■ベルリンは燃えているか -6- ■


●2月18日/7日目 (Part.1)●

 この日は午前中から取材が入っていたので、早めに起床して朝食をとる。ホテルの朝食は毎日同じメニューのバイキングスタイル。さすがにうんざりし てきて、初日は皿にてんこ盛りだった卵、ハム、ソーセージ、野菜、パンなども日に日に量が減ってきて、この日は随分と少食だ。ま、コーヒーがあればなんと か目が覚めるからよい。

 昨日の青空とはうって変わって重たい灰色の曇天。ベルリンにはやはりこの色がよく似合う。

 宿泊中のホテルからほど近い、SAVOYホテルのレストランで取材を受ける。午前10時半という、私にとっては非常識極まりない時間だ。普段の生活なら絶対に断っているが、そこは私も大人だ。

 ARTEというテレビ局で、フランス・ドイツ共同で運営している割と上品かつ文化的な放送局らしい。昼食時までは閉店中なのだろうか、誰もいない レストランでカメラ、三脚、照明などのセッティングをするクルーたち。昨日のイタリアのテレビ局とは大違いな準備と段取りだ。その間店内を見回すと、ここ を訪れたらしい著名人たちの写真が壁を埋めていた。名前くらいは聞いたことがあるようなオペラ歌手や役者たち。私が知っていたのは随分前に愛聴していたイ スラエルの歌姫、オフラ・ハザくらいだったが。ガイド本によると「経済的ホテル」に分類されているが、ここの建物は築約100年とかで歴史の重さを感じさ せる。

 ピンマイクをつけてもらい収録開始。ライトがまぶしく、きっと私の広いおでこには輝くハイライトが入っているだろうなぁ、やだなぁ、などとまたも やどうでもいいことが頭に浮かび、やはり緊張感は無し。インタビューアーはフランス人だが言葉は英語。いかにも理知的という言葉が似合う男性である。

 話のとっかかりは、また例によって「“パーフェクトブルー”はライブアクション(実写)でも出来る内容だと思うが、何故アニメで?」

 すっかり慣れたセリフを、文化系テレビ局相手に相応しい形に編集して口に出す。
 「私がこうして日本語しか話せないのと同じように、作品を作るときの私の言葉は“絵”なのです。」
 いたく納得した様子。鼻に抜けた声で「フ、フン」ときたもんだ。

 このインタビューアーは「パーフェクトブルー」を随分と評価してくれているようで「インテレクチュアルな内容のアニメ」などと表現し、なんだか私 の方が申し訳ない気持ちになる。大体、インテレクチュアルだぞ。私の普段のボキャブラリーにはない言葉だし、言葉を発するのもキーボードで打つのも容易 じゃないぞ。intellectual:知的な。ホントかよ。

 「この作品のように、悪趣味ではないインテレクチュアルなアニメは日本で一般的なのか?」

 「いや、一般的ではない。この作品は特別だと思う。」おいおい、思い上がるなよ、俺。ま、いいか、どうせこのオンエアを見る日本人などいるわけないし。それに何と言っても作品の宣伝に来ているのだから、そのくらいは吹かしてもらうさ。

 それにしても、このインタビューも含めてベルリンで受けた取材中、誰も「もぬけ姫」について何も言わなかったが、見ていないのだろうか? 日本では解説本の類まで出るほどのインテレクチャンなアニメだろうに、「そこのけ姫」も。違った、ニッテレチャンなアニメか。

 「登場人物の顔が皆悲しげに見えるが、意図したのか?」

 ほほう、さすが鼻に抜ける言葉でものを考える人間は言うことも違う。悲しげ、と来たか。何と答えたものやら。

 「悲しげというのは考えたことはないが、無表情というのは意識した。自分の感情を露わにするのを控えがちな国民性というのもあるが、本当に驚いた り心底悲しいときに、人は無表情になるものだし、だからこそ見ている者はその無表情の仮面の奥にある気持ちを察して相手に引き込まれ、共感するのだと思 う。デフォルメされたマンガ絵である以上、ある程度誇張された芝居や表情付けは当然だと思うが、あまりに大袈裟な表情などは、それ自体で完結してしまい 返って見ている者を拒絶すると思う。少なくとも私はそういった作品を見るとうんざりして興味が無くなるし、こちらが考える余地を残しておいてくれる方が好 みだ。」

