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東京ゴッドファーザーズ雑考
-決算2002より-
07
決算2002-81
キャラクター3人のスケッチを元にコスプレである。
ハナちゃん役である私は、まずは頭にターバンを巻く。私が頭にターバンをいただくのは幼稚園のお遊戯会で、演目は忘れたが「王子様」を演じて以来三十数年ぶりである。ああ、懐かしきターバン。ウソウソ。
ターバンといっても本場インド人のそれではない。コスプレ用のアイテムを探して歩いていたとき、エスニック民芸店でかぶるだけの出来合いのターバンを見
かけ、一瞬それを使うことも考えてみたのだが、作品があまりにカレー臭くなるように思えて迷わず却下。ウソウソ。それ以前に店頭にあったターバンが私の頭
には入らなかったのである。
ともかくハナちゃんの頭をターバン風にそれらしく布で覆うというイメージなのだが、これが絵で描こうとすると意外に難しい。完成イメージはあるが、どう
やって巻いているのか、具体的には私にはさっぱり分からない。家内がうまいこと私の頭に巻いてくれたのだが、構造が分かるようにその過程もデジタルカメラ
に収めておく。
頭が出来たら次はズボンの上にスカート風の布を巻き、さらにその上に腰布を巻く。この時点でかなり暑い。体温もさることながら羞恥心も上昇する。近くのベンチで休んでいたおじさんが変な目でこちらを見たりしている。
「映画の撮影?」
「……映画の撮影…のための撮影……というか(笑)」
昼日中からベンチで休んでいるおじさんこそ胡散くさい気もするが、どう客観的に見てもこちらの分が悪い。暑い最中に公園で冬の衣装を広げて着込み始める
一団がいれば、胡乱に思うのも道理であろうし、これで撮影用のカメラがなかったら警察に通報されても仕方ないかもしれない。
いやいや、恥ずかしがっている場合ではない。作品のためではないか。開き直って堂々としなくてはいけない。私が恥ずかしがっていては全体のテンションも下がるというもの。
さぁ、率先して楽しく堂々と「ホームレスのオカマ・ハナちゃん」に変身するのだ!
5月の半ばに真冬の衣装、しかも奇態ななりをして堂々とするというのもなかなか難しいが。
しかもこの時点では、まだコスプレが実際の役に立つのかどうかという確信はないのである。もしかしたら無駄かもしれないという不安も大きい。暑さに加えてみっともない思いをした挙げ句に無駄骨だったら救われないではないか。
が。少しずつ衣装が出来るに連れ、それは大きな確信に変わった!
マフラーを巻き、オーバーを着込みショールを羽織ると、何とそこには長身のアニメ監督ではなくハナちゃんそのものが現れた!……とまで言うと大袈裟だが
(笑)、まるでハナちゃんの格好をした長身のアニメ監督が現れた。それじゃそのまんまか。オカマというにはヒゲが「らしさ」を欠くが、ヒゲを剃ってまで演
じる必要性もリアリズムも不要である。出来上がったハナちゃんの格好は、ホームレスというより謎のジプシーみたいである。
ともかく思いの外、それらしくなったのである。
03.5.25
5月の暑い日にこんな格好をして公園を走り回ったのである。汗水垂らす苦労が偲ばれよう。しかし……我ながらかなりバカっぽいと思う。 |
決算2002-82
ミユキ役の家内、ギンちゃん役のプロデューサー豊田氏両者の格好も実によく出来たものである。スケッチそのままとまではいかないが、作画参考としては申し
分ない。30代半ばでルーズソックスをはかされる家内も気の毒なことこの上ないが、けったいなアニメ監督を亭主に持ったと諦めてもらうしかない。それに意
外と楽しそうである。
プロデューサー豊田氏はまさしくホームレスである。
「新宿にいるいる、こんなおじさん(笑)」
ただピンク色のほっかむりはさすがにどうかと思うが。リアリティはないが、これも前述したように作画資料としての見やすさを考慮した結果である。
かくしてハナちゃん、ミユキ、ギンちゃんの完成である。
初夏の爽やかな日差しの下、3人ともにクソ暑い思いをする羽目になったが、その苦労を補ってあまりあるくらい予想以上に「それらしい」仕上がりである。
「自作の登場人物のコスプレ」などという思い付きはバカバカしいことこの上なかったが、何ごともやってみるものだ、と改めて感心する。
思い付きのバカバカしさ、ある意味、子供じみた発想を大人の立派な知恵で育て上げる。私はこうした態度を作品制作においてもっとも大事にしているといってもいい。
そもそも「浮浪者が赤ん坊を拾う」だの「好きな人を追いかけてまるで千年も生きたような女」だのという発想なんて自分でもバカバカしい気がする。しか
し、バカバカしく見えるアイディアも大まじめに取り組めば作品になりうる。バカバカしいことをバカなことと切り捨ててしまう大人の貧困さが作品の芽を摘む
