2009年5月31日(日曜日)

勉強しますか?



「アニメーター実態調査」の項目はまだ続く。
「技術向上方法」は複数回答による。

プロのための講習や勉強会があること 299
技能を研修できる機会や場所が確保・保障されていること 303
職種をこえた専門家同士の交流会や親睦会が開催されること 196
受講料補助など、学習費用の負担が軽減されること 87
他の分野を含めた芸術・芸能を安い費用で鑑賞する機会が提供されること 272
勉強会、参考文献などの情報を、webまたはメールで得られること 151
その他 164

○その他意見
・上手いアニメーターといっしょに仕事をすること。
・クロッキーなど仕事以外の絵を描くこと。
・撮影など他部門の体験、勉強をすること。
・会社がきちんと育成のシステムを持つこと。
・業界の先輩による講習会があること。
・会社の枠を越えて、同業者との交流があること。
・仕事をしている限り向上心を忘れないこと。

回答を見る限り、アニメーターや演出がすでに実行している技術向上方法というより、大半は「あったらいいな」「出来たらいいな」という希望らしい。
勉強する機会があればそりゃ便利だろうが、他人に機会を用意してもらうことより、いま目の前の仕事から学習することを考えた方がよほど実りがあると思う。
「仕事が同時に練習」となるのがもっとも効率がよいに決まっている。
少なくとも私は昔からこう思っていた。
「練習はお金をもらってするものだ」
批判もある言いぐさだろうが、仕事は同時に先々のための訓練でもある、という在り方をかっこつけて表したに過ぎない。

仕事を同時に練習の機会にする、というのはしかし言うほど簡単ではない。
誰だってそうしたい、あるいはそうしているつもりでも実際には仕事が学びの場として機能していないケースがほとんどのように見受けられる。
多くのアニメの画面がその証拠である。
「おい、何年この仕事やってんだ?」
そう思う機会には全然困らない。いや、困りたいんですけど。

以下、話は長くなる。
おそらく問題なのは「いま目の前の仕事から学ぶための学び方」を知らない人が大半だからであろう。
ま、「学び方を学ぶ」には一人では難しいだろうから、手ほどきを受ける必要があるし、そうした機会は是非実現されるべきだとは思うが、一方ではこうも思う。
「どうせ人のいうことなんか聞かないくせに」
消費者世代の「オレ様」ばかりが目につくのは気のせいではあるまい。
自分もその先駆けみたいなところが多分にあるので、想像はしやすい。
要するにこういう問題なのである。
「何を学ぶのかは私が決める」
これでは基本的に上手くなるわけがない。
だって、これだと「私」の範囲を一歩も出ていないのだから。
自分の知らないことを学んで身につけることが成長と呼ばれるものだろうし、ということは成長後の姿は現在の自分からは想像外にあるということになる。

知らないことを身につけたら、ものの考え方も当然変わるわけで、それは現在の自分とは別のものになるということだろう。
それを拒否して現在の自分にとって都合のいい成長なんてものはない。
金銭や時間という「対価」を払えば、自分の望むものが手に入るという単純な思考が根っから刷り込まれているのが消費者世代の「オレ様」たちである。彼らが悪いわけではない。そういう風に育てられたんだし。
とはいえ、自分を疑う習慣を持たない人は上手くなるのは難しいと思われるのだが。

「上手いアニメーターといっしょに仕事をすること」は確かに技術に向上につながりやすい機会だと思うが、その上手いアニメーターの何をどう見るのかを心得ている人はわずかだろう。
そりゃそうだ。下手な人は何が上手いのかもよく分かってないんだから。
せいぜいが「上手い人の上手な仕事を生で見られたこと」「上手い人といっしょに仕事をしたことそのもの」への満足感が得られたり自尊心がくすぐられたりする程度で、なぜその人が上手くなったのか、その物の見方や学び方そのものに考えがいたる人は数少ないはずだ。
その率は「業界で有能なアニメーターの率」に一致するに違いない。
だから「上手いアニメーターといっしょに仕事をすること」で必ずしも上手くなるわけではないし、上手くなる人間は一人で仕事をしていたって十分に上手くなるものだ。
だいたい絵の下手な人を見ていると、努力が足りないというより努力の仕方を知らないケースがほとんどに見受けられる。
無駄に絵を1000枚描いても上手くなるわけがない。

現場でのスタッフとのやりとり、専門学校での講師、武蔵野美大の映像学科でゼミを担当して実感したことだが、「映像のリテラシー」が極端に低い人が多いし、映像には「文法」というものが「ある」ことすら知らない人が大半である。
大学ですらそうしたことを教えていないようなので、これは驚きだ!……って、今さら改めて驚くことでもないけれど。
素人ならば、映像を見る能力が低かろうがそれぞれのお好みで消費すればよいが、しかし作り手や作り手を志すものが、見る能力はおろか映像の文法をほとんど知らないのはあまりに問題ではないのか。
「イマジナリーライン」だけ知ってればいいってもんじゃないんだよ(笑)
私は少なくとも制作現場で「イマジナリーラインが……」などと冗談以外で訳知り顔に口にする人間がいたら、まず「盆暗」だと疑う。
コンテ・演出を担当する立場として、何より困るのは制作は無論のこと、大半のアニメーター、演出共にコンテの読み方もよく分かっていないようで、カット単位でしかものを考えてくれないことだ。ましてそれが「正しいこと」だと思っている節さえ見受けられる。
冗談じゃないよ、まったく。
映像を作ってるんだろ?
単にカットをつなげれば映像になる訳じゃあないだろうに。

さらにアニメーター(演出も含まれるが)の教育には決定的に欠けているものがある。教育や育成の構造的な欠陥といってもいい。
それはつまりこういうこと。
「芝居や演技については一切学んでいない」
アニメーター教育というと大半は絵の問題であり、動きについても「運動の再現」しか問題とされていない。
おい、絵で芝居をするんじゃないのか?
運動の再現が出来なければ芝居や演技も覚束ないのは勿論だが、しかし、芝居をすること、演技をすることが一体どういうものなのかを教えられたことがあるという話は聞いたことがない。
私が出会った業界人でも、運動の再現やタイミングを熱心に語った人は数多いが、芝居の話をしたのはほんのごくごくわずかな数である。

技術向上の具体的な方法よりも、「何がアニメーションに必要な技術なのか?」という根本的な問題から始めた方がいいのではなかろうか。

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