 「ある意味“変わった”アニメを作るに当たって、過激なシーンの問題なども含めて規制や押しつけはなかったのか?」

 15Rに関しては、仕方がないことだと思っているし、むしろ規制されて当然の内容だと思っている。それより修正を要求することもなく作り手側を尊重してくれたREXにお礼を言いたい。おいおい、いつからそんなに大人になったんだよ。

 「制作中は何の規制も押しつけもなかった。予算的時間的な枠を除けば、原作の要素をふまえること以外に内容的には何も要求されたことはない。素晴 らしい環境だったのかもしれないし、そういう意味ではよい偶然に巡り会ったのだと思う。確かに周囲の人たちに止められても仕方がない話作りだったのかもし れない。現場プロデューサーや原作者に素直に感謝している。むしろ我々の方が心配になって、『誰が見るんだ、このアニメ』などと自虐的なことを口にしなが ら作っていたくらいだ。よもや外国人までが見ることになるとは思いも寄らなかった。」

 他には次回作の予定などを聞かれ、3〜40分の収録が終わる。引き続き今度は同じホテルのロビーで二つの雑誌の共同取材を受ける。

 共にフリーライターで友達関係にあるという二人の男性。片方はメガネをかけた細身、もう一人は私の数倍広いおでこの持ち主。あまりに広いとおでこ とは言わないかもしれんが、蔑視的な記述は避けておく。今更そんなこと言うなって? ともかく見た目のキャラクターがはっきりしていてよろしいコンビであ る。
 メガネ氏は「lodown」という若者向けスノボ・スケボーをメインに扱った雑誌に記事を書くという。横長サイズのその雑誌は、ビジュアルの構成が素晴 らしい誌面で、センスを感じさせる。おでこ氏が書くという雑誌は、名前は忘れたがホラースプラッタ系映画等を扱っているという。どちらのライターも非常に 「パーフェクトブルー」を評価してくれており、作品に対する理解も深く、メガネ氏にいたっては「ベルリン映画祭で見た中でNo.1だ」とまで言うヨイショ 上手のノセ上手だ。おかげで私も楽しく受けた取材となる。日本に来る予定があるとか言っていたので、是非定住して絶滅寸前のレッドデータカルチャー「幇 間」を受け継いで欲しいものだ。

 メガネ氏はその幇間としての才能を初っぱなから披露してくれた。

 「作品の成功おめでとうございます。カナダ、ファンタジア映画祭グランプリ受賞で、一躍世界で注目された事をどう感じますか?」

 行こう。すぐに日本に行こう。君は職を間違えている。日本幇間保存協会は君を待っている。

 「そう言っていただけるのは嬉しいのですが、世界にしろ日本にしろ、注目されているという実感はあまりない。制作中も宣伝期間中も私はただ目の前の仕事をこなしてきたに過ぎない。
 作品が扱っている内容にしても、およそ外国の方が見て理解できることだとは思っていなかったし、国内にしたところでポピュラーにはほど遠い素材だ。ああ いったB級アイドルの存在などごく一部の人間しか知らないと思うが、返って良かったのかもしれない。日本の中の東京の、誰も知らないようなB級アイドルを 取り巻くファンやオタクの小さな世界、小物に溢れた小さな部屋、そこに住む彼女の内面……というふうにスケールを小さく小さく作っていったら作品が世界に 出ていたわけで、非常に嬉しい。」

 やはりと言うかいつも通りの質問も出る。「何故ライブアクションではなくアニメなのか?」という質問と「タイトルの意味は?」

 この答えはさんざん書いてきたと思うので、ここでは割愛する。多分いつもと同じ答えをして「意味はともかく、このタイトルは気に入っている」と付 け加えておいたと思う。制作中にはタイトル変更した方が良いのでは、とまで思ったが、今では口に馴染み字面も好ましい。略しても良い響きだ、「パーブ ル」。いいか? それ。ま、中身ズバリのタイトルよりは遙かに素晴らしい。またメガネ氏曰く「意味はよく分からないがミステリアスなムードでよいタイトル だ。」と言ってくれたので、今後その表現は使わせてもらうことにする。

 彼らは「パーフェクトブルー」を“女の子が自分を確立する話”と認識しているようで、私としてはサイコホラーの観点から聞かれるより遙かに気が楽 だ。彼らは「アキラ」や「ゴーストインザシェル」くらいは見ているらしいが、特にアニメファンではないそうだ。アニメ慣れしてない人の方が概ね面白い感想 を聞かせてくれるという例に彼らも習ってくれた。

