妄想の四「少年バント参上!」
-その4-

マロミ誕生秘話

 さてシーンは少しばかり飛んでC.171。みなさん、コンテの67ページを開いてください。え?持ってない?忘れ物はしないようにしてくださいと先生があれほど言ったのに。では隣の人のコンテを見せてもらいなさい。
 月子がパジャマ姿でマロミを抱きながらノートパソコンを開いているのがC.171。
 あ。不意に思い出した。月子が何故いつもマロミと一緒という設定になったのか、その元になったエピソードがあったのだ。
 私は時折、神戸にある「アートカレッジ神戸」という専門学校に抗議の出前をしているのだが……って、誤変換も甚だしいな。「抗議の出前」じゃ圧力団体みたいじゃないか。講義の出前をしているのだが、帰りの新幹線の中でそんな女を見たのだ。
 その女性は確か名古屋から一人で乗り込んできた。もちろん私が乗っているのだからグリーン車だ。喫煙車輌だ。ややメルヘンチックな淡いピンク色の上下を 着て、ロングヘアの20代の女性だったと記憶している。私は窓側の席に座っており、彼女は私の隣、通路側に腰掛けると、すぐに前の座席の背からテーブルを 倒した。そして、いかにも「いつも通り」といった様子で右脇に持っていたトートバッグからウサギのぬいぐるみ一対を取り出し、ぬいぐるみたちが自分の方を 向くようにそのテーブルに優しく座らせ、そして自分は「るるぶ」のムック本(だったと思う)、新横浜ガイドを広げて無心に読み始めた。
 私は彼女が新横浜で降りるまでトイレに立てなかったな。
 トイレに立つには、そのテーブルを上げてもらわないとならない。とても私は言えなかった。
「これ、ちょっとどけてもらえませんか?」
「“これ”って何ですか!私の子供たちに向かって!」
 烈火のごとく怒るかもしれないし、ヒステリックにわめき散らすかもしれないし、あるいは、しくしくしくしく泣き止まなくなるかもしれない。どういう反応 が返ってくるのか予測出来ないのは、いかに相手がか弱そうに見える女性であろうと不気味なものではないか。
 この名古屋から新横浜までトイレを我慢した経験が「月子とマロミ」を生んだと言っていい。本当に。

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 C.171からの月子の自室内のシーン。私が1話で「狙った」シーンであることは言うまでもない。1話の最初のカットからここまで、事件といえば月子が 通り魔に襲われた、というだけで取り立てて不可思議なことが起こっているわけでも派手なことが起こっているわけでもない。爆発とかメカとないしな。アニメ なのにな。あーあーそうだともさ。
 要するに地味だ、と。別に変わったアニメでもない、と。それをここまで我慢してきたのは、何と!ぬいぐるみの筈のマロミが動き出すのだ!……って、やっぱり地味か。地味でけっこう。
 ともかくそれまで積み上げてきた、あくまで現実をふまえた世界観にズレを生じさせるシーンである。狙わないわけがないし、1話におけるアニメーションと しての「華」の部分である。ここを外しては1話は失敗、という重要なカットなので単価もかなり色を付けてお願いしたはず。「妄想代理人」1話を見ていてこ のシーンで一層引き入れられたというあなたは大変良いお客さんです。
 BBSの心ない書き込みに動揺した月子がマロミを床に落とし、C.182でマロミが動き出す。一連のマロミが動くカットはどれもとても気に入っている。原画担当は「千年女優」でもお世話になった久保正彦氏。素晴らしい作画である。
 先に少年バット登場の際、メタの世界に入るのがどうしたこうしたと理屈を並べたが、少年バットに匹敵するほど重要なマロミがその本性を現すこの場面で も、先の理屈は同様に機能している。こちらのケースでも動揺した月子の息づかいも重要であるが、同時に神経質に繰り返されるクリック音が、メタへの進入路 をサポートしている。動揺が大きくなるに連れてローラーブレードのゴオォォという音がフェードインしてくるのも同じ事。
 マロミが床に落ちるのがC.180、確かその落下音でゴオォォという音をカットして、次のC.181でカメラは俯瞰に引いて雨音が静かに聞こえるはず。そしてC.182でマロミが動き始める、と。
 C.181でほとんど真俯瞰までカメラを引くのは、ここで「メタに入った」と念押ししていると言える。幽体離脱ではないが月子の心が体から離れて自分を 見下ろしているような不安な浮遊感を出そうとしている。出そうとしただけで本当にそう見えるのかどうかは見た人の判断にお任せする。
 動いてしゃべり出したマロミと月子の会話は、つまりは独り言。月子の可愛らしい外見とは裏腹に、この独り言で繰り返されるのは恐ろしく傲慢な内容だと思う。
「私は悪くない」
 嫌な女だね、まったく。でも萌え。それが萌え。

