2007年11月16日(金曜日)

たわけて神戸・その4



翌朝。10時に起床すると、脳はまだアルコールに蝕まれている。
またもや同じ書き出し(笑)
つくづく「たわけ」である。
入浴して酒を抜くのも前の二日同様。
溜めたお湯に1袋100円の入浴剤をばらまく。ささやかな贅沢だ。って、前日神戸牛だのアワビだのを食っておいてささやかな贅沢って話もなかろうが。
入浴後、ドリップバッグ式のコーヒーを入れて脳を起動する。
「薄いなぁ、コーヒー」

正午にロビーに集合、近場の店でパスタランチを取ってタクシーでまずはホテル・オークラへ。この日アニメーション神戸に出席のために、わざわざいらしたザ・マッドハウス丸山さんと合流。アメリカから戻ったばかりだというのにタフな方である。神戸に一泊して翌日は小豆島に宿泊するとか。美味い物と温泉に目のない方である。
まめにしてタフ。
アニメーションのプロデューサーとはそうあっていただきたい。
丸山さんはホテルのロビーで、とある作品のコンテをチェックしていた。コンテを数冊持って歩くだけでも私ならげんなりする方だ。情けない。
是非、見習いたいと思う。出来れば美味い物と温泉の方を。

丸山さんからチベットの土産話を聞かせてもらう。
チベット、と聞いても私には合いの手を入れるための材料すらほとんどない。
他人の話を上手に聞くためには、それなりの知識が必要である。だがしかしチベット。
せいぜい思い浮かぶのは、映画『ココシリ』くらいであろうか。
これは大変素晴らしい映画である。
以前、町山智浩さんがブログで紹介していて、見たいと思っていたところ、ありがたいことにソニーさんからDVDをいただいた。
原題は『KEKEXILI:MOUNTAIN PATROL』、2006年の映画。
チベットカモシカの密猟者を、まさに命がけで追撃する山岳パトロールを描く内容で、予定調和を排した展開もさることながら、とにかくチベットの風景がすさまじいほどに圧倒的で、美しい。風景の威圧的な存在感。画面が素晴らしい。
CGではないと信じたい(笑) いや、これは本物だろう。
風景だけでも超一流の映画である。
こういうものこそブルーレイで見たいですよ、ソニーさん。

さて、丸山さんがなぜわざわざチベットまでいらしたのかは企業秘密であろうから差し控えるが、標高5000メートルの高地を訪れるために、2ヶ月間スポーツクラブに通って心肺機能を高めたというから感服する。
しかし何より感服したのはお土産だという「マニ車」。
現在、マッドハウスの正面玄関には、あまり役に立ちそうにない健康器具の隣に素晴らしい美術品が鎮座している。チベットのマニ車である。
どちらも丸山さんが買い求めたそうだが、この「役に立ちそうにもない健康器具」と「素晴らしい美術品」という両端がプロデューサー丸山さんの幅広さを顕著に表しているようにも思えて来る。
しかも結局のところ、どちらも「実用上の役に立たない」という点では選ぶところがない(笑)
エンターテインメントの仕事とは、まことそうしたものである。
ウィキペディアによれば「マニ車」とは「チベット仏教で用いられる宗教用具」で「転経器(てんきょうき)」とも呼ばれるもの。「円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部には経文が納められている」のだそうで、「右回りに回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳がある」というありがたい代物。
私もインスタントに功徳を回してみた。グルグル。
チベットで買った際には日本円で1万〜1万5千円という、見かけの割に安価だったそうだが、チベットから日本までの輸送費にエラクかかったそうな。
10万円(笑)
結果的に高いのだか安いのだかよく分からないことになっているが、得てしてエンターテインメントもそうしたものである。高い予算をかけてろくなものが出来ないとか売れないものしかできないこともあれば、低予算でも価値のあるもの、売れるものが出来ることもある。
良くなりそうなアイディアや才能を見極める目が問われる。
審美眼を養うにはそれだけの対価が必要だと私も思う。私も見習いたい。
美味しいかどうかは食ってみないと分からないものなのだよ。うむ。

