Interview 09
1999年12月 アメリカから「パーフェクトブルー」に関するインタビュー (オマケ付き)


1.「パーフェクトブルー」と他のアニメとの差別化は何だとお考えですか。

 映画の公開とビデオのリリースを通じて、国内のアニメ雑誌よりむしろ一般誌や新聞などに取り上げられたことは、結果的に他のアニメーションとの一番の差 別化になったかもしれません。国内で濫造されるアニメーションのほとんどは、アニメ雑誌が唯一の宣伝媒体といってもよく、その読者層を意識した狭い市場を 形成しているように思えます。
 アニメーション雑誌が取り上げなかった理由を考えると、本作と他のアニメーションとの差別化という点が分かるかもしれません。まず第一に、本作は国産ア ニメーションの一番の「売り」である「親しみやすいキャラクター性」という点を排除しています。ビジュアル面でのキャラクターデザインということではな く、主人公の人格的設定が分かりにくい作品なのでしょう。
 アニメーションの視聴者層は、定型化されたキャラクターを好むようですが、私は自分の身の回りを見渡したときに、そのような単純な性格を持った人間を見 たことがありませんし、特に価値観の未分化な若い時期は言動も一貫していないことの方が多い。ですから私なりの現実をなるべく反映して、アニメの作劇によ く見られるような定型化をしなかったわけです。というよりそうした定型化が苦手な監督と脚本家だったということかもしれません。
 それと第二に、他のアニメに比べて画面の作り方が写実的であったことも、他のアニメーションとは違って見える部分かもしれません。決してリアルであるこ とにこだわったわけでもないのですが、構図にしろ描写にしろ、他のアニメーションに比べれば、ある意味客観的で温度の低い方法を用いています。観客にとっ ては糖分の少ない、夢のない絵作りだったかもしれません。作り手の主観的な、思い込みが多分に含まれた画面を嫌う監督なのです。

2.大友克洋氏の作品が今監督の「パーフェクトブルー」のアプローチにどのような影響を与えましたか。

 企画協力として大友氏の名前がクレジットされておりますが、私はこの「パーフェクトブルー」という作品制作において、氏とは一度も会っておりませんし、話のプロットやシナリオに大友氏は全く関わっていません。
 ですから影響はまったくありませんでした。制作中に飲み屋で大友氏と偶然会った折りに、「クールな脚本だね」と、ほんのちょっと皮肉混じりな感想をもらったくらいでしょうか(笑)
 私は経緯をよく知らないのですが、原作者がアニメ化の企画を持って回っていた頃に、大友氏がアニメーションの業界事情などを原作者に教えたりした、とい うことだそうです。ただその段階で大友氏が私について、良い評価を下さったと聞いておりますので、私が監督を出来たのも氏のお陰による部分も多いのではな いか、と勝手に想像しております。

3.今監督の漫画家としてのご経験が「パーフェクトブルー」へのアプローチにどのような影響を与えましたか。

 「“パーフェクトブルー”へのアプローチ」ということよりも、「監督」というポジションに就くにあたって、という意味では大きな好影響はありました。
 スタッフワークのアニメーションと違って、漫画は個人作業です。つまりアニメーションでいえば、脚本、絵コンテ、キャラクターデザイン、背景デザイン等々の作品制作におけるほとんどすべての仕事を一人でこなすわけです。
 無論アニメーションと漫画の仕事内容はイコールではありませんが、監督という統合的なポジションをこなしてゆく上で、漫画の仕事で培われたそうした総合的な能力に助けられたことは間違いありません。
 
