■…もっと悲鳴を

 コンテを描いているときから意識していたのだが、私は割とオフのセリフを好んで使う。通常口に馴染むようにオフゼリフと言う。オフゼリフとは一体なんぞや?と思われる非業界人もおられようか。
 一言で言えば画面外のセリフということか。オン、オフというのは画面にそのセリフを喋る人間が映っているか否かだ。

  アニメにしろ実写にしろ大抵は話している人間が画面に映っていることが多い。話している人間の様子や芝居が大事な場合当たり前であろうが、取りたててイ メージがないときにはとりあえず喋っている人間を映すというケースも多く見られる。会話シーンでオンゼリフばかりでカットを繋ぐと非常にテンポの悪い、い かにも無策なシーンが出来上がる場合が多いのでセリフの途中で次のカットに切り替えたり、カット尻から次のカットのセリフを入れたりするわけだ。また絵の つながりがどうしても悪くなりそうなときはセリフや音をカットにまたがせて繋ぐという方法もとるのだが、アニメが面倒なのはその辺のことまでコンテ段階で 考えなければならないことで、後から編集というわけにはいかないのよ。

 小津安次郎は短いセリフでもその人物が喋っているカットを挟んで「主が客をもてなすようにカメラを向けた」というようなことを聞いたことがあるが、そんなに私は親切じゃない。たかがこんなアニメで小津を持ち出すのもどうかと思われるが、気分だけは「監督」なの。

  喋っている内容と絵が伝える内容は時に相反するものにしてシーンに深みを持たせたり、また同じことを語ることで内容を強調することもできるわけだが、その あたりの使い分けは実に楽しく演出のしがいのあるところ。私の場合セリフの内容そのものや話している人間の顔や表情よりも、むしろ聞いている人間のリアク ションや表情の方が重要な気がするので、必然的にオフゼリフが多くなるようだ。芝居気たっぷりに切々と真情を吐露する、等といういかにも客を感動させよう などというカットにお目にかかると、私はマッハで引いてしまう。さぶっ、というやつだ。一般的にはそうした部分が役者の見せ所であったり、感動超大作への 切符であったりするようだが、私としては鬱陶しいったらありゃしない。

 そんなセンスだからインディーズなんだ、って?。結構。

  さて、オフゼリフからオン、オンからオフというつながりが多いというのはアフレコが難しいようだ。特にオフからオンというのは、前のカットでセリフの途中 まで喋り、次のカット頭から口を合わせなければならないのでセリフのスタートが合わせにくいのであろう。加えてフィルムの状態が、その、いや、なんであ る。声優さんには実に申し訳ない。
 前振りが長かった割にはたいした書くこともなかったな。

 さて作品を御覧になった 方にはお判りであろうが、この作品、未麻の喘ぎや悲鳴などが大変多い。擬似的とはいえレイプシーンだのアクションシーンで、「ハァッ、ハァッ、ハァッ」 「キャアアア」「イヤァァァァ!」「助けてぇっ!」等々、アフレコ台本をめくっているといかにも頭の悪そうなアニメである。

 作品上 必要だと思われるから自信と誠意を持って作ったカットたちなのだが、いざアフレコに臨むと何だか非常に辛いものがある。岩男さんの悲鳴と喘ぎが大音量でス タジオを覆うのだ。しかもリハーサルだのリテークだのを含め、同じことを何度か繰り返すわけで、その上こういった息づかいや悲鳴が続いたりするシークェン スでは、それらがカットにまたがるため特定のカットを抜き出して、そこだけ取り直しというわけには行かない。リテークの場合頭からやり直しということにな る。

 正にレイプシーンでの未麻と同じ状態である。ひどい、あまりにひどい。誰のせい?俺のせいだよ、分かってるっちゅうの。
 完成した作品を観る女性の非難が聞こえるような気がした。

