1999年7月12日(月曜日)

その2「態度



 電子の海に自分の島を浮かべるに当たっての私の基本的態度は「私のために私が作る」という至って閉鎖的なコンセプトであった。
 かと言って「自己満足」だけ、というわけでもない。

 「お客さんに分かるように」という基本原則は、私の場合娑婆の仕事で身に付いた習い性でもあり、不特定多数の人を相手にする以上、HPを運営する人は頭の片隅くらいにキャッシュしておく方がよいかと思われる。
 「自分が楽しければよい」というのと「自分勝手」ということの間には広くて深い川が厳然と存在する。自分が楽しいと思うためには少々の親切も必要かと思われるのだ。垂れ流しのようなまるで無益な独り言を書いて、それが楽しい、と言うのならそれでも構わないのかもしれないが、そう思ってしまえる自分をもう少しどうにかした方が良いと思われる。

 どの程度までが「お客に分かる」範囲なのかは、作り手の資質や価値観や経験が問われるところであろうが、いかに親切に作ったところで「分からない」というお客が存在するのはこれはもう致し方のないところ。そこから先は「合わない」の一言で片が付く。「じゃ、見るな」というやつだ。
 作品は作者の人と形を映す鏡であることを考えれば、娑婆でキミのことをみんながみんな好きなわけではないように、嫌う人が出てくるのは当然のこと。極端な話、多くの人にとって面白いと思われるモノを作ったが故に、それをやっかんで嫌う人間が出てくるのもまた現実。見た目の美しい女性が、他のそうではない女性の嫉妬の対象になるのも同じ。やっかみ、嫉妬は世の常。めんどくさいものだな。
 無論作り手の無知ゆえに露呈する失敗や不親切も多々あるので、それは謙虚に反省して次への進歩のための糧としたいものだ。
 逆にお客の無知ゆえに……まぁそれはいいか、親と客は選べるものではない。世の中は無知と蒙昧に溢れている。
 例えばだ。
 キミが一枚の「肖像画」を描いたとしよう。自分でもなかなかの出来映えにも思える、と。
 ある人はそれを見て様々に言うだろう。「色が汚いな」「らしい感じがでてる」「好きだな」「何か嫌い」等々。批評にしろ感想にしろこれらは妥当なものだ。
 しかし、それを見て「何故写真じゃないのか?」だの「額縁が付いてないのはおかしい」、果ては「これじゃ彫刻には見えない」などと頓珍漢なことを言い出す痴呆や精薄は数多に存在しやがるのだ。
 ああ、めんどくさいものだな。
 好きに見やがれ、という度量も大切かと思われる。

 ともかく私の場合は「お客との距離」も「私が楽しければ」という仮定に含まれているつもりだ。

 ありがたいことに現在では定期的に当HPを見に来てくれるお客さんもいるようだが、「自分のために自分が作る」というスタンスにあまり変わりはない。しかもこれは娑婆の仕事であっても基本は同じであり、ある程度一貫した生き方の態度のようでもある。
 生涯一趣味人。私の魂は「書生」の域を脱していないのであろう。来世には「社会人」になれるかもしれない。
 HPも創作物である以上、好評をいただけば無論大変嬉しいし、「パーブル戦記」連載中にいただいた読者の方からのメールは連載完結への励みにさせていただいた。リアクションがあれば嬉しいのは当然。
 しかしリアクションを期待しすぎて反応がなかった場合、HP存在の根本的意義まで失ってしまうケースが多々あるようなので、慎重に考えるべきところでは無かろうか。関わる態度を、である。

 HPを持つ多くの人が一度くらい感じたことはあろうが、自分のHPを開設するに当たって基本的な態度を考える必要があるわけだ。まぁ決めなければ決めないで、その都度好きにやっていけばよいという話もあるが、子供じゃないんだから、考えろ。
 「態度」と言っても分かりにくいかもしれないが、例えばテキスト一つにしても誰に向けて書くか、という問題がすぐさま浮上してくる。
 不特定多数の漠然とした「誰か」が相手には違いないのだが、「〜なのだ」「〜です」「〜である」「〜じゃん」「〜だっちゃ」という語尾一つとってもだぜ、「態度」とかが決まってないとぉ、HP全体の感じがバラバラになって来るじゃん?
 どういうお客を対象にしているか、どう読まれたい見られたい、あるいはどう見せたい読ませたい、どこまで親切にするのか、等々考えるべきことは意外とたくさんあるわけだ。
 運営を続けるうちにその態度が徐々に変わってきたり、固まってきたりすることも多いので、最初から無理矢理に決め込む必要もないかもしれないが、モノを作るに当たって自分の「関わり方」をある程度は決めてかかるのが、賢者になるための「明日のためのその一」であろう。
 ただし「人気の出るページ」「めっちゃ面白いページ」などという相手の都合がかなり重要なコンセプトは、娑婆と同様すぐに痛い目を見ることが多いので注意されたい。と言うよりやめておけ。
 思うような反応などがそうそうあるわけもないのだ。

 大体考えてもみたまえ。他人のホームページを見ていて「面白いから」あるいは「つまらないから」という理由でメールを送った経験がどれほどお有りか?
 少なくとも私などは数えるほどにもありゃしない。いや、ほぼ無い。
 滅多なことで他人はキミのことなどに興味を持ったり、関わってみようとはしない筈だ。まずその現実をしかと胸に刻んでから、始めた方が健全であると私は主張したい。
 多くの訪問者で溢れる人気のあるホームページは誰もが夢見ることであろう。そうした夢と期待に胸膨らませるのこともまた健全であり、創作への意欲を後押ししてくれるであろうが、膨らませ過ぎた夢が弾けてどれほどのホームページの残骸が電子の海に雨ざらしになっていることか。
 先にも書いた通り、リアクションがないから止めよう、というのではあまりに楽しみ方を知らない大人のようではないか。アクセスカウンタが回ることだけが楽しみではない筈だし、もっと無邪気に「作ること自体を楽しむ」ことも考えてみた方がいいのでは無かろうか。
「自分を楽しませる」というのはコンセプトの一つとして考慮に入れても良い筈だ。

 更に老婆心ながら付け加えておけば「ホントの自分を探す」などと言うこそばゆいコンセプトはやめておいた方が良いぞ。そういう人はラッキョウの皮でも剥いてみろ。それがキミだ。
 私は剥いたことがないけど、ラッキョウってホントに剥いても剥いても中身がないものなのかな?

 もしこれを読んでいる人で自分のHPを持とうという心意気のある人のために、以上のことを踏まえてちょっとだけ先人からの助言を一つさしあげよう。

 まず決めるのだ、キミの態度を。

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