■新外国人助っ人・マック来日

 12月。師走などとも言われる。3月にスタジオに通い始めて以来、毎日緊張感を保ちつつ元気に仕事に励んできた私だったが、遂に高熱によりダウ ン。折悪しく原画マン北野・山下両氏の作打ちの予定が入っており、何としてでも会社へ行こうとするものの、あまりの高熱に足元がふらつく。ウルトラセブン 最終回のモロボシダンの姿を心に浮かべ気力を振り絞るが、私は別に地球を守っているわけではないのでへたれてベッドに収まる。「すいません、今日の打ち合 わせは堪忍して下さい」
 気ばかり焦るものの熱はなかなか下がらず数日の自宅療養を強いられ、その間高熱にうなされながら見る夢は仕事のことばかり。無意識というのはかくも正直かと妙に納得する。まだ熱も下がり切らぬある日、制作進行の女性から電話が入る。「あの〜、今日作打ちなんですけど…」熱にまだうなされている私は朦朧とする自分に疑いを覚える。「あれ?今日は誰の…?」「はい、北野さんと山下さんの…」ああ、やっぱり熱のせいなのか。それはもう2,3日も前のことだと思っていたのに…。「はい、先日の分を今日に延期したんです。」そうか、熱のせいではなかったのか、一安心だがちょっと待て「その延期の話って、俺聞いてたっけ?」「いえ知らせてなかったです。でも、もう二人ともいらしてるんですぐに来て欲しいんですけど…」そ うかそれはすぐに行かないと…って、このバカ者!!私の容態も聞かずに勝手に打ち合わせを組んだというのか!? 寝てる病人の布団をはぐとは正にこのこ と、少しは取り扱いに注意しろよ。結局この日の打ち合わせも流れてしまい、両氏との作打ちは2ヶ月も後に組まれることになる。間はないのか間は。
 年末というのは実に足の速いやつで気がついたら目の前に来ていた。作打ちをしていない原画は100カットを切っていたと思われるが、フィルムになってい るカットなどあるわけもなく、レイアウト・原画チェックも山のように残っており、スケジュールは遅れ放題だ。とはいえ年末の鉄則に従い酒を飲む機会も少な くはない。何故か年を忘れるには不似合いと思える東京駅のホテルで、マッドハウス主催で忘年会などが行われる。当然我々パーブル班も呼ばれる。当然?当然 でいいのか? 誰も信じてないとはいえ、制作が言っているスケジュールは2週間後には原画アップではなかったのか? 楽しく酒を飲んで年を忘れてる場合な どじゃないだろう!? などという建前の怒りは数杯の酒の前には無力に等しい。ま、いいか。
 暮れも押し迫った30日。我が家に私のマックがやってきたのだが、この件に関しては後述する。そして遂に31日、専門用語で言うところの大晦日を迎え る。何年か前から年越しは友達と一緒に、何故か私の家で飲んで騒ぐというのが通例となっていて、この年もこのルールに従う。たびたび登場している「ラーメ ン男・栗尾」が前日から先乗りで家に来て仕込みを始める。無論ラーメンのスープの仕込みだ。もっとも栗尾はラーメンを作るのが得意だからラーメン男なので はなく、その由来はラーメンを食す回数にある。一年に250杯程、三日に二杯の勘定だ。しかも彼のラーメン手帳には食べた店のデータなどが細かく記されて おり、趣味というより使命のようだ。ラーメンの国からラーメンを広めにやってきた男、またの名をアニメ界の小池さん。それほどのラーメン好きが高じて彼は うまいラーメンを作るべく研究を重ねて来たのだ。持参したスープ鍋にマニアックな手つきで様々な素材をぶち込み、ぶつぶつ独り言を言いながら火にかける。 栗尾の本領発揮だ、煮込めスープ。
 年越しの宴のメンバーは当然パーブルスタッフである。前出のラーメン男・栗尾を始め、演出の松尾夫妻、原画の“師匠”本田氏、仕事は遅いが美男の二村 氏、温泉番長・中山勝一氏、そして私と妻の計8名。自家製ローストビーフや勝一氏手製の濃厚なケーキ、そして真打ち、栗尾の「年越しつけ麺」などで盛り上 がるが、近所の神社への初詣は、あまりの混雑のために不発に終わる。またしても嫌な予感。作品完成の祈願は神様に届かないというのか。うちひしがれて私の 家に戻った一同を救ったのは、何と深夜のテレビで放映された劇場版「機動戦士ガンダムI」であった。正月といえばやはりガンダムだろう。概ね30歳前後の このメンバーは、まだ素人の頃にガンダムを経験したニュータイプたちだ。無論、アムロの、シャアのセリフを忘れているわけがない。画面より先にセリフを口 走るやつ、劇場版には無いシーンの描写を始めるやつなど現れ大いに盛り上がる。こうまで盛り上がって「ガンダムI」で終われるはずもない。すかさず私のビ デオ棚より「II」III」が引っぱり出され朝までガンダム三昧となる。何時間だよ一体。「今年はガンダムが来る」という確信にも似た予感を感じた素晴らしい年越しと相成った。あれから一年経ったが去年「ガンダムが来た」という形跡はない。残念。
 年は改まり1997年。修羅場を迎えていてもいいはずの正月は実に正月らしく過ごし、状況は何も変わらず、ハマグリは日に日に無口になり始め、私は相も 変わらずレイアウトチェックに追われる日々。そしてとうとう前年11月に言い渡されていた原画アップの締め切り日、忘れもしない1月15日を迎えてしま う。その前日まで何の前触れもなかったのだ。がやはり本当だったのだ、あの噂は。現場のスタッフの間でささやかれていたその噂とは「絶対無理だよね、1月15日なんてさ」
 その通りだった。我々は何事もなくこの日を迎えた。スケジュールのスの字も聞きゃしない。
「とうとう来たね、作画アップ」
「来ましたねぇ」
「本当に来たのかね?」
「そうよ来たのよ」
「そうかねぇ」
「だめだめ、そうに違いないわ、お父様」
 小津安次郎か、お前らは。
 こうして「絶対守らねばならない原画アップの日」を心穏やかに迎えた我々スタッフは、いつもの阿佐ヶ谷駅前の酒とそばの店で朝方酒を飲んで愉快にこの日 が来たことを祝いましたとさ。さてこの話が伝える教訓とは何でしょうか? それは「放っといても締め切りは来るけど、呼んでも来ないのが制作」アニメの基 本です。(アニメの制作の方で、もしもこれを読んでいる方がいましたらごめんなさい。きっとあなたはよい制作だと思います、理由はないけど。この話は一般 論というか、そのぉ、えっと……ごく一部の、その、私がエライ目にあったというだけで……気にしないで下さい)

