2007年10月30日(火曜日)

脳ストップアメリカ−その3



●4/13(金)四日目

朝6時起床。年寄り並みだな。
疲れていたから爆睡出来るかと思ったが、意外に早く目が覚めた。時差ボケが解消していないのだろうか。
日本から持参した簡易湯沸かし機でお湯を沸かし、コーヒーを飲む。貧乏性のようだが、フロントに電話して英語を喋るのも面倒くさい気分だ。手前勝手に出来る方がよほど気楽である。
ゆっくりと入浴。
ポスターの残りにサインする。
ポスターを持ってTさんの部屋を訪ねたら、Tさんが右足に激痛を覚えるとのことで、片足を引きずって出てきた。そりゃまた難儀な。ひどいことにならなければいいが。
10時10分、ホテルのロビーに集合。今日はワシントンへの移動だけで仕事はなし。軽く観光の予定だ。
Tさんは痛んだ右足に自前で針治療を施して回復基調とのこと。自分で針を打てるとは、またまことにもって多彩な方である。
タクシーでチャイナタウンへ。
昼前から紹興酒をいただき、飲茶と炒飯と麺を食す。アワビと鳥の米麺が美味しい。すっかり満腹。
散歩がてらチャイナタウンからイタリア街、そしてソーホーへ。途中で買い物などしつつブラブラと歩く。
タクシーに乗ってグラウンドゼロを左手に見つつ、バッテリーパークへ。風が強くて寒いが、観光客が目立つ。カラフルな観光バスが目立つのは洋の東西を問わず観光地に見慣れた風景だ。
ニューヨークが初めてというHさんは遠く小さく見える自由の女神にたいへん感激の様子。
曰く「小さいですねぇ!自由の女神」
遠くに見えるからだっちゅうの。
携帯電話のレンズではさらに女神は遠のいて映る。まことに小さい女神である。
タクシーでタイムズスクウェアへ。冷えた身体をコーヒー2杯で温めてホテルへ戻る。
16時前、ホテルをチェックアウト。迎えの車でラガーディア空港へ。日本から到着したのとは別な空港だ。
途中、ハーレムを通る。
ハーレムに近づくに従って見かける白人が減って来て、ハーレムに入るとほぼすべて黒人の方々。住む場所ははっきりと別れているのだな。

18時の飛行機でワシントンへ。
1時間と15分ほどのフライト。すぐに到着した感じである。
迎えの車でホテルへ。
ワシントンは初めてだ。移動の途中、車から見た景色が大変美しかった。水と緑が目に優しく、空気も澄んでいて、清潔な感じのする場所だ。アメリカなのに。ニューヨークの車と建物が目にやかましい風景とは大違いだ。ニューヨークの風景の方も好ましいが。
空港からホテルまではあっという間だった。
宿泊はパークハイアットホテル。まだ新しい建物のようで、ロビーが美しい。ポーターがエクセレントな部屋に案内してくれる。
ベッドルームとリビングが大きな棚で仕切られていて、棚の中央に収まった薄型テレビが回転するようになっている。どちら側からでも見られる仕組みだ。部屋のあちらこちらには、地元の名産らしいデコイなどが飾られている。
趣味のいい内装だ。
バスルームがまた素晴らしい。石造りの大きな浴槽もいいが、天井から雨のように降ってくるシャワーが良い。
おや? しかし肝心の灰皿が見あたらない。
「キャン アイ スモーク ヒア?」
案内してくれたポーターに聞くと、申し訳なさそうにこんな返事。
「Sorry, no smoking room」
冗談ではない。
Tさんに確認したら、スモーキングで予約していたのでフロントに言って変えてもらうとのことだったが、何のことはない。結局部屋に灰皿が届けられた。
悪いね、部屋を汚して。
プッカ〜。ああ、美味い。

