Re: その愛は狂気にも似ている

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なし Re: その愛は狂気にも似ている

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/3/20 13:02
s-kon  管理人 居住地: 東京  投稿数: 100
>私もあのキャッチコピーは変わっているな、とずっと思っていましたw

そう思ってくれる人がいてくれたことが分かっただけでも嬉しいですね(笑)
変わっている、どころか私ならあのコピーをこそこう評したい。
「そのコピーは狂気にも似ている」

当掲示板が「KONTACT BOARD 2」の昔からお付き合いいただいている読者の中には覚えておられる方もいるかもしれませんが、かつて私は「決算2002」というシリーズを連載しておりました。
その中で『千年女優』宣伝にまつわる、思い出すだにはらわたが煮えくり返る体験を、かなりリアルな証拠も提示しつつ記しておりました。
ボリュームでは遠く及ばないとはいえ、いわば『千年女優』版「パーフェクトブルー戦記」とでもいった内容です。
その宣伝関係にまつわる部分は、その後「宣伝女優」と改題し、独立したページを作ったのですが、どこにもリンクさせていないので、一般の方は読むことが出来ません。
リニューアル後の当ウェブサイトのコンテンツとして、こちらのサーバに移築することも考えているのですが、手間もかかるしどうしようか、と思案しておりました。というより「放ったらかし」にしてました(笑)
今日のブログで例のコピーに触れ、忘れていた「宣伝女優」のことを思い出しました。
予告にまつわる部分を引用しましょう。
簡単にそれまでの経緯を説明しておきますと、今 敏は『千年女優』宣伝において、配給会社の「脳の取れた」担当者との不毛なやりとりに呆れ果て、死ぬほどうんざりしてやる気がなくなってしまったわけです。
それを前提にして、以下の引用(長いですよ)を読んでみてください。

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●決算2002-34

『千年女優』宣伝用の印刷物などについては振り返ってきたが、宣伝用映像関係も忘れられない。何が忘れらないといって、それらについては私が「忘れたことにした」ことが忘れられない。
 要するに私はノータッチだ。
 宣伝用映像は「特報」と「劇場予告」「テレビ広告」の三点くらいであったろうか。このうち私が唯一真面目に意見を出したのは「特報」だけだが、これも過度に大作感を煽ろうという“扱いさん”(※配給会社のこと)の意向にうんざりしていたし、途中で投げ出していたに等しい。
 だが、ある日“幹事さん”(製作委員会の幹事会社)のプロデューサーが編集された「特報」のラフ上がりのまずさに頭を抱えて、ビデオを持ち込んできたため、その場でカットをいくつか選んで差し替えられるようにしただけである。
 この「特報」、“扱いさん”によるとコンセプトは「スペース感」「大作感」そして「何だろう感」なんだそうだ。
「まず観客に何だろう感を持ってもらうのが大事なんです」
 打ち合わせの席上で安い言葉を連発する人たちを見ていると、観客より先に私の方が「何だろう感???」にとらわれたものである。
 いや、現在もとらわれていると言ってもいい。
 彼らは本当に一体、何だろう?

「劇場予告」のラフには使用して欲しくないカットが含まれていたので、それをNGとしただけで、それ以後は投げ出した。
 やめだやめだ、もういいや。知らん知らん。目も耳も塞いだ。知〜らない。
 ちなみに使用して欲しくないカットとは千代子が月面で絵を見つけるあたり。
 予告に乗る惹句などについてはもう何をかいわんや、という心持ちでコメントする気も失われていたし、出来上がった「劇場予告」「テレビ広告」に対して私は何も思わないようにしていた。というよりチェックもしなかったし、ろくに見てもいない。
 いや一度だけチェックした。予告に本篇冒頭で使われている「モニタ内で巻き戻される千代子」が使われていたと思うだのが、それについて私はこう言った。
「これ、やめて下さい」
 “扱いさん”の一人がこう言った。
「私たちはこのカットに『千年女優』をつかんだんです!これだなって思ったんです!」
 違います。
 さぁ今こそ言うべき時だ。
「もういいです。“扱いさん”の勝手にしてください」
 そして“扱いさん”のもう一人がこう言った。
「ありがとうございます」