のである。
私は決して忘れまい!少年の心、子供の魂。
もっともらしいことを書いた後に、こういうことを書くから人をおちょくっているように見られるのか。う〜ん。
ま、いいや。
さて、格好が出来たら芝居である。
ハ ナ「清子はどこにも行かないんでちゅよねぇ!」
ギ ン「バカヤロー、ちゃんと警察にちゅれてくんだよ!」
ミユキ「大声出すなよオッサン!泣きやまないじゃん」
そういう芝居じゃあない。
何も昼日中の公園でうさんくさい格好をして、挙げ句に寸劇を演じようというわけではない。そんなリアリズムは要らない。
「歩き」と「走り」である。ショールやらオーバー、ジャケットなどの「なびくもの」が多く含まれたコスチュームなので、止まったポーズだけでなく、実際に
走ったりしてみないとどう動くのかよく分からない。また、ギンちゃんは疲れた中年のオッサンらしく、ミユキはやる気なさそにだるそうに、そしてハナちゃん
はオカマらしく歩き、走る。そういうイメージである。
何ごとも実践されねばならない。
03.5.29
決算2002-83
いざ芝居。とはいえハナちゃん役である私はオカマに対してイメージは貧困である。オカマが歩く、走る様を実際に見たことがないのであくまでイメージで挑戦する。ありがちなイメージだが、比較的短い歩幅で、いそいそと内股でチャッチャと歩いてみる。
チャッチャッチャッチャッチャッチャッチャッ
撮影スタッフから笑いが起きるがそんなことは気にしない。3コマ中2をイメージしたこの歩きで羞恥心を大きく引き離してすでに独走態勢に入りつつある。
同じ要領でオカマのごとく走ってみる。ビデオ撮影のために何度も走る。公共の公園で、降り注ぐ太陽の下、汗だくでショールとオーバーを翻してオカマのようにいそいそと走るのだ!
スチャチャチャチャチャチャチャチャチャッ!
もうこの時点では完全に羞恥心などは抜き去り、周回遅れにしてくれている。
走るのは私だけではない。30代半ばでルーズソックスを履かされけったいな帽子を二つもかぶらされた家内も走る!
トットットットットットットットットットッ!
ピンクのほっかむり以外はほとんど完璧な中年のホームレス・豊田氏が走る!
ドッテドッテドッテドッテドッテドッテドッテ!
そして3人で並んで走る!
スチャトッドッテスチャトッドッテスチャトッドッテスチャトッドッテ!
晴れ渡った青い空、輝く白い雲、爽やかに光る汗、流れ去る羞恥心、まとわりつく奇態な衣装。ああ、初夏の一日。
こうしてテキストに表してみると、我ながら馬鹿者にしか思えないし、余人にはどうしたって遊んでいるようにしか見えない様であったろうが、こちとら真剣である。真剣そのものである。可憐なほど健気といって欲しいくらいだ。
作品への情熱とやらを流した汗の量で量るなら「東京ゴッドファーザーズ」はこれまでで一番情熱と心血を注いだホットな作品ということになる(笑)
このコスプレ以外では、「自転車」も作画参考のために撮影している。クライマックスあたりで、ギンちゃんが必死に自転車をこぐシーンがある。自転車と
いっても一部のアニメ業界で流行っているような「かっこいい」ものでは無論なく、ママチャリでありお巡りさんの自転車だったりする。それぞれ原画の担当は
大塚伸治氏と井上俊之氏。
原画にかかる前、大塚さんの希望もあって、またもや豊田“ギンちゃん”プロデューサーに暑い最中に冬物のジャンパーを着て自転車を漕いでもらい撮影し
た。この映像がどれほど作画の参考になってくれたのかは分からないが、大塚さん井上さんの原画は非常に素晴らしいものになっている。
こうした撮影は作画資料のためという実利性を目的としているのはもちろん、同時に、こうしたイベント性のあるプロセス、ロケハンなどもそうだが、ワー
ワーキャーキャー、あーでもないこーでもないと言いつつ、目の前にあることを共に楽しんだり、頭や体を使うことで、制作スタッフのムードは出来上がって行
くものだと思っている。何しろ「東京ゴッドファーザーズ」は楽しい作品でなくてはならない。
スタッフのムードは画面に如実に反映する。作り手の活気が作品の活気になるのだから、まず我々が楽しむのだ。
03.5.30
決算2002-84
今さらながら作品の基本的な部分に立ち戻るようだが、しかしなぜオカマなのか。
「千年」の次の作品として「東京ゴッド〜」企画を立ち上げた頃、私は主人公の一人をオカマに設定することに大変満足しており、また非常に楽しみにしていた。
なぜ疑似家族を形成している主人公たちの一人が女性ではなく中年のオカマなんだろうか。なんだろうか、と投げかけられても読んでいる方も困るだろうが。
この役どころに女性を配置する、という考えはまったくなかったし、疑ったこともない。なぜなのかは自分でもよく分からないというのが本当のところで、作品が完成した後に思い当たるかもしれない。
