■鳴らない電話

 5/5、8のアフレコも終わり、我々スタッフ一同はダビングに向けてひたすらカットを本撮にするべく日夜仕事に追われていた。4月いっぱいフィル ムアップの筈のスケジュールは遅れる一方で、動画仕上げ、撮影に至ったカットは三分の一すら上がっていなかったと記憶している。
 レイアウトはまだ終わらず、原画のあがりも日に2〜3カットといった有様だ。

 スケジュールの打ち合わせは繰り返されるものの、これといった善後策は生まれず新規の人間は一人も増えることもなく、神経と原画枚数を減らすより仕方のない状況であった。
 そんな頃のことだったと思う。

 その事に最初に気がついたのは私だった。後に思い起こせば私の妻が「スタジオに電話したけどずーっとお話中だったよ」と言っていたことがあり、その時は「そんなはずはないけどなぁ」と思っていたのだが、どっこい、そんなはずはあったのである。
 謎と不審の裏に立つ影はやはりハマグリ。

 ハマグリは役に立つか立たないかは別にしても基本的に毎日スタジオに来ていたと思うし、制作の席に座っていることも多い。
 電話の応対や原画マンとの連絡などはむろん制作の仕事であるから、ハマグリが電話をかけていたからといってこれといって不審な点はない。スタジオの風景として何ら違和感はない。

 だがしかし、である。

  好むと好まざるに関わらず制作に用件を頼むことは多い。特定のカットを持ってきてもらいたいだの誰それに連絡を入れてくれだの煩雑な用事が多いのだが、用 事を頼みに行くとハマグリは必ず電話をしているのである。また私がトイレに立つ度にやはり電話をしているのだ。必ずといっても良いほどである。私は今でも 電話を見るとハマグリを思い出すほど「電話」と「ハマグリ」は関連づけられた物になっている。私の電話に対するイメージは台無しにされたと言っても過言で はない。何故それほど印象深いのか。
 ハマグリは受話器を耳に当てたまま一言も喋らないのである。読者の君が子供の折りにそんな真似をしていたら母親はこう言うに違いない。

 「そんなに電話が好きなら電話の家の子になってしまいなさい!」

 そのくらい電話が気に入っているらしいのだ。電話フェチというのは聞いたことがないがな。

  そんな光景をあまりに頻繁に見かけた私は、恐ろしい想像が頭をよぎり、もしやと思って制作の席のそばにあるカット棚を確認するふりをしてしばらくの間ハマ グリの様子をうかがっていた。その間5分ほどだったろうか。受話器を耳に当てふんぞり返ったまま座り微動だにせず固まったその後ろ姿。

 思った通りである。やはり一言も発しない。まさかこいつ……? 私は背筋に寒気を覚えた。そう、エアコンの吹き出し口が近かったのだ。いやいや、そんなことではあるまい。

 「まさかいくら何でもそれはないでしょう」
 近所のトンカツ屋で飯を食いながらそのことを伝えると、演出・松尾氏が答えて言う。
 無論俄には信じられることではないし、私だって確たる証拠があるわけではない。だがハマグリという生物のこれまでの行動を考えるとあり得ない話ではない。
 「俺は多分間違いないと思うけどなぁ……見てみてよ松尾さんも」
 「それはないと思うけどなぁ」
 トンカツとハマグリで腹と不安は一杯である。

 「今さんやっぱりあれ、そうですね」
 数日後、松尾氏が驚きを隠せない顔で言う。何故か小声である。
 「でしょ?」
 私もつられて小声で答える。この時私はすでにそれを確認済みであったのだが、奇しくも松尾氏は私と同じ方法で裏をとっていたのである。

 電話をしているハマグリに話しかけてみたのだ。
 常識のある大人は他人が電話をしているときは、いかに急用であってもメモを渡すなり身振りで示すなり狼煙を上げるなりするものであるが、こと相手はハマグリである。常識の外に住まう生き物である。
 「ハマグリさん」
 「あ、はい、何でしょう?」
 はたと受話器を置き振り返るハマグリ。受話器には何の未練もないのだ。
 ああ、せめて最後まで辻褄くらいあわせて欲しかった、どうせ電話をしているふりをするなら。