 「あなたは女性の人権をなんだと思っているのですか?」
 「世のおネェちゃんは大事じゃん」煙草プカーッ。
 「女性をモノとして扱うこのような蔑視的なアニメが、子供たちに与える影響を少しでも考えたことがあるのか?」
 「アニメを蔑視的に見てることも問題じゃん? アニメは子供が見るものとは限らないじゃん」煙をプーッ。
 「こういう無神経な性描写や暴力描写が実際の犯罪を助長するという自覚はあるんですか!?」
 「見ようが見まいがやる奴はやるし、やらない奴はやらないじゃん」煙をボアーッ。
 「実際に下劣な映像に感化されて犯罪を起こした例があることを知らないんですか!?」
 「バットで人を殺す奴もいるじゃん? じゃバットも無くした方がいいじゃん。けどさ、それ頭悪過ぎじゃん?」煙をフーッ。

 いかん。アフレコに集中せねば。

421

 カット412、421、428の3カット兼用のレイアウトから。手元に素材が残っていないのが残念だが、完成画面では画面手前に撮影スタッフなどが入っている。
未麻を襲う男たちはA〜Nまでの13人。似たような姿形ではあるが一応描き分けてはいる。こうした大人数を扱うときの人物配置は単調にならないよう、かつ見せたい部分をお客が見やすいように留意するのが大事。

 ともかく岩男さん、熱演である。少々のニュアンスの違いなど気にもならないような怒濤の悲鳴。喉は大丈夫なのか?
 本田雄“師匠”が原画を担当してくれた作品中盤のラジオ局内での追っかけシーン。息せき切って走る未麻。岩男さんの荒い息づかいは臨場感があり必死な様が良く伝わる。懸命に走る未麻、喘ぐ岩男さん。しかしカットは無情にも彼女を追い越していく。
 アラ?

 “師匠”がラフ原画を間に合わせてくれたのであるが、このシーン、カット割りが細かくて原撮ではやはり見づらかったのだろうか、と思ったら岩男さん、モニター見てないし。そりゃ幾ら色が付いてないと言ってもですね、も少し、その画面をですね、見て欲しいかな……ね?。
 それでも岩男さんは熱演をとめない。ウィリアムズにラップされても懸命に周回を続けるミナルディのようだ。去年は速かったのに、ウィリアムズ。今年の凋落は目に余るものがあるが、後半戦での巻き返しに期待する。しまった、話がピットインしてしまった。
 「おいおい、どこまで行くんだ」とは音響監督。普段コンソール側の声は中には聞こえないようになっているので、こちら側では好き勝手なことを言ったりもする。
 さすがに10カットほどずれた時には、はたりと芝居をとめ「すみません」と小さな声で岩男さん。なぁに謝るのはこちらの方ですよ。

  作品後半、未麻が内田に襲われるシーンでも岩男さんの悲鳴が響きわたる。このシーンもフィルムの状態が尚のこと分かりにくかったと思われる。一応ラフ原画 になっていたのだが、特に未麻の芝居が分かりにくいカットが多く、岩男さんはやりにくいことこの上なかったかと思われる。完成したフィルムでは作画の芝居 と声の芝居がまったく合ってないカットが………私の心も悲鳴を上げる。それにしても、何と未麻の裸になるシーンが多いことか。ちょっと反省。

 内田の声を初めて聞いたのもこのシーンであった。

「お前の声なんか誰にも届くもんか」

 このセリフは脚本にはなかったと思う。少々無粋な説明ではあるが、「声が届かない」というのは単純な意味で「助けを求める声は誰にも聞こえない」というのと、「汚れてしまったお前の言うことなんかは誰にも通じやしない」という意味も込めたかと思う。

  前にも書いたと思うが、コンテ段階から内田の声は「甲高い」というイメージであった。キャラの見た目とのギャップを大事にしたつもりなのだが、「声」に関 しては上手くいったとは思うが、芝居のイメージは少々力が入りすぎ、というか前回記した「オタクの芝居」と同じで「さも変態である」という感じであったろ うか。抑揚が有りすぎる。

 変態というのは常人には理解しがたい存在である。だからこそ変態なわけであるし、それを観客に対して「分かりやすくする」というのは間違いであろう。「分かって」しまってはそれは変態とはいわない。「理解できない」ことが怖さにつながると思うのだが。