4.脚本とストーリーの開発に今監督はどのような役割を果たされましたか。

 「脚本とストーリーの開発」を「家を建てること」に例えれば、原作小説という土地をもとに、私がおおまかな見取り図を書き基礎工事をして、脚本の村井氏が組み上げたという感じでしょうか。細かい仕上げは私がコンテ作業でしました。
 原作小説と映画とは随分違った内容です。
 映像化に当たっては「アイドルが主人公であること」「彼女の熱狂的なファン“オタク”が登場する」「ホラー作品であること」という大枠をはずさなければ、監督のやりたい方向で構わないということでした。
 そこで、まず「映画パーフェクトブルー」の中核となるモチーフを見つける必要があったのですが、その部分は脚本家に依頼するわけにはまいりませんし、やはり監督が見つけなければならず、いたく苦労いたしました。
 原作のモチーフを使って、全く新しいストーリーを作るような気持ちでアイディアを出して形作っていきました。そうする内に「周りの人間にとって“私”よ りも“私”らしい存在」が、主人公本人も知らないうちにネット上で生み出されている、というアイディアが出てきました。
 その存在は主人公にとって「過去の私」である。そしてネット上にしか存在しなかったはずのその「もう一人の私」が、外的な因子(それを望むファンの意 識)や、また主人公自身の内的な因子(過去の方が居心地の良かったかもしれないと思う後悔の念)によって実体化する、というアイディアに育って行きまし た。
 そこに、「もう一人の私」と主人公自身が対決するという構図が生まれ、初めてこの作品が「映像作品」として成立するという確信を得ました。
 先程原作小説のストーリーを「アイドルの女の子が、彼女のイメージチェンジを許せない変態ファンに襲われる」と要約しましたが、「アイドルの女の子が、 急激な環境の変化やストーカーに狙われるうち、彼女自身が壊れていく」という風に考えることにしたのです。
 脚本のプロセスは、まず村井氏が第一稿を上げて、それに私がアイディアを付加あるいは削除する形でした。もちろん多くの話し合いの時間を持ちましたし、その話し合いの中から生まれてきたアイディアも多数ありました。
 さらにアニメーション制作においては「絵コンテ」という重要なプロセスがあります。絵コンテは私が全カット描いたのですが、ここでシーンやセリフの変更も行ったかと思います。この段階で変更した一番大きな点は、犯人を変えたことでしょうか。
 シナリオでは、すべての犯行はエージェントであるルミが行っており、内田というストーカーはただの怪しい人物に過ぎなかったのですが、それを「メールを 通じてそそのかされた内田が、犯行に手を染めていた」という風に変更したと思います。もっとも、そうした変更もなるべく脚本の村井氏に相談していたと思い ますし、その変更に対して氏からの有用な提言もありました。

5.「パーフェクトブルー」企画のどのようなところに今監督は最初に興味を引かれたのですか?

 ある日、この作品の企画書が送られてきたわけです。「監督をやらないか?」という誘いでした。日本のアニメーション業界は、慢性的かつ極度の人材不足です。
 経緯をざっと申しますと、原作「パーフェクトブルー」の小説家・竹内氏が映像化を思い立ち、その企画が巡り巡って私のところに舞い込んできたわけです。
 原作の小説は読んでいないのですが、原作に近い形だというラフプロット読んだところ、私には向かない内容の話でした。「アイドルの女の子が、彼女のイ メージチェンジを許せない変態ファンに襲われる」という比較的単純なストーリーで、出血の描写も大変多く、映画「パーフェクトブルー」よりも、もっとスト レートなアクションホラーといったストーリーでした。
 この依頼があった当時、私は漫画の連載を抱えて大変忙しかったのですが、プロデューサー及び原作者にお会いして話を聞きましたところ、映像化に当たって の内容の改変は構わないという約束も頂き、また「初監督」という魅力に負けて無謀にも引き受けることにしたわけです。