 メガネ氏は「夢と現実が交錯するシーン」がいたく気に入ったらしく「何度でも見たくなる」そうだ。作品の「ミソ」であるからして、その感想に私は非常に機嫌が良くなる。また彼はこうも言う。  
 「背景が素晴らしい。見ている最中セリフや芝居を見逃すことがあるほど背景に目が行ってしまった。色々なものが細かに描き込まれていてそれを見ているだけで面白かったし、凄くリアルに描写されていた。特に未麻の部屋やオタク(内田)の部屋の物に溢れた様は素晴らしい。」

 ますますヨイショ上手の本領発揮だな、メガネ君。もっとほめて。美監や背景マンの努力、私が苦労して原図を描いた甲斐があるというものではないか。しかし、よく描写がリアルだ、という感想を聞くのだが、そうか?

 そう感じて頂くのは嬉しいし、確かに狙いではあった。とは言え貧乏ビスタという物理的問題だけが原因ではないが、それほど描き込んだ背景だとは思 わないし、描写自体はリアルというにはほど遠いと思うのだがな。セルにしろ背景にしろ、ことさらに「リアルな描写」を要求したわけでもないし狙ったつもり もないし、「リアル(笑)」な描写をした作品は他にいくらでもあるだろう。もっともいくら描き込んで写真的な、あるいは観念的なリアルさを追求したところ で、実在感の演出がなければ背景は書き割りにしか見えずセルとは別次元に入り込み、セルはセルでビニール人形のような質感を際だたせる。描き込むほどに気 色が悪くなっていくだろうに、よく見受けられるケースだ。要は対象物との関わり方、捉え方の問題だと思う。

 「オタクの部屋はまるで自分の部屋のようだった。」

 そう感じる人は多いだろう。私の部屋も大差ない。

 “物と人”というのもこの作品の一テーマではある。溢れる物たちは日常を象徴する、というか動かしがたい日常そのものであり、遊離していく精神を現実につなぎ止める役割を担っている。
 なんだかいつもより余計に喋っております、という感じだ。この、ノセられ上手。

 「背景の中に写真を貼り込んでいるところが2、3ありましたね?」

 まぁ、ホントによく見ていたのね。あったよ確かに。冗談半分だったのだが、失敗でした。

 「“魚”が出てくるのは何か意味があるのか? シリアルキラーを扱った“D-1”という日本映画を見たのだが、やはり“魚”が象徴的に描かれていた。日本では殺人と魚に何か因果関係があるのか?」

 う〜ん、無いと思う。「D-1」という映画を見ていないし、その監督は何か確固たる狙いがあって魚を描いたかもしれない。その方に聞いて下さい。
 未麻が熱帯魚を飼っているのは、一時期熱帯魚ブームがあったというのもあるし、アパート暮らしで飼えるペットで、更に絵になるのはそのくらいではないか と思ったからだ。さすがに未麻が亀だのトカゲだの飼ってちゃ、違う匂いがしてくるではないか。おかしいけどさ、蛇とかね。未麻が体に蛇を巻き付けて悶絶で もしたら15Rじゃ済まないか。

 それとこれは個人的な体験だが、以前我が家で飼っていた魚がいた。名を“ミチル”といい、エレファントノーズフィッシュという古代魚の一種で、名前の通り頭の先端が象の鼻のように長く伸びており、大変ユニークなやつであった。

 ミチルは妻が一人暮らしの時から飼っていたのだが、私と結婚して何ヶ月かで帰らぬ魚となってしまった。なんだか象徴的な気がした。

 ミチルが動かなくなっているのに最初に気がついたのは私。何度ガラスを叩いても動かない。「ああ……」妻が大事にしていたミチル。何と伝えたらよいのだろう?

