番外編●ベルリン国際映画祭見聞記

■ベルリンは燃えているか -1- ■

1998年2月12日から一週間ほどドイツはベルリンの映画祭に行って来ました。その時の模様などを、ドイツのオタクやアニメ事情、拙作上映に伴うQ&A、あるいは現地での雑誌取材のことなど含めまして徒然なるままに書いております。


●ベルリン前夜●

 ドイツ。独逸などとも書く。正式にはドイツ共和国。さてドイツといって何を思い浮かべるであろうか。ヒトラー、ベンツ、ナチス、ベルリンの壁、 ソーセージ、グリム兄弟、ベートーベン、ビール、BMW、シューマッハ、ブリキの太鼓、ドイツワイン、クラフトワーク、ローレライの魔女、AUDI、ドイ ツ表現主義、三国軍事同盟、そしてアルベルト・ハインリッヒこと004,それは漫画か。さよなら石ノ森先生、という話題は古いな。精巧かつ剛健な機械製品 を生みだす、厳格なゲルマンの国。特にドイツと関わりを持たずに生きている日本人には、ドイツのイメージとはそんなところが関の山では無かろうか。私の教 養の無さにもかなりの問題はあるとは思うが。

 そんなドイツと何ら接点を持たないこの私がなにゆえにドイツの話題を展開するかと言えば、映画祭である。カンヌ、ヴェネツィアと共に世界三大映画 祭に数えられるベルリン国際映画祭、今年で48回目を数える由緒正しいこの映画祭に、あろう事か拙作「パーフェクトブルー」が招待されたのである。それも 「フォーラム」である。私も関わるまで全く知らなかったのであるが、この映画祭には三つの部門があり、いわば格の高い順に「コンペ」「フォーラム」「パノ ラマ」と呼ばれている、とのこと。「コンペ」はその名からも察しがつくとおり通り賞を競うもので、大賞はベルリンの名の由来でもある熊に因んで「金の熊 賞」である。日本からは「サダ」という映画がエントリーされていたようだが、よその部門は事務局も別になっており詳しいことは分からなかった。興味もあん まりないし……ッて、いつも一言多いんだよな。噂では「特別招待作品」ということでかの「もけもけ姫」もコンペ扱いだったらしい。だからおちょくるのはや めろって。

 さて「パーフェクトブルー」が招待いただいた「フォーラム」という部門の位置づけであるが、聞くところによると映画祭側の審査が「パノラマ」より は厳しいらしく、ここに招待されたのはそれなりに光栄であるらしい。別に映画祭の格式を記すことで拙作の評価を上乗せする気はないので誤解しないで頂きた い。ただそうらしい、ということしか私にも分からない。イギリスのトニー・レインズ氏という映画評論家の方がいるのだが、この方が「パーフェクトブルー」 を随分と評価して下さったようで、氏の紹介で「パノラマ」の方に出す予定もあったそうな。氏曰く「『フォーラム』は無理だろうから」という位なので、 「フォーラム」への招待は身に余る光栄、ということなのだろう。結局「フォーラム」の委員長にあたるグレゴールさんという方が評価して下さったことで招待 が決まったらしい。もっともそんな経緯より私の興味は「どんなうまいビールが飲めるんだろう」くらいのものだったのだ。何たって私の旅費は他人持ちだし、 物見遊山のつもりだ。

 ちなみに「フォーラム」に出品されていた他の日本の作品は、「ラヂオの時間」「東京夜曲」「ナージャの村」「UNLUCKY MONKEY」「ジャンクフード」「青い魚」で、拙作を合わせると7本である。ま、「パーフェクトブルー」などオマケについてるようなもんである。


●2月12日/1日目●

 朝の4時起きである。普段ならベッドに入る時間だ。ろくに睡眠時間を取れず、眠い目をこすり、寝ぼけた頭をコーヒーでたたき起こす。この旅行のた めに購入したトランクいっぱいに詰まった夢と希望と下心をチェックする。いや妻も一緒に行くのだ、とりあえず下心は家においていく。ムゥ、夢と希望だけだ というのに何故にこんなに重いのだ。しかもショルダーバッグにはニコン。これとメガネは海外に赴く由緒正しい日本人として欠くべからざるアイテムだ。出っ 歯が揃えば完璧である。

