■トラブルバインド

 目の前に原画上がりがある。合わせて10カットもあったろうか。
 原画上がりがあるのは喜ばしいことである。が、これは下ろされた「保険」だ。
 以前にも書いたと思うが、全てのカットをフィルムにするために間に合いそうにない原画には保険がかけられた。かけられた、というのは正確ではないか。か けられていた、知らぬ間に。そして請求もしていないというのにご親切にも保険金を目の前に積まれたのである。それを悪くは言うまい。善意の結果だ。決して 保険金殺人などとは縁もゆかりもない。
 該当原画マンには最後まで仕事を続けてもらうが、万が一の場合を考えて韓国のスタジオに同じカットを発注した方がよい、という話は聞いてはいた。これは 制作側からの提案だったが、間に合わないという最悪の状況を避けるためには賢明な手段といえようか。フィルムの質以前に仕事として成立することが大事なく らい分かっている。
 もしも該当原画マンの仕事が間にあった場合は、当然そちらが使用されることになり韓国原画はフィルムになることもなく全くの無駄になる。そういう仕事をお願いせねばならなかったことは非常に心苦しく思うし、私ならそんな仕事は嫌だ。
 多少種類は異なるが、昔漫画を書いていた頃、それも新人賞を受賞したすぐ後くらいのことであろうか。よく担当の編集者から「20ページの短編を書いた方 がよい」と言われた覚えがある。載る機会が多いのだそうだ。連載している漫画家が原稿を落とした場合、そのページを埋めるのに連載一回分に当たる20ペー ジの作品ならその穴埋めに使えるわけである。確かに新人漫画家としては載る機会を得なければ話にならないわけだし、そう言う作品も進んで描くべきだったろ うが何となく納得のいかない気持ちで「穴埋め」のための作品は描く気にならなかった私だ。当時は生意気だったのだ。今もだって? そう言うなよ。
 ともかく短時間のうちに保険を上げてくれた韓国のスタジオの方には申し訳ないが、内容的には「パーフェクトブルー」のフィルムになっては甚だ困る原画であった。それを直しているのでは保険にならない。
 確かに制作側でも発注する前から内容的な事は分かっていたようだが、何としても初号までにはフィルムを揃えなければならないわけだし、フィルム上あまりに問題があれば直すことは出来る、という話も聞いてはいた。しかし、その確実な保証があるわけではない。
 何としてもこの保険を使うわけにはいかない、が“ピエール”松原君のカットは9つこぼれ、そしてその保険は現実に目の前にある。
 どうするよ?
 いや迷っている場合じゃないのだ。

 この時期、中にいた原画マンで、“大トラ”鈴木さん、“ラーメン男”栗尾、そして沖縄リゾート帰りの“温泉番長”勝一さんがこぼれた原画や宜しくない原画の直しに入ってもらっていた。
 松原君のこぼれた9カットはみんなで手分けしてフォローすることにした、というかするしかなかったのだが、とは言っても残された時間は切ないほどに少な く、各人とも既にいくつかのカットを抱えている。更に一人が5つや6つ直している時間はないのだ。9つのこぼれたカットを埋めるためには7〜8人でこなす しかない。コンマ一秒の時間が勝負だ。それは大袈裟か。
 外にいる原画マンでも協力してくれそうな人を捜してもらい、手持ちが終わった原画マンで北野さん、山下さんが1カットずつ引き受けてくれ、キャラの大き いカット二つは濱洲さんにラフ原画の上に直接作監を載せてもらい、栗尾に二つ、勝一さん、二村君に一つずつ引き受けてもらい、残る1カットはカマキリ君が 連れてきた新規の原画マンに引き受けてもらう。さすがに制作も最後に来て役に立つことの一つくらいはしてくれたか!しかも原画の上がりも早かった!!
 が、使えなかった。いくら急いでいると言ってもこれじゃ、使えない。
 無論無理なスケジュールの中引き受けてくれたその原画マンには申し訳ないと思うし有り難くもあったのだが、フォローの筈のものが更にフォローが必要になってはシャレにならない。
 カット袋を開けて、内容に愕然として辺りを見回す。もう誰にも頼む余裕はない。
 いいよ、いいよ、やるさ、私が。
 そうやって自分で背負い込むことが諸悪の根元になっているのではないのか、ということも分かっている。しかし今は迷う時間がもったいない。ゴー!ゴー!ゴー!!原画は苦手とか言ってる場合じゃない!
 他の直しのカットも次々に上がってくる。ざっと原画とシートを確認して問題ないことを確認して演出に回し、そしてすぐに作監へ。あと1日もしないうちに作画は締め切りなのだ。

