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なし Re: おめでとうございます

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2008/3/24 2:06
s-kon  管理人 居住地: 東京  投稿数: 100
続きです。

先の質問を例に取り、具体的に考えてみましょう。
たとえば「2」。

「2、漫画家になったきっかけと、映画監督になったきっかけをお聞かせください。」

A:特にきっかけはありません。

下手をすると答えはこれで終わってしまいますよ(笑)
まず「漫画家」や「映画監督」などになるには「きっかけ」が必要なものである、という前提で考えているようですが、そういう劇的なものがそうそうあるわけでもないと思います。
もう少し相手を見た方がいいでしょう。
他の方がこうした質問にどう答えるのかは分かりませんが、少なくとも私の場合、明確なきっかけは特にありませんし、インタビューでもそう答えているはずです。
「私は監督に関する本を読んでいるので、知っている」ということですから、これは一工夫しなければいけないところ。
たとえば「漫画家や映画監督になるにあたって、特に明確なきっかけはないと仰っていますが……」などと前置きした上で、もう一段突っ込んだ質問を用意するべきでしょう。
「読んでいない人へあらためて言葉で説明」するというと聞こえはよいですが、「幅のありすぎる」質問は答えの要点を絞る努力をインタビュイーがしなくてはならないのです。これが負担の最たるものです。
その媒体や記事がどういう人たちに向けたものなのか、その取材が何を指向し、どういった答えを必要としているのか、もう少し絞ってもらわないと答えにくい。
本来、編集者やライターが考えなくてはならない部分をインタビュイーに考えさせるのは怠慢以外の何物でもないでしょう?
そういう人を世間ではこういっても良いことになっています。
「ギャラ泥棒」

もしこれが文書による取材ではなく、対面取材なら口頭で質問の意図を探ったり、狙いを絞ってゆくことも可能ですが、メールインタビューなど即時の応答が難しい場合、二段三段構えの質問にしておいた方が良いのではないかと思います。
たとえばこれはイギリスのガーディアン紙からの質問(「Interview 22」)。

「アニメーションの仕事に就いたきっかけは何でしたか。元々は漫画家として活躍していたそうですが、漫画からアニメへと自然に移行したのでしょうか。」

質問の狙いが同じではないでしょうから、単純な比較は出来ませんが、それでもこの質問の方がはるかに狙いが絞られていて答えやすいということはお分かりいただけるでしょう。
「自然に移行したのでしょうか」というのがポイントですよね。
言外に「異業種に移行するには少なくない障害があると思うのですが……?」といったニュアンスがあるから、まずそこから話を始められる。答えのきっかけを捕まえやすい質問です。
それに「元々は漫画家として活躍していたそうですが」という一言によって、こちらに対する相手の理解度を少し計ることも出来ます。
こちらに対する知識や下調べのある人に答える方が、そうでない人に答えるよりこちらだって親切になるものです。
他ならぬ当ウェブサイト開設・運営でたいへん世話になっている友人のライターから、随分前にこんな話を聞いてえらく感心した覚えがあります。
インタビューの仕事が多い彼は、取材対象者にこんなことをまず聞くのだそうです。
「このインタビューは何本目ですか?」
つまり、相手はある事柄(新曲や新譜のリリース、映画出演など取材する件)に関してそれまでに何回くらい同じ言葉を繰り返してきたのでしょうか、といった思いやりです。結果的に同じことを聞かざるを得ないとしても、そうした配慮があるかないかで、答える方の意識も変わってくるものです。
「これまで散々同じ質問をされたと思うのですが……」
「ええ。だから聞かなくてもいいでしょ」
たまに私はそういうことも口にしますけどね(笑)

同じインタビューからもう一つ。

「「責任」というテーマを良く使われるようですね。『PERFECT BLUE』では、未麻は自立して女優になると決意しますし、『パプリカ』では、人間はテクノロジーの悪影響に対して責任を持たなければいけないというメッセージがありますし、『妄想代理人』では、少年バットが人々を義務から「解放」してあげます。今監督の作品は「責任」について、どういうことを伝えているのでしょうか。もしかしたら、日本人の中で繁栄しているオタクライフは時々無責任な逃亡だと示唆しているのでしょうか。」

きちんと映画を見た上での質問なので、こちらも応分のサービスをしたくなるというものです。
「どういうことを伝えているのでしょうか」という質問には大きな幅があるとは思いますが、「もしかしたら」以後に続く具体的な記述によって、どういう方向で答えればいいのか想像がつきやすくなっていますよね。

もしかしたら質問者がこうした「予断」を持つことに否定的な考えもあるかもしれませんが、私はインタビューアーが「(とりあえず)何を知りたいのか」が分かった方がいい。
とりあえず、と断ったのは、結果的に知りたかったことが変わっても良いからです。要するに話の「きっかけ」が欲しい。
私は別に「言いたいこと」なんて特にないから、具体的に聞いてもらった方が余計な頭を使わなくて済みます。一日に複数の取材が重なっているときは、こちらのサービスの「残量」だって少なくなりますので(笑)
きっかけは何であってもいいとまでは言いませんが、最終的にそこから話題がずれたとしても、それで面白い「場」が生まれれば双方にとって有益です。
ある事柄について「すべて」を語るなんてことは不可能です。本人だってろくに把握してないのですから。
それについてどういう切り口で聞くのか、つまり「すべて」のうちどの「部分」を知りたいのかが分からないことには答えようがないのです。どの「部分」になるのかは先にも触れたとおりコントロールできるわけではなく、質問と答えの応答によってお互いにいまだ未知なものを探り合うようなものです。
その一回性の「場」が面白い。
だからこそ、インタビューアーの質問の在り方は、「すべて」のうちのどこに光を当てるのかということであり、それは一つの創造、表現なのです。
インタビュイーにとっても、それまでにない光の当てられ方なら知的好奇心も湧くものですし、話も楽しくなる。
そんな質問なら答えているうちにこんな風に思えてくる。
「そうか、私はそんなことも考えていたのかもしれない」
相手を楽しくさせることも考えると、自分にしか聞き得なかったことにも出合う可能性も高くなるし、その方が自分も楽しい。
どうせなら、お互い楽しい方がいいでしょう?
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