■厄断ちの日(最終回)

 7/14に初号、後にこれはゼロ号と呼ばれることになるのだが、とにもかくにもいったんフィルムは上がりこのバージョンはかねてから予定されていたカナダの映画祭に送られることになった。せいぜい頑張ってくるがいいさ。
 映画祭エントリーの締め切りはとうに過ぎていたらしいのだが、映画祭事務局側のご厚意で待ってもらっていたらしい。待ってもらった上に不本意な形のものしかご覧に入れられなくて申し訳ない、カナダの衆よ。
 もっとも、このフィルムを、冗談じゃないほど重たい35ミリフィルム80分のロールを自ら携えて現地に乗り込んだ海外担当のプロデューサー、後に私が勝 手にマダムREXと名付けた彼女によるとこのゼロ号は「ファーストカットバージョン」と言うことになるらしく、何だか響きも人聞きも多少は良くなる感じに なる。何のことはない未完成バージョンなのだが。いたらぬ現場の失態も口先三寸でフォローする、これこそプロデューサーという人種の才能か。

 初号、いや明確に区別するため以後はゼロ号と呼ぼう、その試写の翌日あたりに早速リテークのための打ち合わせが持たれた。

 リテークの最初はハマグリだ。切る。

 と、勇ましいことを飲み屋で叫ぶことは出来ても、実際私にそんな権限はなかったのだが、プロデューサー側でも現場の事情をくみ取ってくれてはいたらしく、その有り難い即断でリテークの仕切りは別な制作の方に面倒見ていただくことになった。ヒャッホー。

 リテーク打ち合わせに顔を揃えたのは演出、作監、美監、色指定、動画チェック、撮影等のメインのスタッフ。制作部屋のモニターにみんなで見入ってチェック、というより間違い探しをするわけである。
 それぞれの仕事に応じて同じ画面の中でも当然見ている部分は異なる。仕上げに関わるスタッフはやはり色パカがすぐに目に付くであろうし、撮影ならばセル が浮いているだの撮影ガタ、セルにライトの反射が映ったハレーションなどが気になるわけだ。このあたりのリテークはテクニカルなミスによるもので、単純に 仕上げのやり直しや撮影の撮り直しで済む場合が多い。
 それとは別に作画の必要なリテークも当然出てきて、作監からはキャラの崩れがひどいカット、美監の方からはそぐわない背景が数カット、また演出側からも 明らかに動きのおかしなカットなどがリストアップされた。その数合計150カットほどだったろうか。あの状況を考えれば随分と少ない方であろうか。リテー クをするということはそれだけお金がかかるということなので偉そうには言えないが。ありがとうございました。
 しかしみんなであれだけチェックしたにも拘わらず、その後の映画祭での上映や再ダビング、テレシネ等を通してとんでもない大きなミスを見つけてしまうの だから何とも情けない。全く心臓に悪い。当時リテーク出しのチェックをしたマッドハウス分室2階の29型ほどのモニターは大きさはともかくブラウン管の古 さと汚れが目立ち、リテーク箇所なのか汚れなのか判別に困ることがあったのも一因か。せめて掃除はしましょうよ、ね。

 この後具体的なリテーク作業に入ったわけだが、その仕事のテンションは日に日に下がっていった。いかにも残務整理という感じで、追い込みの頃の異様なテンションと悔しさと怒りもどこへやら、憑き物が落ちたようだった。
 ゼロ号を上げるために精魂使い果たした、と言っても大袈裟ではあるまい。初号当日の悔しさを忘れたわけでは勿論ないが、肉体的にはともかく精神的な余力を残しておけなかったのは経験不足の監督の若さというものか。青い青い。
478   テクニカルなリテークを除いて、おもだった箇所のリテークで印象深いのはカット478の作画の直しだろうか。レイプシーン収録の後部屋で荒れる未麻のカッ トなのだが、どうにも上手くない上がりになっていたので原画から直すことになったのだが、直すのは作監・濱洲氏である。腱鞘炎に冒された右手で直してもら うのである。
 ハンカチに鉛筆を巻いてそっと右手に差し込んで修正してくれるその姿には、本当に涙が出そうになった。拙い舵取りがその悲劇の一端を招いたことは間違いありません。申し訳なくも本当にありがとうございます。
 作品冒頭のカット15、17というのは違う意味で印象的なリテークであった。チャムのイベント待ちでたむろしているオタクたちのカットなのだが、ともか くひどい撮影ガタなのである。ただ口を動かして喋るだけなのだが、その度に余計な部分までがガタガタ動いてしまうのだ。実をいえば、というか見た人ならす ぐに気が付いたと思うがこの撮影ガタは最後まで直しきることは出来ず、発売されるビデオでも確認できるはずである。言いふらしてどうする。
 何故直りきらなかったかといえば撮影する素材が大きくて安定して撮影が出来ないということなのだろう。セルを固定するためのタップの位置が遠くなるため ガタになる。カット15の方はそれほど難しい素材ではなかったはずなのだが、数度の取り直しでも結局良い結果は得られず「一番ひどくないテーク」を選ばざ るを得なくなったのだが、そこはそれ既に一度終わってしまったという気楽さも手伝う。
 「いいんじゃない」
 無責任と言うなかれ、他にやり様もなかったのである。さすがに私たちも素材から作り直す元気は叩いても振っても出てこなくなっていたのだから。