ホテルのレストランで夕食。
ワシントンでも美味しいと評判のレストランとのこと。たしかに美味しい。
ナパヴァレーのロゼシャンパンで乾杯。カリフォルニアのワインも美味しいことだよ。
海外のプロモーション仕事では、現地の美味しい食事も楽しみだが(もちろん、いつも日本食を食べているわけではない)、現地のワインもとても楽しみである。
ワインのメッカ、フランスやイタリアでは著名なワインはもちろんのこと、イタリアの田舎町を訪ねた際は、ローカルでしか売られていないワインをいただいた。スペインではリオハのワインが美味しかった。
アニメーションの監督もしてみるもんだね、まったく。
さて料理。前菜のフォアグラがとても美味しい。これは期待できる。
しかし。メインで頼んだサーモンはもう一つ。垢抜けない味だ。北海道のシャケの方がはるかに美味いぞ。無難に肉にしておくべきだった。
マッシュポテトは非常に美味しい。マッシュポテトが美味しく思えるなんて珍しいかもしれない。ビックリするほど滑らかな舌触りだ。
うう、満腹。

あたりの散策に出かける。
ワシントンはとても清潔で上品な街という印象だ。
お土産屋で滞在中に飲むコーヒー用にマグカップを買う。
「I love DC」「FBI」「CIA」だのとプリントされたお定まりのTシャツがズラリと並ぶ店内には、なぜかアフリカの民芸品も多数売っている。妙な土産屋だ。
スーパーマーケットでミネラルウォーターを買って、帰りは途中からタクシーで帰る。
疲れて就寝。

●4/14(土)五日目

いったん5時半に起床。
ポッドキャストを聞きながらもういちど眠る。
7時過ぎに起床。
8時過ぎ、ルームサービスで朝食。たっぷりのコーヒーとオレンジジュース、パンが幾種類か。コーヒーが美味い。仕事に備えて血糖値を上げるために、さして食欲はないがジュースでパンを胃袋に流し込む。
入浴。天井から降り注ぐシャワーが目を覚ましてくれる。
11時から取材スタート。
地元紙「The Washington Post」が1時間と長めの取材。理知的な感じの男性がインタビュアーである。とりたてて難しい質問もなかったが最後になって少々厄介な質問が来る。
「では最後に簡単な質問ですが、『パプリカ』の中では“テロリスト”という言葉が多用されていました。ご存知のようにアメリカでは“テロリスト”という言葉はたいへん重く受け止められます。この言葉の多用には意図がおありでしたか?」
どこが簡単な質問だ(笑)

「テロリスト」という言葉の使い方については、シナリオ執筆の際に水上さんからも質問があった。
「この言葉を出すのは早いんじゃないですかね?」
『パプリカ』で最初にこの言葉を口にするのは理事長の乾。DCミニの盗難が発覚したとき、乾が言う。
「盗み出したテロリストがそうは思うまい!」
うろたえた時田が答えて言う。
「……そんな……まだ悪用されたわけじゃ……」
その通り。時田の言うように、この段階で「テロリスト」という言葉を発するには無理がある。水上さんもたいへんそれを気にしておられた。それは承知の上で使用している。
理由は二つ。
この「強い言葉」を使うことによって、起こった事態の重大性を直截に表すため。つまり、悪用されて大変な事態になったから「強い言葉」が出てくるのではなく、「強い言葉」によって重大な事態を想定する、と。
これは監督の演出的意図である。
もう一つは、先にも絡むことで、先の構図を別の言い方で表したようなものだが、こちらは今 敏個人の意見が反映されている。
何も起きていないにもかかわらずよその国をテロリスト呼ばわりする「ならず者国家」への皮肉と揶揄である。だから乾がこの言葉を最初に発しないといけない。というのも、『パプリカ』における「テロリスト」の総元締めは他ならぬ乾だからである。

