絵の話
s-kon
居住地: 東京
投稿数: 100
丁寧なご感想、ありがとうございます。
絵を描くことについて文章を書くのはなかなか面白いのでまた書いてみます。
>縮小コピーも使わずに拡大コピーに耐えるだけの
>精度を持った小さな絵を描かれる上手さに驚いてしまいます
ありがとうございます。
でも、出来上がったものは多少驚かれるような代物でも、一つ一つの作業は至ってシンプルなものです。
画面の大小にかかわらず、絵を描くには手順があります。
手順といっても誰にでも共通するわけではなく、描き手それぞれの手順であり、私の手順は私の経験から培われたものです。
レイアウト用紙でもコンテ用紙でも、枠線があれば手順に従ってそこに秩序を構築するわけです。
もちろん枠の大小によって精度は変わってきますが、手順に従って描いて行けばそれほど大きな誤差は生まれません。
問題は集中力がどれだけ持続するか、また肉体的な訓練度などでしょう。
集中力の問題は手順と大きく関係していて、手順上の各ステップをクリアすることを目先の問題にして作業するので、比較的集中力は持続させやすい。
いっぺんに「ゴール」を思い浮かべるとそこまでの距離に意欲や集中力も萎えることもありましょうが、小さな目標に対してならば比較的容易に集中力を高められます。
ゲームのステージをクリアするのと同じようなものです。
「ラフな絵で大まかな構成を決める→消失点を決めてパースをはめる→基準となる人物の大きさを設定する→対比に従って対象を配置(下描き終わり)→下描きで設定した指示に従って、下描きをさらに補いながら主な線を入れる→さらに描写を補ってバランスを取る→仕上げに「汚し」「タッチ」を入れる」
これらの手順が行ったり戻ったりするととっても疲れます。
疲れるのは嫌です。
手順そのものが設計図としても機能してくれるので、手順を踏むのが一番楽で疲れません。
肉体的な訓練度については、もちろん筆記具を思うようにコントロールするというもっとも根本的な訓練度が重要ですが、しかしこれも一々勘に頼るだけでは神経が持たなくなってくるので、なるべく簡単な「プログラム」に分解する。
たとえば上下方向にもパースのついたビルを描く場合、一階分ずつパースに従って送りながら描いていくと誤差が大きくなるので、2階分ずつ送ってこれを下描きとして、清書時にその半分を目安に1階を割り出し、さらにその半分を窓と想定する……といったような。遠景のビルでも精度が必要なら4階分ずつにするとか。
そうした簡単な作業の繰り返しなんです。
文章で説明するのは難しいですが、要するになるべく頭を使わなくて済むようにオートマチックな作業に落とし込む。
とはいえ、その「簡単にする」ことがもっとも頭を使う難しいところなんですが。
大きな問題(完成)をいかに小さな問題(作業)に分解できるかが問われます。
>『パーフェクトブルー』の絵コンテの絵は
>その後の絵コンテと比べるとディテールの度合いが
>違うので今さんの絵の根っこの部分が分かるような
>気がして見ていて別の楽しさもあります
「根っこ」とは「構成」のことなり。
構成がダメならどんなに描き込んでもダメなものにしかなりません。
私はそう考える方です。
そう考えない人たちも多いようです。
だからでしょうか。とても気の毒な画面をよく見かけます。
そういう絵を見るとこう思います。
「描く前に考えればいいのに」
あるいはこんな。
「パッションや力み
なんかでは
補えないことも
あるんだなあ みつを」
構成の弱い画面は、その後の手数をかければかけるほど、加工を施せば施すほど、根っこである構成の脆弱さが露わになって歪な絵になってきます。これは話作りも一緒です。
一所懸命であるがゆえに見づらいものになる。
人生悲喜こもごも。
何だそりゃ。
絵を描くことについて文章を書くのはなかなか面白いのでまた書いてみます。
>縮小コピーも使わずに拡大コピーに耐えるだけの
>精度を持った小さな絵を描かれる上手さに驚いてしまいます
ありがとうございます。
でも、出来上がったものは多少驚かれるような代物でも、一つ一つの作業は至ってシンプルなものです。
