1999年12月14日(火曜日)

違うらしい/その2



 そんな業界噂話はさておき、パーティの席上などで他の漫画家さんと初めて顔を合わせたりする際、双方ともに本人より先にその作品を知っている、というケースが多い。同じ雑誌で仕事をしていれば、熱心な読者とまではゆかなくとも、その絵柄や大まかな内容くらいは知っているものである。
 私の場合、編集者に紹介されたものの、さっぱり相手の漫画を知らないという気まずい事態も多々あったが、それでも関わりのある雑誌に連載をしている売れっ子の方の作品は無論知ってはいる。実際お会いしてみると、それ程大きなイメージの差はなかったように思われるが、そのズレを感じられるほどに深くお付き合いさせてもらった経験がほとんど無いせいかもしれない。残念と言えば残念だし、どうでもいいといえばどうでもいい。
 お会いしたりお見かけした漫画家さんの範囲では、見るからに作品の印象と違う、という方はいらっしゃらなかったような気がする。
 ちばてつや先生は、いわずと知れた「あしたのジョー」の著者であるが、その名前を冠した「ちばてつや賞」(ヤングマガジン主催)に応募したことで、私が漫画家になるきっかけを与えていただいた。授賞式で握手をしていただいたが、大変に丸みのある温かい手で、作品から忍ばれるお人柄そのままのようであった。受賞作を集めた合本に気軽に「ジョー」の横顔を書いて下さった。何年か後、船上パーティでお見かけしたときは、ベロンベロンに酔っ払っていて、挨拶をするのに少々勇気がいった。違う意味で「恐かった」かもしれない。

 漫画業界に比べて、アニメーション業界は幾分世間が広い。集団作業を必要とする仕事の性格上、当然である。
 アニメーション業界には向上心やら研究心に溢れた人が少なからずいるようで、あるいはすでにプロでありながらファンでもある、というやや幼稚といってもいいようなハイブリッドな人間も多い。
 冗談ではなく、とびきり上手な原画マンのゴミ箱を漁る人もいる。下書きをコレクションするらしい。研究熱心なのかいじらしいのかはともかく奇特である。上手い原画のコピーが出回るなど日常茶飯である。それらを参考にする、という真っ当な方も多いが、コレクション自体が目的になっている、という歪なファンもいるようで、スタジオで夜な夜なコピーを取り続けている男を見たことがある。アニメ会社の経費がかさむのも無理はない。その男も近頃「監督」というポジションに座ったと聞く。心配を通り越して気の毒ですらある。本人も周りのスタッフも。
 特殊な例では脇目もふらぬ程に「自分のファン」という方もおられる。自分の描いた絵のセルを、我先にコレクションするのだそうな。かつて制作されたとあるアニメーションでは、ビデオ購入者へのプレゼント用のセルが足りなくなるほどに本人がコレクションしたというのだから、見上げたものである。天晴れ。快男児である、ある意味。
 仕事上あるいは飲み屋の席上、私はアニメ業界人で初めての方と顔を合わせることも度々あるのだが、相手の方が「今 敏」の仕事を知ってくれていることが多いのに、多少の驚きと気恥ずかしい喜びを覚える。中には仕事ではなく、私の性格だの行状の悪さだけを耳にしてきた方にもお会いしたことはある。迂闊なことが出来ないほどに業界は狭い。桑原桑原。
 しかも業界に携わるものは、作話や演出に興味のあるものが多い故、エピソードは色鮮やかに脚色される。つまり話に尾ひれが付くのが滅法早い。最初は「卵」程度だったエピソードが、すぐに尾っぽと手足が生え、3人目に伝わったときには「カエル」になっている程だ。狭いアニメーション業界はその分濃密な空間なのかもしれない。意図的にゆがめられた伝言ゲーム空間だ。

 ありがたいことに、私のようなろくに仕事をしない人間の数少ない仕事を覚えてくれている人がおられるというのは、私の才能ゆえに相違ないといえる。冗談だよ。
 ことアニメーションに関しては、私の関わってきた仕事が、注目されやすい作品であったと解釈している。私が主な仕事としてきた「設定」「レイアウト」などという制作過程は、フィルム上で、特に絵の素人にとっては取りたてて目立つものではないし、それを覚えていただけるのは「ムック本」の類が出版される作品だったせいかと思われる。
 「“パトレイバー2”のレイアウト見ました。勉強になります」とか「“彼女の思いで”の設定、すごいですね」などと、初対面の方から言われるのは、お世辞とは思いつつも無論悪い気はしない。もっと言って。「上手い」とか「すごい」のは自分でもよく分かっているし、既に聞き飽きたのでもっと別な表現をして欲しいものだな。「今さんのレイアウトには魂が入っている」とか「設定のディテールの合間に仏が見えました」とか。ウソだよ。ウソウソ。
 彼らは私にとっては初対面であるのに、相手は「今 敏」を多少知っていることになる。正確に言えば「今 敏の仕事」ということになるが、誰であってもその仕事に触れる際には、その仕事をした人間の人格なり性格なりに思いが至るものであろう。私が他人の絵や文章や映像作品に触れれば、作り手の顔を想像するし、それが優れたものであればあるほど、その方の背景に思いを巡らせる。仕事は当人の一部が外在化したものである以上、そこから当人を把握するのは当然である。
 そうした把握と実際の人間像のズレについて考えている。
 上記の場合、相手だけがなにがしかの先入観を持っている、ということになる。その相手と同じ仕事を続けたり、あるいは飲み屋で共に飲酒量を増やすに従って、冒頭に記した言葉を耳にするのである。
 「怖い人かと思ってました」

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