1998年6月7日(日曜日)

大掃除・パート1



 だからどうした。
 松田聖子が再婚したからどうだというのだ。
 カズが代表メンバーから外れたからといってどうしたというのだ。判官贔屓も目に余る。
 インドとパキスタンが核実験をしたからといってどうしたというのだ。いやそれは問題だ。やめろよ核は。怖いから。

 「こわい」というのは北海道弁では「疲れた」の意味がある。山登りなどしては山頂にて汗を拭い「いやぁ、こわいこわい」、外出から帰ってきては荷物を下ろししみじみと「こわいねぇ」。知らない人が聞くと何事が出来したかと思われるであろうが、私の愛用する電子辞典「岩波国語辞典第五版」にも「<3>疲れてきつい。へとへとだ。▽東北方言。」という記述がある。

 こわい。こわいんだ、どうも。

 梅雨に入ったせいか。

 北海道に生まれ育ったこの体は、ネイティブの寒冷地仕様ではあるが高温と湿気には極度に弱いらしく、梅雨の時期は行動力思考力共に激減するきらいがある。クロック半減。マルチスレッドな処理などもってのほか。
 毎年6月から7月中旬にかけてはどうにも頭が粘液をかぶったように鈍く重く、そして体はタールのようにだるい。「パーフェクトブルー」が完成して以来どうにも太ったようだし。制作中は62〜3キロに落ちていたこの身の重さが気が付くと70キロ。184センチの身の丈であるから「やせている」ことに変わりないのだが。お腹だけ出てくるのはあまりよろしい形ではない。

 仕事にならん。気持ちでは一生懸命にどの仕事もしたいのではあるが、体は正直者。「口ではそんなことを言っても、ほうら体の方は……ぐへへへ」何だそれは。
 朝、いや昼過ぎくらいに起きてコーヒーを飲みながらパソコンの前に座るともう動く気がしない。あれこれと思う予定や仕事のアイディアは浮かぶものの、乱れ飛ぶそれらのパルスは不意に横切る記憶の断片や表を通る竿だけ屋の売り声にかき乱され、まとまった体をなさぬままに無意識の底に消えていく。サイナラ。

 故にこのような愚にも付かないことを書き始めたりする。同じ愚にも付かないなら、早く「パーフェクトブルー戦記」の続きを書けば良いではないか、という話もあるが、あれはあれで気持ちが入らなければ書けない物なのだ。とにかく考えがまとまらない。

 心の乱れは部屋の乱れ。こんな時は掃除だ。35年近い人生経験から学んだ、セルフコントロールの一つの技法が、掃除。
 遙か高校時代の担任の教師は、美術部の顧問でもあった。「ちねん」というコードネームで呼ばれたその先生は、放課後美術室に入ってきては、居合わせた部員に「描けよぉ」の低音を喰らわし、そしておもむろに箒を手に掃除を始めることがあった。
 「げ、機嫌が悪い」
 一同すぐさまにその気配を感じ取ったものだ。「ちねんの掃除=機嫌が悪い」は定説となったいたが、きっとなにか考え事だのつらいことだの忸怩たる思いや後悔の念などがあったのだろうな。掃除を始めたちねんを後目にさっさと帰ったこともあった私だが、今ならその心境に深く共鳴するよ。

 そんな埃まみれの記憶が頭をよぎるのも何かの不具合のせいなのか。

 よって近頃は部屋の片づけなどに無心な時を過ごしたりしていたのだが、六畳間のメモリを遙かに超えた書籍の類は、随分と処分をしたのだがこれ以上どうにもならぬ。いつかあるかもしれない出番を思うと、資料はおいそれと捨てるわけにもいかないのだ。思い切って捨てた後の仕事に限って必要が生じたりする、とマーフィも言ってるに違いない。

 もう一つの部屋、ハードディスクも整理の必要を感じ不要なファイルや過去の仕事はMOに姿を変えさせる。しかしこれまた整理の下手な私のこと、何にどれが入っているかが分からない状態となり、結局一枚ずつスロットに入れては中身を調べなければならない羽目に陥る。ちゃんと内容を記しておく癖を付けねばならない、と何度も思うのだが、カセットテープやビデオ、MDにしても今までそんな整理が出来たためしがないので、変わりはしないだろうな。

