思うところあって身辺整理をしている。
本もDVDも、本棚ごと処分するつもりで捨てたり、欲しい人に譲ったりしようとしている。衣類や諸々のジャンク、思い出がまつわるものだってどんどん捨てる。
そう思っているだけで、まだ実際には我が家から物々どもが姿を消していないあたりが歯がゆいのだが。ものを捨てるにも分別と段取りと金銭が要る社会だ。
「漫画家時代の一部不愉快な記憶と仕事はどの袋に入れて何曜日に出すのでしょう?」
武蔵野市のウェブサイトはこたえてくれない。
物を持っていること、物ものに囲まれていることにうんざりしてきた。
「持ってたってしょーがねえよ!」
長年の長髪を坊主頭にしたのと同じく、あまりに毎日暑いから身の回りを少しでもスッキリさせたいという気もある。
いつか、私に限らず誰かのためになるかと思って抱え込んでいた物々だが、もういいや。知ったこっちゃない。捨て捨て捨て捨て!
「捨て神様」降臨。
我が家では思い切って物たちを処分する気になることをそう呼んでいる。
年末の大掃除の時期でもないのに私に取り付いてくれたようだ。
しかも捨て神様の中でも精鋭だぞ、これは。捨て神様海兵隊。それじゃ規律に危険がいっぱいか。
どんどんどんどん物を処分していると、捨て神様は加速するようでいっそう捨てることに快感を覚えるようになる。
私まで生ゴミに出されそうな勢いだ。
入るゴミ袋がなさそうだが。
捨てる衣類は黒の山だ。いつの頃からか無彩色ばかり身につけるようになったな…おお、四半世紀に渡る確定申告の書類!歯抜けの年度もあるが近年はけっこう頑張って働いていたじゃないか!…それに比べて昔は……などと感慨や感傷や鑑賞にふけっている場合じゃない。そんな気分さえゴミ袋に流し込むのだ。
あばよ。
自室の6畳間のみならず、廊下や寝室まで占拠していた多くの単行本も新書も文庫もごくごく一部を除いて処分。後輩、後進たちにとっても面白い本や役立つであろう本は多々あるが、年齢が違えば全然異なる現在があるのだろうし。同じものに興味を持てというのも無理だわな。本当は少しくらい「お節介」な真似もしたかったが、捨て神様に従うことにした。
私は多くのものを抱えてドンと構えていられるような器でも金持ちでもない。何せ人間的スケールは自室同用6畳がいいとこだ。日本人としてちょうどいいですよ。あ、その割に布団のサイズに困るが。図体がでかいのはちょいと恥ずかしい。
大きなところではお気に入りのマッサージ “ガンダム”チェアも処分した。
これは茶の間に新たに導入するものがあったせいで、半ば仕方のない処分だったのだが、捨ててみると(といっても、ある関係先に引き取ってもらったのだが)何とスッキリしたことか。処分に少々の金銭がかかることもやむを得まい。
何、もしかいつか欲しくなったら、その時また手にいれればいいだけのことだ。その頃にはもっといいものに進歩しているに違いないし。
そう、すべてはそうなのだ。
そんな簡単なことに気づかなかったなんて。
二度と手に入らない物なんて、そうあるわけじゃない。
命と思い出、大切な家族や大事な友人は失われたら回復しようはない。
しかし物たちのほとんどは、まったく同じでないにせよ同じような満足をもたらせてくれるものにはこの先にだって出合えるような気がする。
これまでだってそうだったんだし。
その時どれだけ大切に思えたようなかけがえのないものだって、旬を過ぎれば優先度は下がってくる。それは何も飽きたのではなく血肉化したからだろう。そう思いたい。必要なものはすでに血や肉として携えらている。
私の脳や身体に蓄えられた物の考え方、価値観、長い時間かけて訓練された技術などは捨てようにも捨てられないし、だいたい何のゴミに分別するべきか(笑)
私にはコレクター的な嗜好はないようだ。
物への愛も非常に薄いらしい。
昔、ムーンライダースがアルバム「アマチュアアカデミー」の中で「ものに対する愛」というフレーズを歌っていて、いまだに印象的なのだが、どーもそーゆーアイには縁遠いらしいのでR。
私の演出的淡白さも根が同じような気もするので少し残念な気もするが、こだわりは少ない方が生きるにはこれも楽だろう。
私はディテールに拘ると思われがちだが、どちらかというとディテールそのものよりもそれらの密度に傾斜しやすいのではないかと思われる。
枯れ木も山の賑わいが好きというか(笑)
だから自宅も仕事場も、大して重要でもないものがその数だけ増大させるというか。多分そうだな。
本もDVDも見返したり読み返したくなったらその時また手にいれればいい。
どうしても傍に置いておきたいものなんてそんなに数があるわけじゃないんだ、と改めて思い知らされている次第である。
しかしまぁ、呆れるほど狭いスペースに物を溜め込んでいたことだよ。まるでパズルだ。
それにも事情はあるのだが、その点についてはまた稿を改めるとして、私にとって「どうしても手元に置いておきたい大切な物たち」とはどんなものだろう?
先にも触れたが、まことに重要なものとは自分の命とこれまでに身につけて来た考え方や思い出、技術やセンスといったものであり、それに家族や友人がまさに掛け替えのないものだ。
他に何が要るだろう?
次回はそんなことを具体的に考えてみるかな。