いよいよ初号である。
私の自宅がある武蔵境から調布の東京現像所はタクシーで2〜30分の距離であろうか。タクシーの中、 ドキドキしていなかった、というとウソになるがどちらかと言えばまたしても気分は「断頭台への行進」である。ベルリオーズの重く暗い曲が無意識の底から浮 かび上がり、重苦しい足取りで近づいてくる。

私の主観で見たその時の東京現像所。建物の上には暗雲が立ちこめていた、ような気がするだけで別に天気は良かったと記憶している。 |
午後何時のことであったか忘れたが、東京現像所に着くと演出・松尾氏は既に来ていた。初号の上映は確か7時か8時という予定だったが、その前に我々演出組はフィルムの焼きをチェックすることになっていたのだ。
が、行って間もなくそのチェックの時間さえないことが判明し、私と松尾氏は急に空いた時間を持て余し調布の駅前に出てみることにした。忙しさのトンネル
を抜けたとたん圧縮されていた時間が解凍されたような間延びした感覚。我々はもう急ぐ必要はないのか。断頭台へは既に上りきったのだな。
調布の駅前まではわざわざお茶を飲みに行ったわけではない。
夏も初級の暑さを感じる日であったかと思う。街角の風景や行き交う人々がやけにその輪郭を際だたせていた。夕方にほど近い時間だったと思うが、どこにで
も拾ってくれる神の一つや二つはあるもの。死刑を待つ囚人にとっての聖書みたいなものか。無論我々に必要なのはそんなものではない。既に営業を開始した飲
み屋の階段を重い足取りで上る。
「生二つ」
そう言ったに違いない。
「っかれさまぁッス」
そうに違いあるまい。幾度と無く交わされた言葉だろうが、この日は一段とだるく重い調子であったことだろう。窓の外のコントラストの強い街の風景が一層のだるさを誘う。夏だ。半年も前から現場スタッフの間に流布した予言が鮮やかに甦る。
「上がるのは早くて夏であろう」
フィルムは上がり、そして今はビールの季節である。
「俺たちはよくやったよ。うん頑張ったよホントに」
松尾氏に、というより自分自信に向かってそうも言ったろう。労いが半分、自虐が半分、作品制作も終わりの頃にかけて口をついて出る言葉には常に裏に含みがつきまとっていたような気がする。
「ちょっとくらい褒められてもいいさ」
自分を褒めてあげたいのは何もマラソンランナーでホモに騙される人ばかりではないのだ。
とにもかくにもやるべきことは全てやったのだし、カットも間に合った筈である。
奇跡に近い成果をお天道様がまだ高いうちからビールで祝うくらい、罰は当たるまい。
「すいません、生もう一つ」
言うさ、そりゃ。
「同じの一つ」
三回や四回そんなセリフも出たことだろう。
しかし、酔いが回るとお思いか?
東京現像所、略して通称“東現”に戻ったときには何人かのスタッフが顔を揃えていたろうか。
初号試写を待つ間、この作品に関わった人たちが集まってくる。現場のメインスタッフをはじめ、原画・動画マンや美術・背景スタッフ、仕上げ、音響関係、
それに勿論脚本の村井さんや原作の竹内さん、企画の岡本さん、そしてスポンサー・レックスの人たち等実に数多くの人間たちである。人が集まってくるほどに
胸を締め付けられる思いがして、痛切にこう思ったのは間違いない。
「飲みが足りなかった」
みんな苦労や迷惑をかけたスタッフである。時間のない中プライドと体力と神経を削って仕事を続けた現場のスタッフは勿論のこと、寝不足でも車を走らせ
カットを運んでくれた制作、少しでも時間を確保するべく交渉を重ねてくれたプロデューサーの方々、いつまでも上がらないフィルムのために待ち続けた人々。
もちろん私もその一部に過ぎないが、少なくとも現場で舵取りをしていたのは私である。パーフェクトブルーという船がどこに辿り着いたのかスタッフは知る権利があるし、私も作品が完成した苦労や喜びは分かち合いたいと思う。
だがしかし。烈悪なる状況の下に作られたことは誰もが聞き及んではいるだろうし、肌でその苦労を知っているも人が多いと言ってもそれが作品の「面白さ」にとって何のいいわけになろうか。その苦労や努力に報いるものに仕上がっているのか?