しかし、そんな私的な意見をU.S.Aの、しかも首都で口にするわけにも行くまい(笑)
「テロリスト」という言葉の多用についてはこちらも気にはしていたので、ある意味こちらの予想していた質問であった。そりゃ、アメリカ人にとっての「テロリスト」という言葉の重みは私には想像する以外にないが、デリケートな言葉であることは重々承知していたし、完成した『パプリカ』がアメリカでもリリースされることは最初から分かってはいたことだ。
分かっていたから敢えて使ったのだが、いざ実際にアメリカでそのことについて聞かれるとさすがに口ごもる(笑)
ただでさえ理解できない言語の中で思考が乱れ、脳のパフォーマンスが低下してきている。切れ切れになりつつある思考の断片を寄せ集めて何とかお答えする。
朝、ネットで読んだパソコンの情報流出やサイト攻撃の記事が手がかりだ。
「『パプリカ』における“テロリスト”というのは……そう、サイバーテロのようなものをイメージしていました。日本でもネットにおける情報流出や、ウェブサイトへの攻撃や内容の書き換えといった問題が日常的に報じられています。アメリカではもっと問題になっているのではありませんか? いまはコンピュータというと人間にとって外在化した脳のようなもので、それが勝手に書き換えられるというのは非常に怖いことです。あるいは人間の脳そのものも日々垂れ流されるメディアによって都合良く洗脳されていると言ってもいい。あれを買え、これも欲しかろう、ほらもっと欲しがれもっと欲望しろもっとバカになれ、とね。これも一つの……なんたらかんたら」
インタビューで大事なのは「思っていたこと」を思い出して話すのではなく、その場で「思いついたこと」を話すことだ。インタビューに限らないか(笑)
とにかく最初の思いつきが肝心だ。伊達に何百回も取材を受けてきたわけではない筈。が、思いついたことをしゃべり出して、それをなにがしかのまとまりを与えるには少なからぬ脳の働きが必要である。
だが脳の皺に鉛が混じり始めた頭では困難になってくる。
答えを粉飾しなければ簡単だったかもしれないが、やっぱり、アメリカでは言えないわな。
「テロリストとはテロリストと名指すことによって生み出されるものではないのですか?」

続いて「TokyoPop.com」というオタク系のサイトらしい。インタビューに来られたのは見るからに「そういう」男性である。分かりやすいなぁ。
巨漢、というか何というか「身体がバブル」な若者。これが30分。
続いて地元のフリーペーパーが30分。
何を考えているのかさっぱり分からない目玉だ。
質問もピントがぼけていて理解しづらい。
思考がさらに乱されてくる。やばいな。

ワシントンか、それに近い場所で行われたアニメ関係のイベント「オタコン」(とか何とか)に参加していたザ・マッドハウス丸山さんが無事ホテルに到着して合流する。
ソニーのTさんの後をついて行くと美味しい物にありつける、という話を紹介したが、丸山さんの後について行くとやはり美味しい物に出会える。素晴らしい水先案内の先生である。
ただ、私は丸山さんとは二つだけどうやっても趣味が合わない点がある。
酒とあんこ(笑)
丸山さんはまるで酒を飲まないし、私はあんこを始め和菓子が全くダメである。
裏返して言うと、丸山さんはあんこに目が無く、私は酒に目がない。
まことに残念である。
部屋に戻ってコートを取ってきて昼食へ向かう。
車で10分ほどの、ただし渋滞で20分近くかかったが、マンダリン・オリエンタルで和食。
メニューを開くと「神戸ビーフ」の文字。即座に決定。世界に冠たる神戸ビーフ。
だが、あいにくなことに神戸ビーフのハンバーガーである。
すると丸山さん。
「この神戸ビーフをハンバーガーじゃなくて、御飯と味噌汁のセットでもらえる?」
賛成賛成賛成賛成!
シェフにお伺いを立てたボーイの返事は可能とのこと。
私もそれに乗る。
さすがだなぁ、丸山さん。「メニューの外」まで見ているんだもんな。プロデューサーとはそうしたものであろう。プロデューサー志望の制作は少しは見習うが宜しい。ま、学ぶにはあまりに巨大な相手だろうけど。
かくして神戸ビーフはバーガーではなくご飯とのセットでいただく。
だがしかし。どこが神戸牛なんだろう(笑)
私の知っている神戸で食べる神戸ビーフとは随分違う味だ。このくらいで美味しいと言われては神戸ビーフが泣くぞ。モォ。
しかし前菜にいただいた味噌汁が美味い。うう、日本人だなぁ。