 何をかいわんや。

03.3.13

●決算2002-35

「勝手にしてください」
 諦めの言葉を吐いたが故に、胸の痛いシーンに身を置くことになった。
 公開前、劇場予告を見た作画監督・本田師匠がこう漏らした。
「カッコ悪ぃなぁ。もうちょっといいカット使ってくれないかなぁ」
 すまん。
 私も頑張りきれなかったのだ。まことに申し訳ない。
 考えるまでもなく、「劇場予告」や「テレビ広告」といった比較的目立つ部分でこそ頑張るべきであったのだろうが、私の緊張の糸は切れていたのだ。不覚。私の事情でスタッフには不本意な特報や予告が世に出たことには申し訳ないと思っている。そうならないように私がいたはずなのに。作品代表者としてまことにふがいない。

「特報」「劇場予告」「テレビ広告」は私の意図した「千年女優」とは別なものであり、それらは“扱いさん”たちが見たらしい「千年女優」に過ぎない。
 作者の立場で明言しておく。“扱いさん”たちが見たのかもしれない「狂気にも似た愛」などという笑止なイメージは作者の意図には全くない。さらに言えば「千年女優」はラブストーリーですらない。ましてや「恋に恋する女」なんざ一片たりとも描いていないし、単なる自己愛でも無論、ない。
 では何を描こうとしたのか。それは言わない。
 どう見るかはお客さん次第でけっこう。見る人自身の中に存在しないものは、スクリーンに映っていても見えないし、それ以上のものを見られる人間もいるであろう。
 作者が正しいわけでもない。

 余談。後に「千年女優」がDVD化される折りのこと。メーカーは当然のように「特報」「予告」を収録しようとした。だが、私はこういった。
「ダメです」
 メーカーとしては、「特報」「予告」などは、いわば「収録されていて当たり前のおまけ」ということなので外せないということだったし、そうした状況は理解した。しかし私の答えは変わらない、どころか強硬になる。
「不本意な“特報”や“予告”を収録するなら、豪華版DVD制作には協力しない」
 何かっちゃあ、これだ。困ったものだな、私も(笑)
 そういえば、前作『パーフェクトブルー』ビデオ・LD・DVD化の際にも同じようなことがあったっけ。『パーフェクトブルー』豪華版LDボックスにベースキャラクタークリエイトの人の描き下ろしイラストを入れる、という提案を次のような言葉で蹴っ飛ばした覚えがある。
「仕事もせず、現場に多大な迷惑をかけた人間を起用したいなら私は一切協力しない」
 あったりめぇだ。

 私の強い希望で「千年女優」DVDには「特報」や「予告」は収録しないことになった。しかし、実際の商品には収録されている。
 ある日私が態度を一転したからである。
「“特報”“予告”は収録してかまいません」
 この進路変更には、私が「マルホランド・ドライブ」のDVDを見たという事情が手伝っている。何もデビッド・リンチの傑作と比べようなどと大それたことをいっているのではない。
 ただ程度の差は大きくても、構造上同じようなことが感じられたのである。
 この映画、全部を見終えない限り何も分からないのではないか。いや、分からない、という言い方は適当ではない。観客それぞれが体験するような映画であろうし、見ていない人間に上辺のストーリーを説明することは出来ても、肝心な面白さの一片でも伝えるのは無理なのではないか、と思った。
 見終わってすぐにこう思った。
「さぞや予告を作る人は大変だったであろう」
 早速見てみた。案の定、予告は何も伝えていなかった(笑)
 予告が伝えていたのは「デビッド・リンチであること」というだけではなかろうか。
 この作品の場合、むしろそれは予告として正しい態度にすら思えるし、それ以外に作りようもないとも思われる。

 予告などの形で、カットやシーンを切り出した途端に生命力を失ってしまうような映画。短い制限の中では本質の100分の1も伝えられないようなものもある。私はそういう作品をこそ目指したいと思っている。
 予告を見ただけで内容が分かるような映画、本篇より予告の方がはるかに面白かった映画など枚挙に暇がない。
 垂れ流されるチンピラまがいの映像に目を潰されてしまった人間の仲間入りは御免である。何よりそういう物を作りたくないものである。

 ともかく「特報」や「予告」を、「いかに勘違いされた作品か」の一つの証拠として記録しておくのも悪くない、という考えに至って特典として収録しておこうと思ったのである。
 そして、もしいつか収録された「特報」や「予告」を見ることがあれば、すぐにでも私が怒りを再燃出来るように。

03.3.14
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