Re: おめでとうございます
s-kon
居住地: 東京
投稿数: 100
さらに続きです。
長くなりましたが、「5」の質問にお答えします。
これについてはインタビューという形では記していないので。
5、「十年の土産」展覧会を主催した目的と展覧会を終えて感じたことをお聞かせください。
これもね、「何かをするにあたっては目的があるに決まっている」という素朴な思い込みが困るんですよね(笑)
私は随分「そういうものではない」ということを折に触れて申し上げている筈なんですけど。
真面目な答えは以下。
あらかじめ「目的」が用意されていたわけではないのです。
世の中のすべてのことが「目的」「方法」「結果」という分かりやすい順序や、学校などで教わるような段取りで構成されているわけではありません。
あえて目的らしいものを上げるとすればこういうことです。
「打ち上げをしたい」
打ち上げ、というのは仕事が終わった後などに行う「打ち上げパーティ」のことです。
打ち上げる以上、「何か」をしないことにはいけない。
その「何か」として、「展覧会」を企画しました。冗談ではありません。
ふざけているように思われるかもしれませんが、初発の動機は「打ち上げ」なのです。
仲間と一緒に打ち上げで美味しいシャンパンを飲みたい。
脳裏に浮かんだそのイメージに向かって企画を立ち上げたのです。
もちろん、「展覧会」を選択するだけの背景はありました。
家内がイラストレーターでもあり、グループ展に参加することがある。その展覧会を見に行った折にこう感じました。
「楽しそうだな」
私はアニメーション監督として機能しておりますが、自分が監督した映画の版権イラストも自ら描きます。何しろ私は絵を描いて食っていきたい、という単純な駆動力で漫画家になり、その後、色々な縁に導かれて現在の位置にいます。
だから、「絵」だけを見せる展覧会には多少の憧れもありました。
「打ち上げをしたい」という動機が「展覧会」という「器」に結びついた。
しかし、ただ絵を見せればいいというものではない。どの絵を選択して展示するのか、可能性は無限に近いくらいあることでしょう。
たとえば、「新作に限る」であるとか(可能性としては低すぎるでしょうが)、「アニメーション制作のプロセス(コンテやレイアウト、原画、美術設定など)」を展示するということも考えられましたし、あるいは「絵で見る今 敏の人生(学生時代の絵などを含む)」といった切り口も考えられる。
基本的には、これまで私が制作を引き受けた版権イラストを中心とした展示とは考えていましたが、「+α」も考えられる。
監督作以前のアニメーションの仕事(美術設定やレイアウトなど)や漫画の仕事、その一部を紹介することも考えていました。
しかし、今回はたまたま『パーフェクトブルー』リニューアル版DVD発売が控えていたので、その宣伝も兼ねることにして、発売時期と展覧会開催の時期を合わせることにした。
その時期がちょうど『パーフェクトブルー』劇場公開からちょうど10年にあたる、ということもあって浮かんできたコンセプトが、「十年の土産」です。
だからセレクトする絵もこの「十年」に限ることにした。
十年間の仕事を見せたいから考えた展覧会ではなく、順序としては準備しているうちに生まれたコンセプトであり、それが「途中から」目的になったのです。
方法を決めてから目的を考えることだってあるのです。私の場合、その方が多いといったほうがいいかもしれない。
「十年の土産」というタイトルは打ち合わせ中、不意に浮かんだものです。
最初は「十年土産」としていたのですが、発想と響きが子どもっぽい気がしたので、あえて「の」を入れて普通にしてみました。
自分が発した言葉によってイメージはさらに喚起されるもので、このタイトルによって展覧会のイメージや意図はさらに固まってきました。
展覧会の際には発表しませんでしたが、「十年の土産」の解説のために書いた「能書き」がありますので紹介しましょう。
------------------------------------
「能書き」
時々、昔自分が描いた絵を眺めていると、何だかかつての仕事に励まされているような気分になることがある。
「自画自賛していれば世話がない」
まあ、そう仰らず。
別に自画自賛しているわけではない。ただ励まされる気がする、というだけである。
昔の絵を見て心底上手いと思うようになっては、作り手としてはクライシスであろうが、私はそんな危機的状況に陥るほどの技術も能力もない。
むしろ不思議な思いにとらわれるといった方が正しいのかもしれない。
昔描いた絵を見ていると、こんな気分になるのだ。
「本当に私が描いたのか?」
あるいはこんな。
「どうやって描いたんだ?」
本当の話。
自分が描いたものでありながら、私はそれをどうやって描いたのか、どうしてそんな絵を思いついたのか、本当に分からない。
このギャラリーに集められた絵は、すべて私の手によるものか、私が責任を引き受けて制作したものばかりである。どれも右手がよく覚えている。
私がよく知っているものばかりなのに、眺めていると私には分からない「どこか」から届けられたもののように思えてくる。
どこから?