私にとっては「審判の日」でもあったのである。
「ストライックアウト!!」その審判じゃない。
ジャッジメントの方だ。
待っている間は誇張ではなく胃が痛かったような気がする。本当にもっと飲んでおけば良かった。
そんな重苦しい心持ちにも一服の胃薬をもたらしてくれた人もいた。
「調布の東京現像所」
初号が行われる場所を、私は何度も念を押した筈である。響きも場所も似たような「府中」と「調布」を間違わないように何度も念を押しただけに確かに地名は間違わなかったらしいのだが、タクシーに乗り込んで開口一番こう告げたそうだ。
「調布の東京撮影所」
どうして「現像所」が「撮影所」にすり替わったものだか。
私の妻である。
そんな微笑ましいというかちょっと抜けたエピソードが軽い笑いを誘ってくれる。
彼女もまたクレジットにはないが、いくつかの素材の作成や頼りない夫にして監督の私を支えてくれた、立派なスタッフの一人である。
予定されていた時刻を更に一時間ほど過ぎて、ようやく初号とご対面と相成った。
試写室の一番後ろの中央に座り私は待った。
そして映写機は回った。
「パワートロン!スペシャルアターーーック!!」
グアアアッ。
悪役キングバーグより先に悲鳴を上げたのは私の心。
一体私は何を考えてこんなカットから作品を始めたのだろうか? と、考える暇もなく貧乏ビスタの悲しみに心が血しぶきを上げる。線が太い、仕上げの粗
が……ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだぁっ!!こんな大きなスクリーンでかけちゃダメだぁっ!!と心が叫ぶよりも早くとんでもない撮影ガタが目に飛び込ん
でくる。思わず目を逸らし俯いてしまう。グチャグチャじゃないか今のカット…あ、あ、こ、このカットも……上目遣いにスクリーンを見た瞬間、座っているお
尻が前に7センチずれて体が沈む。逃げたい。頭が痺れる。しかし歯を食いしばってでもここに座り続けなければみんなにかけた苦労を、自分たちが頑張ってき
たこの2年近い年月を否定することになる。
フィルムが進むにつれて私の体も自然と座席に沈み、そして心は暗黒の闇に向かって果てしなく落ち込んでいく。すがるものなど何もない。
編集、撮影、音関係といったチェックのままならなかったカットの威力も私を叩きのめすには十分だったかもしれない。それらの担当の方を非難しているので
はない。間に合っただけでも感謝しているのだ。それに思い上がりを承知で言えば何より全ての責任は他でもない私にある。しかし、しかしだ。初めて目にする
カットが多すぎる。300カット、約3カットに一つはこの時初めて見るカットなのだ。しかもここはラッシュチェックの部屋ではない。初号なのだ。
編集の切り間違いなのかカット尻に意味不明の間が残っていたり、未麻とバーチャルの対決シーンではカットが丸ごと無くなっているものまである。撮影ガタ
も数多い。カメラマン村野が殺されるシーンでは何の間違いなのか効果音もセリフもなく音楽のみ。ダビングで確認したときにはこんな指示をした覚えはまるで
ないというのに……。私たちの、いや私の頑張りではここまでしかたどり着けなかったと言うことなのか。遠い、あまりに遠い。
そして決定的なのは自分の犯したミスや力不足な点だ。レイアウトのミス、原画チェックでのミス、指示のミス……どれをとっても私が悪い。ちょっとでもよ
く見えるところがあれば、それは担当してくれたスタッフのお陰である。大画面で迫る自分の無能力さ加減は私の体を更に5センチ10センチと沈め、暗黒の淵
に投げ込みとどめを刺すにはあまりに十分な破壊力であった。
あ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ……………………溶けていく………頭と…………………
心……………………………………………………………………パーフェクトに…………………………………………………………………………………………………ブ
ルー…………………………そうか…………………………………初めて…………………………………この作品の…………………………………タイトル
の……………………………意味が……分かった……………………関わるスタッフを…………………………………パーフェクトな…………………………………ブ