 なかなかタイトルにある外国人助っ人の話題が出てこなかったが、今回の本題はここからだ。1996年当時私の家にはQudra640というマッキントッ シュがいた。無論日本ハム・ファイターズにいたマッキントッシュとは兄弟だ。元々このマック(巨人にいたマックじゃない方)は妻が仕事で使う為に雇ったの だが、速球についていけなくなってしまい、新外国人選手パワー・マックの加入で引退、新人選手のコーチとして我が家に赴任してきたのだ。新人選手とは無論 私のことだ。バッチコイ。電源の入れ方に始まり、マウスの扱い、どこをクリックすると感じるのか、インターネットの恋のイロハ等々日夜親身になって付き 合ってくれたものだ。厳しいトレーニングが続き私も少しは上達していったものの、それでもまだこのQudra640というコーチは私には過ぎるものであっ た。しかしパーフェクトブルーの方でも何かとコンピュータによる処理というのが取りざたされており、さらに当時の私は「お金、それも大金を使いたい」とい う闇雲な衝動に駆られていたのだ。この煩悩は仕事の激化とともによく現れ、ふと独り言のように漏らしてしまうのだ「金使いてぇな」と。漫画にしろアニメに しろ忙しさは非常識を極める仕事、寝る間を惜しんで稼いだお金を使う暇などあるわけもなく銀行の残高とストレスはたまる一方なのだ。大した額じゃないが。 ともかく「お金使いたい」欲求に突き動かされた私は大枚をはたいて新外国人選手を雇い入れることにした。選手の選定についてはやはり専門家の意見が必要と なり、ダン野村氏に相談した結果パワーマック8500/180に決定。モニターだのMOだのタブレットだのといった取り巻きも引き連れ彼はやって来た。暮 れも押し迫った12/30のことである。
 箱を開けるのももどかしく早速出してみる。ナイストゥミーチュ。おお、かっこいい……? おやおや、CDトレイのベゼルが外れているぞ。ははぁ、輸送途 中に外れてしまったんだな、ちゃんとはめてあげよう。カチリッ。これでよし……と。ピロリン。あれまた外れたぞ。カチリッ…………よしと…………ピロリ ン。ヘイ!マック ワッツハプン?
 がーーーん!折れているではないか、爪が。 
 がっかりすること数分。泣く泣くセロテープで留めて、セットアップをしていると、またもやピロリン。「はずれだね」妻の言葉が胸を刺す。やはりこの一年はパーフェクトにブルーな年なのか……。何をいうか!!中身が壊れてるわけじゃない。来日早々故障に泣くひ弱な外国人選手ではないのだ決して。その証拠に起動音も高らかにちゃんと動くではないか。心底安心。
 この日以来彼、選手登録名「俺のマック」は私のために日夜インターネットからアダルト画像をダウンロードして……違う、アイドルの顔とエロ写真を合成し て…それも違う、ともかくパーフェクトブルーのためにめざましい働きをする筈だった。が、よく考えれば自明の理なのだが、仕事はそれ以後さらに忙しくなっ て行くわけで、日増しに仕事場にいる時間が増大しささやかな休日は押しつぶされ、自宅で過ごす時間は言語道断なほどに減少していく。
 「出番がないぞ!俺のマック」
 マック使いたい症候群にかかっていた私としてはこれは辛い。これではマック進級試験に受からないではないか。ちなみに当時の私は9級、だるま浮きがやっと出来るくらいだ。何だよ、だるま浮きって。