 リテーク作業を続ける最中に朗報があった。多少の可能性はある、と言われていた「再ダビング」が決定になったのである。ヒャッホー。ちょっと小躍りの私。
 ちなみにこの「小躍り」というのはハードディスクに住んでいる物知りに聞いたところ「喜んで体を小刻みに動かすこと」というのだが、具体的にどういう風 に体を動かすのであろうか。私は以前体を使って自分なりに「小躍り」してみたことがあるのだが、その様子を見た妻に「なんか違う」という素っ気ない感想を 笑いながら言われてしまった。読者の皆さんなら嬉しいときどんな小躍りをするのでしょうか。謎です。

 そんな下らない話はさておき。
 ダビングが出来るということは再編集も可能ということである。編集上での不具合が多数あったゼロ号を随分ましに出来るということで、演出側にとっては願ってもないことだ。
 尺が足りない、余る、等という状況下ででっち上げたゼロ号には意味不明の止めの間が数多く存在し、編集の間違い(編集した方の間違いとは限らないので誤解なきよう)から消失していたカットも復元できることになったのである。
 さてこの編集に当たっては編集の尾形氏の都合が合わず、16ミリのラッシュフィルムが全部揃ったところで私と演出・松尾氏が二人で再編集させてもらっ た。二人でここはもうちょっと切るだのもう少し間が欲しいだのいいながら編集させてもらったのだが、これこそが何といっても初めてフィルムが揃った正しい 編集なのである。納得はいった。
 しかしこの「戦記」を書いている98年夏、LD・DVD用に更にドルビーデジタルで再ダビングをする機会に恵まれ、何度かフィルムを見ることになったのだが「何でここを切らなかったのかなぁ」と思う部分がいくつかあり、未熟さを痛感した次第である。
 音についても一度ゼロ号をビデオにしたものをもらってヘッドフォンで聴いて確認し、直す音の希望を出させてもらった。やはりこれも150カ所ほどであっ たろうか。また音響監督の方でも「絵がなかった」ことによる処理の間違いなど基本的な部分でのリテークを洗い出して直していただき、おかげで「劇場風作 品」としては何とか形になったのではないだろうか。