 いかにも旅に不慣れな者らしく、11時半出発の飛行機にもかかわらず3時間も早く成田に着き、ルフトハンザのカウンターでチェックインを済ませて 暇を持て余す。腹の虫が鳴り始めたので、機嫌でも取りに食事にでも行くとしよう。しばらくは日本食を口には出来ない筈、醤油味の物がよい、と言うことで ラーメンにしようと思ったのだがろくな店がない上に朝早くで準備中の店が多く、やむなくカフェに入る。これで飛行機でも落ちた日には一生の悔いになるかも しれない、さよならラーメン、と頭の片隅に思うが妻には言わない。言葉にすると不幸の確率も上がるような気がするではないか。言霊の国の人ですもの。
 メニューに目を走らせると案の定洋風の朝食が並んでいる。しばし悩み“本場直輸入”の文字に惹かれて決意を固める。

「すいませぇん、バイエルンケーゼ下さい」
 気分はもうドイツだ。

 ルフトハンザ711便で、まずはフラクンクフルトへ向かうことになる。機内は9割方埋まっていたようだが、私の席は機内後方に押し込まれた喫煙席 で、ここは満席。壮観である。昨今の嫌煙運動に肩身の狭い喫煙者がこの一角に押し込まれたようで、室内は白濁し正にガス室の様相を呈している。きっとナチ スのユダヤ人収容所……やめておく。
 約10時間の長いフライトに加え、貧乏席の狭さは長身の私には少々応えるが、持参した文庫本と機内上映のビデオで時間をつぶし、数本のビールと細かな睡眠と2回の食事で鋭気を養う。和食とも洋食とも付かぬ奇怪な食事には少々閉口したが。
 出発前日に買ったその文庫本は「閉鎖病棟」という小説で、実際の精神科の医師が書いた、最近流行の「サイコ」ではない精神病の入院患者たちの日常と自立 を描いたもので、「普通の精神病院」の描写に、実際そんなもんなのかぁ、こんなところにお世話になりたくないなぁ、などとつらつら考えながら頁をめくり、 最後辺りにはなかなかの感動も覚え、飽きずに読み終わる。

 フランクフルトで国内線に乗り換え、1時間のフライトで目的地ベルリンに着いたのは現地時間の夕方4時半。日本との時差は8時間である。家を出た のが朝の5時半、着いたのが日本時間で深夜の12時半に当たる。19時間もの長旅を要するのだ。武蔵野からベルリンはかくも遠いかと実感。しかし時差ボケ は全く感じない。何せ普段の生活が不規則で毎日が時差ボケで、慣れたものだ。

 そして遂に降り立ったベルリンの地。初めてのヨーロッパ、感動もひとしお、かと言えばそうでもなく長旅の疲れに勝るわけもない。しかし何か妙だ。 何か釈然としない。預けていた荷物を受け取り外に出てみて気が付いた。暖かいではないか。出発前に海外販売のプロデューサー、マダムREXに念を押されて いたのだ、防寒対策はしっかりしてきて下さいと。確かにガイド本を見ても冬のベルリンは大変寒く、道路も凍結する恐れがあるなどと書いてある。なぁに私は これでも蝦夷ッ子、生まれつきの寒冷地仕様、寒さなら歓迎だべさ、と勢い込んできたものの肩すかしを食った格好だ。映画祭事務局がよこしてくれた出迎えの ゲルマンの彼に、恥ずかしい英語で聞いたところ20年ぶりくらいの暖冬だという話。恐るべしっ!!!!!エルニーニョ、かどうかは定かではないが。

 駐車場に向かうとそこには「Berlinale Internationale Filmfestspiele Berlin」の文字が書かれたベンツのバン。おお、さすがドイツ、迎えはベンツ、と思いきやその車の脇を素通りして奥に止まっていた車へと歩くゲルマ ン。私は思わず立ち止まる。嫌な予感は見事に当たりゲルマンはその車のドアを開ける。TOYOTA Hi-Ace。そ、それはまるでアニメの進行車ではないか。軽い目眩は私をあの悪夢の日々へと誘う。その車で私をどこに連れていこうというのだ、まさか気 が付いたらダビング、六本木アオイスタジオということはあるまいな!? 今までの、フィルム完成からこのベルリン映画祭までのそう悪くはない日々が、よも やダビング中の居眠りの合間に見た儚い夢だったら………彼がこちらを振り向くとゲルマンだったはずのその顔は「マッドハウス」の制作の顔に……… キャーーーーーーーーーーーーーーーッ!!私が「閉鎖病棟」だったのか!? まさに「マッドハウス」。