6.ヒロインについてどのように考えておられますか。誰かに自分の人生をコントロールされてしまった犠牲者というふうにお考えですか。

 犠牲者、という考えは一切ありませんでした。価値観が未分化な若い時期には自分で自分をコントロールするのが非常に難しいものです。
 一言でいえば、本作は主人公・未麻の成長過程の、ある一部分を描いています。成長に伴う迷いと混沌が主なテーマです。
 成長のプロセスは、随分乱暴ないい方ですが次のようにいえると思います。
 破壊〜混沌〜建設。
 未麻は本作においてこの3段階の変化をしていると思います。最初の未麻は自分の意志で物事を決めることが出来ない、いわゆる子供のような存在です。他人 に褒められた部分にしか自信も責任も持つことが出来ないわけです。しかしこれはその時期なりに安定した気持ちでいられるわけです。それがアイドルから女優 という転身によって「破壊」されることになります。「破壊される」と書きましたが、転身には未麻の意志も含まれています。
 第2段階は、本作の一番重要な部分である「混沌」の部分です。かつての安定していた場所から、未知の場所に分け入っていくときには、多かれ少なかれ不安 がつきまといます。学生から社会人になるのと同じです。未麻の迷いはファンの反応などによって助長され、また身の回りで起こる犯罪によって大きく捻れ、混 沌の度合いが深まっていきます。その混沌の底で出会うのは、かつての自分です。これは居心地が良かった場所への回帰願望です。彼女はそれと対峙しなくては なりません。それと対決することが、先に述べた「建設」の入り口に当たる部分でしょうか。
 映画の一番最後に登場する未麻は、再びなにがしかの安定を得た未麻です。しかしその彼女にもこの先幾多の試練が訪れるであろうと思います。未麻が最後に 口にするセリフ「私は本物だよ」を、ルームミラーに映った姿で言わせたのは、彼女にとっての終着点がこの物語の終わりではないことを暗示したかったわけで す。
「本物の私」というのは、一生見つかるかどうかも分からないものです。いや、そんなものはあるわけないんです。それは他者との関係性においてのみ語られるべきものであると思っています。

7. 「パーフェクトブルー」は一番最初は実写の企画だったと伺っております。もし、「パーフェクトブルー」がアニメでなく実写で作られたとしたら、どのような 違いがあったと思われますか。また、アニメにしたことで、どのような差別化(実写に比べて)ができたとお考えですか。

 本作をなぜアニメーションで作ったのかといえば、私の元に企画が舞い込んだ時点で、既にアニメーションの企画であったからです。
 ほかに選択の余地はありませんでした。
 しかし、だからといってこの作品を実写で作っても上手くいかないと思います。生身の人間を使って映画を撮った時点で、この作品は普遍性を持てなくなるよ うな気がします。特殊な人の身の上に起こった、変な出来事、といういたってチープな作品になりかねません。アイドルという浮ついたイメージを、セルを使っ たアニメ的表現で描いていることが中和しているのではないかと思います。
 ですから本作で幾ばくか勝ち得たリアリティを、実写では手放すことになりかねません。もし同じテーマで実写を作るにしても、それはシナリオの段階から意識しないと良い物にはならないでしょうね。
 私にとっては最初から本作品はアニメーション作品だったわけです。それと単純に私が絵描きであるという理由もあります。私にとっての主な表現手段は 「絵」であり、私が日本語を使うのと同じように、意図を伝える上で絵による表現に慣れているのです。絵が私の言葉なんですね。
 そういえば、映画「パーフェクトブルー」のストーリーを考えている最中に思いついたアイディアの一つに、「既に引退してごく普通の生活に戻っている主人 公は元アイドル」という設定がありました。その時は「何だか実写風だな」と思って却下したように思います。

8.「パーフェクトブルー」を監督なさって、一番難しかったことは何ですか。

 画面の中のモチーフが「普通に見える」というごく基本的なことでしょうか。あくまで目標としていた、ということですが。
 キャラクターにしろ背景にしろ、従来のアニメーションやコミックで記号化された芝居や描写の方法をなるべくやめようと思ったわけです。ごくごく基本的な リアリズム、まず自分の周りの風景や人を自分の目で見る、ということを実践しようと思ったのですが、ごく一部のスタッフを除いて、そのことを分かってくれ る関係者は少なかったようです。
 みな、これまでに慣れ親しんできた方法論に頼ってしまいがちでした。ですからその部分でのこだわりが作品内で徹底できたとはとても思えません。私として はキャラクターや背景デザインをする上で、特に留意したのは「どこかにいそうな人、ありそうな場所」というテーマでした。リアリティを感じさせるデザイン で、それでいてアニメーションとして成立するくらいこなれた絵、ということですね。自分なりに上手くいったとは思っていたのですが、完成したフィルムを見 るとまだまだ甘い点が多すぎました。
 そして何より難しかったというか、困難を強いられたのはお金と時間と人材が足りなかったことです。
 どの作品制作現場でも、概ねこのような傾向にありますが、「パーフェクトブルー」の場合は度を超してひどい状況でした。それは必ずしもスポンサーや制作 会社の管理の問題だけではなく、実情を知らされなかったとはいえ、私の経験不足が拍車をかけていたでしょうし、予算以上のフィルムを作ろうとした作り手の 善なる無謀によるものかもしれません。しかし時間とお金があれ以上にあったとしても、画面の質の向上は確約されますが、作品として「より面白くなったか」 といえば甚だ疑問です。