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カフェの攻防

 オープンユアテクストブック。
 ではコンテの80ページを開いてください。この間は月子のお部屋のシーンを解説しましたが、今回はその続き。ロフストランドクラッチ(前腕用安全杖)を ついて出社しようした健気な月子が、下世話な世間よりの使者・川津と出会い、シーンをオープンカフェに移します。

 シーン変わりがC.199。これは吉祥寺のオープンカフェを参考にして描かれているが、内容は吉祥寺と一切関係ない。カフェのパラソルが影を落とし月子と川津を陰陽に分断する。月子は影の中、川津は日向。無論これは二人の心理的な立ち位置を象徴している。
 私はこのシーンもコンテを描くのが楽しくて仕方なかった。画面としては同じポジションのカットが繰り返されるだけなので、何もひねったことはしていな い。芝居を見やすく、セリフをきちんと聞けるようにしたいシーンだったので、カメラが余計な芝居をしないようにしている。とだけ言えば聞こえはよいが、レ イアウト・背景作業の大幅な軽減をも同時に意図している。
 コンテを描いていてもっとも楽しかったのは会話の「間」である。攻めて行く川津と受け流そうとする月子の地味な攻防をセリフや芝居の間に置き換えるのは実に楽しい作業であった。

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 絵コンテを読んでもらえれば私が何にこだわっていたか、多少は伝わると思うのだが、いかがか。
 一所懸命、イメージした「間」を目に見える形に置き換えようとしている苦労が偲ばれよう。「東京ゴッドファーザーズ」中盤以後からであろうか、セリフ INまでの間やセリフ途中の間などをなるべくこまめに計ってコンテに書き込むようにしている。こうした作業を放っておいて原画マンに任せると、原画チェッ ク時にたいていひどい目に遭うと分かったからである。各原画マンでセリフの尺や間の解釈がバラバラになるし、あまり物を考えない原画マンになるとたいてい がカット頭からセリフを書いてきたりする。まるでそれが決まりでもあるかのように。カット頭からセリフの位置が間違っていると、その後も全部直さなければ ならない羽目になり、その他あれこれと面倒くさいことになるので、せめてセリフINまでの間などはコンテでなるべく指示することにしている。もちろんコン テ時の計測が絶対のわけもなく、原画時に一考してもらったり指示通りになっていても原画チェック時に変更したりもするが、目安がないよりよほどましになっ たと思う。
 このシーンも完成画面ではコンテ尺と変わっていたりもするし、アフレコで声優さんがこちらの意図通りに喋ってくれるとは限らないので、あまり上手くいってないところもあるが、私の狙いは概ね達成されたと思う。
 またこのカフェの会話シーンは原画担当者を4〜5人という複数に分ける都合もあって、セリフのタイミングは先にまとめて演出側で付けてしまっている。こ れは有効な方法だと思うった。ただ、原画マンとしては芝居を考える上で制約が大きくなるとも言えるので一概に良いことばかりとは言えないが。演出としては よけいな芝居を膨らませて欲しくないときには大変都合がよいと思える。

