2009年6月1日(月曜日)

判子押しますか?



アニメ業界における契約がどうなっているのかについて。
「契約締結状況」は以下のような割合だ。

必ず契約書を取り交わしている 7.8%
時々取り交わしている 13.3%
まったく取り交わしていない 47.2%
取り交わす必要がない 31.7%

契約書がある方が珍しい。
私も著作権関連以外で契約書に判子を押したことはない。
では、その珍しい契約についての希望はどうなっているかというと、こんな具合。

基本的には取り交わしたいと思う 28.4%
取り交わしたい仕事もある 30.3%
よく分からない 35.2%
取り交わしたくない 6.1%

潜在的には、契約書締結の希望は高いとみていいだろう。
職種別の契約締結希望という数字も出ているが、すべて紹介すると煩瑣になるので、傾向を紹介するに留める。
絵コンテ、監督、演出、総作画監督、作画監督、原画、動画いずれも、「基本的には取り交わしたいと思う」「取り交わしたい仕事もある」の合計が50%以上となっている。
とりわけ絵コンテ、監督、演出、総作画監督でその割合が高く、75%以上
作業の守備範囲があいまいな部署ほど契約書を希望する傾向が特に高くなるということだろう。
その気持ちは私もよく分かる。
黙って聞いてりゃあどんどん仕事を押し付けられたり、抱え込まざるを得なくなったりするものだ。挙げ句にその分の遅れた責任まで押しつけられる、そんなスパイラルなんて冗談じゃない。
よくあることだ。でもよくないことだ。

契約書を締結しない理由についてはこんな回答が上がっている。

契約書の内容がアニメーターに不利だから【回答数:5】
・固定契約になると際限なく仕事を押し付けられる。
・人のせいでスケジュールが遅れた責任まで負うことになるのではないか。
・一方的な内容だから。

契約書に関する知識がない【回答数:3】
・書面にする理由がない。

契約書を守る自信がないから【回答数:5】
・納期を守った事がほぼない。
・契約にしばられたくない。

めんどうだから【回答数:6】
・書類が管理出来ない。

その他【回答数:5】
・信頼性の問題なので、契約書を取り交わす必要はない。

「めんどうだから」「書類が管理出来ない」という記述に目が引かれる。
私は大きく同意する。
机の上の仕事だって覚束ないのに、机の外の関して私は無能だ。
月々の請求書を書くのだって面倒くさいと思うほどだもの。

作家の日垣 隆は仕事というものを簡潔にこう定義していた。
「発注と納期のあるもの」
なるほどそうだ。
その発注についても納期についても、業界では問題が山積している。
「納期を守った事がほぼない」という意見はなかなか豪快だが、しかし珍しいものとは思えない。
ごく短期的な仕事や作業ならともかく、私も長期的な納期を守れたことなんてほとんどないのではないかと思う。
「来年の春」アップの予定が「夏」までずれこむとか。
しかし、監督だけにその責任を押し付けられていいものではない。
監督は作る内容に関して責任を負わなくてはならないが、制作の仕方についてはその面の責任者がいるのである。プロデューサーという立派な肩書きの社員とかね。
仕事が遅れる理由は様々だが、個人の努力だけで締め切りを守れるわけはないというところに、契約がクリアに成り立たない事情がある。
「人のせいでスケジュールが遅れた責任まで負うことになるのではないか」
その通りである。

たとえば原画マンの場合、一ヶ月後に原画アップという条件で30カットの仕事を受けたとする。無論、設定や資料が揃っているという条件で、だ。
まずはレイアウトを描く。上がったレイアウトは制作を経由して演出と作監に渡されてチェックされ、原画マンに戻ってくる。
この「戻し」が非常識に遅れた場合、原画に充てられる時間も非常識に減少するので、結果的に納期を守れないことになる。
この遅れは原画マンのせいとは言えない。
しかも、レイアウトの戻しが大きく遅れると原画マンは忙しいにもかかわらず「手空き」の状態を余儀なくされる。単価仕事なのに。よく聞く話だ。
だから仕事のかけもちによって手空きのための保険をかけざるを得なくなる。
「かけもちされて困る」という話もよく聞くが、そうせざるを得なくさせている人がそれを口にしている場合も多い。