 というバカな空想をマッハで頭に巡らしハイエースに乗り込む。窓外を流れる夕暮れ時の風景は想像していたベルリンの色そのものだ。うっすらとス モーキーで建物や緑や人々のファッション全てがグレイッシュで、まるでヨーロッパ映画のようだ、ってそのままやないか。走ること15分程、映画祭が側が用 意してくれたホテルへ入る。

berlin03 街窓の広告塔に張られたパーフェクトブルー海外版のポスター。私の知らないところで作られた物で、お世辞にも出来がよいとは言えないのが辛いな。

 ベルリン・エクセルシオール・ホテル。西側ベルリン中心部の駅にほど近く便利なホテル、とガイドにもある通り、滞在中にも不便は覚えずよいホテルだった。
 英語の喋れるマダムREXがまだベルリン入りしていないため、みっともない英語でチェックインせねばならず、学校で習ったはずの知識を総動員して気負っ てフロントに行く。カウンターの中には金髪のゲルマンに混じって黒い髪の東洋系のお姉さんが一人。親近感を覚えその人に話しかける。「Excuse me,eeto…エー…あれ?日本の……」名札を見ると日本人ではないか。おかげで日本語で無事にチェックインを済ませ、今度はホテルからは歩いて7〜8 分の距離にある、映画祭事務局に行ってIDカードを取得する。「パーフェクトブルー」の海外用のポスターが貼られたドアの奥に通されると、ここには日本語 をしゃべる人間は一人もおらず、にこやかにまくし立てるゲルマンのマダムに圧倒され、とりあえず曖昧な笑みで防戦するにとどまる。このマダムがアジアから の映画の担当で、どうやらこのIDカードで「フォーラム」で上映される映画は無料で入れて、その他の映画を見るにはチケットがいると言っているらしい。 なぁに、こっちは観光気分だ、映画のことなんか気にしない気にしない。

Berlin01 ベルリン市内の一角。街全体がこのようなグレイな色合いでしたが、私は大変落ち着きました。正面に見えるのがベルリン国際映画祭のポスター。

 外へ出るとすっかり夜である。街中には映画祭のポスターがあちらこちらに貼ってある。本当にここが中心部なのか、と思うほど建物が少ない。首都に なったとは言えまだ日も浅い街だから、ボンやミュンヘン、フランクフルトなどの方がにぎわっているのかもしれない、などと勝手に想像する。気温とは違う 「寒さ」を感じる街だ。いわゆる「サブゥッ!」というやつだ。どこがいわゆるなんだか。
 街角の総菜屋でパンとチキンをゲットして、ホテルに戻り簡単な食事を済ませると、早速睡魔がやってくる。しかし心地よい睡眠はけたたましい電話の音に破 られ、寝ぼけた頭で受話器を取りつい日本語で応えてしまう。「はい…」危なく「今です」まで出そうになるが何とか呑み込む。電話の向こうで女性が英語でま くし立てる。ハハハ、半分も分からん。I want an interpreter.

 辛抱強く聞くこと1〜2分。どうやら明日の11時に私にインタビューしたいということらしいが、詳しいことまでは分からないので10時に電話をもらうことにする。それまでにはマダムREXも来ているはずだ。She is my interpreterだ。

 己の語学力の情けなさを改めて思い知らされたその電話のすぐ後、またも電話が鳴る。呼び出し音さえ英語に聞こえるではないか。「ヘロゥ?」「もし もし、マダムREXです」(注:マダムREXはここだけのコードネームです、あくまでも。本当にそう名乗ったらもっと面白いんだけど)

 パリからの飛行機が遅れてやっとの事でベルリンに着いたらしい。マダムREXは、拙作が招待されていたスウェーデンのエーテボリ映画祭を回り、フ ランスでバイヤーとの折衝を果たし、そしてベルリンと世界を股に掛けて「パーフェクトブルー」のために暗躍するプロデューサーだ。おかげで海外での公開や ビデオ販売も随分と決まっており、私の恥も世界規模に拡大されたわけだ。

 我が恥や シーツに描いた 世界地図

 それじゃ寝小便か。私は子供の頃随分と夜尿を漏らしたものだ、それも割と大きくなるまでだ。いつまでとは言わないが、環境が変わると特に苦手だったような気がする。ベルリン初日の夜、緊張は大敵だ。

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