963

カット963のチャムのポスター。作監の手は入っていますが、元の絵を描いたのは私。凡庸かつ恥ずかしいダサダサのデザインは私。背景に合わせて色を変えて若干ノイズを加え、ポスターらしくたるませたのも私。そうさみんな私が悪いのさ。

 何より問題はパーブルで予定されているパソコンによる処理だ。といっても最近流行のデジタルアニメとは随分趣は異なる。そういうカットも出ては来るのだ が、その話題はまた後述する。作品内には多数のポスターやチラシ、雑誌等が登場する。主人公の部屋や彼女の所属する事務所などの壁にはチャムやドラマのポ スターなどが、重要なファクターとして、あるいは雰囲気作りのために貼ってあるし、彼女の活躍や重要な事件を伝える雑誌や新聞が大写しになる。従来ならば カットごとにそれぞれのパースに合わせて手で描くわけだが、これは見栄えもよろしくない上に大変な労力を要する。「普通に見えればよい」と言うことのため にはかなりの努力を要求されるのだ。それにただ普通に見えればよい、では済まないカットもある。他の人にはどう映るのか分からないが、雑誌などがびっしり 置かれてあると、特にそれが描かれたものだったりすると特に「痒い」感じがするのだ。変? 登場人物の描写としてそういう感覚的な、皮膚感覚のようなもの は大事にしたいので、そういったカットでは尋常ではない描き込みが欲しいのだ。とはいえそこまで手書きで表現するための労力は実に重すぎる。そこで噂に聞 いていた外人選手・マックに頼もうという案が浮上してきたわけだ。マッドハウスには以前から7500という選手がいたのだが、これは我がパーブル班のいる 建物とは別のところにおり、また他の作品との共有物で、専任のオペレーターがいるわけではなかった。やはり欲しいではないか、パーブルのために働いてくれ る専属のマックが。マックを雇うというのはさしたる高額ではない。私ですら自宅で雇えたくらいだ。しかもいくら予算が安いと言っても一億近くかけてる作品 だ。数十万の出費くらい何とかなりそうなモノではないか。しかもその後も他の作品でも使えるわけだし、ね?
 ならないのだ、これが。戦力の補強に関して、フロントには大分以前から外国人選手の獲得をお願いしていたのが、その金はないというにべもない返事。とこ ろで「にべもない」の「にべ」が体長80センチほどの、にべ科の海魚だということを知ってますか? しかもその浮き袋から作った粘着力の強いにかわをそう 呼ぶと知っていましたか? 私はさっき初めて知りました。あれ、どこまで話したっけ? 「今年はイデオンが来る」ってとこまでだっけ。言ってねぇよ。
 エモやんの言葉を借りるまでもなくフロントの頭の固さというのは周知の事実だが、何も我々はデジタルアニメをを作ろうというのではない。パースに合わせ て変形したポスター等をを出力し、背景に張り込み通常通りに撮影するという、実にアナログなのだ。パソコンでいいのだパソコンで。それとそれを使える人間 を一人、すなわち外国人選手の通訳みたいな人を一人入れて欲しいだけなのだ。