 そうなのだ、ハマグリはいつも自分の席に座り相手のいない受話器に向かい延々と電話をするふりをしていたのだ。時にそれは2時間近くにも及んでいた程だ。嘘ではない。
 私たちは絶望的な気持ちであった。現場の足を引っ張るくらいなら、仕事をさぼるくらいなら仕方がない、とまで思っていた私は想像力の翼を無限に広げても 思い至ることのないハマグリのブラックホールのような内心を覗いた気がして、やりきれない気持ちになった。希望の光はブラックホールに吸い込まれるだけ だ。

 繋がっていない電話の向こうにハマグリは何を聞いていたのであろうか。
 木星あたりの電波かもしれない。

 それにしても今現在この戦記を書いていても我ながらよくもブチ切れたりしなかったものだと思う。とはいえ周りから見ればいつそんなことになってもおかしくない感じだったのかもしれないが。

  お決まりの制作スケジュールの会議も以前に比べれば頻繁に行われるようになったのだが、この打ち合わせは我々スタッフがいる3階ではなく、2階の制作部屋 で行われる。ここでの打ち合わせにはハマグリやカマキリ君の制作組は勿論のこと、制作プロデューサーも参加して、具体的な方策が練られた。

  様々な時間短縮策が更に講じられ、まずは単純にさらなる欠番を出すことになる。アフレコ後の追加の欠番で1分近くは切っただろうか。これまでにも散々欠番 を出してきているため、そうおいそれと切れるものでもなかったのだが追い込まれてもアイディアは出るものである。気分は「あしたのジョー」か。
 減量に減量を重ね、最後には下剤まで飲むという、あれだ。絞るだけ絞った結果があの出来上がったパーフェクトブルーなのだ。絞り滓だって? 失敬な。
 また遅れの目立つ原画マンからの仕事の引き上げという話も出た。勿論引き上げたところで新規の原画マンがいるわけでもないので、少ないスタッフの中でやりくりするしかないのだが。このやりくり上手。
 判然とはしない残り日数ではあったが、各原画マンのこれまでのペースと作画内容から、可能な作業量を考えるとどうにも間に合いそうもない人間が出てく る。これまでにも持ちカットの多い原画マンからカットを引き上げ手の空いた人にヘルプにまわってもらったりもしていたのだが、それすらも限界に近づいてい た。更にまずいことに一番間に合いそうにないことが歴然としてきたのが本田師匠とピエール松原君である。
 彼ら腕の立つ原画マンには「見せ場」をお願いしているのでおいそれと代わりがいるわけもなく、作業内容も大変な上に売れっ子の彼らは他にも仕事を抱えている。そこで出されたのが「保険」というアイディアである。
 彼らにはそのまま作業を続行してもらうが、もしも間に合わなかったときのためにまったく同じカットを別な人間にお願いするという、実にタイトロープな方法が机上に乗せられた。
 「けど、本田君とか松原君に頼んでいるカットですよ、内容が大変だし、誰か当てがあるんですか?」
 私は素直に疑問を口にした。
 「いやね、そりゃあ代わりになる原画マンがいるわけじゃないし、内容的には落ちるのは仕方がないんだけど、カットが揃わないことにはどうしようもないんでね。それに最悪の場合はゼロ号のあとに差し替えることも考えられるんでね……ここは一つ……」

  韓国原画、であった。確かにカットが揃わなければ話にならず、そこで保険として考え出されたのは彼らのカットを韓国の原画マンにも発注するという方法であ る。こう言っては失礼かもしれないが韓国の動画仕上げはともかく、原画のレベルはおよそ誉められたものではない。最近はレベルが上がってきたらしいし、下 手な国内よりはましだという噂も聞くがそんな上手な人間をこの期になって連れてこられるものでもあるまい。致し方なく本田・松原両氏の持ちカットから欠番 を出して「保険」には待ったをかけてもらう。もっともその後「保険」はかけられるし、下ろされた「保険金」も目の前に積まれることになるのだが。

 カナダの映画祭への出品がデッドラインだというのを聞いたのもこの頃のことであったろうか。
 「何だよそのカナダの映画祭ってのは? いつ決まったんだよ、聞いてねえよまったく。」
 現場では不満の声しか上がらない。後にこの映画祭でグランプリを頂きそれがきっかけで注目を浴びることになるのだが、この時はただの迷惑としか思えなかった。
 もっともそうは言っても迷惑していたのは我々が遅らせたスケジュールに度重なる予定変更を余儀なくされた方々であったかもしれないが。ごめんなさい。