 原画と作監のアップはほぼ同時であった。悪魔の腱鞘炎と極度に足りない時間により最後の方に上がったカットは作監の入らないカットも多かったかもしれない。
 作監アップのデッドラインは私の記憶が確かならば7月の2日の早朝であった。パーフェクトブルー最後の韓国便である。それ行け韓国へ。後は頼むぞ!
 作監の終わったカットは随時韓国のスタジオに送られ動画・仕上げを経て日本のスタジオに戻ってくる。フィルムのデッドライン、初号は7/14日に予定さ れており、そこから逆算し韓国での作業時間、その後の撮影の時間を考えると作監作業をそれ以上に延ばすわけにはいかないのである。
 戻ったカットは速攻で撮出しに回される。急げカットよ撮影所へと!!

 日本の現場にいるスタッフには作監さえ出せばあっという間に動画・仕上げが終わるようなムードがある。何と言っても顔の見えるスタッフ間ではお互いに苦 労している様もよく分かっているが、しかし韓国のスタジオのように「顔の見えない」スタッフの苦労は想像しにくいのであろう。あろう、って他人事じゃなく て私もそう思っていたことは間違いない。
 決められたスケジュールを逸脱して時間を使い倒し、後は韓国に「よろしく」という感じで、極度に圧迫されたスケジュールで上げてくれた韓国スタジオの仕事に「良くない」「ひどい」というのも常識に欠けるであろう。
 あるスタジオではギリギリまで原画と作監を引っ張り、韓国スタジオに対して無謀なスケジュールで押しつけたときに、「私たちも人間です」という答えが返ってきたそうだ。あまりといえばあまりな状況だったのだろう。
 私は後にプチョンの映画祭に招待された折りに、お世話になったソウルのスタジオを拝見させてもらった。当たり前の話だが、スタッフ一人一人の顔があった。今後仕事をする折りには「顔の見えない」スタッフを想像するよう心がけたいと強く思った次第である。
 だが今はそれを考えている暇などないのだ。くしゃみをする暇さえ惜しいのだ。

 最後に上がったカットは未麻が自転車を押してきて車とすれ違うカットで、レイアウトとラフ原画が私、キャラを鈴木さん、車を濱洲さんが原画にしてくれた と記憶している。心配していた本田師匠も何とか原画を上げてくれ、松原君のこぼれ分も無事にフォローできたのである。よくも間に合ったと思うが、何とか一 つ山場は越えたわけだ。一つ山を越せば何はなくともホンダラダッタホイホイ、だ。
 これでとにもかくにも作画は終わりである。
 手持ちの終わった原画マンが一人また一人とスタジオを去り、「何かあったらいつでも呼んで下さい」という言葉を残し濱洲さんも作業終了。後は任せて下さい!
 本当にお疲れさまでした。少しでも手を休めてやって下さい、私の右手はまだまだ戦えますとも!

  スタジオに残っているスタッフは演出・松尾氏と美術監督池氏、制作陣、そして無論私。他にも最後の最後で撮出しの手伝いとして演出助手がいたくらいか。色 指定の橋本君は別なビルにおり、チェック等がある際に来るという形であった。人が少なくなっていくスタジオは尚のこと悲壮感や敗北感が漂う。しかし負ける な負けるな!!
 作画が終わったからと言って私の作業が終わったわけではない。背景のチェックや素材のチェックは勿論のこと、何と言っても私にはまだ「マック処理」と呼ばれた地獄の作業が待っている。何でもかんでもかかってきやがれ!