 再三にわたる交渉で遂にフロントも妥協案を出してきた。諸々の事情を検討した結果『予算の中から出せるお金には限りがある』それは分かる『マック自体も歩いて2分のビルにある』ビルとマックか。違うビルの中にマックだな、それも分かっている。『予算には限りがある』それは聞いた『お金はあまりない』早く言えよ『早い話が人を雇うか機械を入れるか、どっちかだ』ああ、それは仕方がないよな……って、ちょっと待て、それはもしや究極の選択ではないのか。人か機械か。外人選手は雇えるが通訳まで雇う金はないということか? あるいは通訳だけ? 通訳だけ雇ってどうするのだ? 
 確かに会社に元からあるマックは使えるのだから、一人人間を入れるだけでことは済んだのかもしれない。しかしパソコンの処理の上がりをチェックするのに いちいち離れたビルまで行くのは面倒くさいことこの上ない。「監督」の時間はもう少し有効に使いたいし、パソコンは手元に置いておきたい。それに私もさわ りたいし。となると「人か機械か」という選択の答えは迷うことなく「機械」ということになる。では扱うのは誰なのか? 外人選手・マックの通訳は誰がする のだ? 

 俺。

 俺? また俺かい!? ああ、何でいつも自分で抱え込んでしまうのか。だるま浮き9級の私が、何故無謀にも荒波に向かって泳ぎ出すような選択をす るのだ。この安直な選択は間違ってはいなかったのだが、その強烈なツケは最後の修羅場でいやという程払わされることになる。溺れる俺。
 97年2月頃、ともかく我がパーブル班のスタジオにやって来たのだ、外国人助っ人・マッキントッシュが。但しレンタル。貧乏だなぁ。
 借り物とはいえ彼は来日してすぐにめざましい活躍を始める。H画像を見たり、ゲームをしたり、アイドルとスタッフの顔の合成というお約束の遊び、他にも ゲームとかH画像とかゲームとか……役に立ってないではないか。いや実をいえばこういうバカな遊びなどを通じて彼、マックとのコミュニケーションを図り、 来るべき日に備えていたわけだ。そうかなあ? しかし、その甲斐あってかスタジオ内にパソコンブームが到来し、演出・松尾氏とラーメン男・栗尾が相次いで パソコンをゲット。但し栗尾のパソコンは「ニセ外国人選手」と噂のウィンドウズだったが。

D.Bposter C272他兼用背景。作品内で一番ポピュラーに使われたパソコン処理の一例。元データになるポスターを一枚作っておいてカットに応じて変形して貼り込むという、素人にも出来る処理。作品内で「普通」に見えるかどうかがポイント。
285poster C285地下鉄内の吊り広告。未麻にホームページのことを思い出させるために必要だったカット。当然「ホームページ」の文字が大きくないと意味がない。現実の広告を考えればこんなに密度が低いわけはないが、あまりにリアルにやると浮いて見えるのでこれが限度かも。デザインはこういうのが本職の妻の手によるもので、変形等は私。
mima.h.p C652/A未麻の部屋というホームページ。何度かでてきますがこれもさすがに手書きじゃ感じがでないのでパソコンで作成。こんな恥ずかしいデザインをしたのは30過ぎの私。このデータを出力したものを撮影するというアナログさが泣けます。さらににマウスポインタが動いたりするのは撮影の方が手引きしている筈。ぎこちない動きがお金と時間のなさを感じさせて悲しくなります。ホントに泣けてきます。
120bg C120未麻のマンションの入り口。さてこれのどこがパソコン処理なのかといえば、まずは壁面のタイル。正面から描いたグリッドをパソコン上で貼ってます。さらにこれは韓国上がりのちょっと悲しい背景をフォトショップで泣きながら直しました。それも監督の仕事……違うだろ普通?
上のは代表的なほんの一例ですが、いかにアナログな発想による「デジタル処理」かお判りいただけたでしょうか。