  内田の芝居は顔と同様「声」も無表情で、時折突発的に感情の噴出するというイメージだったのだが、あまりに解釈の差が大きかったので、声優さんの解釈に合 わせて、その流れの中で調整を計ることにした。少々弱気ではあるが、あの時点で根底から覆すようなことは出来なかったと思う。それに、だ。一番肝要な演出 として、内田の最初の一声は、インパクトが十分にあったと思うのでそれを良しとしたのさ。それに正直な話、私も後付でイメージが膨らんでいる部分も多かろ うし、当時そこまで明確に考えていたかは甚だ疑問である。記憶は都合良く変化して行くものさ。

 今思うと全般にもっと演技に要求をし ても良かったのかもしれないが、当時はそれが最良と思われた方法だったので、やはり他にやりようはなかったのかもしれない。それにあらかたが動撮や原撮 だったせいもあると思うのだが、そういった鉛筆だけで描かれた未完成画面では、全体にオーバーめの芝居の方が私自身、安心感があるという錯覚もしていたよ うだ。ただ、色が付き完成した画面にそういった声を合わせると芝居があまってしまうらしい。当然といえば当然だが、「絵」だけで充分伝わる部分を「音」ま でが埋めてしまうことに起因するようだ。しかし経験不足も有り、そこまで予測するのは不可能というもの。もっともそんな「原撮動撮アフレコ」といったその 場しのぎの方法に経験豊かになるというのも考え物であるがな。

 次の機会があればこの経験を糧にしたいが、あったとしても、用意される席はきっと針の筵だったりするのだろうな。そんな席に座っても平気なように、中国の達人に気功でも習っておこう。
 そういう問題じゃないか。

 さて、残念ながら初日と二日目の明確な分かれ目を覚えていないが、5月8日アフレコ二日目は、初日よりは幾分心穏やかに迎えられたと思う。

  同じく六本木アオイスタジオ、初日とは違う部屋での録りとなったこの日は千客万来でもあった。脚本の村井氏がまず顔を見せてくれ、原撮だらけのアフレコ用 のビデオを見てくれたらしく「良い出来じゃないですか」との評に幾分救われる、ということはない。更に企画の岡本氏、原作の竹内氏も顔を出してくれ、同様 に「あの状態でも面白い」というようなことを言ってくれたが、やはり救われることはない。更に更に。「アニメージュ」と「ボイスアニメージュ」の取材が あったのだが、ついでに両編集長が取材の担当でもないのに顔を出してくれた。この二人実は以前「アニメージュ」で「犬漫画」を連載していた当時の担当の方 々であった。「アニメージュ」誌上ではなかったことにされているようだが、個人的にはそんな作品があったことを覚えてもいたのだろう。コンテを読んだとか で「傑作じゃないですか」と当たり障りのないことをいってくれるが、救われることなど決してない。「犬漫画」ですら連載早々から「傑作になる」と浮かれて いた人だ。話も10分の1に聞いておく。

 それにしても皆さんから励ましの言葉をもらう度に私としては、嬉しさ半分情けなさ半分といったところであったろうか。皆に励まされながらビリッケツでよろよろとゴールを目指すマラソンランナー、といった感じか。どうもそういうキャラクターは苦手だ。

 基本的には話の順番通りに録っていったはずなので、二日目は後半のシーンが中心である。
 大変印象的なエピソードがある。埠頭でのドラマ収録のシーン、これはレイアウトが全く同じで、天気だけが違うパターンが出てくるがその2回目、快晴の シーンのこと。ロケ見学者の中に警備員姿の内田を見つけNGを出してしまう未麻。カット744、先輩の落合恵理の「何かここのセリフ、夢に出てきそう」と いうセリフに対して未麻が謝る「すみません」
 モニターの中と全く同じ場面がブースの中で見られた。まだ若干硬さの残る岩男さんが、この場面でNGを出し、恵理役の篠原恵美さんに対して謝るのである。「すみません」。この二重構造こそが正しくパーフェクトブルー。
 しかしやはり演技ではないその「すみません」の、なんとナチュラルで素晴らしいこと。それを本番テークに出来ないのが至極残念であった。岩男さんも気がついていたのか、後に聞いたところ『今の感じ今の感じ』と思っていたとか。

