2010年8月16日(月曜日)

好ましい物たちがさらに続く



町山智浩の映画批評。
「映画の見方がわかる本」などの著書はあまりの面白さにグイグイ読んだ。すでに持っている本もよけいに買って他人に勧めたくらいだ。もちろんPodcast「アメリカ映画特電」も大のお気に入りで、何べん聴いたか分からないほどだ。これもiPodに収まるので手放すことはないだろう。
映画を観るプロってほとんどいないからなぁ、この国では。
評論家と称する業界ゴロが大半だ。
この間のLOFTでの帰国トークライブには心底感動した。
必要なのに誰もやってないことに気づいてしまったら、自分に出来るとか出来ないではない。
「でも、やるんだよ!」
くぅ!泣けたな、本当に。

元々、町山智浩を知ったきっかけは、今をときめく内田樹先生。
近年これほど考え方で影響を受けた(気になっているだけかもしれないが)方は他にない。7~8年前に阿佐ヶ谷の書店で「寝ながら学べる構造主義」に視線を捉えられて以来、著作はほぼすべて新刊を購入して貪るように読ませていただいた。
知的好奇心と娯楽性にも溢れた内容ばかりだった。しかし年々刊行点数も膨大になり、本棚の占有率も膨大に(笑)

ヒラサワという扉の向こうに河合先生始めとした広い世界が開けたように、ウチダセンセイの扉を通って、私はこれまた広大な世界に遭遇出来た。その筆頭は村上春樹だった。今ではすっかり大ファンである。それまで何故か読まずぎらいだった。家内が以前からの村上ファンで、自宅に「宝」があるのに気付かなかった。読むきっかけは、河合隼雄先生と内田先生のおかげである。
橋本治、平川克美、養老孟司、加藤典弘、といった面々も内田先生の扉からアクセスした知性であろうか。

まだまだ上げればキリがないので、このくらいにしておこう。

最後に、自分のこれまでに重ねて来た仕事というのも、まぁ大切な財産と思っておくか。私にとっては「子供」みたいなものだし、アニメーション作品も漫画や書籍は大切な物たちだ。
自分の考え方と身につけた技術が具体的な形で見えるものだしな。だからって、新しい仕事としての用でもなければ見返すこともないのだが。
しかし、たまに過去の仕事を目にすると、恥ずかしい話しだが意外と励まされることもある。
何というか、こんな感想。
「うわぁ、私が描いたのか、これ!?」
自分の中に他人を発見するのはなかなか刺激的な体験である。
過去に自分が書いた雑文を読んでいても、まるで「同じような考え方をする他人」の文章を読んでいるような気がして新鮮な気持ちになる。
別に自画自賛しているわけじゃないぞ(笑)

大切なものについて書いていたのに何だかよく分からないことになってきたが、しかし上にあげてきた大半の物は、どれもみんな今時のパソコン一台のハードディスクに収まってしまうな。
何だ、結局見かけ上はパソコンが大事なだけみたいで、ガッカリだな(笑)

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