 様々な困難や喜びを共にしてきたこのパソコンも雇い入れて1年半、そろそろ戦力補強を感じてきたので、ハードディスク増設などの措置を考えねばならないな、と思う一方しばらく姿を隠していたはずの物への欲求が最近にわかに浮上し、頭の中には「ノートブックパソコン」の文字がジェンカを踊り始めている。「♪レッツ、キッス、頬寄せて…」燃えろよ燃えろ、キャンプファイア。
 それにしてもどこを押したら「モバイル」などという必要が出てくる仕事だ、とは分かっている。いや、ノらない仕事の最中の手慰みに欲しいのだ。少々値が張る手慰みだな。ノートのジェンカは日増しに迫ってくる。

 大枚をはたくのはまぁ良いとしても、ここにまた別の問題が生じてくる。私のパソコンはリンゴマークなのだが、世の中はゲイツの手中にある。
 仕事上これと言ってリンゴマークで不自由を覚えることはないし、周りの人間も9割以上がリンゴ組という、のどかだが大変物価の高い辺境地区に住んでいる。故にノートブックも慣れ親しんでいるリンゴマークを買うのが賢明であるのだが、この辺境の平和が永劫に続くわけではあるまい、という危惧がある。価格の不均衡も度が過ぎている気もするし、ベータのビデオデッキの例に漏れず私の幸せが長く続いた試しはない。更には近頃のリンゴ組の長がやることもどうにも不安が多い。来るべき日に備えて今からゲイツの窓にも出入りする方法を身につけておく必要も感じ、これを機にあまり好ましくないがゲイツ系のパソコンを買うという選択肢が立ち現れてくる。ソニーの「VAIO」ならデザインも許せるし。いやしかしCDプレイヤーの壊れやすさに学んだ筈ではないか、ソニーはやめよう、と。単に私との相性かもしれないが。

 値段が下がり始めた旧型Powerbookもすてがたいし、それにやはり新型G3のデザインは秀逸にしてスペックもすこぶるよろしい。とはいえ値段も随分とよろしいようで、そんな高いノートを買うなら仕事先に一台デスクトップマシンでも買った方が……いやそれなら自宅のマックを新型にして仕事先にこのマックを……などと意に反して選択肢は増殖を続け、判断力の低下した現在の私のCPUには処理が重くなってきている。物欲も満足に果たせないとは情けなや。

 そこで掃除だ。パソコンの中身に続いて今度は私のハードディスクを整理する必要性、大である。最近の仕事や行動を整理して記し、右脳と左脳も大掃除することにした。

 今年に入ってからの仕事といえば、「スチームボーイ」。これをメインにしながら、「パーフェクトブルー」の布教宣伝活動をこなすというのが基本的なシフトになっている。それに加えて最近では新作の画策という、現段階では日本銀行発行の絵はがきが貰えない仕事が加えられ、私のなけなしの集中力と銀行の残高は減る一方で、しかもろくな仕事が出来ていないといった有様だ。

 「スチームボーイ」に関してはまだまだ発表できないことも多かろうし、私の作品ではないのでここで何かを言うようなものではないが、バンダイが威信を懸けた大プロジェクトだ。もう一方の犬プロジェクト、違う大プロジェクト「G.R.M」が制作停止になった現在、「スチームボーイ」は是非成功して欲しいと思うよ。それにしてもいつ完成するのか、まったく予断を許さない超大作である。

