2010年2月19日(金曜日)

奇妙な偏り・その2



先日、こんな依頼を賜った。
パリで開かれる映画祭で今 敏監督作のレトロスペクティブ上映をするから招待したいという。たいへん光栄なことである。
昨日は、チェコからもご招待を賜った。
こういうお話は時期に関係なく時折いただく。去年もスイスのロカルノ映画祭から招待をいただいた。
こうしたご招待はたいへん嬉しいのだが、たいていの場合こういうことになる。
「いやぁ……行きたいのは山々なんですが、いまそれどころじゃないんです(泣)」
心底ありがたいと思うのだが、しかしレトロスペクティブには気が早いのではないか。
と思いつつも何だか「自分のやって来たことをちゃんと確認しなさい」という意味で先の台湾からのインタビューとも通じるな、という妄想を膨らませたりするのである。
以前当ブログで紹介した『SATOSHI KON−THE ILLUSIONIST−』という本も、ある意味レトロスペクティブみたいなものだ。
「過去を振り返って、未来を考えよ」
そう言われているような気がしてくる。

「過去」という意味では、学生と接していると自ずと自分の学生時代という過去と比較してしまうことが多いので、色々な面で再確認させられて面白い。
武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科の落ちこぼれだった学生が、まがりなりにも「講師」や「監督」という枕詞がつくようになるとは思ってもみなかった。
講師や監督という役職がたいそうなものとは思わないが、いくらか人様からも必要とされる能力を身につけたというわずかな証かもしれない。
最初に「監督」の仕事に就いたのが、33歳だったろうか。大学卒業後約10年。
卒業した頃には全ッ然想像もしていなかった事態だ。卒業したときは売れない漫画家だったし。アニメーションの仕事に縁なんかなかったし。
現在は大学を卒業して四半世紀ほど経ったが、25年後はおろか10年後の状態だって予測もつかなければ想像もつかないものである。
学生と接しているとよくそんなことを考える。
「どうなるかなんて分からないものだよ、本当に」
「いまから10年前、小学生だった頃に武蔵野美大に入る予定なんてなかったでしょ?」
「知らないものに出合うから面白いわけでしょ?」
と、学生には色々な形でそのようなことを伝えるのだが、そう思えるのは経験のなせる技みたいなもので、当の学生はこう思っているのだろう。
「将来どうなるかを少しでも知りたい」
知ると、つまらないぞ。

先月、同じ時期に学生さんが主体となったイベント二つからゲスト出演を依頼された。
それぞれは別に変わった内容でもないのだが、同じ時期に似た感触の依頼が舞い込むというのも不思議な感じがして、両者の態度がまた対照的だったことも何か示唆的な気がした。でも、どちらの女子学生さんもとても物わかりのよいスマートな方だったようで、結果的にはこう思えた。
「世の中そう悪くないね」
巷間よくいわれる話で恐縮だが、特に学生に接していると女性の動きが活発なことが目に付く気がする。自分が学生当時には現役のクリエーターに働きかけるようなアクティブな行為はきっと出来なかったろうな、としみじみ思う。
私はアパートに引きこもっているのが好きだったし。
現代の女性を見ていると活発な上に、何というか男性に比べて「怖いもの知らず」という印象を受ける。逞しいと言うべきか。
さっき、たまたま読んでいた本の中で、養老孟司先生がこんなことを仰っていた。
「かつて男らしいとか女らしいとかいうことを封建的だって全否定したでしょう。それが間違いでね。僕、いつも皮肉で言うんですけど、放っておいたら女の子は元気で活発なお嬢ちゃんに、男の子はおとなしくてよく言うことを聞くいい子ちゃんになっちゃう。だから、教育で男は男らしくってケツを叩いて、女の子はおしとやかに、おしとやかにって頭を押さえるんでしょ? って。そうじゃなきゃ、教育の意味がないでしょう」(『男女の怪』養老孟司・阿川佐和子/だいわ文庫)
なるほど、その通りかもしれない。
私の子供時分はまだ「男のらしく」がいくらかは生きていた。良かったと思う。

さて、いずれも活発と思われる女子学生からの御依頼。この一方に対して返信を書いていて、自分がそんな風に思っていたのかといくつかの点で気づかされた。
まず依頼内容はこういうものである。
「学生のアニメーション作品を集めた学生主催運営によるイベントで作品審査をお願いしたい。イベント出演は3時間半程度。それとは別に事前審査もあり。トークセッションも行う予定。他のゲストは約3名。交通費のみでギャラは無し」
あなたならどう思うだろう?

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