 妻はたいそう悲しんだ。あまりの悲しみにミチルを冷凍庫に保存したほどだ。その時にふと思ったのだが、彼女が一人暮らしの時にこんな体験をしたら……。

 未麻が魚たちの死をきっかけにして部屋で一人荒れる、というシーンを思いついたのにはそんな背景があった。私生活も切り売りせにゃならんこともあるのだ。許せ妻よ。

 さてその後ミチルはモルグの冷凍庫から出され、妻が丁重に我が家(借家の一戸建)の庭に葬ることになった。晴れた日曜日の午後。埋葬するには良い 日だ。彼女の胸に去来した思いはどれほどたくさんあったろうか。埋葬するべき穴を額に汗して彼女が掘っていたその時、恐ろしくたちの悪い新聞勧誘員の男が やって来た。薬でもやっているのかと思われるほど傍若無人極まりない態度で、勝手に庭に入ってくるは勧誘を断れば凄む、訳の分からない理屈は並べる、不愉 快を通り越して警察に電話しようかと思ったほどだ。おかげで折角の大事な時間はブチ壊しにされてしまった。
 ちなみに朝日新聞だ。絶対とってやるもんか。

 ミチルはその後改めて埋葬された。安らかに眠れよ、ミチル。

 インタビューに答えながらも、頭の片隅ではそんなことまで思い返したりしているのだ。そんなマルチスレッド処理も可能になってます。バージョンアップしたから?いいや元からです。

 「未麻の部屋の水槽がモニターのように見えたのだが、意図していたのか?」

 ほう、鋭いな。さすがに背景をよく見ていただけのことはある。

 「その通り、狙ってました。正面から見たあの水槽のガラス面の縦横の比率は、モニターと同じく3:4にしてある。テレビ画面、パソコンのモニ ター、水槽、外に見える建物の窓、そして未麻の部屋を外から見たときの窓も同じ比率に見えるように切ってある。脚本家・渋谷が車では行っていく駐車場の入 り口もそうだ。
 未麻はモニターのような水槽の向こうに魚を見、感情を見せない相手に勝手に思いこみをする。そしてその未麻をモニターのような窓から、あるいはモニター やカメラのファインダー越しに覗き、自分勝手な思いこみをするファンやストーカー。モニター越しに見る見られるという関係を出したかったのと、モニターの 向こうに勝手な想像を広げるということではどちらにも差は無いという感じにしておきたかった。」

 ああ、そういえばそんなことを考えながらコンテを描いていたなぁ、と思い返して懐かしさを覚える。

 ホテルのカウンターで何やら工事が始まる。天版の化粧板を張り替えるらしいのだが、鋸や板を削るすさまじい音が響き始める。昨日のコピーも凄かったが、それに負けず劣らずだ。何か喋ろうとするとやかましい音がしてくる様は、まるでコントだ。ガリガリガリガリガリ!ガンガンガンガンガン!

 「未麻を取り巻くファンやオタクたちは手に手にカメラやビデオを持ち、彼女をとらえている。」ガンガンガンガンガン!「生で見ているのにファインダーの中に興味があるようだが、何故? 現実でもああいうファンたちは同じなのか?」

 面白いインタビューだ。

 「実際彼らオタクといわれる人たちがどう考えているかは分からないが、私が見る分には指摘の通り、彼らにとっては目の前にいる彼女そのものより、ファインダーの中の、そして写真やビデオの中に記録された対象物に思いを寄せているようだ。」ギュギュギュギュイ〜〜〜ン!「思い通りの想像を描けるから、予想外に反発されることは決してないだろうし、逃げ出すこともない。」ガリガリガリガリガリ!「自分の手の中にあり、自分の好みに編集された形の対象がすきなのだろう。」バカバカバカバカバカ!「冒頭で内田という変態がその手のひらに未麻を踊らせれるのはその象徴だ。」

 おいおい、いつからそんなに偉そうなこと言うようになったんだよ、俺。シュビ〜〜〜ィィン!前から? うるさいよ。ガンガンガンガンガン! エ〜イ、やかましい音だ! スコォォォォォン。何の音だよ、スコォォォォォンて。

 「二次的なリレーションから生の感覚へ、そういうテーマもあったのか?」

 参ったな。面白いを通り越して、難しいことになってきたぞ。こいつらの方が頭良さそうだもんな。

 「無論あった。」ホントかよ? いや、あったさ。無いとは言えない。

 「今の世の中深い人間関係を築きにくい、あるいは実感に乏しい時代と言われてます。傷つくのが怖いから他人と深くかかわらないし、常に言い訳のき く逃げ場を作ってつきあいをする。それが悪いとは思わないしある程度は必要なことだが、他人との関係をうまく結べないということは、自分の中での対話も狭 い範囲に限定されがちになり、結局自分を育てられない。自分自身の中での、また他者との関係のズレを矯正するするには痛みが伴うと思う。それが成長になる のだろうし、緩衝地帯に逃げ込んでばかりの間接的な関わり合いでは、ある意味生ぬるい気持ちよさの中で生きていけるが、代わりに成長も少ない気がする。成 長には痛みが必要でしょうし、その向こうにはもっと大きな充実感や快感や平穏があると思います。」