 作品後半では未麻とルミの二人だけの絡みのシーンも多い。
 未麻は段々と元気がなくなっている感じなのだが、どうにも松本・ルミに釣られるのか岩男さんのテンションが上がりがちになる。独り言に近いようなセリフ の感じなのだが、松本さんの放つ原色のオーラのせいであろうか、声に張りが出てきてしまうのだ。「元気出過ぎだよ」といった指示が音響監督から出る。
 また松本さんのシーンに対する解釈、というかルミと未麻との心理的な距離感の取り方が他のシーンに比べて若干遠くなったところがあったが、「ルミもう少し未麻に寄ってます」といった指示で次のテークから見事に未麻に寄り添う感じとなる。
 「5月8日パーフェクトブルーの松本梨香さんの演技に感激。テープが回ると別人……。」
 いや、ホントに。

 確かこのあたりの未麻とルミのやりとりのシーンを収録していた最中のことだったと思う。ブースの中の岩男さんと松本さんのシリアスな芝居が続いているの だが、どうも松本さんの様子がおかしい。しきりに後ろを気にして不審気に振り返る。コンソールの方で三間さんもその様子に「どうかしたのかな。梨 香……?」といぶかる。と、かすかに聞こえて来る鼾。「グオォォォ……グオォォォ……」テープが止まる。鼾の主はマッドハウスのプレジデント、丸山さんそ の人であった。
 ブースの中にはソファがおいてあるのだが、そこでマイクが拾うほどの音で思いっきり鼾を立てて眠りこけていたのであった。「社長! 頼みますよ」という三間さんの言葉に頭を掻きながらブースから出てくる社長であった。「いやぁゴメンゴメン」
 迷惑をかけているのか場を和ませるのか全くもってキャラクターが立っている社長である。

 カット972、という大事なカットがある。作品を観た方でこのカットを覚えてない方がおいでだとしたら、演出者としては大失敗ということになる。ルミが歌うカットである。
 「♪恋はドキドキするけど、愛がLOVELOVEするなら……どう? バッチリでしょ? やっぱりアイドルは歌わなきゃね!」
 という例のアレである。「愛の天使」の歌詞の中でも一番恥ずかしいところを選んだつもりだ。他のアニメ演出家の方と違ってかっこいい絵で決めカット、という真似が出来ない私の精一杯の決めカットのつもりだ。ホントかよ。

  まぁそれはともかく。なかなか歌が合わないのである。このカットは本撮までには至らなかったが、セルは色が付いており見づらいというわけではなかったのだ が、歌い出しの「恋は」という部分は前カットのオフで始まる。賢明な読者諸氏においては冒頭に説明したオンとオフの違いは頭に入っているかと思う。
 前カットのケツで「恋は」と始めて、次カット頭から「ドキドキするけど」と口を合わせるのは、やはり難しいのであろう。しかも、ストーリー的には重要かつシビアな流れの中で、唐突なほどにぶっ飛んだ陽気さを要求しているカットだ。
 数回のテークが重ねられ「OK」が出るが、松本さん自らの要望で更にテークを重ねてもらい、“温泉番長”中山勝一氏の作画と相まって実に納得のいくLOVELOVEなカットになったのである。

 昼休みに入ったときであったろうか。廊下でタバコを一服しようと立った私に、台本を胸に抱えた岩男さんがためらいがちに質問をしてくれた。
 「あの、今みたいな感じでいいんでしょうか?」
 自分の芝居に不安なのだろうか、岩男さんは随分と小さく見えた気がする。ただでさえ小さいのというのに。しかも長身の私から見ると必然的に随分と見下ろ す格好となり、不安気な様子もいっそう強調される。弱いもの、気の毒なものを描写するには俯瞰のカメラは常套手段、映像マジックの基本か。
 「バーチャルが元気良くなっていくのと対照的に落ち込んでいく未麻、というのを特に心がけてね」
 「はい」と頷く岩男さん。
 ああ、なんと素直な子な良い子ではないか。だというのに、あんな芝居だのこんな芝居だのばかりで、申し訳ない。

 ちなみに昼食は仕出しのお弁当であったと思う。
 味? 美味しく喉を通るはずがないだろう?