9. レイプシーンはとても残酷でしたが、実際のレイプではなく、劇中劇の中のシーンということで、ワンクッション置かれていると思います。「パーフェクトブ ルー」の中で暴力シーンにはどのような役割があるとお考えでしょうか。また、暴力シーンによって、観客に訴えようとされたことは何でしょうか?

 バイオレンス、というのはことさらに意識はしてませんでしたし、暴力描写を目的とする作品でもありませんでしたが、出来上がったフィルムを見て自分でも 驚いてしまいましたね。随分と暴力的な描写が多くなってしまいました。しかしそれが失敗だったとは思いませんし、登場人物たちの感情を表現し、象徴する意 味でも必要だったかと思います。
 レイプシーンについていえば、このシーンの一番の狙いは「アイドルの死」です。英語にすると「ポップスターの死」ということになるのかもしれませんが、 それではニュアンスが伝わりませんね。文字通り「アイドル」という言葉に込められた偶像性の破壊です。
 ファンにとって、また未麻自身にとっての偶像の死でもありました。
 アイスピックでの殺害については、未麻の精神状態と密接な関わりがあります。このシーンはカメラマンの村野がテレビドラマ「ダブルバインド」を見てい る、という客観的なシーンから始まって、未麻の主観的な夢であった、という風な繋がりで観客を騙しています。トリックといえばそれまでですが、未麻の無意 識にはカメラマンに対する憎悪もあったはずです。もちろん未麻にとっては知名度においてステップアップのチャンスになったのですし、カメラマンに対する感 謝の気持ちも大きいのでしょうが、やはり相矛盾した暗い感情の澱みもあるわけですね。文字通り「殺してやりたい」気持ちも少しはある。それが夢という形を 取って現れた、ということでしょうか。

10.「パーフェクトブルー」にどのくらい満足されておられますか。

 もっとも難しい質問ですね。
 作品のコストパフォーマンスを考えれば随分健闘したとは思います。少ない時間と予算の中でよくなし得た、と思う部分も多いのですが、完成したフィルムを 見たときは試写の席から逃げ出したくなりました。アニメーションフィルムの出来としては粗が多すぎます。
 とはいえ、本作が予想以上の好評を持って観客に迎えられたことには非常に満足した、というより作り手の私の方が驚いてしまいました。よもや国際映画祭に参加するフィルムとは思いもよりませんでしたので。
 ともかくそうした拙さは作品を作り経験を重ねて補ってゆくしかありませんので、現在制作中の次回作「千年女優」ではもう少し品の良い画面を作るべく努力しております。

リプレイ

  以下のテキストは掲示板に書いた、もしくは書こうとしたテキストらしい。書いたことすらすっかり忘れていました。
 上記の質問に冗談で答えるとこういうことになるらしいです。

1.「パーフェクトブルー」と他のアニメとの差別化は何だとお考えですか。

 目立つ点で言えばやはり燦然と輝く15Rの烙印でしょうか。痛快です。
 さすが俺だなぁと感心ばかりしてしまいます。作る以上はなにがしかの話題を振りまかねば、埋もれてしまいますからね。
 それと、一番顕著だったのはやはり「電話が通じにくい作品」だったということでしょうか。電波が来ていたのは、本編に登場したストーカー内田だけではないあたりがサイコホラーの面目躍如というところでしょうか。
 よくホラー映画などで撮影中に何人死亡、とかいったことが宣伝で謳われたりしましたが、今思えばそういう惹句に使えば良かったかと残念に思っています。制作中に電波に襲われたもの何人、とか。
「千年女優」はどうかって?
 今のところ大丈夫です。スタッフの集まりが悪いのと私の腹が出てきたことだけが気になるくらいです。