 おそらく5月の半ばにさしかかった頃だと思うのだが、この時期にすらデジタルを使用するカットのめどが立っていなかった。
 以前にも書いたがデジタルのカットに関しては、演出松尾氏のつてと段取りで受け入れ態勢が出来ていたにもかかわらず、それら全ての苦労はハマグリのブ ラックホールに消えていたわけである。もちろんこれ以上の予算を出したくないという思惑もあったのだろうが、何かとデジタルのカットは「もう時間がないか ら」という聞き飽きた理由を楯に、代替案を求められることが多かったと思う。
 しかし驚いたのは「デジタル処理のカット」について善後策を話し合っていた席上で、「何それ? パーフェクトブルーにそんなカットがあるの?」と言い出 した人間がいる。誰あろう、マッドハウス社長の言である。何故社長が、というかプロデューサーがその事を知らない? このことがきっかけでデジタル処理に ついては新規のスタッフが入ることになったのではなかろうか。もっともそれで大きく予算を食ったはずなので、金銭の管理をしている方には甚だ気の毒なこと だったのかもしれない。

 消えていった苦労は他にもある。随分以前に私が苦労して描いておいた背景原図が、実は制作の棚に放置されたままであったのだ。それも一枚二枚ではない。
 これは本来なら既に背景の人間に渡っていなければならないものだ。結局放置された時間は本来あったはずの作業時間を圧迫し、結果クオリティを搾取する。

  長引く打ち合わせは私の目の前にある灰皿を吸い殻とストレスで一杯にする。私の愛煙するキャビンスーパーマイルドを幾箱カラにしたことであろうか。ある時 のこと打ち合わせの途中で休憩が入り、私は席を立った。この時もおそらくはハマグリの管理の杜撰さをハマグリ本人を交えて論議していたかと思われる。
 一緒に打ち合わせに出ていた松尾氏は、私が席を立ったのを見て、本気で思ったそうだ。
 「今さん、サンダルを取って来るつもりか!?」
 傍目にはハマグリに対する堪忍袋の緒は相当に細くなっていたのかもしれない。この時は単に煙草が切れたから取りに行っただけなのであった。

 だがしかし、こんな打ち合わせでの数々の難問などまだ可愛いものであった。我々の前に立ちはだかった最大の難問、史上最大の敵は私の背後の席で音もなく進行していたのだ。遂に本丸に火がついた、といっても過言ではない。
 作画監督・濱洲英喜氏の腱鞘炎、である。
 5月の半ば頃のことだったと思う。深刻な顔で濱洲さんに打ち明けられたのである。
 「手が痛くて動かないんですよ」

 絶句。

 それまでにも相当な痛みを覚えていたらしいのだが、多くを語らない濱洲さんは激痛をこらえ、誰にも言わずに無謀な枚数の作監作業をこなしてきていたのだ。それも遂に限界に来たらしい。
 朝起きると手が動かず、お湯でしばらく暖めねば動かぬ程だと言う。しかも冗談ではなくお尻を拭くことすら叶わぬ程らしい。
 氏が腱鞘炎にかかったのはこれが初めてのことではないし、その話は聞いてもいた。以前にも「遠い海から来たCoo」の作監作業で、パーフェクトブルーよりもひどい状況に遭い、一日に原画の直しを暴挙とも言える数をこなしてかなり手を痛めたという。

  腱鞘炎に決定的な治療法はないのだそうだ。手を使わない、これしか良い回復の方法はないというのだが、何しろ絵を描く商売である。手を休めると言うことは おまんまの食い上げなのだ。しかも仕事が出来ないほど辛いこともない。どなたか何か効果的な療法をご存知の方はお知らせ下さい。

 腱鞘炎も一時期回復して仕事を続けていた濱洲氏だが、パーフェクトブルーのこの時期の過酷な作監作業で腱鞘炎がぶり返してしまったのだ。私も責任の一端を強く感じた。だが、作監の代わりはいない。

