2010年2月3日(水曜日)

さよなら三宮、また来て神戸



今日は節分。
あちこちで追い出された鬼たちが街を徘徊していることだろう。
追い出して済むならそれも良いが、こういう態度も悪くないんじゃないか?
「福は内、鬼も内」
知らない鬼より馴染んだ鬼の方がまだましという気もする。

先週の木曜日から二泊三日、「最後」の神戸出張だった。
短くない年月続けてきた「アートカレッジ神戸」アニメーション学科講師を今年度で辞めることにした。
事情は色々で、世間を呑み込んでいる不況の大波によって学校が変形したことが一番大きいが、私の都合でもある。
まぁ「潮時」というのが相応しいのだろう。
卒業までお付き合いできなかった現一年生にはたいへん申し訳なく思う。
いつか業界で会えることを期待している。

在任中お世話になった教職員の方々に、心から感謝と御礼を申し上げます。
アニメーション学科専任の宮澤先生、どうも長いことお世話になりました。仕事でも飲み屋でも。
特に、やはり長い間懇意にしていただいた元校長、元広報課長におかれましては今後も引き続きストレスフルな状況が続くとのこと。どこかの総理大臣が口にして問題になったという台詞を敢えてそのままお送りしたいと思います。
「どうぞ戦ってください」

思い返せば、『パーフェクトブルー』が縁で同校のパンフレット用に取材を受けた時からだから、12年ほどのお付き合い。
当時「15Rアニメ」で少し話題になっただけのチンピラアニメ監督に声をかけてくれたのは当時25歳独身の広報マン。彼もいまでは37歳既婚のタイ式マッサージ師に成長している。
「専門学校広報マン」→「タイ式マッサージ師」
どんな成長なんだ。

レギュラーで講義の出前に行くようになってからでもすでに9年が経っている。短いようで長いことだったよ。
9代もの卒業生がいるなんて驚きである。
上手い子も上手くない子も面白い子も面倒見のいい子も気配りできる子も不思議な子も熱意の子もおしゃべりな子も無口な子も業界に入った子も田舎に戻った子もその他色々な子たちがいた。
ああ、どの顔も懐かしく鮮明な笑顔で脳裏を過ぎる……と言いたいところだが、私は人の顔を覚えるのが苦手だ。すまない。
みんな元気にしているだろうか。
それぞれの場所でそれぞれ目の前にあることにそれぞれのやり方で一所懸命に取り組んでもらいたい。学校で学んだこと一番重要なことがあるとしたらそのことだったはずだ。
現在業界で仕事に精を出す卒業生も少なくないことだし、関わっていた期間で少なからず学生のレベルもアップしたと思う。
わずかばかりでもお役に立てたのではないかという多少の自負はある。
実際、最後の授業で見せてもらった学生の映像は数年前に比べても格段に上がっていた。たとえば関わり始めた当初の2年生と現在の1年生では、はるかにいまの1年生の方がアニメとしてというか映像としての格好は付いている。
もっとも、レベルが上がったということであって、ハイレベルではないのだが。
学生は毎年入れ替わるのに、それでも確実に何かが伝わっていると思うと、関わった甲斐もあったいうもの。

必ずしも入ってくる学生の質が高くなった、ということではないと思う。
もちろん中にはとても上手な子もいたし、そういう子を中心にしてグループ制作で見栄えのいいものが出来たこともあったが、そういうことではなくて、アベレージが高くなったのは、大袈裟に言えば「伝統」みたいなものかもしれないと感じた。
別に2年生が後輩に指導したというようなことではない。あくまで推測でしかないが、自分たちの直接の先輩が作ったものを目にした後輩は「自分たちもその程度のことは出来る」という信憑の上に課題に取り組むことになるから、先輩の作品のクオリティが上がればその分、後輩のパフォーマンスも上がるということなのだろう。
「同じ学校の先輩」という身近な人たちがなしたことを「自分たちもその程度のことは出来る」と考えることに何か具体的な根拠があるわけではないが、身近な人が出来るのなら自分も出来るような気になるものだろう。何より「自分たちには到底出来ない」と思って取り組むよりは到達度が上がるのは道理に思える。
それまでは無理といわれていたことでも誰か一人が達成すると、次々と他の人間も可能になる、というケースは時折耳にしたことがある。
女子フィギュアスケートの3回転だとか、女子テニスにおけるサーブの高速化とか。
イメージを先取りすれば肉体が後追いできるようになるのかもしれない。
しかし今日日の学生は、マスコミやネットを通じて同世代ですでに自分たちよりはるかにレベルの高い、優れた作品を発表している人を多数目にしているはずで、それが牽引力として効果が薄いということは、よその学校や自分から遠くにいる者が優れた作品を作っていたとしても、それはやっぱり「関係のない人」と映るのかもしれない。
それじゃ上手くならないよ、そこの君。君だよ、君。
アートカレッジ神戸の在学生にはもう一度、是非伝えておきたい。
「自分はとても下手くそだという危機感くらい持ちなさい」
ま、在任中ずーっと言い続けてきたことだけど。