それは私が深く関わった「映画」そのものからに他ならない。
だから私はこう思う。
ここに集った絵の数々は、「十年の土産」なのである、と。
------------------------------------
文中にもあるとおり「自分が描いたものでありながら、私はそれをどうやって描いたのか、どうしてそんな絵を思いついたのか、本当に分からない」ものなのです。これは監督した映画やその他すべてのことに対しても言えることです。
分からないから、それを実践してみることで自分が何を考えていたのかを知るものなのです。
すでに分かっていることを表現するわけではありません。表現によってそれを知るのです。
だから「十年の土産」も同じことです。
開催してみて分かったことばかりです。
十年間にしてきた自分の仕事を「絵」という切り口で見返したかったのか、というのもその一つ。
どの絵も思い出深いですし、改めて見直して自画自賛する部分もありました。
「真面目に仕事をしておるわい」
絵が上手いのか、魅力的なものなのかは他人が決めることですが、自分の好みの「空間」を表すべく、どの絵も懸命に格闘している姿は少しくらい褒めてやってもいいかな、とも思いました。
十年間の変化も面白いもので、明らかに絵の好みは以前より華やかになってきたようですし、色の好みも派手な方へシフトしていることも分かりました。
これは『パプリカ』の影響が大きいように思える。ではその『パプリカ』につながるステップボードとなったのは前作『妄想代理人』で、そこにつながるのは『東京ゴッドファーザーズ』で……という具合に、いま現在につながる流れを把握できました。
ということは、この先どういう風に進むと望ましいことになるのかも少し見えてくる。単に過去を振り返ってまとめるだけでは、あまり生産的には思えないので、私が過去を振り返るのは、まだ何か分からない「次」へつなげるためです。
だからきっと、十年の仕事にプラスして次回作の断片をどうしても混ぜたかったのでしょう。
また、開催してみて分かったことの一つにはこんなこともある。
「そうか。私はお客さんの顔が見たかったのだ」
私たちが制作した映画をどういうお客さんが見てくれるのか、それを具体的に把握したかったのかもしれません。でもそれは事後的に認識したことであって、決して開催前には意識化してはいませんでした。
お客さんとの接触はとても楽しいものでしたし、自分の絵や監督した映画がどういう風に見られているのか、どういう影響を及ぼしているのかをお客さんそれぞれの具体例を聞かせてもらうことでその一端に触れることが出来たのは何より嬉しいことでした。
絵をお買い上げいただくのも初めての経験でしたし、物販コーナーで多くのお客さんがその財布を開いて対価を払ってくれる姿を見られたのもたいへん大きな勉強になりました。
私はアルバイトの一つもしたことがないので(絵でしかお金をもらったことがない)、商取引やサービスの「現場」は全く知らないのです。
それが今回、具体的なお客さんの顔が見え、実感できる範囲での金銭の動きを経験したことは貴重な体験でした。
まとめ風にいえば、展覧会を終えた実感こういうことかもしれません。
「何でもやってみるものだな」
今 敏
以上です。
長くなりましたが、「5」の質問にお答えします。
これについてはインタビューという形では記していないので。
5、「十年の土産」展覧会を主催した目的と展覧会を終えて感じたことをお聞かせください。
これもね、「何かをするにあたっては目的があるに決まっている」という素朴な思い込みが困るんですよね(笑)
私は随分「そういうものではない」ということを折に触れて申し上げている筈なんですけど。
真面目な答えは以下。
あらかじめ「目的」が用意されていたわけではないのです。
世の中のすべてのことが「目的」「方法」「結果」という分かりやすい順序や、学校などで教わるような段取りで構成されているわけではありません。
あえて目的らしいものを上げるとすればこういうことです。
「打ち上げをしたい」
打ち上げ、というのは仕事が終わった後などに行う「打ち上げパーティ」のことです。
打ち上げる以上、「何か」をしないことにはいけない。