 作画アップ以後私は主に外国人助っ人マックの通訳が主な業務となった。
 「マック処理」というと聞こえは良いがただの貧乏処理である。「それってデジタル」の回にも記したと思うが、本編に登場するホームページだのポスターだ のをマックで作成して、出力して撮影するのである。出力には新規に導入してもらったカラーコピーを使用させてもらった。貧乏貧乏と強調してきたこの戦記だ が、導入して貰ったものもたまにはあるのだ。ま、根本的には非常に貧乏だから出力しなければならないのだが。
 来る日も来る日もマックの前に座り、「マック処理」と区分けされた棚からカットを引っぱり出してはデータを作成し、背景と合成しては出力、またあるもの は出力した素材を切り抜いてセルに張り、撮出し出来るようにするわけである。段々と工作に近い匂いすらしてくる。制作の机では塗り漏れのあったセルにマ ジックで色を塗ったりしてるし。こんなものを本気で劇場にかけるのだろうかという不安もよぎるが、そんな心配は後回しだ。
 しかし実に情けないケースもある。セルと背景が絡む部分では「クミ線」というものを指定しておいて、そのクミに基づいて作画、背景をそれぞれ作成するの だが、いざ素材が揃ったところで合わせてみるとクミが合わないということがたまにある。確かオタクたちがCD−ROMショップに入ってくるカットだったと 思うが撮出し時に致命的にクミが合わないことが判明し、当然セルや背景を直す時間もないために奴の出番となる。ヘイ!マック。
 そんなことのために雇い入れたつもりはないのだが、そんな綱渡りの直しの仕事もやつは文句の一つもいわずに送りバントをしてくれる実に働き者なのである。

283

 画面内の赤い線が「クミ線」である。分かりやすくしているだけでもちろんフィルム上には残らない。楕円内の明るくなっているところに注目していただけば分かるかと思うが、極端に言えばクミがずれるとこういうおかしなことになる。(実際にここがずれていたわけではないです、念のため)

 レイアウト段階では困った処理が出てくる度に「パソコン処理」と書いていたのだが、それが仇となった。まさかこんなに沢山の数になっていたとは。更には 自分でその大半を処理することになろうとは。やはり因果は私を見逃してはくれないか。逃れられるとも思ってないさ、束になって来やがれ、って意気込みはよ かったのだが旧日本群の例を見るまでもなく精神論では物量に歯が立たないことがすぐに証明される。
 残り日数と処理するカット数を秤に掛ける。間に合わない、間に合わない、間に合わない!!
 その事実だけは明解でそれを解決する方法は不明瞭この上ない。
 処理をせずとも成立するものはそのまま流し、また「制作応援」の方で手配してもらった方に作業を分担してもらったりもしていたのだが、私が処理をしなけ れば成立しないカットが多すぎる。演出の松尾氏も随分と処理をしてくれたのだが、撮出しに追われる事が多い。ここで私が「何とかする」と根拠のない意気込 みと意地を見せてもそれは愚か者の証明にしかならない。バカは嫌いだ。最後の大逆転が存在するのはマンガの中だけと相場が決まっている。作っているのはマ ンガ映画だが事態は現実なのだ。
 こうなってはやむを得ない。当初予定していたマックによる処理を諦めアナログの手法に切り替えることにした。早い話が手描きである。クソッ何のための助っ人だったのだ、という思いはあるがそれどころじゃないのだ。探せ描き手を!

 マックを扱える人材はいなくても絵を描くスタッフなら考えようもある。よって店内に貼られたポスター、店頭の書籍や新聞の見出しなどは二村君にお願い し、最終的にそれでも間に合わないときは濱洲氏にお願いまでしてしまった。腱鞘炎の悪化がひどい濱洲さんに頼むのは心苦しいことこの上なかったのだが、他 にどうしようもなかったのである。誠に申し訳ないことをした。
 しかしこうした修羅場での時間短縮のための苦肉の策をとっているにも拘わらず、間違いは起こるものだ。不幸な逆転劇は現実にも存在するのだ。
 カット571に登場するスポーツ新聞の紙面はマックにより私が作成するはずだったのが、上記の通りアナログに切り替えられた。書店内のポスターなどと合わせて二村君が担当してくれることになった、のだが。
 脚本家の渋谷が殺害されたシーンを受けて、新聞の見出しには大きく「人気ドラマ脚本家惨殺」と出ており、それをオタクA、B、Cが見入っているというカットである。場所はデパート屋上のイベント会場。

