲羅に乗って釣りをしている少女が、月に見える白く美しいウサギを釣り上げようとしている」というなかなかシュールなシチュエーションの作品。そして少女がついに釣り上げるのは……。
少女と亀の会話は、奇妙な音声によって交わされ、その内容は字幕で示されるのだが、説明を排し必要最低限に絞られた台詞もうまく選ばれている。

今ゼミはシラバス上は一応「アニメーション」を対象としているのだが、昨年度は漫画もあったし、今年度は実写もイラストを使ったインスタレーションもあり、結局「何でも有り」のゼミと化している。
「アイヌ」と「芸者になりたい男」という非常に難しい題材の上に、にわかには何だかうまく想像できない取り合わせに挑んだ実写「黎明は脈々」も無事に上映を迎えられる。
この作者が最もゼミ出席率が高く、シナリオから撮影、編集の進行状況を随時報告してもらっていたのだが、その制作過程における艱難辛苦、紆余曲折、続発するアクシデントや相次ぐマシントラブルを耳にしていただけに、無事上映に至りエンドロールまで見られたというだけでも感動であった。
音響への配慮が足りないせいか、あいにく台詞があまり聞き取れなかったのが残念だが、どういう話なのかは十分伝わったし、山場ではシュールとさえ言えるショットも出て来る。編集にも格闘の後が伺え、好感が持てる。

街の中に住む奇妙な生物「イートマン」を題材にした短編アニメーションは、言葉足らずというか、素材が間に合わなかったというのか、予定した映像の達成には至ってはいないのだろうが、意図したイメージは何とか具体的な形に定着していたと思われる。奇妙な生物が動く様が可愛く描けていたし、発想そのものが面白く、作者をよく反映しているように思われた。
他には「仮死状態の幻視」や「溶け合う双子」を題材にしたもの、「動くイラスト」とでも言うべき可愛らしいアニメーションなど、いずれも「すっかりなくしてしまった時間」の中で何とか形にしたようである。
中には「わずか○日間!」で仕上げてきた強者もいた。さすがに落ちこぼれだった私でも、卒制でそこまで無茶なことはしなかったぞ。
健闘をたたえたい。

経過はともあれ、とにもかくにも「今ゼミ」の映像発表は無事に終了(あと一人、イラストを使ったのインスタレーションが控えているが)。指導担当としてもホッとした次第である。
指導担当といっても、たいしたことが出来るわけでもなく、ましてや実制作には全然かかったわけでもないのだが、一年間伴走してきた者としては、やっぱり「完成」の二文字は自分のことのように嬉しいものだ。
皆さん、本当にお疲れさまでした。

いずれの作品も、商業的に見ればまた全然違う批評も出来ようが、「他ならぬその作者」にとっては立派な「卒業作品」になっているものが多かったことがとりわけ喜ばしい。
私は作品そのものももちろん重視するが、作者と作品の関係はそれ以上に重視しているかもしれない。
ゼミにおいて学生と多岐に渡ってあれこれ話をして来ているので、学生の置かれた状況や人格もある程度知っている。だから「他ならぬその作者」だから作り得たものなのかという面も重要なのである。何せ「映像表現」なのであり、表現されるのは作者の考え方や見方であろう。
そういう事情もあるので、他のゼミの学生作品を観るのはなかなか難しい面もある。プロの仕事なら作品だけで批評、評価するのも真っ当な在り方だとは思うが、学生や素人作品はどうしても言葉足らずだったり独りよがりだったりすることが多い(だからこそ学んでいるのだし)。
もちろん、いずれの作者だって「作品だけで勝負」と思ってはいるのだろうが、コメントする側としては「それだけじゃちょっと難しい」ということだってある。

今ゼミの学生作品の上映が終わったあと、引き続き他ゼミの学生の作品もいくつか見せてもらった。中には、この日の上映ではないにもかかわらず、休憩時間にわざわざ私に見せてくれた二人の学生もいた。ありがとね。
いずれも力作で、印象に残るものが多かったが、中でも私が「受けに受けた」作品と出会えたのは幸運であるとさえ思った。
タイトルを正確に覚えておらず申し訳ないが(その後の飲み会の席で作者自らに確認したのに申し訳ない)、60分に至る実写大作である。
これが滅茶苦茶面白い。
もちろん商業作品として見れば「たるい」点や配慮が足りない点は多々あるし(録音用のマイクが画面に写っているショットがあったのはご愛敬)、上映が始まってしばらくは私も「学生の長尺……見るのがしんどいな」「退屈かなぁ……」と少々侮っていたのだが、映画の調子が分かってくるにつれて俄然面白くなってきた。後半に至っては一人爆笑の連続。
傑作である。