 二日目のアフレコの目玉はもう一人の未麻、通称バーチャル未麻の録りでもあった。前年のまだスケジュールが崩壊する以前に持たれた音関係の打ち合わせで は、バーチャル未麻の声は「ダミーヘッド」を使って臨場感を強調して録ろうか、等という話も出ていたが予算かスケジュールかの圧迫により当初から無かった ことになったようだ。
 それに音響全体の話であるが、スポンサー側から「デジタルドルビーでやりたい」という話も当初はあったようで、三間さんが見積もりを出したところ、あま りに高額につく、という理由で「じゃ、ただのドルビーで良いです」ということになり、やはりその見積もりを出したところ「ツーチャンネルステレオでいいで す」ということになったらしい。しかも劇場ではただのモノラルになってしまうという恐るべき“劇場作品”である。やれやれ。
 話をピットアウトする。

  前回のノーマル未麻のセリフをプレイバックしながらバーチャルの録りということで、いわば岩男さん一人での掛け合い芝居である。最初にバーチャルが登場す るのは、カット359、レイプシーンの台本を巡って事務所でいざこざがあった後の電車の中で、窓ガラスに映った未麻がバーチャルに変わるカットである。セ リフは「私、絶対イヤだからね」
 アフレコでもここがバーチャルの最初の録りだったと思う。ノーマルの未麻とはまったく違うテンションでの岩男さんの演技。感触は悪くない。二日目で慣れ てきたということもあろうし、こういうある種作った芝居の方が入りやすいのかもしれない。とびとびのシーンで出てくるバーチャルを続けて録るに従って、岩 男さんの芝居もどんどん良くなっていく。イメージに近いバーチャルだ。特に少々不安があったノーマル未麻の部分も、バーチャルが絡むことで際だってくるこ とが多く、凡庸な言い回しだがフィルムにも生命感みたいなものが宿ってくる。大変よろしい。

  岩男さんの調子も良いらしく、ポンポンと録りが進んでいく。と、あまりの調子の良さにコンソール側でも欲が湧いてくる。最初に録った「私、絶対イヤだから ね」がもう一つのような気がしていたのを録り直す。大事なカットなので三間さんもさらに何度かテークを重ねてくれる。OKテークのプレイバックに思わず 「うぅわッ!ヤな女だねぇ」という声があがる。大成功である。

 ラストシーンの未麻というのも印象的であった。ルミのいる精神病院を訪れた未麻の芝居を聞いたときには軽い驚きがあった。
 「もう…会えないのは分かっているんです……でも…あの人のおかげで、今の私があるんですから…」
 岩男さんは大人の未麻を演じた。意外であった。

  実はこのセリフは脚本にはない、というよりこのシーン自体、私が作ってしまったものである。いやそれ以前に元のシナリオではルミはトラックにひかれて死ぬ ことになっていた。ラストシーンに関してはシナリオ段階から意見は色々とあって、最終的な形は「監督預かり」ということになっていたのだが、私自身迷う部 分が多々あったので、コンテを描き進めていきながら考えたと思う。最終的にお客さんに対してというより自分自身苦労して1000ものカットを描いてきてさ すがに「報われる話にしたい」と強く思った気がする。ルミが背負うバーチャル未麻は言うまでもなく未麻の過去の姿である。それを死なせてしまうのは話全体 が未麻の「過去殺し」の感になる。それは違う。過去は殺せやしないし、ただ受け入れるしかないものである。トラックにひかれそうになるルミを未麻が咄嗟に 助けるというのは少々無理があるのは分かっていたが、そういう理屈を超えた部分、無意識に突き動かされて未麻の足は前に出た、という都合の良い解釈であ る。とにかく。私はルミを死なせたくはなかった。
 ラストシーンもシナリオはもっと思わせぶりな部分を残した終わり方であった。それはそれで好きな感じでもあったのだが、最後の最後くらい観客に親切にしてあげようという気持ちが働いたと思われる。ひよったな。
 また、完成したフィルムではクライマックスの未麻とバーチャル未麻=ルミの対決の後、すぐにこのシーンにつながっているが、元々のコンテでは間に次のような短いシーンが挿入されていた。