571

覚えておいでの方もいられようか。このカットのことである。

 コンテの絵面を見ても分かるようにこの新聞の見出しは情報を伝える上で大切なものである。わざわざコンテのキャプションにまで見出しの内容を指示してある、というのに。
 確かに私もダビングなどでばたばたと忙しくしており、きちんと説明できなかったという事情もあるが、誰がどう見ても間違いようもないカットだ。なのになのに二ちゃんてば。

 「川島なおみ全裸ヌード」

 なんでやねん。何でそんな見出しになるねん。
 「いや、何でもいいのかと思って、アハハハハ」
 「何でもいいわけがないだろう!? コンテを見ろよコンテをよ、まったくおまえは。面白すぎるよ、ギャハハハハ」
 忙しくても笑いを忘れるほど子供じゃない。大人でもないけどな。アダルトチルドレン? そこまで笑わせてくれるなよ。
 二ちゃんの名誉のために一応断っておくが、その間違いに自ら気がついて然るべき素材を出してくれたし、他の素材でも大変健闘してくれたのである。とは言えともかく一刻の猶予もないのだ。急げ急げ!

 ダビング用のフィルムを作成していたことは前にも書いたが、ダビングには完尺を出さなければならない。効果音などを合わせるためで、編集というプロセス である。そして一度完尺を出したら変更はきかないのだ。このことはよく覚えておいて欲しい。後にえらい目に遭うのだから。
 もちろん全てのフィルムが揃っていなければちゃんとした編集が出来るわけもないのだが、無いものは仕方がない。編集はまだ作画アップの前に行ったと思われる。
 編集するに当たってはどのくらいが本撮になっていたろうか。おそらくは半分もなかったのではないだろうか。
 どのカットも原撮か動撮にはなっていたとは言えこの段階で編集というのは無謀であるが、編集をしないことには初号に間に合わない。暗闇の中編集の尾形 氏、演出・松尾氏とともに首を捻りながらの編集となった。アフレコの前にも簡単な編集をしたことは書いたが、さして変わらないフィルムの状態で編集し完尺 を出す。予定していた76〜7分からはかなりオーバーしていたはずである。しかしこの際尺のオーバーよりまずいのはスケジュールのオーバーだ、早く次の段 階へと進め進め! 

 正確な日付を覚えていないが作画アップから数日後のことであったろうか。いよいよダビングだ。
 編集されたフィルムには当然原撮・動撮・コンテ撮まで混じっているのだが、そうしたカットはダビングまでに本撮が上がり次第順次差し替えられていく。
 ダビングは二日に分けて行われたのだが、その初日、いや二日目になっても本撮として揃ったのは2/3も無かったと思われる。恐ろしい話だが、ダビングが 終わってから初号までの何日かで300以上のカットが一挙に上がることになる。アニメの粘り腰はここにあると言ってもよい。これは間違いのない数字だと思 うので、およそダビング時では1/3以上のカットが原撮・動撮・コンテ撮のはずだ。
 ダビングはアフレコ収録と同じく六本木アオイスタジオで行われた。
 ダビングの時の記憶も非常に曖昧で時系列が特にはっきりしていないのでやはり思いつくままに書いていくことにしよう。
 初日にどの程度の作業が進んだのかは定かではないが、最初に見せてもらったのはセリフと音楽がついたバージョンであった。音楽を付けるシーンは、本来コ ンテを元に打ち合わせをするのだが、極度の時間の不足か段取りの至らなさなのかはともかく、その打ち合わせは行わず音響監督の方で音楽の編集を一度して 貰ったものをこちらで確認するという段取りとなった。本当はダビングの前に音楽を付けてもらったビデオをもらっていたのだが、こちらの余裕の無さからそれ を確認せぬまま現場に入った私である。他人の不手際を責められる立場でもないわな。申し訳ない、やらねばならぬことはあまりに多すぎる。