 リテーク作業はそれまでと同じ我々がスタッフ部屋として使っていたマッドハウス分室3階で行われていたのだが、新しく制作が開始された作品のスタッフの ために場所を譲る必要があり、最後まで残っていた監督、演出、作監の机も片づけることになった。一年半ほど苦楽を共にしてきた机と椅子をきれいに掃除して 感謝の念に変えさせてもらおう。ありがとう。
 制作期間中に増え続けた資料の本だの私物を段ボールに詰めていく。作品に必要な本などは経費として請求して下さいと言われていたのだが、私は一度も請求 することはなく大切な自分の資料にしていた。この作品のお陰で写真集を見る楽しみが一層大きくなり、買った写真集の数は3〜40冊であったろうか。例えば BOMB、DELUXE BOMB、UP TP BOY、発掘アイドルコレクション、すっぴん特別編集・完全保存版……あ、それは違う方の写真だ。これはこれで非常に参考になったのだがな。エヘへ。
 あまりに数が多いのとネタばれを自らするのも恥ずかしいのでタイトルは記さないが、この仕事のために購入した写真集や書籍を箱に詰めていると、それらを 参考にして描いたコンテやレイアウトのことが懐かしく思い出される。そんなときしみじみと一つ仕事が終わったのだという実感が湧いてくるのは私だけではな いだろう。
 CDも随分と買ったし、ミニコンポ、ポータブルMDもこの仕事で買い入れたものだ。愛煙家のせめてものたしなみとして購入した空気清浄機も随分と汚れて しまった。私の肺はこれ以上に汚れているのだろうな、などと思いながらせめて清浄機を磨いてみる。この仕事で私が灰にしたキャビンスーパーマイルドは東京 ドーム1.2杯分である。そんなに吸うわけないか。
 仕事中によく聞いた音楽はやはり平沢進とP-modelであったろうか。私にとって何と言っても元気をもたらす音楽だ。私も平沢師匠の曲のように常に凛々しくありたいものだ。
 「残骸の船」でどんな「嵐の海」に漕ぎ出してもしっかりと「舵をとれ」、「フローズンビーチ」を右手に眺め「スノーブラインド」に目を閉じて思い出せば 「オーロラ」はいつも輝き、明け方の空の「金星」に涙し「トビラ島」の豊穣に英気を養い「静かの海」に辿り着き耳に「LOVE SONG」が聞こえるときには胸に大きな「LOTUS」も咲くことだろう、って折り込み作文をしてどうするのだ。
 他にはやはり流行りもののテクノが定番であったろうか。反復ビートは仕事に最適。
 UNDERWORLD、DARREN EMERSONのミックス物、HARDFLOOR、SYSTEM 7、FLUKE、APHEX TWIN当たりがヘビーローテーションだったろうか。ありがとよ。
 修羅場でお世話になったエアマットは私にはしばらく用がなさそうなので、スタジオの片隅においていくことにしよう。ありがとよ。いい夢を見させてもらったよ。
 そういった増えた荷物と引き替えにこの仕事で私の体重は5キロほど減っただろうか。184センチという邪魔なほどの身の丈に比べて65キロほどの体重し かなかったのが60キロを切りそうになってしまった。やれやれ、体重と神経は減るばかりの仕事であったか。ダイエットに血道を上げる婦女子の衆よ、私は提 案しよう、「あなたもアニメでみるみる痩せる」。効くぞ。
 もっとも、この戦記を書いている現在は極端なリバウンドのせいで70キロに達している。仕事しよ。
 この先使いそうもない資料や書籍、仕事関係のコピーやメモの類を処分し自宅に持ち帰る物をまとめ、箱や袋に大きく自分の名前をサインする。「KON」。1000弱のカット袋に、そして原画マンや他のスタッフに当てたメモの度に書き慣れたサインだ。
 ダンボール箱4箱と紙袋4〜5つにまとめられた荷物が、私を支え肥やしになってくれたモノたち。意外とコンパクトな私の一年半かもしれない。

 しかし後日自宅の部屋に運び入れたら何とも一杯になって困ってしまったものだよ。
 「あ〜!!本の入るところがないよ、もう」
 CDもね。

 お世辞にも高いとは言えないテンションの下に行われたリテーク作業だが、予定された内容は無事に完了することが出来、そして8月12日、リテーク版初号の試写を迎えたわけである。
 この時は前回に比べていく分心穏やかであったと思う。集まった人もそれほど多くはなく、またカナダの映画祭「ファンタジア」でのグランプリ受賞を伝える 現地の新聞記事のコピーが渡されたりして幾分微笑ましい気持ちにすらなった。前回のゼロ号では来られなかったスタッフが何人か顔を見せてくれ、また「企画 協力」の大友さんも見に来てくれた。
 上映後、その大友氏からは「面白いじゃん」という素っ気なくも含みのなさそうな言葉も頂き、原作竹内氏、企画の岡本氏も参加しての吉祥寺での軽い飲み会も楽しいものとなった。
 この時のことだったと思うが、制作中の劣悪な状況を聞いた大友さんは呑気な調子でこう言ってくれた。
 「そぉお? その割には荒れてなかったんじゃないの?」
 お世辞であろうが私はその言葉を一応有り難く頂き、こう答えておく。
 「そりゃ他人事だからですよ、大友さん」