プロデューサーという仕事は、私にもなかなかうまく把握できないが、畢竟するに「誰もまだ価値を見出していないものに価値を見出し、それを形にして世間に出す」ということであろう。
すでに世間的評価のついたもの、たとえば、100万円の価値と既に定まったものを110万で買って、120万で売るような行為なら誰にでも出来ることである。多少の厚顔ささえ持ち合わせていればだが。
真の意味での「プロデューサー」とは、つまりは「目利き」と同義であろう。
いまだに忘れ得ぬ言葉がある。
かつての漫画家時代、「編集者」に関してある方から素晴らしい指摘を聞いて、以後、アニメ業界におけるプロデューサーや制作職にもその基準を用いている。
当時、私はこう思っていた。
「編集者が、漫画の演出だとか構図だとか絵だとか、そういう技術的な細かい部分なんて分からないものじゃないんですか?」
私の浅はかな言葉にその方はこのように答えてくれた。
「反物の善し悪しも分からない呉服屋の番頭なんて話があるかよ」
うーん、なるほど。目から鱗がポロリ。
つまり扱っている物の善し悪しが分からない人間は素人である。そういうことだ。
だから編集者であれ制作であれ、自分が扱っている物の善し悪しを判断できないということは、ただの素人である。私はそう思うことにしている。
他人に判断してもらうまでそれが分からないならば、まったくもって素人である。
「プロデューサー志望」などとお気軽に口にしている方々は、知性と教養を磨くと同時に色々な下世話さも身につけることで、肝心な審美眼を養ってもらいたいものである。
ま、保身に尽力しているような「木っ端役人」には期待するだけ無理な話だろうけど。

時間が来て、脳内に広がっていたチベットの風景は途端に三宮の現実に引き戻される。
「アニメーション神戸」授賞式会場となる西山記念館にタクシーで移動。
この会館にどのようないわれがあるのかは分からないが、建物に入った途端ちょっと嫌な予感がした。申し訳ないが、本当にそう感じた。
「あ。この場所は……私には、まずい」
霊がいる!
冗談冗談。私は「そっち系」には無縁である。
何というか建物内の空気の澱み方が気になる。精神の力が少しずつスポイルされていく感じ。長くいるとちょっとまずいことになりそうな気配である。
あるいは単に連日の痛飲で体調が低下して、精神の皮膜が薄くなっているのかもしれない。
タイプは違えど、入った途端に自分にとってネガティブに感じられる場所というのはある。すぐに思い出されるのが、去年「東京国際映画祭」で初めて足を踏み入れた六本木ヒルズ。あそこはどうも長居できない感じの空気に感じられた。
上記二カ所はいずれもハレの場であったので、こちら側のセンサーに多少の変調があったせいかもしれないが、しかし仕事場の近所にある飲食店でも苦手な場所があるから、必ずしも精神状態にだけ原因を求められるわけでもあるまい。
ともかく、折角授賞のために招いていただいたのに、何だか申し訳ない気がしてくる。
控え室には受賞者や審査員、イベント関係者の方々が歓談しておられるが、控え室に澱む感じの空気がまたどうにも気持ち悪い。念のため再び断っておくが、人々の間にある空気や雰囲気のことではない。建物に澱んだ気のことである。
控え室よりは廊下の方がまだましなので、喫煙所で自分の周囲に馴染みの煙を散布して、澱んだ空気を少しでも追い払う。
タバコ飲みは少なからずおられるようで、ガイナクスの武田さんやアニメージュの大野さんなどタバコを喫しつつ雑談する。
今回受賞する『パプリカ』制作のきっかけとなったのは、他ならぬこの大野さんである。大野さんが筒井先生との対談を組んでくれたことが『パプリカ』映画化の端緒となったのである。どうもお世話になりました。
パプリカもきっと感謝していることでしょう、夢の中で。