上映のあるスミソニアン博物館に移動。
日本についての特集みたいなものが行われている建物、らしい。そのイベントの一環として上映があるということのようだ。そうした背景を全然理解していなかった。
スミソニアン博物館で自作が上映されるというのは、とても光栄な気がする。しかしその光栄を味わうには、思考能力の低下が著しい。脳の鉛はさらに重さを増している。
『東京ゴッドファーザーズ』上映はありがたいことに満席。
舞台挨拶に出る。いかん、脳がまずい。
スペインのときほどではないが、出力低下、不快感度が著しい。
iPodを持ってこなかったのは失敗だった。この場に関係ない話でも音楽でも聞ければ少しは脳を整調できるかもしれないが。
いよいよ気が晴れない。
ウィルスを食ったパソコンみたいな状態だ。思考が穴だらけになり、言葉がまとまらない。吐けるものなら吐きたい気分だ。ウゲェ。

外は雨。
近くにあるカフェに行くが、安い油の匂いで気持ちがますます悪くなる。ウゲェ。
『東京ゴッドファーザーズ』の上映の間、控え室の椅子で固まって休む。
体力を回復している最中のレインボーマンみたいだ……って、そんな古い話を思い出している場合ではない。
同行している方々には申し訳ないが、身体に閉じこもることでしかやり過ごせない。脳内引きこもり。
だが、社会人としての仕事はちゃんとするのだ。
上映後のQ&Aに出る。
好評の拍手が救いになる。ありがとう、ワシントンのお客さん。
通訳の方もプロフェッショナルな感じで負担は少ない。
何とか25分ほどのQ&Aをクリア。何を聞かれて何を答えたのかもさっぱり覚えていない。ほとんど記憶にない。
再度控え室で固まり、今度は『パプリカ』の舞台挨拶。
登壇しただけで拍手をいただけるのはたいへん光栄だが、喜びを味わう余裕まるでなし。
上映終了後にやはりQ&Aが予定されているが、脳の負荷がさらに大きくなっていて、この場所で上映時間をやり過ごすのはしんどい。どなたかが気遣ってくれてホテルへ戻ることを提案してくれる。丸山さんだったろうか。助かります。
一旦ホテルに戻ってわずかばかりでも脳の回復に努める。まだ仕事が残っているのだ。
ポッドキャストを聞きつつ身体を横たえる。日本語のリズムが身体に入ってきて、いくぶんか回復するが、焼け石に水かもしれない。
再び車で上映の場所へ。
『パプリカ』上映終盤、出番を待っていると中からやけに笑い声が聞こえる。悪くない兆候だ。
大きな拍手で迎えられてステージに上がる。ありがとう。
無難にQ&Aをこなす……こなしたと思われる。全然覚えていない。
まとまった言葉が出てこない。なけなしの言葉を寄せ集めてなんとかクリアした感じだ。
観客の皆様、すいません。
もっとも、調子が良くても気の利いた話が出来るわけではないのだが。
これにてワシントンでのオフィシャルミッション終了。青息吐息とはこのことか(笑)
囲んでくれたファンに出来るだけサインをする。脳の出力低下で喋ることはままならないが、サインするのはどうということはない(わけでもないが)。サインには勿論簡単な絵を添えるが、絵といってもこれは自分の名前を書くのと大差ないレベルだ。考えなくても描けるので「反射」に近い。だから脳の調子はあまり関係ないのだろう。
しかし、そういえばスペインの映画祭でやはり脳がストップして、ホテルの部屋に避難する途中、あまりにしんどくてサインを求めてきた若者を断ったことがあった。すまない、スペインの君よ。
その時のことを考えると、サインを描けたくらいだから先にホテルで休息した分いくらか回復していたのかもしれない。出来るだけのことはしてみるものだ。
こうした上映後のサービスでは少し珍しいくらいに若い子が多い。中学生くらいに見える子たちが目立つ。中にはひどく感激した面持ちでこんな可愛いことを言ってくれるティーンエイジャーも。
「You are my new hero!!」
微笑ましく思いつつも、壊れた脳でこんなことも思う。
「Who was your old hero?」

