2008年3月24日(月曜日)

多忙な道のり・その9



残りのイラストをどうしようか。
時間は十分にある。
「どうせなら大がかりな修正でもしてみるか」
ほらまた出たよ、ただの「絵描き」が(笑)

まずは、最終的に「Golden clothes Remix」と名付けられる絵。
展覧会では二人のお客様にお買い上げいただくことになった。たいへん嬉しい。

GCRemix.jpg

元になったのは、『パーフェクトブルー』LDボックス・DVDジャケット用のイラスト。未麻の胸に二匹のネオンテトラが泳ぐ絵、この人物分を再利用する。
以前に一度、再利用を試みたものの全然上手く行かなかった。ただその際、元々はセル風の塗り分けで仕上げていた素材を、ペインターで階調を加えてあった。
この素材を解像度を上げ、線画を差し替え、さらにペインターでブラッシュアップする。
私は何かっちゃあ女性の裸ばかり描いているな(笑)
その割に全然、色気がないように思える。
やはりこうしたものに色気や艶などプラスアルファが生まれるには、対象物への執着が必要なのだろうか。どうも淡泊な絵だ。
素材は出来たが、さて何を合成しようか。
「いい加減、「錆」ばっかりも飽きたしなぁ……」
と思いつつ仕事場のCD−ROM素材を漁ると見慣れぬものがあった。
「ミクロの世界」
「何だこれ? こんなもの買った覚えがないな。誰かが置いていったものか」
素材はその名の通り「細胞」とか「結晶」の拡大写真である。
ぼんやり眺めていたら、多分「細胞」の画像であろう、その一部が「織物」のように見えてきて、別の画像の一部は「首飾り」のように見えてきた。
「あ、服だ」
これを「着せて」みることにした。
素材をラフに切り抜いて、簡単に合成してみると悪くないイメージだ。
素材の合成の仕方も、いつもより派手にしてみる。
「あまり使ってこなかったイメージだが、こういうのも混ざっていた方が華やかでよろしかろう」
ということで、本番用に細胞の素材を「切り抜く」。
地味で面倒な作業だが、展示の目処は9割以上たっている。そうした作業も楽しめる。
結局二日半ほどかけて「修正」。
修正というより、ほとんど新作である。

自宅のハードディスクをさらってみたら、さらに一点「使えそうな」データが見つかった。
「Golden clothes Remix」の結果に気をよくしたこともあり、調子に乗って同様に「修正」してみることにした。
最終的には「Butterflies」と名付けられた絵である。この絵も二人のお客様にお買い上げいただくことになった。誠に嬉しい限り。

Butterflies.jpg

元素材の解像度を上げて、上からペインターでブラッシュアップする。
この素材は線画とペイント面がすでに結合されてしまっていた。レイヤーとして分かれているデータがすでに失われていたようなので、少々手間がかかる。
人物素材を直しつつ、「何を合成しようか」と思いめぐらせているうちに思い浮かんだ。
「蝶だ!」
いいアイディアだと思ったが、何のことはない『パプリカ』じゃないか(笑)
逆にそこは『パプリカ』にちなむ、と考える。
吉祥寺ヨドバシカメラに寄って新たに「蝶」のCD−ROM素材と他2点の写真素材を仕入れる。ついでに「ファイル展示」用のプリント用紙なども合わせて購入しておく。

「蝶」の合成作業は「重たい」ことこの上ない。
何しろ写真素材の蝶を50枚近く重ねるのである。
「別ファイルで重ねて、まとめて貼り付ければいいじゃないか」
というのは合理的だが短見というもの。
確かに背景の方は「いい具合」に蝶たちを並べ終わったらレイヤーを結合して軽量化を図る。
だが人物のどの位置にどういう風に貼りつけるかは、様子を見ながらの試行錯誤である。
「あーでもないこーでもない」
そうやって位置を変えたり、素材を変えたり、レイヤーのモードを変えたりしていじくり回して格闘しているうちに、段々とイメージが固まり、絵全体が「収まってくる」のである。
この「収まる」感じになるまでの試行錯誤こそが「絵を描く」ということである。
実際には「描いている」わけではないので、共感は得られないかもしれない。
確かにどちらかといえば「絵を作っている」といった方が相応しい作業かもしれないが、筆や鉛筆で絵を描こうがパソコンを使おうが、私にとっては別に変わりはない。

そのあたりについては、「十年の土産」のために記した「解説」から引用してみる。
実は、会場で「鑑賞のお供」となるように用意したテキストがあったのだが、思いがけずテキスト量が多くなってしまった。コピーを配るにしても一部が20枚以上になってくると、さすがに用意しきれないし、経費もかさみすぎる。だから会場での配布は諦めた。
近くウェブサイト上で「十年の土産」コーナーを開設したいと思っているので、その際には紹介したい。

23 Butterflies 1999(2008リアレンジ)

「十年の土産」展示に当たって、古いデータをリアレンジしたものの一つ。
人物部分は1999年に描かれているが、今回少しばかり手を入れて丁寧に仕上げ、新たに仕入れた「蝶」などのテクスチャ素材を合成している。
このイラストを始め、プライベート用に描かれたものはすべて手法は同じ。人物は手描きの線画をスキャンして、Painterで描写、これをPhotshop上で他の素材と合成する。手描きの素材と写真素材を合成するのは「絵」として卑怯と見る向きもあるかもしれないが、私は欲しいイメージさえ得られるなら手法には全然こだわらない。苦労して描こうが楽をして手に入れようが、絵を構成するそれぞれのパーツはただの素材に過ぎない。出来上がった画面がすべてである。
この考え方はアニメーション制作のプロセスと何も変わることがない。
アニメーションの画面は、「実線+平面の塗り」というセル素材と、筆やPCによって階調表現された背景素材によって成り立っている。近年ではこれらに加えて階調を伴った3DCGなども混じってくるようになった。
これらは絵としてはまったく別の表現スタイルであるにもかかわらず、一枚の画面として成り立っている。本来なら違和感があってもおかしくない気もするが、単に見慣れてしまっているということかもしれない。
異なる手法が一枚の画面の中で共存している、という考え方そのものが好きである。無論、一枚の絵として馴染んでいる、というのが大前提ではある。
『東京ゴッドファーザーズ』の制作から、私はすべてのカットに対して「撮出し」を行うようにした。セルや背景、特効素材が揃えば撮影は可能となるが、その前に監督が画面の調整を行うのである。画面を馴染ませるためにグラデーションの素材を加えたり、撮影処理の指示を入れたりすることで、画面としての収束力を与える。時にはペイントや背景の修正だってする。
「撮出し」は要するに、異なる手法で描かれた絵を一枚の絵としてうまく共存させるためのプロセスである。
イラストの合成も同じだ。
「撮出し」がイラストの手法に似ている、というより、こうしたプライベートイラストで培った合成の考え方が「撮出し」に反映されたといった方が正しい。
そうでなければ「習作」の意味がないではないか。
私は無駄に絵を描くのは嫌いだ。

引用は以上。
一点についてそんなにあれこれ書いているから長くなるんだ、っちゅうの。

このイラストは完成、さあ搬入まで後一週間。

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