 私にとって一つホッとしたのは原作者・竹内良和さんがフィルムをいたく気に入ってくれたことであろうか。何と言っても氏の原作に改変に改変を重ねてシナリオ化して「アニメ・パーフェクトブルー」を作ってきたのである。
 我々スタッフは少しでも面白いものにしようと頑張ってきた。そして完成したそのフィルムを竹内さんが気に入ってくれたことは監督としての責任の一つを果 たしたと思えた。これは脚本の村井さんに対しても同じ思いがある。その村井さんからも「面白い」という言葉を貰ったのだ。職業人としての甘さを承知で言わ せて貰えば、私にとって大事なのはお客の評価より、一緒に仕事をしてきた仲間からの評価だ。
 「この作品に関わって良かった」
 そう思ってもらえることが一番嬉しい。私は幸せであった。

 こうして我々の「パーフェクトブルー」は全て終わり、完成を迎えたのである。
 ゼロ号に比べはるかに印象はよくなったと思うのだが、「絵描き」ではない一部の人からは「前とどこが違うのか分からない」という感想もあったようだ。ま、そんなものか。

 その何日か後のことであったろうか。ごくごく内輪で打ち上げを行った。
 吉祥寺にあるよく行く飲み屋を借り切ってのパーティである。もっともキャパが14〜5人の店で小規模な会である。オフィシャルな打ち上げはまたスポンサーの方で行われると思っていたので普段の飲み仲間関係を中心とさせてもらった。
 参加者は“ピエール”松原秀典君、新井浩一さん、“ハチ公”垪和 等君、“大トラ”鈴木美千代さん、“ラーメン男”栗尾昌宏君、川名久美子さん、二村秀 樹君、“温泉番長”中山勝一さん、作画監督・濱洲英喜さん、美術監督・池 信孝さん、企画の岡本晃一さん、原作者の竹内義和さん、そして妻と私の計15 名。演出・松尾氏は最後の最後のリテーク作業で2軒目からの遅れての参加となり、誠に申し訳ないことをした。また“師匠”本田雄君は確か発熱のために欠席 であった。

 「お疲れさまでした」

 おそらくはその言葉で乾杯しての楽しい一時であった。何と言ってもこの時のトピックは“大トラ”鈴木美千代さんの手製のケーキ。チョコレートで書かれた 「未麻」と「あなた誰なの」にいたく感動してしまい、涙の一つも流そうかとも思ったのだが私のキャラクターに合わないので涎の一つも流しておく。汚いな。

cake

 見よ、このケーキ!! 号泣モノ!! 「PERFECT BLUE」のスペルが「E」が抜けて「PERFCT BLUE」になっているのは愛嬌というもの。
しかし、よく考えると意味が深いな。「E」が無い……「絵」が無い……いや、そんなことはない! ちゃんとカットは揃ったのだ、最終的には。
とても嬉しくてそして美味しかったです。ありがとう。

 この「パーフェクトブルー戦記」第5回“明日は我が身”の最後にこんな事を書いている。

「X」のスタッフは仕事を終え、晴れやかな表情をしている。スタジオからの帰りの電車の中で、ふと希望にも似た予感が頭をよぎる。
「俺も終わったら笑えるんだろうなぁ……。みんな笑ってる…なんて晴れやかな打ち上げパーティなんだろう…苦しかったけど、やって良かったなぁ…はははは……はははは……(深いエコー)」幻想シーン終わる。
 こっちはまだ始まったばかり。はるかに遠いガンダーラ。

 この時の幻想が現実となった打ち上げである。そうか、ここがガンダーラであったか。吉祥寺の地下の店にあるなんて随分近くて遠いものだよ。

 この8月末から9月頭にかけて韓国、プチョンファンタスティック映画祭にフィルム共々招待され、キムチ三昧の日々を過ごしたことは当ホームページ内「韓国プチョン・ファンタスティック映画祭見聞記」に詳しいので、興味のある方はそちらもどうぞ、ってこの「戦記」にお付き合いしてくれている方はご存知か。もう一年も前のことだなんて、交陰矢の…違うか、光陰矢のごとしか。