「セリフ後にちょっと間を作って次カットはカット頭からセリフ」とか「セリフまでカット頭に間(0+18)」などと字コンテにも何度か出てきているよう に、特に気にしていたのはカット尻とカット頭の間であったようだ。たとえば川津がカットいっぱいでセリフを言いきって、次の月子のカット頭に間があれば、 川津が攻めて、返答にもたつく月子が動揺している感じになる。これは使いどころを変えれば余裕のない人と余裕のある人というまったく逆の表現も出来よう。 たとえばこんな会話の感じ。
「そんなこと仰らずに教えてください!お願いします!」
「……さて。困った人だな」
 頭にある「……」をカット頭の「間」であると考えてみれば分かるであろう。
 文章上ではよくある表現だと思うが、こうした間を具体的な数値として置き換えるのがアニメーションの演出であり、編集である。コンテやシート上で完全に 決め込まなくても、編集時にリアルタイムに画面を見ながら間をつまんだり足したりするのも賢い方法なのだろうが、編集時といってもセリフが入っているわけ ではない(編集はアフレコの前にするのだから)ので、いまだに私はストップウォッチで計る方が得手である。デジタルの世の中なのになぁ。

無理矢理な物真似

 オープンニャテクストブック。
 同じカフェのシーン、C.219からの川津の演出は卑怯かもしれない。私は楽しくて仕方なかったのだが。

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 コンテのキャプションにもあるとおり、川津が喋っているが声は女性スタッフたちという何ともひねくれた演出である。C.219の後C.221、223、 225、227と同様のカットが続くが、徐々に川津には女性メイクが施されて行く。もっと気色が悪くなると良かったとは思うが、効果はあったと思われる。
 このシーン、シナリオではメイクが施されて行くという描写はなく、絵コンテ時に付け足したアイディア。シナリオの第何稿か忘れたが、元々はこの同僚の証 言は回想としてインサートするという風に、割とスタンダードに考えていたのだが、「川津に女の声色を使わせて、その場で同僚の真似をさせた方が面白い」と 方針を変えた。無理矢理な描写を持ってきた方が面白い場合も多いと思う。またおそらく「東京ゴッドファーザーズ」制作中ということもあって、キャラ芝居を 面白がっていた気分が反映していたのだろう。
 しかし作画に余裕がある劇場作品ならともかく、テレビシリーズにおいて作画の豊かさだけでこのシーンを表現するのも無理が多いと考えた。そこで作画の負 担を補うために思いついたのが、声をすり替えるという、これまた無理矢理なアイディア。化粧を施すというのも醜悪さを強調するための同様のこと。これらも ある種の捻れの発想とも言えるが、単に面白がっていただけかもしれない。
 そうであるはずの物をいきなりそうでない物にすり替える、という発想は「それまで動くはずのなかったぬいぐるみが動き出す」というアイディアと同じである。
 ある状態が予測されなかった別な状態に変化する瞬間にこそ力があるように思う。その変化の前にしろ後にしろ、それが常態となってしまっては力を失う。か といって常に変化させ続ければ、これはこれで変化するのが常態ということになる上に、落ち着かないことこの上ない。バランスが重要だろう。
 作画についても同じことが言えると思うのだが、動きっぱなしにすると見ている方としては「動きっぱなし」という状態に慣れてしまい、動きから受ける刺激 が弱まる。これを補おうとすれば動きっぱなしの状態からさらによく動く状態へと変化させねばならなくなる。これが大作化へとエスカレートする法則でもあろ う。右肩上がりの演出ともいえようか。
 だが「よりすごくもっとすごく」あるいは「より細かくもっともっと細かく」でもいいのだが、右肩上がりのみを希求する態度はその特性ゆえに袋小路を招く のが必定である。これは演出だけの問題などではなく、現代社会が抱える問題としてあらゆるところにそうした袋小路が見いだせる。年金問題なんかその典型で はないのか。人口が増え続けることを前提に構築されたようなシステムは、普通なら「ネズミ講」と呼ばれると思うのだが、私の考えは浅薄なのだろうか。きっ とそうなんだろう。
 ともかくこの「右肩上がり」だけを求めるステージからどうやって降りるか、どうやってその袋小路に入り込まないように常に余地を残しておくかが、近頃の 私の考えどころになっている。考えてはいるがそのことについて書き始めると、可愛い月子の話がどっかに行ってしまうので、ここではおく。

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