 何を言っておるのだ私は。

 「非常に音楽が良かった。BGMもチャムの曲もエンディングテーマも作品にマッチしていて素晴らしかった。監督のリクエストだったのか?」

 疲れた頭を休めるようにおでこ氏が聞く。見事なコンビネーション攻撃。攻撃じゃあないか。

 「BGMに関しては明確なイメージがあって普段私が聞いているテクノやアンビエントミュージックをサンプルとして音楽家に渡したのだが、出来上 がった曲の半分は気に入ってはいない。アンビエントのような曲は良いのだが、残りは私がOKを出してもいない曲だからだ。そのようにひどい制作事情だった わけです。
 チャムの歌は最初から現代的ではないアナクロな歌謡曲を狙っていたし、ちゃちなテイストも意図したものだ。好みの音楽ではないが、作品にははまっていたので良かったと思う。
 エンディングテーマは“政治的”な力で決まった曲だ。最初のイメージ、というか私の好みで言えばラストに歌が入ること自体違和感があるが、今では悪くはないと思っている。」

 そんな裏事情までばらす必要もないのだろうが、本当に嘘がつけない性格なのだ。
 いい加減にしろ? まあな。

 「アニメと実写ではどちらの影響が多いのか?」

 さて、どうかな。

 「多分実写映画の影響が多いと思うが、実写の真似事をしたいわけではないし、アニメーションにはまた違ったカットのリズムがある。カットの運びや 構図などは自分が描いていた漫画で培った生理的な感覚だと思う。それ自体実写の影響が強いのだが、動かない絵を積み重ねて描いていく漫画でも、描いている ときには動いている絵を想像しながらコマを割っているので、アニメーションのコンテに置き換えるのは困らなかった。」

 ノセられ上手はいいけれど、この天狗野郎。偉そうに何を言ってやがる。

 「具体的に影響を受けた映画監督はいますか? “パーフェクトブルー”を見ていてダリオ・アルジェントの映画の影響が感じられたが」

 だから誰なんだ? ダリオ・アルジェントって。

 「何度か言われたことがあるのだが、私はそのダリオ・アルジェントという監督の作品を知らないので、何とも言えない。
 映画は好きでたくさん見てはいるが、特に影響を受けた監督を特定するのは難しいし、名前を上げるのもおこがましいような気がする。好きで見ていた監督は 上げればきりがないかもしれない。黒沢明、小津安次郎、今村昌平、小林正樹、岡本喜八、宮崎駿、ジョン・フォード、ビリー・ワイルダー、フェデリコ・フェ リーニ、デビッド・リーン、ウィリアム・ワイラー、アルフレッド・ヒッチコック、アンドレイ・タルコフスキー、ジョージ・ロイ・ヒル、フランシス・フォー ド・コッポラ、スタンリー・キューブリック、フィリップ・ド・ブロカ、マーティン・スコセッシ、ピーター・イェーツ、ウィリアム・フリードキン、デビッ ド・リンチ、リドリー・スコット、ロバート・アルトマン………思い出せない名前もあるし、本当にきりがない。強いて一人上げれば、テリー・ギリアムだろう か。“バンデットQ(何とかならんのかこの邦題。原題はTime Bandits)”“未来世紀ブラジル(何だよ、未来世紀って? 原題はBrazil)”“バロン”の3本が好きでどれも何度も見た。“パーフェクトブ ルー”の夢と現実の交錯というイメージもこの辺りの影響が強いと思う。脚本家との意見交換の中では、ロイ・ヒルの“スローターハウス”とかアルトマンの “ザ・プレイヤー”等のイメージも引き合いに出していたと思う。」

 「“パーフェクトブルー”は残酷な描写やレイプシーンなどもあるが、日本では同じバージョンで公開できるのか?」とは、メガネ氏。

 そんな心配までしてくれてありがとう。「立派に15Rの作品として公開出来ます。」

 途中から友達同士の雑談みたいなムードになってきて、大変楽しませてもらったインタビューとなった。

 この日は盛りだくさんの一日だったので、次回に続くことにする。

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