授賞式での模様は先日のNOTEBOOK「第12回アニメーション神戸・作品賞(劇場部門)受賞」でも書いたとおり。
受賞作のクオリティに驚かされた次第である。私には真似の出来ないものばかりで、良い刺激を受けた。
もう一つ驚いたことと言えば、ステージ上で神戸市長さんから記念の楯を手渡された後、授賞のコメントを申し上げるときのこと。
一礼して観客席に向かって顔を上げると、関係者席と覚しき観客席中央の2、3列目に、たいへん快適に睡眠なされている老婦人の全開された大口が目に入った。
吸い込まれるかと思った(笑)
ちょっと想像していただきたい。シートに座り、さほど高くない背もたれに身体を預ける。すると、背もたれ上部の角がちょうど首の後部に当たり、頭部がちょうどのけぞる格好になり、自然と口が開くだろう。それがいっぱいいっぱいに開いた状態となっている。
壇上から、そのぽっかりと穿たれた黒い空間に目が釘付けになってしまった。
「『パプリカ』のスタッフ・キャストを代表してこの賞をいただきたいと思います」
などと無難なコメントを発しつつも、私が頭の半分側で考えていたのはこんなこと。
「口というのは、まことに人間の顔に空いた穴なのだなぁ」

授賞式会場となったホールも、やはりそこを覆う空気が少々苦手だったので、授賞式に続くトークショーは聞かずに喫煙所に避難する。
やばくなったら全力でその場を離れるに限る。
喫煙所に集まってくる顔ぶれは先ほどと同じ。親近感が湧く。
共通点といえばタバコと業界なので、自然とそんな話題に煙は流れる。
「タクシーまで禁煙になったね」
「タクシーの中くらい我慢しましょうよ」
私もそう思う。
「けど、電車降りて駅出て、タクシーに乗ってやっと吸える!思うたら吸えんちゅうのがきついわ」
タクシーが禁煙になるのは客にとって良いことだと思うが、スモーカーの運転手が気の毒ではある。
煙は流れて海外での日本のアニメの受け取られ方について。
「海外でも随分ロボットアニメは受け入れられるようになったけど、スポ魂ものだけは理解されないねぇ」
そういえば確かに、海外のアニメイベントや映画祭などでは、日本におけるほどにはロボットアニメの存在感を感じたことがない。
海外ではメカそのものへの興味も少ないのだそうで、ロボット物が受け入れられるとしても基本的にはキャラクターの魅力ということなんだそうである。
それでも『ロボテック』なんかは人気があると聞くが、実際のところはどうなんだろう。実写化もされるそうだが。
「海外で人気がある」という話はよく聞くがそれが実際どの程度のことなのか、さっぱり分からない。
ちなみに『ロボテック』は、アメリカ版の『マクロス』といえばいいのか。『超時空要塞マクロス』、『超時空騎団サザンクロス』、『機甲創世記モスピーダ』を無理矢理リミックスしたものだそうだ。
その無理矢理さ加減についてはこの本に詳しい。
『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』
パトリック・マシアス 著/町山智浩 編・訳(太田出版)
アニメを知らない人には笑いにくい点もあるだろうが、この本は傑作であった。
さて、海外でほとんど理解されないのがスポ魂もの。何度か耳にした話である。
確かにアメリカやヨーロッパで『あしたのジョー』や『エースをねらえ!』を目にしたことはないように思う。
高校生にして「お蝶夫人」なんて理解の外なんだろうか(笑)
訳すと「マダム・バタフライ」になるんだろうか。何だか、悲しい運命を背負ってそうな竜崎麗香だな。
「でも、『キャプテン翼』なんかは人気があるんじゃないんですか?」
という私の素直な疑問に返ってきた答えはシンプルそのものだった。
「あれはサッカーだから」
なるほど種目ピンポイントということか。ヨーロッパなどサッカー人気の高い地域だから受け入れられたということらしい。
「だからって、アメリカで『巨人の星』が人気が出るってこともないけど(笑)」
そりゃ、そうだろう(笑)
「貧乏と根性」がかの国の「合理性」とやらと相性がいいとは思えない。
しかし、『ロッキー』だって『ベスト・キッド』だって、不可能なはずの壁を根性で乗り越えるといった点では、基本的にスポ魂と同じ構図のような気がするが、何が違うのだろう。
分からなくても別にいいようなことではあるが。

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