2008年6月30日(月曜日)

ニューヨーク二日目その2



3時間ほど前にブレックファストを胃の腑に収めたばかりだというのに、もうランチだ。
ホテルからリンカーンセンター方面へ歩き、その途中にあるレストランへ。
今回の上映を企画していただいたスクリーニングのディレクター、国際交流基金(JAPAN FOUNDATION)の方々、インディペンデント系映画のプロデューサーの方たちとテーブルを囲む。ナイス・トゥ・ミーチュ。
午後になって気温も上がってきたので元気良く「ビール!」と言いたいところだが、ランチの後媒体取材が何本か入っているらしいので、おとなしくこの店お勧めだというレモネードをいただく。私には少々甘く感じられるが、濃厚で美味しい。
歓談しつつメニューを開いたものの、胃は受付を拒否しているらしい。とはいえ、ここで少し食べておかないと、取材やその後に続くトークイベントの最中に腹の虫が泣き出すのも困りものだし、折角ランチを予約していただいた主催者にも申し訳ない。
あれこれ考えた末に、「Angel Hair」というパスタをセレクトする。その名の通り、たいへん細いパスタなのだという。いかに天使だろうが髪の毛をすするのかと思うといい気持ちはしないぞ。
運ばれてきたのは、さながら「トマトソースで和えたソーメンの山」である。ソーメンなら優に二人前はあるのではないかと思われる量が、たいへんアメリカらしい。
味はなかなかで、まだお腹がいっぱいといいつつも美味しくいただく。しかし。食べれども食べれども「ソーメンの山」は当初の姿をちっとも変えようとしない。「ソーメン」の山を半分ほど宅地造成したところで作業機械が運転を停止。残りの山は断念する。
オー!モッタイナイ!
いや、我が身の方が大事である。

リンカーンセンターへ移動。
現在改修中とのことでその全容を目にすることは出来ないのが少々残念だが、ここがニューヨーク、引いては合衆国における芸術文化の中心であることに変わりはない。
ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地である「エイブリー・フィッシャー・ホール」を始め、「メトロポリタン歌劇場」「ニューヨーク州立劇場」「ジュリアード音楽院」などを擁する芸術文化の殿堂である。

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この一画にある「ウォルター・リード劇場」で今 敏監督作のレトロスペクティブ上映が行われている。劇場のパンフレットによるとそのタイトルは「BEYOND IMAGINATION」というらしい。いや、どうもたいそうなタイトルを冠していただき恐縮する。
これまで監督してきた映画4本と、TVシリーズがすべて上映されるそうで、劇場に併設されたギャラリーではイラストの展示も行われるとのこと。
劇場のエントランスでは上映作のビジュアルをあしらったチラシが出迎えてくれる。

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エントランスを入ってすぐ右手にあるギャラリーに、イラストが14点と『東京ゴッドファーザーズ』の絵コンテが4点ほど、上品に展示されていた。まるでプチ「十年の土産」といった眺めである。

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イラストの出力サイズはB2が2点、他はA4に収まるようにというオーダーだったのだが、スペースに対してあまりに控えめな気がしてしまうのは狭い土地で育ったせいかもしれない。

このギャラリーで媒体取材を受ける。事前に取材のメニューをもらっていなかったので、どのくらいの数になるのか分からないまま、言われる通りに所定の位置について質問にお答えする。
渡米前から「通訳」については懸念していたので、昨年NYでお世話になり、たいへん助けてもらった女性をお願いしていたのだが、あいにくこの日は18時まで都合がつかないとのこと。ステージでの質疑応答はその方が担当してもらえるとのことだが、媒体取材は別の方が担当されることになった。少々不安だ。
これまで通訳の方との相性では随分としんどい思いもしてきた。通訳を介した取材の経験が少ないうちは、こちらの負担が増大したところで「そういうものなんだろう」と思って済ませられたのだが、少なくない数の経験を積んで、とても上手な方、相性の良い方に何度か担当してもらったことがあるので、ついつい私なりの「基準」が設定されてきてしまった。生意気を言うようで申し訳ないが、外国語による取材において通訳というのは、今 敏の一部なのである。自分の耳と口なのだから、その相性はたいへん重要なのである。
媒体取材の通訳をお願いした方は、アニメーションや映像に関して特に知識がないのは致し方ないにしても、困ったことに声が小さい上にたいへん早口で日本語が聞き取りづらい。英語は達者な方なのだろうが、こちらとしては質問の意図を把握できないのがとてもしんどい。取材者が発語したはずの固有名詞も省かれることが多く、こちらで補完したり質問の意図を補って考えたりしなければならなくなり、思考のリズムが少しずつ狂って来る。この積み重ねが、昨年アメリカで見舞われたような脳のシステム障害を引き起こすと思われる。ふん、まったく華奢な脳であることだよ。
己の脳をなじってみても仕方がないが、案の定コミュニケーションの渋滞によって、思考のリズムが思うに任せなくなり、言葉の出力も鈍くなってしまう。やれやれ。
取材は全部で6〜7本。何を喋ったかすっかり忘れてしまったが、そのうちの2本は取材者が日本人と日本語を喋れるアメリカ人だったので、随分と救われた気がする。特に後者は北海道に3年暮したという自称「道産子外人」(笑)である。「なまら」だの「だべさ」だのと、よもやビッグアップルシティで北海道弁を耳にするとは思わなかったので、妙に気が楽になって話しをさせてもらったべさ。

