Interview 17

2007年4月アメリカから『パプリカ』に関するインタビュー

「Cinefantastique」というウェブか雑誌かからのインタビューと思われます。

●筒井先生の原作をはじめてお読みになられた時に得たインスピレーション(感想)は?そして、その最初にうけたインスピレーションから映画になるまでに、この作品は監督のなかでどのように進化したのでしょうか?

何より夢の描写そのものがたいへん刺激的であり、夢と現実の間が揺らぐ感覚に酔いました。
夢は常に奇妙なイメージに覆われているものですが、その奇妙さを実感できるような描写、またその不可思議なイメージの背後にある謎−なぜそんな夢を見るのか−を探っていくプロセス、そして夢が現実の世界に流入してくるというアイディアが素晴らしい。
実を言えば、私は監督デビュー作である『パーフェクトブルー』や第二作『千年女優』において、夢と現実、幻想と現実、あるいは記憶と現実が揺らいで行く様を好んで描いたのは、小説『パプリカ』のようなことをやってみたかったのです。
これらの映画を筒井先生にごらんいただいたことが『パプリカ』映画化に繋がったのは、非常に光栄であると同時に不思議な縁を感じました。
ですが、原作が出版されてからすでに十数年経っており、その間、多くのクリエイターが『パプリカ』に触発された映像やアイディアを具体化しており、他ならぬ私もその一人です。そのため原作を仔細に踏襲する形では映画に出来ないと考えました。もちろん原作のボリュームから考えても単発の映画に収めることは出来ません。
そこで、ざっくりと原作を一旦単純な形に戻し、そこに原作『パプリカ』や筒井先生の他の作品からも、取り込めそうなアイディアをその枠組みに収めて行くことにしました。気の触れた所長や研究所員が口にする言葉などは、筒井先生お得意の言葉遊びをイメージしたものです。私にとって映画『パプリカ』は単なる原作の映画化ではなく、筒井作品へのオマージュでもありました。
また、夢の描写は、小説的な文字による想像力の喚起を踏襲するのではなく、映像的に説明抜きで夢を表せるようなイメージを新たに考えるようにしました。小説では、必要な場合、随時夢の奇妙なイメージを捕捉する説明も可能ですが、夢のように流れて行くイメージを表す映像において、説明というのは流れを止めることに他ならないので、極力説明の必要がないイメージを選択しました。

●パレードは、原作には含まれていませんでしたが、どのようにしてお作りになりましたか?

先の答えとも関係するのですが、時間的な制限も大きい映画において、原作のように色々な夢をさまざまな形で描くということは難しい。そこで、映画『パプリカ』においては、映画全編を通じて柱となるような夢、特に悪夢のイメージを中心に据えることにしました。それが出てくると一目で悪夢と伝わるような。
しかし、だからといってなぜそれがパレードになったのか、私にもはっきりとは分かりません。確かに、映画『パプリカ』において、悪夢を他の映画や漫画などでよく見られるような、ダークなイメージで描くことはやめようというつもりは当初からあり、「晴れやか過ぎて却って気色が悪い」という悪夢のイメージを考えていました。そのイメージにパレードは実にふさわしい。また、映画のクライマックスで夢が現実の世界に流入してくることは原作にもあるとおり決まっていました。
つまり最終的な目的地として「現実世界」が設定されるわけで、そこへ向かって行くものとしてもパレードというイメージは実に都合が良い。パレードはどこかから来てどこかへ向かうものですから。
目的地が決まっているということは、後は出発点が必要になります。そこでたくさんの人間が住む都市から最も遠い場所として「砂漠」がイメージされました。人間たちから隔絶された場所というイメージです。そんなイメージと相まって「捨てられたものたちのパレード」というコンセプトが生まれてきたのだと思います。
『パプリカ』のパレードには神社の鳥居や仏像など宗教性にまつわるもの、招き猫やダルマといった日本の伝統的なイメージ、あるいは時代遅れの車や家電など様々なものが描かれていますが、これらはほとんど「捨てられたものたち」という基準で選択したものです。
たとえば100年前より宗教性は薄くなっているし、伝統的な風俗も本来の意味合いを失いただのファッションのアイテムになっている。あるいは高度経済成長期、まだまだ実用に耐える家電や車を、消費の欲望にドライブされて捨てては買い買っては捨て、次々と取り替えてきました。それら捨てられたものたちが夢の世界を通って現実に戻ってくる、というイメージが膨らんできました。
それは現代人が、夢や無意識といった理性で理解しがたいものを抑圧し、ないがしろにしてきたこととパラレルな関係にあると考えたからです。
この「捨てられたものたちのパレード」というアイディア、そして本来動くはずのない物たちのパレードというイメージが確立してきたことで、アニメーション映画としての『パプリカ』に自信を持ちました。そして、完成した『パプリカ』をごらんいただいた多くの方から、「パレードが印象に残った」という感想を賜り、監督としてはたいへん満足しております。