作劇の都合でいえば、この役を女性にしてしまうと相方であるギンちゃんとの関係がべたつく可能性があるので、それを避けているとは考えられる。また母親
役を本当の女性にしてしまうと、「疑似家族」というある意味冗談の含有率の高いモチーフが、あまりに本当の家族らしくなりすぎてしまう危険もあり、それを
無意識に回避したのかもしれない。しかしだからといってそれらが一義とはとても思えない。恐らく最大の理由はこうだ。
「オカマは面白い」
語弊が大きいかもしれないが、これは現実に存在するゲイの人たちを面白がる、ということよりも、世間一般が共有している「オカマのイメージ」が面白い、といった意味合いである。
しかし設定をゲイにするにしても、「夢と希望いっぱいのアニメ」らしい画面的見栄えを考慮するなら、見かけは美しい女性、たとえばニューハーフにすると
かも考えられるだろうし、逆に見かけは立派な男性というホモみたいな場合も考えられたのかもしれないが、私は最初から「中年のオカマ」以外に他のイメージ
を考えなかった。ハナちゃんの役割として母親のイメージが強いため、見かけ上「おばさん」的なものが欲しかったのは間違いない。
物語におけるオカマの形而上の意味合い、たとえば閉塞感の強い現状において両性具有的な相反するものを統合した存在云々かんぬんはそのうちゆっくり考え
を掘り下げたいと……正確にいえば屁理屈をひねり出したいと思うが、それはひとまず措くとして、おそらく演出コンセプトである「(リアリティのある世界観
の中での)大仰かつ漫画的にデフォルメされた芝居」を実践するに当たって、オカマというモチーフがそのコンセプトに見事に合致しており、これ以外にないと
確信したのだと思われる。
下世話な言い方になるが、大仰にデフォルメされた芝居をさせてもオカマなら許される、というか説得力があると思われた。なぜなら実際のオカマ、より正確を期すなら一般の人が持つオカマのイメージがそうしたものだからである。
これほど広い間口を持ち得る存在は他にない。
03.6.2
決算2002-85
このテキストにおいて、何の気なしにオカマ、オカマと連発しているが、NHKではこの言葉の使用は禁じられた。以前NHKの朝の番組に出演させてもらい、
「千年」の紹介と、新作について簡単に内容を話したのだが、その打ち合わせの席上、「オカマ」という語は避けてもらいたいという注文がついた。何故かは聞
かなかったが、やはり差別感がつきまとっているのだろうか。あるいは「全日本お釜製作者連盟」からクレームがついたのだろうか。「パナウェーブ研究所」が
「白装束集団」と言い換えられたように。「全日本お釜製作者連盟」があるかどうかは知らないが。
しかし、オカマの人自身が「オカマ」という語を頻用している気もするのだが。
そういえば。「百姓」という言葉が放送禁止用語なのは有名な話だが、以前何かの生放送番組でカメラの前に立った農家の方が「百姓をしております」、そう
堂々と言い放っていたことがある。本人が口にする場合もいけないのであろうか。やはりダメなんだろうな。自分が自信を持ってしている職業の名が放送禁止と
いわれては迷惑ではあるまいか、と思った。
先のNHKさんとの打ち合わせ時、気になったので「ホームレス」という言葉について尋ねたところ、こちらは「一応大丈夫」という答えが返ってきた。一
応、というのは微妙な言い回しだが、「いわゆるホームレスと呼ばれる人たち」といった言い方をしてください、というような注文であった。ちょっと微笑まし
くなった(笑)
本篇ではギンちゃんがハナちゃん相手にこうわめくシーンがある。
「俺達は何だ!?ただのホームレスだ!」
堂々と言い放ってしまっている。これじゃ、NHKでは放送してくれないな。それ以前にNHKで放送するアニメじゃないだろうが。しかし、このセリフ、NHKライクにしたら、かえっておかしかったかもしれない。
「俺達は何だ!?いわゆるホームレスと呼ばれるような人たちだ!」
斬新だ。
私はこれまでオカマの方と接触を持った機会は少ない。オカマバーに何度か行ったことがある程度だろうか。だからというわけでもないが、「東京ゴッド〜」
において、オカマの存在としてのリアリティをことさらに求める気はなかった。これはホームレスというモチーフに対する態度と同じといっていい。
オカマは登場させるが、その内面の苦悩、たとえば性同一性障害であるとかオカマには生きづらい世間であるとかといったことに言及する気は端からない。オ
カマ形成の過程にはあまり興味を向けず、すでに出来上がっているオカマという存在にのみ描写の興味は向いている。
先にも書いたが要するに単に面白がっていた。言い換えると興味本意。一緒か(笑)
03.6.3
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