2010年7月22日(木曜日)

お節介ながら



映画やその他表現媒体のためのお話作りについてよく知らない人のために、親切な注釈を一つ付け加えておきたい。
作品や話し作りにおいて「パクリ」は全然悪いことではない。むしろあたり前のことだとさえ言える。
いまだに「オリジナル神話」とやらの信仰者も絶滅してないのかもしれないが。

自作を例にすれば、たとえば顕著なところで「東京ゴッドファーザーズ」はジョン・フォード監督映画「三人の名付け親」のパクリだし、「千年女優」の話の雛型は星野之宣の短編漫画「月夢」だ。そうしたことは隠すまでもなく著書にも記してあるし、インタビューでいくらでも答えて来た。
その他監督作についても「未来世紀ブラジル」「スローターハウス5」などからの影響やパクリが多々あることを、私は喜んで紹介さえしてきた。
なぜなら物を作るというのは無から有を生じさせるようなことではなく、元にあったものをどのように捉え、どう活用し変容させるかといったことにあるからだ。
そんなあたり前のことをコソコソと隠すようなやつを私は滑稽だと思うだけである。
わざわざ言うまでもないことだが、老婆心ながら記しておく。iPadで。

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