一つの部屋をシェアして暮らす二人の女性の奇妙な関係を描いた映画だ。
登場人物たちの関係が醸し出すムードが何より魅力の映画なので、ストーリーを記してもその面白さは伝わらないとは思うが、こんな感じの話。
「片や几帳面、片や奔放で少々「不思議ちゃん」という若い女性二人が、小さなトラブルを抱えつつも一つ部屋で暮らしているのだが、ある日ひょんなことがきっかけで「不思議ちゃん」が消えてしまう。「清々した」という反面、残された女性はある種「自分の半面」でもあった「不思議ちゃん」を、ある手がかりを元に探し出そうとする……」
そんなあらましではあるのだが、だからといって「いなくなった彼女を捜し出す」という筋立ての映画ではない。日常描写がとにかくリアリティがあって面白いのである。構図も随所に上手さがあり、たいへん優れた演出力だと言っていいし、登場人物とほとんどイコールだという役者の芝居もたいへん自然で良い。
商業映画やTVドラマには、その登場人物の住む部屋にしろ交わされる会話にしろ、作り物にしか見えない若者の生活ばかりが映し出されるように思うが、この映画にはたいへんなリアリティを感じた。
だって、観ているうちに自分が過去に経験した「痛み」だの「こっぱずかしさ」だのが引き出されてくるのだから(笑)

講評の際、こんなことを伝えた。
「「若いって面倒くさい!」ってことが久々に実感をもって思い出されるくらいのリアリティがあり、私には爆笑の連続だった」
実際、上映中に笑い声を抑えるのに苦労したくらいなのだが、上映会場が笑いに包まれたわけではない。
あの映画、若い子には笑えないかもしれない。特に男子学生には。
上映後の打ち上げで聞いたところによると、聴講していた3年生の女子も笑えはしなかったと口にしていた。
若い女性の作者が若さをある意味突き放して見ている映画である。まだ自分の若さと距離が取れない当の若者には、笑いが生まれにくいことは容易に想像できる。
でも、私はオッサンだし。
いまとなっては若い頃に経験した若さゆえの恥ずかしさを笑えるくらいの距離は生まれてしまっている。
で、スクリーンに映し出されるその「若さゆえの恥ずかしさ」が、「ツボ」なのである。
「ぎゃははは、有る有る!そんな感じ!」

主人公である二人の女性にはそれぞれボーイフレンドがいる。
几帳面な女の子とボーイフレンドが二人きりでいるシーンのリアリティがいいのである。だるい空気とか、男のマヌケな台詞だとか。「あ〜あ、言っちゃったよ(笑)」みたいな。いまもきっとどこかのアパートの一室でこんなシーンが「演じられて」いるんじゃないかと想像できる。
「不思議ちゃん」のボーイフレンドがまたいいのである。
ここから先はわずかにネタバレも含むので、この映画を観る予定の人、観たい人にはお薦めしない。

「不思議ちゃん」が突如消えてのち、アパートに不思議ちゃんこと「ウタコちゃん」の「彼氏」が訪ねてくる。ウタコちゃんは彼氏との連絡も絶っているわけだ。
ルームメイトに前触れもなく出て行かれた女と、出て行った女の彼氏が一つテーブルを囲んで気まずい奇妙な時間を共有する。これだけでもなかなか演出しがいのあるシチュエーションなのだが、さらにおかしくなるのは、ここに新たな人物が訪ねてくるところ。
ピンポーン。
出ると若い男性が一人。
「ウタコさんと付き合っていた、いや付き合っている者ですが……」
「彼氏」に続いて「付き合っている者」だ。
先のただでさえ奇妙な空間に、さらにウタコちゃんを巡っての三角関係が持ち込まれる(笑)
いなくなったルームメイトの「彼氏二人」に挟まれるという、実に気まずくも何だかよく分からないことになっている空気の中でも、ちゃんとお客にお茶を出したりする主人公の几帳面さもいいのだが、男二人の会話もまたすこぶるぎこちなくていいのである。
正確には覚えていないがこんな感じ。
「いつから付き合って……?」
「……二年……いや、二年半かな……」
見ているこちらの座り心地が悪くなるくらい気まずくも爆笑できる。

ムードが魅力の映画だが、後半に入ると、行方をくらました彼女を捜すという展開が起動してくる。ここからがまた面白い。基本的に室内シーン中心だった画面が、屋外に出るという「転調」が効果的。
いなくなった彼女からはある日、手紙が届けられていた。中には元気そうに笑顔を浮かべる彼女の「写真」とルームシェア分の家賃が現金で入っている。
写真の中で微笑む彼女の背後には、場所を特定する上で顕著な特徴となる高架の道路か何かが写っている。この写真と部屋に残されていた「将棋盤」(不思議ちゃんと将棋という組み合わせもまた絶妙なのだが)から得た手がかりを元に彼女を探しに行くことになる。手がかりの発見の仕方も気が利いていて良いのである。
そしてついに二人は再会する。その際、ウタコちゃんがまとっていた不思議さが一瞬破れるところがいいのである。
二人が迎えるエンディングシーンもまた気まずいようで、でもかなり「とんちんかん」にも見えるぎこちなさとよじれるようなユーモアに彩られているのだが、それは是非見てのお楽しみ。
興味が湧かれた方は武蔵野美術大学卒業制作展に足をお運びください。
あるいは、今年度の全卒制作品を収録したDVDが出るのをお楽しみに。
私は周りの「大人」に是非見せたいと思っている。

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