客がはけた後、日本大使館の方から挨拶をいただき、意外なものまで賜る。
小切手だった。
額面は確か791ドル89セント。
なして? 何のお金ですか?
先にも少し触れたが、この『東京ゴッドファーザーズ』と『パプリカ』の上映は日本特集といったイベントの一環であり、その主催がおそらく日本大使館なのであろう。それで大使館から報酬が出るということらしい。
こちらとしては『パプリカ』プロモーション協力費として、ある程度まとまった額は委員会からいただいているし、アメリカでの『パプリカ』プロモーションの一環としてワシントンに来たので、大使館から税金の一端をいただくのは心苦しくもあった。だがマッドハウスのHさんが明るくこう仰る。
「いいんじゃないですか?貰っときましょうよ(笑)」
はい。
ただ、アメリカの小切手を日本で換金するのは厄介だとのこと。そんな面倒になるくらいなら「要らない」とも思ったのだが、Hさんが代理で大使館員とあれこれ交渉してくれる。
後で聞くと、小切手の宛名をマッドハウスU.S.A.にしてもらい、そちらを経由して後日振り込んでもらうように手配してくれたとのこと。助かります。
しかし、何だろう?791ドル89セントって。
どういう名目、基準で算出された額なのかよく分からない。
単純に、もしこのイベントのために日本から監督を呼ぶとしたら旅費にもならない額である。宿泊費? 旅費もなしで? まさかね。
出演の報酬だろうか。しかしそれにしては中途半端じゃないか、791ドル89セントって。
日本円に換算しても半端に思える。
ともかく、ありがたくいただいておこう。
丸山さんが理事をつとめる「オタコン」関係者の方々にサインなどして一緒に写真に収まる。男女数人だったろうか。皆さん見るからにオタクな感じで……体型は…その「小山」のような人ばかり(笑)
何だか微笑ましい。

スミソニアンを後にして、車でレストランへ移動する。
車中、オベリスクが雨に煙って見える。疲れた。
今日のディナーはジャパニーズレストラン「Sushi-Ko」。
おしゃれな感じのSushiレストランだ。
低調なことに変わりはないが、脳はだいぶましになった気がする。
ビールと枝豆。ああ、ありがたい。
「お疲れさまでした!」
本当に。
ワインリストを眺めると「Meursault」の文字。
Tさんが一緒の時はワインのセレクトはお任せしているが、最近このワイン、ムルソーが美味しいと思ったことがあるので珍しく選ばせてもらう。
頭も身体も、回復には美味しい物が一番である。
美味い物を口に入れていると、それだけで幸せになるというもの。他に何がある?
うう、美味しい。
コミュニケーションの障害をコミュニケーションだけで回復するのは難しいのかもしれない。美味しい物と自分という小さな回路から調整するのも一つの手だな。
次にはシャブリを頼んで、寿司を食べる。うむ、なかなか美味い。
しかし、なぜアメリカ人は海苔巻きを逆に巻くのであろう。逆とはつまり、海苔が内側になって、御飯が外側になる。
そんなに黒い食物が嫌なんだろうか。
それとも何かい?アメリカの白人は外は白いが腹は黒い、なんてぇ冗談かい、え?
寿司は美味いが、残念ながら味噌汁は日本のインスタントにも遠く及ばない。あるいは、これもアメリカ人向けに改良された結果なのだろうか。
店内は当然禁煙なので、外に出て一服も二服もする。ふぅ、タバコが美味い。
外はまだ雨が降っている。
街は静かだ。雨も遮音の一助となっているのか。ありがたい。
ふと見ると、この寿司レストランの隣に「GOOD GUYS」という看板を出した店がある。外からでは何の店なのか分からないのだが、店の前に立つ客引きの黒人に誘われるように、男たちがニコニコして入って行く。
何だろう?
Tさんが後で聞いてくれたところによると「ストリップ」らしい。
客たちのニコニコ顔が何だか微笑ましく思えてくる。隠微な香りが薄い。
雨の中、車でホテルへ戻る。
ポッドキャストを聞いて眠る。
疲れた。