休憩を挟みつつ多分3時間ほどの媒体取材が終わったところで、劇場では『パプリカ』の上映が始まる。トークイベントは上映終了後なので、その間、近所にあるチャイニーズレストランのバーカウンターでシャンパンと白ワインをいただき、しばし休憩。ホッとする。スクリーニングのディレクターを交え、下ネタが挿入されるブンカ論が展開される。
アメリカに限ったことではないだろうが、ビデオゲームの世界は「人殺し」が何より人気だという。殺すのは人とは限らないだろうが、とにかく銃を乱射して相手を倒す。こうしたゲームの流行と若者による殺人事件などが識者によってリンクを強化され、「バイオレントなゲームや映画が若者を犯行に駆り立てる」という論が定説化されるのは日本でもおなじみだ。アメリカの方がその傾向はさらに強いようだ。そんな気がする。
ディレクターR氏は、その論には否定的で、バイオレントなゲームが「狂人」を作り出すわけではなく、複雑に絡み合った背景によって凶悪な犯罪にいたるものではないか、という。私もそう思う。
だが、刺激的な映像が犯罪に及ぶ者にヒントを与えている面はあるだろう。つまり犯罪の「動機」ではなく「手段」をイメージさせ強化するといったような。
いきなり話は急降下するが、たとえばまだ性的体験のない若者がアダルトビデオによって「来るべき日」を思い描きながらシミュレーションに励んだ結果、次のような状況が出来する。「初体験にしてブッカケ」。浴びる方にしてみれば悲劇だか喜劇だか分からないようなシチュエーションだが、これなどはアダルトビデオが動機ではなく手段に大きな影響を与えた結果だろうし、凶悪犯罪に置き換えてもこの構図は成立するだろう……云々。
こういうバカな話が脳のメンテナンスには必要なのである。

20時から登壇してのイベント。
パンフレットの表紙には「Satoshi Kon Onstage」と記されている。
「オンステージ!?」
歌でも歌わねばならぬのかと思ったが、主催ディレクターとの対談形式によるトークイベントである。このイベントの通訳は、昨年NYでの媒体取材でたいへん助けてもらった通訳の女性。お久しぶりです。
やはり彼女にお願いしてよかった。ディレクターからの質問や観客との質疑応答でも、こちらが質問の意図を把握しやすいような日本語に訳してくれるばかりでなく、出力低下によってまとまりがなくなってきた私の日本語を手際よくまとめて送り返してくれる。
通訳の彼女と、会場においでいただいた熱心なお客さんのおかげで、一時間ほどのイベントを楽しむことが出来た。

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ここで喋ったこともほとんど覚えていないが、会場から「秋葉原通り魔事件」に関する質問があったのが印象的である。簡単にお答えするにはあまりに難しい質問だ。まさか先ほどバーで話した下世話なネタで応じるわけにも行くまい(笑) 先日ブログに記した「役柄」という概念を交えて、少しばかりお話しする。
私は「秋葉原」のような理解を絶する事件について、社会や教育や親の責任に過度に還元する考え方はしないし、なんと言っても犯人そのものの責任だと思っている。簡単に言えばこういうこと。
「おまえが悪い」
基本的な考えはその通りなのだが、その「おまえ」という個人を名指す「手がかり」というか「手ごたえ」そのものが全然感じられないのが不気味であり、だから犯人が言った「誰でもよかった」という言葉が被害者だけのことだけではなく、加害者すらも「誰でもよかった」のではないかと感じてしまうのである。それが、「誰か」という主体が通り魔になったのではなく、通り魔というすでに定型化された「役柄」が、その安手のプロファイルに合致する誰かを召還したように思えてしまうのだろう。
というようなことを申し上げたかったのだが、呂律の回らなくなった思考ではうまく言葉にまとまらず、通訳の方にご負担をかけたことと思われる。
思考どころか舌もうまく回らなくなっていたのだ。媒体取材で喋り続けたせいか、舌がむくんでしまっていた。取材が続くと度々こういう目にあう。いつもより舌の容積が1〜2割増してしまい、気をつけていないと舌を噛んでしまいそうになるのだ。まったく。軟な身体で情けない。

イベント後、多くのお客さんからサインを求められる。ありがとう。
拙い話にお付き合いいただいたのだから、サインくらいいくらでも描きまっせ。
劇場のロビーでしばしミニサイン会。
タバコを一服するべく表に出たら、たいへん「強烈なファン」に遭遇する。高校生くらいと思しき若い女性が今 敏を間近に見てにわかにテンションが上昇したらしい。
曰く、キャーキャー。
こんなに分かりやすく感極まった人を目撃するなんて貴重な体験だ。「十年の土産」のときにも、今 敏に接し、涙を流して感激してくれた方がいらっしゃったが、彼女のテンションはそれを遥かに凌駕している。何しろ、黄色い声を大小さまざまに発して涙を流し、全身を忙しくも奇妙に動かして感激のエモーションを放射している。少しは落ち着きなさい(笑)
全身で感激を表す彼女の姿を御覧に入れよう。

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握手をした彼女の手は、雨に打たれたみたいに汗でぐっしょりしていた。そんなに感激してもらえるなんて、はるばるNYまで来た甲斐があったよ、お嬢さん。

タクシーでジャパニーズレストランへ移動。その名も「ROPPONGI」。

roppongi.jpg 

私は東京にいても滅多なことでは六本木などという場所には出向かないというのに、海を越えてわざわざ六本木に来るとは冗談のようだ。
その名の通り、まことに六本木に相応しく、この界隈はガイジンばかりが歩いている。
媒体取材とトークイベントで疲れた喉とむくんだ舌を癒すべく、冷えたビールを流し込む。ニューヨークの六本木で呷るキリンビールとつまみの枝豆は格別である。
ああ、美味い。

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