2010年8月15日(日曜日)

好ましい物たちが続く



五代目古今亭志ん生の落語。
去年の始め頃だったか、「大人買い」というか「ヤクザ買い」みたいな真似をして、Windowsマシンならかなりな高級機を買えるくらいの投資をした。
今となってはこれは手放せないな。パソコンに取り込んだので元のCDはなくてもいいが。
寝る前や仕事時の耳の友であり、世に溢れる木っ端役人が撒き散らす真面目毒によく効くワクチンだ。
志ん生以外にはほとんど落語は聞かない。
落語が好きなのではなく志ん生が好きなようである。
志ん生の落語は聴いているだけで「カット割り」が目に浮かぶようだ。そんな落語家、他にいるのだろうか。
志ん生の落語を初めて教えてもらったのは、四半世紀も前の頃、大友克洋さんの仕事場であった。
近未来漫画と志ん生。落差がまたカッコイイのであった。
大友さんに紹介してもらったものは落語、音楽、漫画、映画、写真集、食べ物、酒……数えられないほど多く、種類も多岐に渡る。
二十歳のころに大友さんに出会えたことはとんでもない幸運で、自分でも把握しきれないほどの財産になっている。
本当にありがとうございます。

さて夢のない話だが、ヒラサワやP-model、志ん生のCD100枚入れてもiPodは余裕。私の積年の貴重な体験がこんな小さな箱に収まるのかと思うと、ちょっと口惜しい気さえしてくる。

何度も何度も繰り返し読んでいる漫画といえば、諸星大二郎と中崎タツヤの単行本。何度読み返していることか。
こればかりはいかに本棚を専有しようと手放せない。並べておきたい。
そもそも、なぜこのカプリングで名前を上げるのかも奇妙な話だが(笑)
私の中で漫画の巨匠といえばこのお二方なのである。
ちなみに劇画史上最高傑作を問われたら私は迷わず大友さんの「童夢」を上げる。
無論他にも好きな漫画家、尊敬する漫画家はたくさんあれど、私にとって寝る前に味わい直す「ナイトキャップ」といえばこの巨匠二人をおいて他にないのである。
どれもが傑作だが諸星大二郎なら「西遊妖猿伝」。
中崎タツヤなら「じみへん」。
すでに分かっている話や展開、オチだからこそ味わえる絵や演出。
そこが肝心だ。
諸星先生には果てなき漫画の異界のさらに彼方を、中崎先生には人生の何たるかを教わるばかりである。
永遠のバイブルだ。

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