 この作品での私の仕事を簡単に紹介しておけば、設定・レイアウトということになる。世紀末のイギリスはロンドンなどが舞台になったりしているのだが、私は少なくとも前世で世紀末のイギリスに住んでいたこともないようだし、あまつさえ現世でイギリスに行ったこともない。大量の資料と格闘しつつ想像力という名のウソで隙間を埋め、舞台となる「万国博覧会場」だの「賑わうロンドン市内」を描いている。描けるかそんなもの。通行人の服装、看板一つ、馬車一つ描くのでもいちいち調べねばならないというのは、なかなかに根気がいるので、貯金していた私の根気も随分と残高が減っているかもしれず、仕事中に突然立ち上がり「キィーーーッ」と叫ぶ日も近いかもしれない。たまにあるんだ、本当にそんな苛立ちが。さすがに実際に声に出して叫んだことはない、と思うが。

 さてパーフェクトブルーに絡んだ仕事というのは多岐に渡っている。覚えている範囲で今年こなした仕事を上げてみる。CDドラマ「ダブルバインド」用にキャラクターの描き起こしたりしたのは去年からの引き続き。この仕事は担当者が魯鈍な男で、しかも現在は会社を辞めたとかでギャラをまだ貰っていない。何とかしてもらいたいよ。
 好評をいただいた「交通広告」用の絵を描いたのも今年のことであったろうか。禁じ手にしていた「ブルー」を基調にした絵を描いて、「パーフェクトブルーの仕事は終わり」にしたつもりだったのだが、その後もなにかと描くことになるとは思わなかった。
 「日常に消えて行く未麻」をイメージして描いたこの絵は自分でも割と気に入っている。元々カラーのイラストというのは得手ではないのだが、これを機会に大変興味が湧いてきた気がする。手間のかかる手作業での塗りの労力が、パソコンのおかげで随分と軽減されその分色の選択や配色に神経を集中できるようになったと思う。もっともこのイラストの時は少々ズルをして気に入った写真を取り込んで、それをパレットにして色をサンプリングしている。
 そういえば渋谷のパルコ周りに大きめの看板が掲示されたが、そのための「メインビジュアル」のデータの組み直しというのもやったっけか。一時期の渋谷パルコの周辺は歩くのが恥ずかしかったよ。

 一月には「博品館劇場」とやらでの訳の分からないイベントにも引っぱり出され、それ以後また1月末から2月にかけては、公開に向けてまたぞろ色々な取材を受けたはず。BS「真夜中の王国」だの「週間プレイボーイ」、前述の魯鈍男が取ってきた訳の分からない貧乏なラジオ番組、毎日・読売・日経新聞なんかの取材もあったし、新アニメ雑誌「AX」とかいうのもあった。
 2月の半ばには「ベルリン映画祭」にも出張。このことは「ベルリンは燃えているか?」の方に詳しいが、ここでも多くの取材を受け、色々な人と知り合い様々なものを目にすることが出来て、大変良い経験をさせて貰ったことは間違いない。ベルリンの衆よありがとう。

 この頃からは、現在発売中の「パーフェクトブルーリミックス」なる関連書籍の打ち合わせも多かったような気がする。当初は「監修」という名目で関わっていたので、村井さん共々それは数多くのアイディアを出し、メールで済むような打ち合わせにもわざわざ半蔵門くんだりまで嫌な顔半分くらいで出かけたりもしたものだ。岩男さんにも私がインタビューをし、竹内氏・村井氏との鼎談のテープ起こしの原稿を随分修正したのも私。
 担当の編集者は一生懸命にやっていたようだが、諸々の事情であまり宜しくない事態となり「監修」から「協力」という形におさまる。ある程度は仕方ないことではあるが「時間がないから」という口実は本編だけで沢山。
 それに、だ。およそ私が「監修」していながらチェックが行き届かずマヌケな絵をスチルとして使用された日には、アニメ制作に携わってくれたスタッフに申し訳の一つもたちはしない、というのが本当の理由。

 東京での劇場公開をやっと迎えて、前日には岩男さんのラジオ番組に声を出し、公開当日は新宿渋谷と舞台挨拶。もう随分と前の出来事のような気がするが、2/28、まだ3ヶ月ほどしか経ってないのだな。

この無駄話はまだまだ続く。以下パート2へ。次号は特別付録「スタッフ慰安旅行“愚連隊西へ”」の予定。

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