  ともかく、セリフと音楽が入った状態で通してみたのだが、概ね問題は無し。音響監督三間さんの理解と誠実な仕事に頭が下がる。拙い部分の多いフィルムだけ に音で救われる部分が多い。もっとも、音楽はチャムの楽曲以外、つまりBGMに関してはこの時初めて完成したものを聞いたと思う。以前にも記したが、途中 までのラフを聞いてはいたのもの音楽のフィックスは私の知らないところで勝手に行われたのだ。予算が尽きたというまたしても、嫌だよ貧乏は、という理由で ある。いや、貧乏については落ち着いたときにゆっくり嘆こう、今はそれどころじゃないのだ。足を止めたら、それで負けだ。

 初物づくしのこのダビングではデジタルのカットの上がりもその例に漏れない。ハマグリの仕切り、というか単なる連絡の怠慢で遅れに遅れしかも新規のCG スタッフまでお願いして処理していたデジタル絡みのカットだが、途中でそれらの打ち合わせは演出・松尾氏が担当してくれていた。無論本来なら私が自ら行う べきものなのだが、監督としてより、絵を描くスタッフとしての比率が高くなっていた私のやるべき作業は膨大な量になっており、やむなく担当を分担しても らっていたのだ。とは言え松尾氏には作品の最初から関わってもらっていたし私の好みも充分分かってくれていたので、私がいなくても取りたてて心配はなかっ たのだし、それに何か問題があったとしてもおそらく限られた時間の中で最良の方策を採ってくれるという信頼もある。まぁ監督がそれに甘えていてもよくはな いのだが、この期に及んで「望ましい」方法ばかり採れるわけもない。
 さてそのデジタルカット。「それってデジタル」の回で紹介した15O(D,E)、未麻の部屋から大きくトラックバックするカットはモニター上で既に確認 済みであったのだが、他のデジタル処理をしたカットは初めてお目にかかるわけである。はじめまして、監督の今です。いかに時間がないとは言え何事も最初の 挨拶は大事だろう。もう少し早くに出会うことが出来れば尚のことよかったですが。
 その大半がテレビのモニター内でビデオが巻き戻される、あるいはリアルタイムでテキストが打たれる、という処理だったはずだが、デパート屋上のチャムの イベントにバーチャル未麻が現れるカットもデジタルによる処理であった。もちろんカット内容に間違いがあるわけではなかったがさすがに前後のカットと色が 違う処理が合わないというのは否めなかった。しかし既にリテークを出せる時間的金銭的余裕もなく、目の前のカットと宜しく付き合っていかねばならない。よ ろしくお願いします、監督の今です。出来ればもう少し早くに…ってそれは書いたか。
 カットの出来がイメージと違ったからと言って担当してくれた方々の能力を云々する気はないので誤解しないで頂きたい。非常識に圧迫されたスケジュールの 中で、まずカットを揃えてくれたことだけでも感謝の言葉もない。処理を担当してくれた方にしても納得のいく仕事であったはずもないのは想像に難くない。
 自慢じゃないが私も時間がないことにかけては人後に落ちないです。