●4/15(日)六日目

7時起床。雨。
実に残念だな。ワシントン観光の予定だったのに。今日は仕事はない。
お湯を沸かして、コーヒーをいただく。美味い。
入浴。風呂とトイレだけはまったくの一人になれる大事な時間だ。
よく考えてみれば、同行者のいずれもが一人になる時間がある。Tさん、Hさんはそれぞれ個室だし、家内も私の仕事中に部屋で一人になることは可能だ。
しかし、私は一人になる時間はない。風呂とトイレだけ。
もちろんそばに人がいるのが嫌なわけではないが、一人になる時間が自分の選択肢にないのはやはりしんどいものである。脳の出力が不安定なときは特に。

10時半にホテルのロビーに集合。丸山さんは単独行動。
ランチタイムにはまだ早く、店も開いてないのでまずはホワイトハウスを見学に行く。車での移動だ。
雨が強く、寒い。まばらだが観光客の姿も見える。中には、傘も差さず歩いているカップルがいる。あれは傘を差さないと言われるイギリス人であろうか。
我々は日本人なので、土砂降りの雨を小さな傘で防ぎながら観光する。この構図はさながらアメリカ流グローバリズムの豪雨に耐える庶民と同じかもしれない(笑)
ホワイトハウス前の道路に、戦争に対する抗議の看板が立っている。
その看板の真ん中に配されたホワイトハウスの写真の下にこんな見出しが付けられていた。
「Welcome to the Mad House」
たくさんのアニメーションを作っているマッドハウスではなく、ここはたくさんの紛争の種を作っているマッドハウスである。

リンカーン記念館(Lincoln Memorial)へ移動。
雨に煙るオベリスクを遠くに望む。目の前には広大なプール。リフレクティング・プールというらしい。映画『フォレストガンプ』で主人公が彼女と群衆の中、抱き合ったのはこの場所であったか。
記念館内部ではリンカーン大統領の坐像がこちらを見下ろしている。
「やっぱりあんたも戦争が好きか?」
雨の中を「ベトナム戦争記念碑」を眺める。長く黒い石の壁面にはベトナム戦争で死んだ兵士の名前が刻まれている。
雨が悲しさを増している。

車で移動してランチ。
「Bonsai sushi」という、その名前からしていいかげんなエセ和食店。海の家を少し立派にしたような食堂だ。
何だか、このでたらめさ加減が癒しを与えてくれる気がする(笑)
あるはずのない日本の仮想の食堂みたいだ。シミュレーションレストラン。シミレス。
熱燗、ギョーザ、焼きソバ、照り焼きチキン、ネギトロ巻き、うどんなど、惹かれる名前を次々にオーダーする。
しかし。どれも知らない日本食みたいだ。バーチャルを食べている気分。
熱燗が甘いのはまだいい。だが照り焼きチキンの甘さと来たらさながらお菓子だ(笑)
餃子も不思議だ。日本風でもましやて中華風にも思えない。餃子のいとこか。

車で移動して、大きなショッピングモールを散策。
ワシントン市内に戻る。
「Spy museum」は今ひとつだが、非常に混んでいる。もっと笑える内容かと思ったが、期待はずれ。だが、雨の観光なのだ。文句はない。

ホテルに戻って休息、読書で過ごす。
滞在中に読もうと思って携行してきた本は山田風太郎の『くノ一忍法帖』と『柳生忍法帖』の上下巻。なぜに山田風太郎(笑)
別に私の趣味というわけでもないのだが、用あって集中的に読む必要があったのだ。
それに、長期のプロモーション仕事は頭が疲れることが予想されてはいたので、こうした娯楽一直線が何より適すると考えたのである。
何故か、海外旅行では時代物がはまる気がする。
去年、ヴェネチア映画祭では司馬遼太郎と慶一郎、これがはまったので帰国後もヨーロッパ2週間の旅行でもずーーーっと慶一郎を読んでいた。
慶一郎はそれ以前に『吉原御免状』『かくれさと苦界行』を読んでいた。この2冊はいわば続き物で、特に面白い。これらの再読と合わせ、刊行されている物はすべて読んだ。
そしてアメリカでは山田風太郎。
笑ってしまうほどの荒唐無稽さが脳の回復に役立ってくれる。

仮眠。
20時、丸山さんも合流してホテルのレストランで食事。
疲れて眠る。
明日はロサンゼルスへ移動だ。
やっとスケジュールの約三分の二を終了したことになる。やれやれ。

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