2010年1月24日(日曜日)

要りません



買い物をしていて不快に感じることの一つが、書店の袋に入ってくるチラシ広告である。どうもあれが許せない。
先ほども駅前の本屋で文庫を一冊買った時のこと。
「カバーはかけますか?」
「要らないです」
要りません、と言いたいのだが、気がつくとつい「要らないです」と発してしまっているのが少々不思議だ。
ゴミを増やしたくないので、私はカバーはかけない。世の中には「何の本を読んでいるのか悟られたくない」という過敏な自意識を携えた人も多いらしいが、私は全然気にならない方だ。ただ、本の表紙が汚れるのは気に入らないので、表紙のカバーを外して、本を裸にした状態で読んでいる。
カバーは「要らないです」と伝えたところ返ってきた店員の言葉はこうだ。
「このままでいいですか?」
そのまま持ち歩いたら万引きと間違えるのはそっちじゃないのか?
あいにくカバンを持っていなかったという理由もあるが、この書店では文庫などを入れるにちょうど良い小さく薄手の袋を使っていたはずだ。先日文庫一冊を買った際もその袋に入れてもらった。それに店員のぞんざいな物言いが気に入らなかったので、こう答える。
「袋くらい、ありません?」
そこで登場した来たのが、文庫を入れるにはあまりに大きな袋である。しかも、中にはゴミとしか思えない無駄なチラシが我が物顔にその面積を主張していた。文庫よりはるかに大きな広告が、さらに大きな袋に入れられている。
アルバイトをするには「脳不要」ということになったのだろうか。
そのチラシはその場で返品した。

いつもは、レジで袋入りのチラシに気がつけばその場で伝えるようにしている。
「中のチラシは抜いてください」
何度も、それこそ無駄としか思えないこの要望を口にしているうちに、イライラしてきてついこんな言い方になるときもある。
「中の「ゴミ」は抜いてください」
中には物覚えのいい店員さんもいるようで、買った本を袋に入れる際、何も言わずとも先にチラシを抜いて、足下のゴミ箱に捨てるシーンも目にしたことがある。
ナイスな店員さんだ。
しかし、そのゴミ箱には溢れるほどに同じチラシが捨てられていた。私と同じ思いの同志がそれだけいるのではないかと思うと励まされる気がした……って、別に孤独な戦いをしているわけじゃないのだが。
どうしてあんなゴミを勝手に入れるのだろうか。
どんな広告なのか、目に止めたこともないが、昔「ゴミは要らない」と伝えることさえ思いつかなかった頃には、「素敵な男女の出会い」を目的とする会社の広告なんかを目にした覚えがある。それもまたむかついたものだ。というのもその当時は特に「素敵な男女の出会い」に無縁だったからだ。
いや、広告の中味が問題なのではない。
問題なのは、勝手にゴミが増やされることである。わずかな金をけちりたいわけではないが、今日日ゴミを捨てるにも金を要する。本屋の方は広告に協力することで何らかの見返りがあるのかもしれないが、客はいい迷惑である。
ゴミ箱に捨てるにも分別が必要だし、紙なら束ねるにも労力が要る。自分の意志でもらってきた物ならともかく、配る側の都合で勝手に押し付けられたゴミの始末を何故しなくてはならないのか。
本屋の袋に入ってくるチラシだけでなく、ポストに勝手に入れられるチラシもゴミ以外の何物でもない。下手をすれば、そんなゴミ広告がこんなことを謳っているかもしれない。
「エコ」

勝手なチラシを迷惑に思っている人が少なからずいることは、書店レジの内側に見たゴミ箱からも窺える。そう思うあなたなら、次からは是非言いましょう。
「要らないです」
違った、「要りません」。

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