2008年11月27日(木曜日)

『千年女優』の舞台はきっと面白い



トップページでも案内しているが、『千年女優』が舞台化される。
今日、27日木曜日は大阪で制作発表があり、私も参加する予定。
邪魔にならないようにしよう。

制作発表に先立ち、先日日曜日、舞台版『千年女優』の作・演出である末満健一氏と劇団「TAKE IT EASY!」のプロデューサーである水口美佳さんがマッドハウスに来社され、舞台化について色々とお話を伺った。
水口さんとはすでに神戸で一度お会いしていたが、末満さんとは初めて。
「お会いした」のは初めてであるが、私は過去に何度も見たことがあった。ステージの上の末満さんを。
彼は、私がかつて多くの刺激を受けた劇団「惑星ピスタチオ」のメンバーであった。

『千年女優』の「元ネタ」、その一つは「惑星ピスタチオ」の『ナイフ』である。
私が見たのはその再演だったが、その衝撃は私の中で現在も光を放って衰えることはない。
そのくらい私には印象的な舞台であり、物語だった。映画にしたいくらいだったが、見たのはちょうど『千年女優』のシナリオにかかっていた頃だった。確か、同公演中3回ほど足を運んだ記憶がある。
『ナイフ』は、同じ形の小さなエピソードが繰り返され、そして全体もその相似形になっている。私は『ナイフ』にフラクタル構造を感じ、それは『千年女優』の全体の構成を考える上で大きな参考になった。それが『千年女優』の冒頭でSEのように流れる平沢さんの、正確には「旬」名義での「フラクタル」をモチーフとした楽曲使用につながった。
因果は味なまねをしてくれる。

『千年女優』に大きな影響を与えてくれた「惑星ピスタチオ」、そのメンバーだった末満さんが『千年女優』舞台化の作・演出を担当してくださるというのだから、これぞ正しく『千年女優』に相応しい因果である。
「作・演出 末満健一」の名前を見た時の私の驚きと喜びはまことに大きかった。
実をいえば、『千年女優』のコンテビデオには、既成の曲からイメージに近いものを当てていたのだが(仮の音声も収録されている)、重要なシーンには『ナイフ』のサントラからも曲を借りていた。
というような話をのっけからしたところ、「妙なところ」を踏んだらしい。
急に話がディープなところに潜りそうだったので、一旦回避され、この話題は大きく迂回して後の酒席に因果のようにつながることになった。
話題は内緒。

そんな話に始まり、演出家とプロデューサーから『千年女優』舞台化のイメージを伺う。
何しろ、時代と空間を行き来する法螺話である。しかも劇団員はたったの5人で女性ばかり。そしておそらく予算は大変苦しい台所事情と推察される。
『千年女優』を具体化する上で、およそ困難な条件ばかりが想像されるが、しかし映画の『千年女優』だってその状況に大差はなかったのだから(笑)、むしろそうした制限はたいへん『千年女優』に相応しいであろうし、制限から生まれるある種「無理矢理なアイディア」こそが何より『千年女優』的であると思われる。
「制限があるからこそ生まれるアイディア」、末満さんもそれを楽しんでおられる様子。
衣裳はどうするのだろう?まともに考えると100着とか必要になるというが……。
「それはですね……」
おお、なるほど、私もその方が好みだ。
セットはどうするんですか?
「それは……」
おお、それは素敵なイメージではありませんか。
どうするのかは見てのお楽しみ。

しかし、それにしても役者5人というの制限が難題である。
女優一人あたり200年という計算になる。二百年女優。さぞや大きな負担だろう。
映画に登場する人物で欠けるキャラクターはないそうだが、だとしたらけっこうな数の登場人物である。どうするんだろう?
「それは……」
おおおお!なるほど、それは面白い!
わずか5人で『千年女優』に登場する人々すべてを演じる以上、場合によっては「千代子が足りなくなる」という笑うに笑えない事態が出来しうる。
そこで、末満さんが『千年女優』舞台化にあたって、諸条件を現実的に考慮して考えに考えた結果行き着いたのが、この「かなり特殊なキャスティング」の仕方だという。
構成が厄介な『千年女優』をさらに複雑にするキャスティングで見せるという、その発想そのものが好ましくも頼もしい。
時に複雑な問題はさらに複雑化することによって前景化した問題を後退させる。私も絵を描いていて時折使う手口だ。
それがいかなるキャスティングなのか、これも見てのお楽しみ。

舞台版の稽古はすでに始まっているそうだ。
「千代子の人物像がまだ分からないですねぇ……」とのこと。
どこかで聞いた覚えのある言葉だ。『妄想代理人』アフレコ初日に能登麻美子さんが口にしていたのとまったく同じである。
「ああ、それは……」
『千年女優』制作当時の資料を引っ張り出して机の上に並べ、あれこれ話をしていると、私も当時のことを少しずつ思い出してもくる。
演出の足しになるのか分からないが、私が千代子や『千年女優』に抱いていたイメージをあれこれ素直に申し上げる。
「千代子を分かっちゃいけません(笑)」
これはあくまで私が千代子を演出するうえでの考え方だ。
「千代子っていうのは、ひどい言い方をするとある意味「空っぽ」でして、「こう思うからこのように行動する」といった理路を理解できる人ではなくて、「反応の人」なんじゃないかと思っていました。「反応の人」というのは……」
などと、好き勝手にお話しさせてもらった。スタッフや役者さんの邪魔にならなければよいのだが。
原作や監督の言葉など気にせず、私の知らない千代子や『千年女優』を見せてもらえればこれに勝る喜びはない。
もっとも、その心配は全然ない。
末満さんの舞台版『千年女優』解釈は、ある意味映画版と「対」になる一方のようであり、それだけでも期待は大きくなってくる。

演出イメージをもっともっと聞いてみたいと思う反面、イメージを先に聞いてしまうと舞台を見るときの印象に影響を与えてしまい、勿体ないという気もしてくるが、実に面白そうなのである。
初演の日が益々楽しみになってきた。ワクワク。

おっと、その前に制作発表だ。

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