Interview 23

2007年6月 アメリカから『パプリカ』について

アメリカからのインタビューですが、媒体が何かは忘れました。

Six questions for Satoshi Kon
今監督への6つの質問

1.You started as a Manga artist.  Was it always your intention to direct anime?
今監督は漫画家としてキャリアをスタートされていますが、アニメを監督することについて常に興味を持たれていたのでしょうか?

いいえ、自分がアニメーションの監督をすることなど夢にも思っていませんでした。今でも自分が監督として扱われることに多少の違和感を覚えているくらいです。
子供の頃から、学生時代、漫画家時代もアニメを見ることは好きでしたが、スタッフとして制作に関わることは考えにありませんでした。集団作業というものがあまり好きではなく、だからこそ個人制作が可能な漫画という仕事を選んだはずなのですが、いつの間にか集団制作のもっとも面倒なしわ寄せが来る監督などという立場にいるのが我ながら不思議です。
私の数少ない漫画の仕事に注目してくれたアニメ業界の人間がいなければ、私はこの業界に関わることはなかったでしょう。単にアニメ業界から誘われたということ、そしてジャンルは違っても同じ絵を扱う表現であるということで私はアニメ業界でも仕事をするようになりました。
実際、仕事をしてみると当然ながら周りにいる人々はみな絵描きで、言葉や絵を通じて絵描き同士コミュニケーションを取れることがたいへん心地よく、また刺激的な環境でした。それが集団作業に対する苦手意識を解消してくれたのかもしれません。
漫画とアニメでは同じ絵を扱うとはいえ、アニメには漫画にはない「リアルタイム」(動き、編集、音響)という大きな違いがありますし、絵を描く以外のストレスの発生源である集団制作という点も異なります。アニメの制作プロセスを自分のものとするには数年かかりましたが、だんだん仕事に慣れてくると他人のディレクションに疑問や不満も湧いてくるのが人情というもので、自然と自分でも監督をしてみたいと思うようになりました。
ただ、それは「一度監督というポジションで仕事をしてみたいな」という程度の欲求で、まさか監督として仕事を続けることになるとは思いませんでしたが。

2. What is the biggest influence on your visual style?
今監督の表現スタイルに一番影響を与えたのは何ですか?

もし一つをあげるとしたら、「平沢進の音楽」です。
平沢さんは『千年女優』『妄想代理人』『パプリカ』でサウンドトラックを担当していただいている音楽家ですが、バンドやソロ活動で30年近いキャリアのある方です。
私ももう20年ほどファンであり続けています。
なぜ平沢さんの音楽にそれほど大きな影響を受けたのか。
もちろんひねりの効いたメロディや秀逸な歌詞、覚醒を促すような歌声、どれも素晴らしいのですが、何よりそれら全てによって表現される世界観に大きな影響を受けました。
敢えて単純に言ってしまうと、「相反するものの同居」です。
たとえば平沢さんの歌詞によく現れてくるのは「神話と科学」というモチーフです。テクノロジー全盛の近現代において、非科学的であると断罪される神話とテクノロジーが平然と同居しながら、両者がバランスしている。
あるいはまた、こんなイメージすら感じることもあります。
「澄み渡った気持ちの良い青空の下、瀕死の子供たちが笑っている」
私は平沢さんの音楽から、私なりに感じたものを映像化しているといっても言い過ぎではありません。
平沢さんだけでなく、これまでに触れてきた文章や絵画や音楽、映画、漫画、アニメ、テレビ、演劇などなどすべてのものから影響を受けています。
漫画なら手塚治虫、大友克洋、アニメなら宮崎駿、映画なら黒澤明を始め国内外多くの監督の名画にたくさんのことを学びました。
日本の歴史小説の大家である司馬遼太郎の作品群に触れたことも自分と日本の関係を考える上で大きな影響がありました。
海外での翻訳の多い村上春樹の小説にも非常に刺激を受けました。
『パプリカ』原作の筒井康隆は無論のことです。
ただ、現在自分が物を考える上で自覚している大きな影響は、やはり平沢さんの音楽であり、その音楽がきっかけで知ることになった心理学的な世界にあると思います。
というのも、一見たいへん難解な平沢さんの歌詞の背景に何があるのか知りたくて興味を持ったのがユング心理学です。平沢さんの昔のインタビューなどで紹介されていたので、音楽を読み解くガイドとして読み始めたのですが、この世界がまた非常に面白く、特に日本のユング心理学の第一人者である河合隼雄の著作は集中的に読みました。
古来伝わる神話や昔話、物語を心理学的に読み解くシリーズは私の職業柄もあってたいへん刺激的であり、非科学的・非現実的とされる神話や昔話がいかに人間の内面に関係しているのかを知ることはストーリー作りや演出に大きな影響を与えてくれていると思います。

3. Paprika is based on a novel by Yasutaka Tsutsui.  What interests you about Mr. Tsutsui’s work?
『パプリカ』は筒井康隆先生の小説を基に作られていますが、今監督は筒井作品のどこに魅力を感じましたか?