その「何か」として、「展覧会」を企画しました。冗談ではありません。
ふざけているように思われるかもしれませんが、初発の動機は「打ち上げ」なのです。
仲間と一緒に打ち上げで美味しいシャンパンを飲みたい。
脳裏に浮かんだそのイメージに向かって企画を立ち上げたのです。
もちろん、「展覧会」を選択するだけの背景はありました。
家内がイラストレーターでもあり、グループ展に参加することがある。その展覧会を見に行った折にこう感じました。
「楽しそうだな」
私はアニメーション監督として機能しておりますが、自分が監督した映画の版権イラストも自ら描きます。何しろ私は絵を描いて食っていきたい、という単純な駆動力で漫画家になり、その後、色々な縁に導かれて現在の位置にいます。
だから、「絵」だけを見せる展覧会には多少の憧れもありました。
「打ち上げをしたい」という動機が「展覧会」という「器」に結びついた。
しかし、ただ絵を見せればいいというものではない。どの絵を選択して展示するのか、可能性は無限に近いくらいあることでしょう。
たとえば、「新作に限る」であるとか(可能性としては低すぎるでしょうが)、「アニメーション制作のプロセス(コンテやレイアウト、原画、美術設定など)」を展示するということも考えられましたし、あるいは「絵で見る今 敏の人生(学生時代の絵などを含む)」といった切り口も考えられる。
基本的には、これまで私が制作を引き受けた版権イラストを中心とした展示とは考えていましたが、「+α」も考えられる。
監督作以前のアニメーションの仕事(美術設定やレイアウトなど)や漫画の仕事、その一部を紹介することも考えていました。
しかし、今回はたまたま『パーフェクトブルー』リニューアル版DVD発売が控えていたので、その宣伝も兼ねることにして、発売時期と展覧会開催の時期を合わせることにした。
その時期がちょうど『パーフェクトブルー』劇場公開からちょうど10年にあたる、ということもあって浮かんできたコンセプトが、「十年の土産」です。
だからセレクトする絵もこの「十年」に限ることにした。
十年間の仕事を見せたいから考えた展覧会ではなく、順序としては準備しているうちに生まれたコンセプトであり、それが「途中から」目的になったのです。
方法を決めてから目的を考えることだってあるのです。私の場合、その方が多いといったほうがいいかもしれない。
「十年の土産」というタイトルは打ち合わせ中、不意に浮かんだものです。
最初は「十年土産」としていたのですが、発想と響きが子どもっぽい気がしたので、あえて「の」を入れて普通にしてみました。
自分が発した言葉によってイメージはさらに喚起されるもので、このタイトルによって展覧会のイメージや意図はさらに固まってきました。
展覧会の際には発表しませんでしたが、「十年の土産」の解説のために書いた「能書き」がありますので紹介しましょう。
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「能書き」
時々、昔自分が描いた絵を眺めていると、何だかかつての仕事に励まされているような気分になることがある。
「自画自賛していれば世話がない」
まあ、そう仰らず。
別に自画自賛しているわけではない。ただ励まされる気がする、というだけである。
昔の絵を見て心底上手いと思うようになっては、作り手としてはクライシスであろうが、私はそんな危機的状況に陥るほどの技術も能力もない。
むしろ不思議な思いにとらわれるといった方が正しいのかもしれない。
昔描いた絵を見ていると、こんな気分になるのだ。
「本当に私が描いたのか?」
あるいはこんな。
「どうやって描いたんだ?」
本当の話。
自分が描いたものでありながら、私はそれをどうやって描いたのか、どうしてそんな絵を思いついたのか、本当に分からない。
このギャラリーに集められた絵は、すべて私の手によるものか、私が責任を引き受けて制作したものばかりである。どれも右手がよく覚えている。
私がよく知っているものばかりなのに、眺めていると私には分からない「どこか」から届けられたもののように思えてくる。
どこから?