 日を追ってマックとの意志の疎通は深まっていく。私だけでなくむしろ演出・松尾氏が扱いを覚えていったことが作品に大きく貢献した。前述したようなポス ターや雑誌の表紙等をパソコンで作成、変形するという非常にアナログな処理は勿論だが、パソコンを手元に置いて使ってるうちに色々な使い方のアイディアも 出てくる。その一つがカットのシミュレーションだ。アニメでデジタルといえば、いかにも3Dです、テクスチャ貼りましたというのが注目さているが、我々現 場にとってはむしろコンピュータの導入でシミュレーションが可能になったということの方が大きいと思われる。従来のアニメーション制作の過程では原画・動 画・仕上げ・背景というすべての工程を経て、そして撮影して現像してフィルムになるまで結果をプレビューできないのだ。何とアナログ。動画のタイミングに しろ背景の引きの幅や速度、カメラワークなどもフィルムになるまでその成否が把握できず、フィルムになってからのそうした部分でのリテークというのは時間 的予算的にも限りがあり、故に職人的な勘や経験値に頼らざるを得ない。頭の古い演出屋さんたちはそこにプライドを持っていたりするのだろうが、例えて言え ば、大昔写真を撮れるというだけでカメラマンという商売が成立したのと同じで、それだけの存在は淘汰されていく。今時「写真を撮れる」ことではなく「どう いう写真を撮るか」しか問われないわけで、その手助けをしてくれるのがテクノロジーだろう。
 話がそれたが、パソコンの導入でカットのシミュレーションが可能になり、大雑把ではあるがプレビューが可能になったわけだ。具体的にはレイアウトの段階 でコンピュータに取り込み、背景やBOOKの引きを実際に行い、そうしてプレビューすることにより、演出が意図した効果になっているか、イメージしていた フィルムに仕上がりそうかを確認するわけだ。実際パーブルでも経験値や勘だけでは予測しにくいカットをいくつかシミュレーションしイメージに近い成果を得 ることが出来た。もっともシミュレーションを全カット行うとするとその手間と時間もさることながら、「ちょっと違う」「もうすこしこう…」といったNGが 連発されて作業は前に進まなくなり、スケジュールは崩壊、その影響でスタッフと作品の持つ元気は損なわれ、結果「完成度の高い駄作」になる恐れもあるの で、現段階では程々に使うのがよろしいかと思われる。

stage02

演出・松尾氏がレイアウト段階でカメラワークを シミュレーションしてくれたチャムのステージシーンより。左の絵くらいから始まりカメラは客席の間を右に移動しつつチャムを捉え、同時に若干ズームアップ。実際にはチャムの3人とステージは2段のスライドで右に引き、一番ステージ側の客は止め、手前の客たちは2段のスライドで左に引き、一番手前の客は2コマの作画引き写しで送っていたと思う。カメラ移動による回り込みの感じを出したかったのだが、まあまあうまくいったのではないでしょうか。

 たとえ演出が初めての人間でもイメージさえしっかりしていればプレビューに対して判断は下せる。但しこれらのカットはフィルム上ではデジタル、あ るいはコンピュータの存在は無論感じられない。こういう使い方しかしないと、「デジタル」にお金を欠けたつもりの人にとっては不満かもしれない。そうした 人々にとっては「いかにもデジタル」というかっちょ悪いフィルムの方が有り難いのだろう。しかし私と演出・松尾氏にとってはこういうことこそがデジタルな のであった。流行の言葉で言えばこれがデジタリアンさ。かっこ悪。他にも部分的にではあるがコンテを取り込み尺通りにつなげて流れを把握したり、間の悪い カットの尺をいじったりもした。演出する人間にとっては実に頼もしい外国人助っ人マック(巨人にいたマックじゃない方)である。

 デジタルに関する話はもう少し長くなりそうなので、次回に続くことにする。

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