一言で言ってしまえば「常識からの逸脱」です。
たとえば、本来現実においては截然と区別されるはずの「夢と現実」というそれぞれのフレームを持っている世界同士が、その枠組みの揺らぎによって交じり合って行く。それが原作『パプリカ』に感じた一番の魅力でした。
私が筒井先生の諸作品に学んだことは、おそらく「常識という枠組みを疑え」ということだと思います。多くの人が共有しているであろう常識内で世界観を構築したところで、結局は常識の範囲にとどまるものにしかなりません。
常識外のものを常識的に組み合わせる、あるいは常識内のものを非常識な仕方で組み合わせる。そのような捩れこそが筒井作品の魅力であると思います。

4. The recurring parade sequence is particularly disturbing.  Was this sequence in the book?  How did you go about adapting it for the film?
幾度も登場するパレードのシーンは、騒然とした雰囲気にさせてくれます。このシーンは本の中でも登場するのでしょうか? どのようにしてこのパレードを映画の中に取り入れようと思われたのですか?

あのパレードは原作には登場しません。私が映画用に考え付いたイメージです。
元々は悪夢のシーンの「柱」となるようなイメージを探していました。と同時に、その悪夢は他の映画や漫画やアニメで見られるようなダークなイメージではありきたりなので、「晴れやか過ぎて気持ちが悪い」というコンセプトにしようと目論んでいました。
それで思いついたのがあの有象無象たちのパレードです。どうして思いついたのかは分かりませんが、多分「パレード」という「言葉」から触発されたのではないか思います。
私にとって、パレードという言葉には古臭さ、懐かしさ、騒々しさ、華やかさというイメージが付帯しており、またその性質上「やって来る」という動き、流れのイメージが湧いてきます。
それらが「晴れやか過ぎて気持ちが悪い」悪夢の柱(あるいは流れ)としてうってつけだでした。そして、あり得ない事が起こりうる夢の表現として「本来動かないはずの物たちが動く」というイメージを重ね合わせた結果、あのような奇妙奇天烈なパレードに成長しました。
制作中からスタッフに対して「このパレードが観客の印象に残らないようなら『パプリカ』は失敗だ」と言っておりましたし、私自身非常に強くそう思っていたシーンなので、映画が完成後、多くのお客さんからあのパレードが印象的だったという感想をいただけたのは、『パプリカ』の監督としてこの上なく喜ばしいことでした。

5.  The use of the internet in the film is very intriguing.   Can you talk about the relationship between dreams and the internet?
映画の中でインターネットを使用する場面は、とても興味深く感じられます。夢とインターネットのようなバーチャルな世界との間にある関係について、監督の見解を聞かせていただけませんでしょうか?

夢の世界とインターネットの世界の相似というイメージも、実は平沢さんの音楽に触発されたものです。
平沢さんがソロとは別のP-modelというバンドの形でリリースしている「Wire Self」という名曲があります。この歌詞において平沢さんはこう言っています。
「この部屋からトータルへ」
これはつまり、一人モニタの前に座ってインターネットという大きな世界に繋がるというイメージであり、詩の中ではその動作を「バンジージャンプ」と表現されている。実に秀逸です。
そしてタイトルの「Wire Self」は「Higher Self」の意味も重ねられている。
モニタの前からインターネットという巨大な世界にバンジージャンプして何らかの情報を得て帰ってくる、という行為が、眠ることで夢の世界(無意識の世界)へと入って行って何がしかのイメージを得て後、起きて現実に帰ってくるという様が相似に見えてくるわけです。
このイメージに触発されて以来、そうした視点で両者を見ているとなるほど共通点がたくさん見えてくる。
日本には「2チャンネル」という管理者不在の巨大な掲示板群が存在します。おそらくアメリカにも似たようなものがあるでしょう。
ここでは、現実社会では公言できないような「たわ言」や「暴言」「誹謗中傷」などが溢れています。同時に有益な情報交換が行われたり、同好の士が知り合うことが出来る有意味な場でもある(らしい。私は見ないので知りませんが)。
たとえばそれが暴言や誹謗中傷であったとしても、現実社会で抑圧されたストレスを現実で爆発させずに逃がす場として機能することもありうる。リスクヘッジとしては大きいリスクを小さいリスクに分解できるならある意味それも正しい。しかし逆にウェブ上に行き交うほとんど無意味な暴言に触発されて現実に爆発する犯罪者も後を絶たない。
あるいはまた、現実社会では出会えなかったもの同士が知り合うという良い機能としての場も、同時に性犯罪やストーカーを生む発生源にもなっている。
こうした相反する作用もまた無意識によく似ているように思うわけです。
入り込み過ぎれば危険、遠ざけ過ぎては大事な情報やそれに繋がる体験も手に入らない。
そのような、人間がコントロールしきれるわけもなく、かといって野放しにもしておけないインターネットや無意識のような世界にダイナミズムを感じています。

6. Do you believe in a collective unconscious?
監督は「集合的無意識」の存在を信じていますか?

あると信じたい、と申しておくのが適切かと思います。
C・G・ユングの「集合的無意識」という概念は、定義されているものの、一般的にはオカルトめいたものと混同されている傾向がありますし、私はそうは思わないものの私自身の解釈も学術的に正しいのかどうか分かりませんので。
語義の解釈はともかく、先の「人間がコントロールしきれるわけもなく、かといって野放しにもしておけない」領域、人知では解明しきれない領域が人間の内部にあると思っていた方が、自分と自分を取り巻く世界はより豊かになると考えています。

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