 未麻の映画祭新人賞受賞を祝うパーティ会場。
 その主役の筈の未麻が現れずマネージャーの矢田(レイと雪子二人のチャムについていたメガネの男)が主催者に怒られ、途方に暮れて空を見上げて嘆く。
 「どこ行ったんだよォ 未麻ァッ!!」

ketsuban

 欠番になったカット1072〜1074のコンテ。この3カットだけ で25秒だから尺を削る上では大変役に立ったし、今考えると無い方がすっきりしていてよろしい気がする。実際にはレイアウトと原画まで終わっていたはずで 担当してもらった原画マンには申し訳ないことをした。エヘ。

 時間的な制約により欠番にしたシーンであるが、「映画祭新人賞受賞」としているあたりあの事件からそう時間は経っていない感じにしたかったのだと思う。長くても一年くらいの時間経過だろうか。
 しかしこのシーンが無くなったことで、本編のラストシーンは時間経過がどのくらいあるのか見当がつきかねるようになっている。「欠番」の存在を知っている私にとっては、随分と大人びた岩男さんの未麻は意外に思えたのだ。
 4〜5年は経過している感じだろうか。私もすぐに頭を切り換える。「大人の未麻」であることに何ら問題はないはずだ。しかも。より、良い。
 説明されない時間経過はむしろ想像をかき立てる。実に好ましい。
 しかも看護婦ロ(もう一人はイである)のセリフ「ウソォ? 来るわけないでしょ、霧越未麻が」というセリフはあるが、「映画祭新人賞受賞」を切ったせいでどういう種類の有名人かも分からなくなっている。尚のこと良いではないか、不親切で。
 岩男さんの解釈と欠番の意図しない効果のおかげで良いエピローグとなったと思う。

 ゲスト出演の北野誠さん、南かおりさんのアフレコも二日目のことであった。何かのテレビ番組内での一企画らしく、テレビカメラや照明さんを従えての収録となる。
 彼らの出演シーンはカット818〜820の3カットで、写真家・村野が殺された後、未麻の部屋にレポーターが押し寄せてくるくだりである。北野さん、南さんがそれぞれ“レポーター1(男)”“レポーター2(女)”という役名。
 まず最初に軽くリハーサルをしてみたのだが、北野さんが若干硬さが目立つ。元々の台本の台詞は標準語で書いてあるのだが、三間さんの提案で北野さんネイ ティブの関西弁で喋ってもらう。と、いきなり見事に合う。セリフ尺も問題ない。安全地帯であるはずの未麻の部屋に無理矢理に押し入ってくる感じが良く出て いて良かったのではないかと思う。
 お二人とも勘がよろしいのかあっという間の収録となった。
 ちなみに“レポーター1(男)”が北野さん風な顔になっているのは、アフレコ当日原作者・竹内氏が北野さんに言った「監督に言うてまこっちゃんの似顔絵にしといてもらったら」という心ない一言(笑)で、アフレコ後私がキャラを描き直したのである。

  残念ながら、どのシーンが最後の収録となったかを思い出せないが大体これでアフレコ作業は終了である。実に疲れ果てた。この後アニメージュの取材があっ て、北野さん、竹内さんらを交えて慣れない写真撮影などもされたのだが、隣にいる岩男さんなどは、やはりこういうことには慣れているのか、にっこりと上手 に笑顔でパチリ。私はどうにも上手に笑えない。ああ、上手く笑ってみたい、そう思ったのだ、本当に。
 更にアオイスタジオの喫茶コーナーで一時間ほどインタビューを受け、全ての予定を終了。そのままスタジオへと連行され再び通常業務に励む私と演出・松尾氏であった。そうなのだ、笑ってる場合じゃないのだ。

 アフレコの話ですっかり忘れていたが、この時点で5月8日。3月半ばの打ち合わせで出された「4月いっぱいフィルムアップ」はとうに過ぎている。しかも何度も触れてきたとおり、フィルムはまだ下書きだらけだ。
 通常のビデオ作品などではアフレコが終わって後一週間から10日後にダビングが行われるものだが、ダビングを行えるようなフィルムの状態ではない。一応 説明しておくと、ダビングとはアフレコで録ったセリフと効果音、音楽などを合わせてフィルムにつけていくという最終的なプロセスだ。

 後はダビングに向けひたすら「絵」を用意するばかりなのだが、本当の修羅場はこれから、今度は私が悲鳴を上げる番だ。

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