●予算は? そして、どの位の時間製作にかかりましたか?

予算は約3億円。期間は企画から完成まで約2年半です。脚本などのプリプロダクションが半年、絵コンテから実際の作画や撮影、音響作業、完成までが約2年です。

●子供のときの好きなアニメは? そして、その作品は、アニメを監督なさることに影響を及ぼしましたか?

日本のテレビで最初に放送されたのが手塚治虫の『鉄腕アトム』、1963年のことです。この年、私が生まれました。テレビアニメの黎明期からその発達と共に私は育ってきたことになります。
幼少期には好んで手塚治虫のテレビアニメを見ていましたし、小学校高学年の頃に『宇宙戦艦ヤマト』がブームになり、私もファンの一人でした。高校時代には『機動戦士ガンダム』や宮崎駿監督の『未来少年コナン』などを楽しみに見ており、アニメファンだったといって間違いありません。
そうした体験が私をアニメーションの仕事に向かわせたという意味では大きな影響がありますが、しかしそれらの内容的な部分で影響を与えているようには思えません。好きで見ていたことと自分が好きなものを作ることは、また別な面なのかもしれませんし、だいたい、昔見たようなものを自分で作りたいとは思いませんので。

●どの映画作品と映画監督が監督に影響をあたえましたか?

あまりにたくさんありすぎて特定することは困難です。
私はこれまでたくさん映画を見てきましたが、その9割くらいは多分アメリカ製の映画ではないかと思います。なので、自分なりの映像の文体はハリウッド映画におおい学んできたはずです。ただ、映画作家としてその作品やそれにまつわる書籍等に最も多く目を通したのは黒澤明監督です。
黒澤監督に影響を受けたなどとおこがましいことは言えませんが、現在でも映画制作中に黒澤監督にまつわるものに目を通すことが多いです。映画を少しでも面白く、良いものにするために惜しみなく力を傾注された黒澤監督の様を思うと、とても励まされるのです。もっと頑張ろう、と。

●夢は人生にどのように影響しているとおもいますか? そして、夢は人間の精神とエゴを映し出しているとおもいますか?

我々が覚醒している理性的な時間には刺激やストレスが溢れていますが、もし夢を見る時間がなければ、ストレスに押しつぶされたり快楽に溺れたりして我々の多くは意識の平衡を失ってしまうのではないかと思います。覚醒している昼間に刺激によって傾いた精神を、夜の夢の時間が補填し補ってくれる。私は夢に対してそんなイメージを抱いています。
夢は人間の精神とエゴの半面、あるいはそれ以上を映し出しているように思います。
夢は無意識からの通信です。我々の意識は無意識を直接に知ることは出来ませんし、だからこそ無意識というわけです。その知ることの出来ない無意識からの通信内容−夢−を我々は選ぶことは出来ませんが、無意識を想像するための手がかりになってくれます。それらの手がかりはもちろん快いものばかりとは限らず、むしろ意識にとっては不快な場合が多いかもしれません。夢はイメージの劇薬みたいな物でしょうか。時と場合に応じて毒にも薬にもなる。
だから面白半分で迂闊に夢に深入りすることは危険なことですし、時折印象に残った夢をぼんやり思い返すくらいにしておいた方が、我々のような一般人にはちょうどいいのではないでしょうか。
無理に自分の奥底を知ろうとすれば自分を壊すことになりかねませんからね。

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