では、この例を演出や作監の立場から考えてみる。
原画マンが演出や作画上必要なことをこなしてくれていれば、演出のチェックは簡単に済むし、作監もキャラの修正を乗せて返せば済むだけなので、大きく遅れることはない。
しかし、原画マンが未熟な場合(多分大半がそうだ)、演出が具体的な指示をこまめに入れねばならないし、作監への要求も大きくなる。受け取った作監は、キャラの修正を乗せるだけでなく、演出の要求に応えて描くべき絵が増えるし、場合によってはキャラをすべて描き直すことにもなるし、レイアウトすべてを全修正することだってある。ラフ原画まで描くことだって珍しくあるまい。
知り合いのアニメーターは某作品で総作監を担当している際、監督の指示によって度々原画の描き直しまでさせられたと言っていた。
こうした遅れをしかし演出と作監だけのせいにもできない。
使えない原画マンを連れてきた制作にも応分の責任は負っていただくのが筋というものである。
「だって、(有能な)人がいないんで……」
人材を確保できないのは監督や担当演出、作監の責任ではない。

制作のエラーといえることは数多い。
そして、契約書はその制作が所属する制作会社と交わすものだ。
制作側のエラーや怠慢が絵描きの方に加算されては叶わない。だから、もし細かな契約書を結ぶのであれば、フリーランスの立場を守るために記述は膨大にならざるを得ない。
たとえば、一ヶ月後に締め切りのある絵コンテを引き受けたとしよう。
その納期を守るためには受注する時点で、直す必要のないシナリオ、サブに至るまでキャラクターの設定が用意され、あらゆる小物や美術の設定など、絵コンテに必要と思われるすべての条件が整っていない限り、私なら怖くて契約なんて結べない。
絵コンテという仕事の契約である以上、絵コンテ以外の仕事(シナリオとして必要な修正、小物や美術の設定などの創作行為)がそこに含まれてはならないし、それはまた別のオプションとして契約が必要になる。

だが、上記のような条件が揃ってコンテを引き受けることなど稀有だろう。
「設定(あるいは資料など)は追っかけお渡ししますので……」
制作側のかような言葉に後々泣かされたり、激怒する羽目になった人は数知れまい(制作側も同様な絵描きの言葉に憤りを覚えていることだろうが)。
アニメーターでも演出家でも「渡されるはずのもの」がちっともやってこないなんて経験はいくらでもあるはずだ。
契約書において絵描き側の納期を設定し、ことによってはペナルティも設定されるとしたら、制作側の仕事についても詳細に条件を設定しなければ不公平の極みである。
だが、そんな予測されうるエラーをすべて盛り込むことなど可能だろうか。
ま、どうせ契約書を用意するのは制作側なのだろうから、どちらに都合のいい内容になるかははっきりしている。

それとも、一々「契約」するか。
これなら制作のエラーに起因する被害を少しは軽減できるかもしれない。
「コンテ用紙を持ってきてください」
「はい」
「ちょっと待って。この契約書にサインを」
そこにはこう書かれている。
「制作進行(以下、甲)は、コンテ担当(以下、乙)の発注に基づき、10分以内に乙の元に絵コンテ用紙を届けること。納期が守られない場合……」
面倒くさいっちゅうの。
ことがコンテ用紙ならたいしたことはない問題だが、これが資料や設定が来ないとなると作業は止まる。
その遅れは誰が責任を持ってくれるのだろう。
使えない原画を一から直す演出や作監はどのような契約下なら身を守れるというのだろう。
原作を作り、脚本を書き、キャラクターデザインもすれば絵コンテで美術設定まで考え、レイアウトや原画もシートも直し、ハーモニーの処理までこなし、時には背景も直し、撮出しだってする監督は広辞苑何冊ほどに当たる厚さの契約書が必要になるのだろう。
契約書を読んでいるうちにスケジュールが遅れそうな気がする。

仕事の遅れに泣かされるのは絵描きも制作もお互い様だから、双方にとっていい形で契約書が導入されればそれに越したことはない。
しかし、「契約書に関する知識がない」上に「契約書の内容がアニメーターに不利」では、もし契約書の導入が迂闊に一般化すれば、アニメーターや演出にとってこれまで以上に過酷な状況を導くことになる。
くわばらくわばら。

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