 スポンサーREXによるオフィシャルの完成記念パーティが行われたのはリテーク版初号の翌月、9/12、場所はアニメ関係者にはおよそ不似合いと思える 六本木であった。「TATOU(タトゥー東京)」という普段なら絶対に近寄りそうもない店だったが、REX社長が株主だとかいうことらしい。そこが会場と 分かっていても扉を開けるのも憚られるような店構えである。負けるものか。
 打ち上げの案内には「正装でなくとも構わないがサンダル等のあまりにラフな格好はご遠慮下さい」というような注意が書かれてあったと思うが、“師匠”本 田君、やはり原画の山田まことさんあたりはアニメーターの正装たるサンダル履きで来ていた気がする。スタッフのための打ち上げのはずだ、それで正しい。
 この日はマッドの社内からも多くのスタッフが参加、脚本の村井さん、企画の岡本さん、原作の竹内さん、また主演の岩男潤子さん、松本梨香さんらの声優さんや主題歌の川満美砂さんも出席して一段と華やかなムードであった。
 岡本・竹内両氏は岩男さん、川満さん両嬢をお気に入りの様子。まったく健全な男子であるよ。

  中央のスクリーンにはパーフェクトブルーが流れている中でのバイキングスタイルのパーティで、さすがに笑顔の咲く率も高い。私も陽気。あまりスクリーンの 方に目をやらないように気を付けてはいたが。下手にNGなど見つけたり制作中の怒りや後悔の念がフラッシュバックしては台無しである。
 読者の方は大変気になっているだろうが、この場にあれはいない。あれがいたとして私は大人の顔で話が出来たかどうかは自信がない。本人だってのこのこ顔を出せるとも思っていなかったのだろうが。
 さすがにスポンサー主催なだけに、パーティには付き物とも言える「ビンゴ」も催された。自慢ではないが私はビンゴでよい思いをしたことは一度もない。そう言う宜しくない運は継承されるのが世の常である。まして「パーフェクトブルー」の伝統は脈々と息づいているのだ。
 私は意外なことに比較的早くにビンゴを迎えた。「ビンゴ!!」遂に取ったぞ鬼の首!
 だというのに。
 このビンゴにはスポンサーの性格が反映されているのか「落とし穴」が用意されていた。ビンゴになっても更にもう一度カードを引いて当たらねばならないの だ。長年生きてきてそのようなビンゴはお目にかかったことがない。要は少ない商品で長く盛り上げようという魂胆らしく、やはりここにも貧乏所帯がにじみ出 ているのか。何と言ってもビデオ作品を劇場で……ま、もういいか。
 当たりは「未麻」のカードでハズレが「内田」のカード。賢明な読者の皆さんはもうお判りだろうが、私が勢いよく引いたカードはやっぱり「内田」。更には妻が何度か引いたにもかかわらず全部「内田」「内田」「内田」。なんでやねん。
 その代わりというか、このパーティで私は「ファンタジア」でのグランプリの額を頂き、加えてREXさんからのプレゼントとして「パーフェクトブルー」の ロゴが入った特別製の「ディレクターチェア」をもらう。実写映画の監督が座る例のあの椅子だ。しかしだな、アニメの監督がこれに座っても低すぎて仕事にな らないと思うのだがな。
 「レディ、アクション!」
 どうせ動くのは私だ。

 この椅子に座って「監督から一言」ということであったのだが、みんなの前で賞状を抱いてディレクターチェアに座って喋る私は、何だか難病から回復した患者みたいな気分だったな。「皆さんに応援してもらい私も何とか人並みの健康を手に入れることが……」違うか。
 とにかく照れくさいものであった。その後作品の宣伝活動において随分と人前で喋ることにも馴らされたが、これがその最初の機会であったかもしれない。確 かに「監督」という役柄である以上作品やスタッフを代表するのは仕方がないが、何も私だけの功績ではあるまいしなるべくなら何事も作ったみんなで分け合い たいものである、とスタッフの前だけに一層強く感じられたのである。作品に対する良くない評価に対して当然矢面に立つのは私だろうが、少なくとも良い評価 なら素直に分け合いたい、そう思えるスタッフに恵まれたことは作品にとって何よりの幸せであったと思う。もちろん私もその一人である。

staff

万歳!!