学校内でも様々なことがあったが、学校外を背景にした想い出も数多い。アートカレッジ神戸の仕事だけでなく、アニメーション神戸の用で来たこともあった。『千年女優』を素晴らしい舞台にしてくれたTAKE IT EASY!さんも神戸の劇団。
神戸とは浅からぬ縁である。
私は、釧路と札幌と東京でしか暮らしたことがないが、それ以外でとりわけ愛着が深いのは神戸しかない。
神戸は最初から印象が良かったが、いまでは大好きな街である。
長年神戸に通わせてもらったおかげで。三宮には多少の土地勘も培われた。もっとも、ほとんど飲食屋だけだが。
美味いものを随分食ったことだよ。
「彌(わたる)」のアワビと神戸牛とか「ビフテキのカワムラ」のアワビと神戸牛とか「あぶり肉工房 和黒(わっこく)」のアワビと神戸牛とか……って、そればっかりだが、目の前の鉄板でシェフが加減よく焼いてくれるアワビと神戸牛という組み合わせが、私には鉄壁のフォーメーションであった。
店の名前は失念したが、先の店以外でもあちこちで神戸牛をいただいた。
自費でも食べたしご馳走にもなった。
どうもごちそうさまでした。
おかげで学習しました。
「肉は高い方が美味い」

最初に神戸牛を食した頃はオイリーなロースでも大きなヘレでも堪能できたが、40歳も半ばになってくると、量はたいして要らないし、ヘレをわずかに食するだけで「もういっぱい」というたいへんお得な身体になった。アワビは食べるけど。
アワビ以外の海産物ももちろん美味しく、瀬戸内海の海の幸を始め多くの刺身が舌と胃の腑を喜ばせてくれたことだよ。
気に入った居酒屋もバーも出来たのに、三宮と縁が薄くなるのは少々寂しいことだ。
あえて一言だけ注文をつけさせてもらうと、ラーメンと蕎麦は全体にちょっと物足りなかったのは麺好きとして残念なところ。
いやぁ、本当にまぁ、どうもごちそうさまでした、神戸さん。

土曜日の朝。そんなこんなの想い出を詰めてホテルの部屋を出る。馴染みになったホテルも次に泊まる機会があるのやら。ホテルの部屋にまで御礼を言いたい気分だ。
「どうもお世話になりました」
ゴロゴロとスーツケースを引っ張って、新神戸駅までの緩い坂道を登る。
何度も歩いたこの道も、これでしばらく歩くこともないかと思うと感傷も湧いてくる。
「ようし!たまには感傷にでも浸ってみるか!!」
歩きながら、脳裏をよぎるのはお世話になった学校教職員の方々や学生たちの顔や美味しいものの数々、馴染んだ風景……そして、一軒のコンビニの前にさしかかり、一番印象的だったシーンを思い出す。
「あ!このコンビニだ!ダルビッシュ見たの!でかかったよなぁ!」

東京に戻る新幹線のチケットを買い、新神戸の駅前で煙草を喫しつつ街の風景を眺める。
「いつかまた……来ることがあるだろうか……」
おお、正しい感傷だ。
さわやかな風に流れて消える煙草の毒煙を眺めつつ、ふと思い出す。
「そういえば、最初にこの駅に降り立ったときは確か……」
……。
全然、覚えていないのであった。
自嘲気味の笑いと一緒に煙草をもみ消した。

追記
新幹線の中でふと思い出した。
「そうそう、最初に新神戸駅に降りたのは、あれは夜だった……」
イメージがフォーカスしてくる。
新神戸駅から出て眺めた最初の神戸、その印象はこうだった。
「あ……ラブホテルばっかり」
神戸、それはロマンチックな街。

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