2.大友克洋氏の作品が今監督の「パーフェクトブルー」のアプローチにどのような影響を与えましたか。

 ないです。私の努力と才能の賜物です。
 私には氏のような溢れる才能も財力もないので、なるべく長く机に向かうことと一緒に制作する人たちに対する低い腰だけが武器のすべて、というところでしょうな。
 いやぁ、頭を下げること張り子の虎の如くじゃったわい。がっははは。

3.今監督の漫画家としてのご経験が「パーフェクトブルー」へのアプローチにどのような影響を与えましたか。

 徹夜に強い体、ということでしょうか。漫画家だったときはよく徹夜しました。今でも時折夜を徹して酒を飲んだりしますが、徹夜で仕事をするのは体に良くないので、そんな過酷な仕事の方法をとるのはなるべく先延ばしにしたいです。

4.脚本とストーリーの開発に今監督はどのような役割を果たされましたか。

 も、何でも。アイディア出しからお茶くみまで。

5.「パーフェクトブルー」企画のどのようなところに今監督は最初に興味を引かれたのですか?

 ギャラです。はっきり言って金目当ての犯行でした。
 当時、妹の目の手術のために、どうしてもまとまったお金が必要だったんです。

 妹なんかいないっちゅうの。

6.ヒロインについてどのように考えておられますか。誰かに自分の人生をコントロールされてしまった犠牲者というふうにお考えですか。

 どこをどう見たらそんな質問が思いつくのだね、チミ。
 ヒロインなんかに人格はないんだよ。脱がせるために有るんだよ。
 何たって15Rなんだからね。脱がすことが先決だよ。そしていじめていじめていじめ抜くんだよ。毛なんか丸出しだよ丸出し。描いちゃえ描いちゃえ、真っ 黒に。あのヒロインの女の子、未麻とか言ったかな。あの子はよくやってくれたねぇ、口答えもせずに。言いなりだったね、私の。

 未麻は私にコントロールされた犠牲者、っちゅうことか。
 質問者よ、炯眼である。

7. 「パーフェクトブルー」は一番最初は実写の企画だったと伺っております。もし、「パーフェクトブルー」がアニメでなく実写で作られたとしたら、どのような 違いがあったと思われますか。また、アニメにしたことで、どのような差別化(実写に比べて)ができたとお考えですか。

 アニメだろうか実写だろうが私の手に掛かればましになるんです。
 落ち着いて考えれば、ましにするくらいは誰でも出来ます。元が有るんですから。
 元よりひどくなっている? そんな風に思うやつは帰れ。けぇってくれ。

8.「パーフェクトブルー」を監督なさって、一番難しかったことは何ですか。

 動画用紙が小さかった……のはむしろ助かった部分か。
 電話が通じにく……それは言ったか。
 目の前にいても話が通じなかった人がいたことと、サンダルがちぎれそうになったことが印象に残っています。
 テクニカルな面ではやはり今話題沸騰のCGでしょうか。プリントアウトの色が合わないとか、BOOKを切り抜くのが大変とか……どこがデジタルなんだよ。
 ともかく、眠い頭でモニターを見続けると電波が来そうになることだけはよく分かりました。いえ、実際に来てたようにも思えます。
 制作も終盤を迎え最後の修羅場になった頃には、頭の中から呼びかける声をヘッドフォンでごまかしていたのですが、あんまりうるさく声がするので後ろを振り返ったら、制作が「今さん、電話です」と呼んでいただけでした。

9. レイプシーンはとても残酷でしたが、実際のレイプではなく、劇中劇の中のシーンということで、ワンクッション置かれていると思います。パーフェクトブルー の中で暴力シーンにはどのような役割があるとお考えでしょうか。また、暴力シーンによって、観客に訴えようとされたことは何でしょうか?

 暴力サイコー!ヒャッホー!!何たって15Rだぜ!イェ〜イ!!

10.「パーフェクトブルー」にどのくらい満足されておられますか。

 内緒。 

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