「騙し騙しやっていきますけど、修羅場で大量にこなすのはちょっと……」
 無論だ。パーフェクトブルーが最後の仕事ではないのだ。今後の濱洲氏の仕事生命のためにも致命的な無理は避けねばならない。作監はメインのキャラク ター、特に未麻とチャムの二人という特に目立つキャラを中心に入れてもらうようにしていたが、それも更に絞って入れてもらうしかない。手が回らないキャラ や原画の描き直しは、私を含め持ち分が終わった原画マンが受け持つしかないのだが、各自自分の持ち分すら終わらせられない状況なのだ。

 濱洲さんが言う。
 「スケジュール的にどこに山場が来るかはっきりさせてもらえば何とかなるんですけどね」

 聞くと以前にもやったことがあるそうなのだが、強烈な痛み止めの注射を打つ、というらしいのだ。ただこの注射を打った場合、その痛みで2〜3日手を使えないということらしく、決戦の山場が分かればそれに合わせるというのだ。
 私はどうすればよい。人道的に考えて「じゃその注射を打ってくれ」というのも憚られる上に、理性的に考えて制作が出してくるスケジュールを信じて山場を読める状況ではなく、まだゆうに一月以上はかかりそうだというのに……。
 結局濱洲さんには負担を軽減することしかして上げられることはなく、最後まで氏は騙し騙し作監を続けてくれた。作品の質と氏の仕事生命を秤に掛けること など私には出来ない。作監作業も最後くらいには細い鉛筆は握れない状態で、ハンカチでくるんだ鉛筆をそっと手に差し入れるという具合であった。

 私は濱洲さんの描く絵が大好きだ。熱が低くそして切れがよい。「熱が低い」と言う表現は私はよく使うのだが分かりにくいかもしれない。
 あまたにあふれるアニメや漫画の絵というのは得てして「熱」が高い感じがする。それをある種の「迫力」という言い方もできるのかもしれないが、私はそう いう絵をあまり好まない。どうにも押しつけがましくて好きになれないのだ。具体的にどういうのが熱の高いえかと言うと、そうだな、例えば一連の「少……… いや、やめておく。
 熱が低い、温度が低いというのは一言で言えば、対象物に対するクールな捉え方、と考えて貰えばよいかもしれない。あくまで私の言うこの表現は良い意味で あるし、間違っても熱意がない、迫力がない、あるいは冷たいというような意味ではないので誤解なきように。私の絵も割と温度が低い方だと思っているがいか がなものでしょうか。
 濱洲さんの絵は実に清潔で頭が下がるほど綺麗に描かれている。動画と見紛うほどの端正な線なのだ。それが悪化した腱鞘炎のせいですっかりシャープさが失 われている。勿論動画が入るので作監として何ら問題はないのだが、何より本人はもどかしく悔しいことであろう。端で見ている私ですら涙が出そうになった。

 不謹慎な喩えかもしれないが「あしたのジョー」の一シーンが頭をよぎった。
 パンチドランカーになったカーロス・リベラがジョーを訪ねてぼろぼろの姿で現れたときのことだ。昔のことを思い出してジョーにジャブを出すまねをするカーロスにジョーが涙ながらに言うのだ。
 「カミソリみてえだったあのジャブが…こんなになっちまって…」

 最近濱洲さんと電話で話す機会があったのだが、以前よりは随分手の具合も良くなり仕事をこなしているとのこと。それでも毎日手を使うと痛みそうになるとかで休みを挟むことが多いという。
 全くもって、本当に申し訳ない。

 こうして遂にパーフェクトブルーの制作において負傷者が出てしまった。

 しかも濱洲さんはこの年の2月か3月、作監作業が忙しくなり始めた頃であったろうか、お父さんを亡くしている。
 これがまだスケジュールが立て込んでいなければ落ち着いて故人を悼む時間もあったのだろうが、時期が時期である。仕事に対する責任感も強い濱洲さんは故郷の熊本まで何度か往復していたのだが、実に気の毒であった。
 何故に不幸もまとまってやって来るのだろうか。
 故人の心からの冥福をお祈りいたします。

 一方私は私で睡眠不足と戦いながら相変わらずの原画チェック、更にはまだ残されているレイアウトのチェックが続いていた。
 そんな6月の声を聞いた頃のことであったろうか。
 小さな悲劇が私を襲った。

 いや喜劇かな。


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