ルーに…………………………………するのか………………………………………やだな
頭と体の重さが10倍になった80分。幕切れの時何を思ったのか、終わったときにどんな反応があったのか記憶が定かではない。頭は痺れきっていた。
確か隣に座って見ていた妻が「面白いじゃん」というような言葉を聞かせてくれ、また脚本の村井さんが「よかった」というような言葉をかけてくれたような気がするがどれもこれも水中で聞く音声のように遠く揺らいで聞こえていたような気がする。
よかったことは一つだけ。全てのカットに色が付き、クオリティはどんなに低くても、少なくとも納入するだけの「商品」になっていたことであろうか。もっとも、「作品」と呼ぶにはあまりに胸が痛いフィルムではあったが。
試写後、東現の会議室で関係者が集まって簡単な打ち合わせが持たれた。現場スタッフでは私と松尾氏、作監の濱洲氏、美監の池氏もいたろうか。スポンサーやプロデューサーの言葉が何かあったはずだが、どれも私の耳には届いてこなかったかもしれない。
不鮮明なスクリーンの向こうでみんなが何かを話しながら明るい表情を見せている。私はそこにはいない。私の耳に明解な音声でストレートに届いてきたのは
プロデューサー丸山氏から聞かされた「再ダビングを含むリテークの可能性」という言葉だけであった。その一縷の望みは暗黒の闇に放たれた一条の光のように
思えた。
東現の外に出たのは夜11時を回っていた頃だろうか。
表にはみんなが待ってくれていた。“温泉番長”勝一さん、“師匠”本田君、“ピエール”松原君、“大トラ”鈴木さん、“ハチ公”垪和君、そして妻。みんなの顔を見たときわずかばかりの安堵感と多大な感謝の念が押し寄せてきた。ありがとう、みんな。
このメンバーでこの後ささやかに打ち上げるため吉祥寺へと移動となった。勝一さんと本田君は自転車、垪和君鈴木さんはバイクで、松原君、松尾氏そして妻と私がタクシー組だった。後に妻は言う。
「あのタクシーの中は今君と松尾さんの暗黒のオーラに溢れてた」
……だろうな。一言で言えば「どんより」。この日東現の上に立ちこめていた暗雲はこの車の中にまで侵入し満ち満ちていたのだ。初号を見たときの落ち込み
は私に劣らず松尾氏も相当なものであったろう。この時のタクシーの中で放たれた松尾氏のセリフは実に印象深くそして私の気持ちを代弁してくれていた。
「リテークの時はハマグリさん切りましょうよ」
無論だ。しかし誤解の無いように。
我々はこんな事態を招いた責任を誰かのせいにしようなどという気はないのだ。残されたリテークの時間を少しでも有効に使いたかったのだ。もちろんやり場
のない怒りや後悔を何かにぶつけたい気持ちはあったが、それでもわずかばかりかもしれないが、前向きな気持ちを、まだ何か作品のために出来ることがあると
思いたかったのだ。
タクシーの外を流れる景色は何だか見知らぬ遠い国の風景のようだった。いや、遠い国にいたのは私の頭であったか。
吉祥寺の飲み屋「彩遊記」で祝杯。
「乾杯!!」
間違いなくそう言ったろう。
とにかく、乾杯。
可能な限りの時間で可能な限りのやるべきことを果たし、少なくとも「フィルム」という本丸は残った。あちこちは崩れ火の手の回った部分も多いがとにかく落城だけは免れたのだ。
どんな冗談も心の底から笑えるわけではなかったが、それでも作品の完成を分かち合える仲間がいるだけでどれほど嬉しかったか分からない。本当にありがとう。
吉祥寺までの道のり、我々の乗ったタクシーが暗黒のオーラで充満していたころ、信号で止まる鈴木さんのバイクのバックミラーには、まっしぐらに自転車の
車体を左右に振りながら追いかけてくる勝一さんと本田君の姿が映り、怖いほどの迫力であったという。確かに飲み屋に着いたときの勝一さんと本田くんは二人
共汗だくであった。闇雲にかける二人の姿を想像して和ませてもらう。
ははは、そうだ。暗い道をなりふり構わず闇雲に駆け続けるその姿は、まるで昨日までの私と松尾氏のようではないか。そう、我々も今飲み屋にたどり着いたのだ。駆けつけ三杯だ。
「生もう一つ!」
制作中に生まれた数々のエピソードにも花が咲いたことだったろう。怒りの話題は数え切れないほどあったがここではビールに溶かして笑いに変えておこう。
ああビールが苦くて美味いや。
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