それは私が深く関わった「映画」そのものからに他ならない。
だから私はこう思う。
ここに集った絵の数々は、「十年の土産」なのである、と。
------------------------------------
文中にもあるとおり「自分が描いたものでありながら、私はそれをどうやって描いたのか、どうしてそんな絵を思いついたのか、本当に分からない」ものなのです。これは監督した映画やその他すべてのことに対しても言えることです。
分からないから、それを実践してみることで自分が何を考えていたのかを知るものなのです。
すでに分かっていることを表現するわけではありません。表現によってそれを知るのです。
だから「十年の土産」も同じことです。
開催してみて分かったことばかりです。
十年間にしてきた自分の仕事を「絵」という切り口で見返したかったのか、というのもその一つ。
どの絵も思い出深いですし、改めて見直して自画自賛する部分もありました。
「真面目に仕事をしておるわい」
絵が上手いのか、魅力的なものなのかは他人が決めることですが、自分の好みの「空間」を表すべく、どの絵も懸命に格闘している姿は少しくらい褒めてやってもいいかな、とも思いました。
十年間の変化も面白いもので、明らかに絵の好みは以前より華やかになってきたようですし、色の好みも派手な方へシフトしていることも分かりました。
これは『パプリカ』の影響が大きいように思える。ではその『パプリカ』につながるステップボードとなったのは前作『妄想代理人』で、そこにつながるのは『東京ゴッドファーザーズ』で……という具合に、いま現在につながる流れを把握できました。
ということは、この先どういう風に進むと望ましいことになるのかも少し見えてくる。単に過去を振り返ってまとめるだけでは、あまり生産的には思えないので、私が過去を振り返るのは、まだ何か分からない「次」へつなげるためです。
だからきっと、十年の仕事にプラスして次回作の断片をどうしても混ぜたかったのでしょう。
また、開催してみて分かったことの一つにはこんなこともある。
「そうか。私はお客さんの顔が見たかったのだ」
私たちが制作した映画をどういうお客さんが見てくれるのか、それを具体的に把握したかったのかもしれません。でもそれは事後的に認識したことであって、決して開催前には意識化してはいませんでした。
お客さんとの接触はとても楽しいものでしたし、自分の絵や監督した映画がどういう風に見られているのか、どういう影響を及ぼしているのかをお客さんそれぞれの具体例を聞かせてもらうことでその一端に触れることが出来たのは何より嬉しいことでした。
絵をお買い上げいただくのも初めての経験でしたし、物販コーナーで多くのお客さんがその財布を開いて対価を払ってくれる姿を見られたのもたいへん大きな勉強になりました。
私はアルバイトの一つもしたことがないので(絵でしかお金をもらったことがない)、商取引やサービスの「現場」は全く知らないのです。
それが今回、具体的なお客さんの顔が見え、実感できる範囲での金銭の動きを経験したことは貴重な体験でした。
まとめ風にいえば、展覧会を終えた実感こういうことかもしれません。
「何でもやってみるものだな」
今 敏
以上です。
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- Re: (眠るグル, 2008/3/17 21:24)
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- おめでとうございます (稲葉みずほ, 2008/3/17 2:14)