画面の大小にかかわらず、絵を描くには手順があります。
手順といっても誰にでも共通するわけではなく、描き手それぞれの手順であり、私の手順は私の経験から培われたものです。
レイアウト用紙でもコンテ用紙でも、枠線があれば手順に従ってそこに秩序を構築するわけです。
もちろん枠の大小によって精度は変わってきますが、手順に従って描いて行けばそれほど大きな誤差は生まれません。
問題は集中力がどれだけ持続するか、また肉体的な訓練度などでしょう。
集中力の問題は手順と大きく関係していて、手順上の各ステップをクリアすることを目先の問題にして作業するので、比較的集中力は持続させやすい。
いっぺんに「ゴール」を思い浮かべるとそこまでの距離に意欲や集中力も萎えることもありましょうが、小さな目標に対してならば比較的容易に集中力を高められます。
ゲームのステージをクリアするのと同じようなものです。
「ラフな絵で大まかな構成を決める→消失点を決めてパースをはめる→基準となる人物の大きさを設定する→対比に従って対象を配置(下描き終わり)→下描きで設定した指示に従って、下描きをさらに補いながら主な線を入れる→さらに描写を補ってバランスを取る→仕上げに「汚し」「タッチ」を入れる」
これらの手順が行ったり戻ったりするととっても疲れます。
疲れるのは嫌です。
手順そのものが設計図としても機能してくれるので、手順を踏むのが一番楽で疲れません。
肉体的な訓練度については、もちろん筆記具を思うようにコントロールするというもっとも根本的な訓練度が重要ですが、しかしこれも一々勘に頼るだけでは神経が持たなくなってくるので、なるべく簡単な「プログラム」に分解する。
たとえば上下方向にもパースのついたビルを描く場合、一階分ずつパースに従って送りながら描いていくと誤差が大きくなるので、2階分ずつ送ってこれを下描きとして、清書時にその半分を目安に1階を割り出し、さらにその半分を窓と想定する……といったような。遠景のビルでも精度が必要なら4階分ずつにするとか。
そうした簡単な作業の繰り返しなんです。
文章で説明するのは難しいですが、要するになるべく頭を使わなくて済むようにオートマチックな作業に落とし込む。
とはいえ、その「簡単にする」ことがもっとも頭を使う難しいところなんですが。
大きな問題(完成)をいかに小さな問題(作業)に分解できるかが問われます。
>『パーフェクトブルー』の絵コンテの絵は
>その後の絵コンテと比べるとディテールの度合いが
>違うので今さんの絵の根っこの部分が分かるような
>気がして見ていて別の楽しさもあります
「根っこ」とは「構成」のことなり。
構成がダメならどんなに描き込んでもダメなものにしかなりません。
私はそう考える方です。
そう考えない人たちも多いようです。
だからでしょうか。とても気の毒な画面をよく見かけます。
そういう絵を見るとこう思います。
「描く前に考えればいいのに」
あるいはこんな。
「パッションや力み
なんかでは
補えないことも
あるんだなあ みつを」
構成の弱い画面は、その後の手数をかければかけるほど、加工を施せば施すほど、根っこである構成の脆弱さが露わになって歪な絵になってきます。これは話作りも一緒です。
一所懸命であるがゆえに見づらいものになる。
人生悲喜こもごも。
何だそりゃ。
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投稿ツリー
- Re: 今さんの筆記用具についてなんですけど…… (s-kon, 2009/6/11 13:49)
- お返事ありがとうございます (麻衣子, 2009/6/11 19:39)
- 絵の話 (s-kon, 2009/6/12 14:04)
- Re: 絵の話 (麻衣子, 2009/6/12 20:59)
- Re: 絵の話 (s-kon, 2009/6/14 14:48)
- 手は大事にして下さい (麻衣子, 2009/6/14 20:06)
- 補足です (麻衣子, 2009/6/15 20:05)
- 今さんの筆記用具についてなんですけど…… (麻衣子, 2009/6/10 19:06)