 ダビングは全体を5つにロール分けをして順に行われた。セリフと音楽がついた状態のフィルム、実際はビデオに落としたものに合わせて、効果さんの方であ らかじめ仕込んでもらっておいた効果音をチェックして行くわけである。音関係の作業は全てデジタル化されていて、パソコンのモニター上にはグラフィックに 各音源が表示されている。感心しきり。
 全てデジタルといっても勿論足音だの衣擦れの音と言ったいわゆる生音は、フィルムをモニターしながら効果さんの方でその場で付けて行くらしい。らしいというのは、私がその場に立ち会ったわけではない。
 効果音、というのは実に難しい。音楽も勿論そうなのだが、何と言っても口で説明しようが無いのだ。絵に関わるものなら自分でラフを描くなりして伝えよう もあるが、例えば殴る音一つとっても「バシッ」だの「ドスッ」だのと口で言ったところで解釈の幅が大きすぎる。常識的な範囲の生活音と言ってもそこには個 人差もあれば更にはこちら側の演出というのも介在してくる。客を脅かすためにわざと大きく響く音にしたり、人物の心情を表現するような音も当然必要にもな るわけで、その音のニュアンスを伝えるのは至難の業。よってそこは効果さんのセンスと作品に対するスタンスに期待するより他はない。頼むッス。
 何より問題なのは、ダビング時にどうしても演出と違う音があった場合、その効果音を差し替えるというのは非常に困難なのである。
 差し替えることは技術的には無論可能なわけだし、8月のリテーク時には2度目のダビングを行い効果音の結構な数の差し替えも行ったのだが、問題なのは単 に差し替えに要する時間である。今日明日にはダビング作業を完了しなくてはならない事態で、効果音一つ差し替えるために何時間かダビングを中断するわけに はいかないではないか。よって究極としてはその音を「付けるか、取るか」の選択しかできないのだ。まぁその中間として音を「下げる」というのもあるのだ が。
 そうは言ってもレベルを絞ったところで音のキャラクターの決定的な違いがあってはいかんともしがたい。例えば雨の音。「ザァーッ」と降る大雨もあれば 「サァーッ」と降りしきる小雨もあるわけで、大雨の音を絞ったところで小雨の音にはならないわけだ。(あくまで例ということです。パーフェクトブルーでそ ういうことがあったというわけではないです、念のため)
 絵から受ける印象に従い効果さんでは音を付けてくれるわけだが、こちらの絵の表現力の無さから生まれる勘違い、あるいはニュアンスの違いというのはある程度仕方がないことであろうし、何より絵が揃ってないという極め付きの悪条件なのである。
 こちらとしても一生懸命にイメージを伝えようと努力はするが、全てが思い通りになるわけもない。自慢ではないがダビングというのはこの時の私にとっては未知の領域なのである。しかも落ち着いて考える時間をあいにく持ち合わせていない。直感と音響監督が頼りだ。
 郷に入っては郷に従え。
 郷に入っては郷をぶち壊せ、というパンクな発想で斬新な事をしたいという考えも無くはないがその宝刀を抜くような事態ではないし、状況や伝統を軽んじる ほど私は小僧ではない。私は自分の出来ないことを出来る技術を持った人間には敬意を払う方だ。あ、これを読んでいて笑ったあなた、あなたは私を誤解してい る。
 置かれた状況の中で最善の策を取るのが賢者というものだよ、と幼かった私の頭を撫でながらいってくれたおじいちゃんの言葉が頭をかすめその金言に私は従うことにする。おじいちゃんの話はウソだぞ。

 ダビングの初日は終日私と松尾氏が立ち会っていたのだが、そうなると今度は絵の方を揃える作業に支障を来すことになる。よって二日目は私だけがダビン グ、松尾氏が阿佐ヶ谷のスタジオで撮出しや指示出しを担当することになった。それほどに時間は迫っている。フォーメーションBだ。Aは何かって? 今はそ れを教えている説明している場合じゃない。
 更に撮影所からの問い合わせ当は松尾氏でなければ分からないことが多く、効率的に作業を分担しなくてはならないのだ。実際セリフと口パクがどうしても合 わないカットについては、音響の方からセリフの尺とブレス(息継ぎ)の箇所などを出してもらい、私が松尾氏に電話で伝えて直してもらうというケースもいく つかあったと思う。この当たりがフォーメーションQだ。随分アルファベットの間はすっ飛ばしているが、それどころじゃないのだ。

daihon02

 私の使用したアフレコ台本の裏表紙。音響の方から出してもらったセリフの尺などが書き殴られている。字が汚いのは時間が無いせいばかりとは言えない。

 ダビング二日目のことは多少記憶が鮮明である。後半のロールの効果音の仕込みが遅れているということで、アオイスタジオに向かったのは午後のことだった かと思う。東京は暑い季節を迎えており、ただでさえ鬱陶しい六本木を韋駄天のように、いやウソだな、ヘロヘロになりながら通り抜けた覚えがある。気持ちは 急いでいるのだ。

 「まだ効果音が上がらない」

 汗を掻いてスタジオに入った私を迎えたセリフは切ないものだった。いや、何を言う。
 今まで散々フィルムを遅らせてきた私がとやかく言えるわけがない。しかし無いものはしょうがない。オレンジジュース一杯でのどの乾きを潤し私は即座に阿佐ヶ谷のマッドハウスのスタジオにとんぼ返りする。遠いんだよね、結構。
 お陰で地下鉄の中で仮眠を取ることが出来たのは行幸といえたかもしれないが。
 そんなときでもとにかく急いで眠るのだ。急げ急げ!!

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