 2時間ほどでパーティはお開きとなり、我々演出・作画系現場スタッフ、というかいつものメンバーは不似合いかつ落ち着かない六本木を足早に後にして我らがアルコールの聖地、吉祥寺に移動して更に酔っ払うことになった。毎度のことだな。
 この時も朝まで飲んだろうか。

dinner

皆様本当にお疲れさまでした。

 完成版のフィルムが上がってから既にこの時点で既に1ヶ月、作画作業が終了してからは2ヶ月半も経っている。制作期間中の怒りや恨みも随分と薄らいできていたろうし、それらも全て含めて笑い話に出来るようになっていたろう。
 それにしても何と逸話と伝説に彩られた作品制作であったろうか。「一人電話」「ズル寝」「震える口」等々って、独り舞台だなそれじゃ。
 アニメ制作はこの作品に限らず大なり小なり予想もしない事故は付き物であるが、パーフェクトブルーは振り返るとそこに数え切れぬ程のそんなエピソードの 骸が累々と転がっていた。この日の酒の席でも話題に困ることはなかったろう。一つ一つテーブルにあげて笑い話に変えてみるにはよい機会であった。作品は終 わったのだ。いくら何でもこれ以上の事故が起こることはあるまい。安心して心ゆくまで飲めるだけでも、仕事を終えた者への大きな贈り物ではないか。酒が美 味いぞ。
 目の前には文字通り苦楽を共に乗り越えてきたスタッフたちがいて、祝杯を挙げても罰が当たらない程度の作品は完成したのだ。望めばきりがないし、下を見 ても同じだ。我々は置かれた状況の中で最大限に戦い、そしてそれに見合う戦果も挙げたと思っている。作品に関わってくれた人のうち誰一人欠けても「その フィルム」にならなかったことは間違いないはずだ。よい部分も悪い部分も含めてそれが我々の2年近い年月の成果なのだ。反省するべき点は多々あるのかもし れないが、当時はそれ以外にやり様はなかったのだし、その反省は次の機会の糧としよう。まとめに入っているのでそのつもりで読んでね。
 よく思ったものだ。
 例えば「もしあの時2時間睡眠を減らして頑張っていれば…」ついそう思うこともあるが、ではもしも実際にその時2時間の睡眠を削ってフィルムの質に貢献 したとしても、そのせいで体調を壊しもっとひどい結果をもたらしたかもしれない。そう考え始めたらきりがない。全ては必然だったはずだ。
 他のスタッフの仕事にしても同じように考えているし、誰かの穴を埋めようと思ったからこそ別の人間が能力を最大限に発揮したこともあるだろう。有能なス タッフばかりがもし揃ったとしても、それ故に起きる衝突もあったかもしれない。衝突や不満も時折あったかもしれないが、我々は概ね楽しくそして厳しく作品 制作に勤しんできた。逆に我々の楽しげな様を不愉快に思った方もたくさんいたかもしれない。それもこれも含めて「パーフェクトブルー」だったのだ、制作体 制に不満のあった方も大目に見てやっていただきたい。我々はさぼりはしなかったし、自信とプライドを持ってこの作品を作ってきた。それは間違いない。
 ともかく、出来上がったものはおかれた環境の中でなし得た最高のものであると私は信じている。

 そして最後にこの作品に成り代わり作品制作に携わってくれた全ての人に感謝の念を捧げたいと思う。
 本当に、本当に有り難うございました。

 おいおいいつの間にそんな大人の発言をするようになったんだ、って? 今まで散々書いてきたあれやこれのことはどう思っているのかって?
 ふふん、そういった疑問をお持ちの読者には次のエピソードを紹介して終わりに変えさせてもらおう。

 リテーク作業の最中、食事に出た折りに私は松尾氏とこんな話をした覚えがある。
 「まったくハマグリのお陰でえらい目にあったよね」と私。
 「普通考えられない事故とか多すぎましたよ」
 「他の制作が担当だったら随分違ったのかな」
 「そりゃそうですよ、いくら何でもあんなにひどいことにはなりませんよ」
 「でもさ、ハマグリじゃなかったとしたら、有能な、とは言わなくてもごく普通の人で、制作の上の人間にいつも事態を報告するような担当だったとしたらだよ、これほどスケジュールが延びたのかな?」
 「いやぁ、もう少し早めにカットを引き上げるとか手は打たれたんじゃないですかね」
 「ってことはだよ、スケジュールを引っ張れたのはハマグリのお陰ってことでさ、ハマグリにも感謝しないといけないよね、ギャハハ」
 松尾氏はまじまじと見返して私に言った。
 「今さん、悪魔だ」
 照れるなぁ、それほどでもないよ。ギャハハ。 

 「パーフェクトブルー戦記」完

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