妄想の八「妄想文化祭」
-その3-

 かなりベタな繋ぎ方をしていると思う。私も普通ならこんなカットの繋ぎ方をしないと思うが、治樹の思いをわざとらしく強調しようという狙いと同時に作画内容を軽減し、ムードにそぐわない絵をカットの外に押し出そうという狙いもあった。元のシナリオを少し引用する。

深夜、降りしきる雨の中、電気が消えカーテンが閉め
られた亜希子の病室を見上げている治樹。
治樹(M)「亜希子…僕は君を逝かせやしない。絶対君を死なせた
りしない!」
決然と反対側の病棟に向き直り、絵具を手にハシゴを
のぼっていく。
すでに最後の一葉が舞い落ちた壁。治樹、そこにビッ
と絵筆を置き――以下、カットバック。

 コンテでは治樹のモノローグを3カットに分けたことになる。ベタに強調する場合よく使われる手口だ。
 さてカットの外に押し出そうとしたのはその次に書かれた一文「決然と反対側の病棟に向き直り、絵具を手にハシゴをのぼっていく」。まずムードにそぐわな いと思えてきたのは「ハシゴをのぼっていく」という描写。これを絵にするとどう上手に描いたところでマヌケに見えると思われる。梯子を上る姿は格好がつか ない。ましてや少女漫画的世界である。なのでここをショートカットするために、モノローグをベタに強調して、盛り上げた治樹のテンションをそのまま「ビッ と絵筆を置き」に繋ぐことにした。

 こう繋ぐことでオミットした「ハシゴをのぼっていく」という行為は、すでにハシゴに上った治樹、という描写で代替した。
 勿論もっと違うシナリオの読み方もあろう。たとえば治樹の決意を表すモノローグを受けて「決然と反対側の病棟に向き直」る絵を入れて、黙々と「ハシゴを のぼっていく」様を描写すれば、視聴者に「一体何を決意したのだろう?何をするのだろう?」と期待させることも可能だ。
 しかしここでは治樹の心情の流れをそのまま絵を描く行為に繋げたかったのと、尺の余裕もないし作画が面倒なので現状の形になった。

 C.22 からはいわゆるフラッシュバック。短いとはいえ回想なのでここでも回想への進入路は確保されるべきではあるが、テンポを上げて行くためにもここでは冒頭の 回想のような段取りくさい手続きは踏まない。大きくQ.T.B.(クイックトラックバック)することで治樹の頭をパルスのようによぎるイメージを表したつ もり。
 私に限ったことではないと思うのだが、普段ものを考えているときに考えていたことに関連して不意にイメージがよぎることが多い。ごく断片的な映像だった り音声だったりするが、うっかりしていると次々と連想が浮かんで考え事がどこかに行ってしまうこともある。そういうイメージの連鎖みたいなものを何とか作 品に取り込みたいと思って作ったのが「パーフェクトブルー」や「千年女優」だと言える。ただ、あまりに個人的な連想では他人にとってまるで意味が分からな いものになってしまうので、観客にも分かるようになおかつ物語になるようにと工夫しているつもりではある。
 先に「IQ」でかつての漫画ネタからアイディアを拝借したとあったが、実は昔少女漫画的ロマンチックな漫画を描こうとしたことがあった。タイトルは「星 降る夜、奇跡を君に」。うっひゃー!こっ恥ずかしい(笑)。タイトルはウソウソ、いま勝手に付けただけだが、内容に相応しい題名ではある。その頃は少女漫 画を描いてみたかったのだ、といってもデビュー後数年たった頃のことだが。ある女性が夜ごとに見る夢を手がかりにその正体を探って行く話で、もうベッタベ タに甘い話。
「OH」とは全然違う内容なのだが、フラッシュバックを多用した語り口を考えていたこともあって、私としては十数年ぶりに懐かしきイメージに再会した気がして、非常に楽しくコンテを描いた。
 大きなQ.T.B.というのはキャプションにもある通り、「妄想代理人」オープニングで使ったやり口。気に入ったし、止め絵でも効果があるのでここでも 使ってみた。オープニングやエンディングで使った手法は13話でも使っているがそれはまた13話の蛇の足ででも触れてみる。
 ちなみにC.22の階段踊り場のような場所は、「図書館」の参考でも使った神戸女学院の階段をそのまま拝借している。
 ではカットの続き。

 二人の仲が深まる様子を短いフラッシュバックを続けて表している。シナリオでもその流れは無論描かれているが、コンテではもう少し強調している。シナリオではフラッシュバックの最後はこうなっている。

公園を歩いている治樹と亜希子。
亜希子、意を決したようにキュッと治樹の手を握る。
驚いて見る治樹。亜希子、精一杯ほほ笑んでみせ――

「手を握る」をさらに一歩進めて「接吻」とした。
 私がシナリオを読んで“受けた”のが「亜希子、意を決したようにキュッと治樹の手を握る」という部分で、これは先に出てきたカットに描かれた「学校の裏 庭で治樹にラブレターを手渡している亜希子」に対応している。つまり亜希子はおとなしそうに見えてけっこう積極的なのである。やるな、亜希子。
 何だかおかしくて私は非常に気に入った。なのでここでも接吻は亜希子から求めるようにしているし、C.25のボートに乗っているカットでもオールを持つのは亜希子にしている(笑)

 フラッシュバックの間にインサートされる治樹のサイズも後半になるに従って大きくなっている。フラッシュバックで深まる仲という流れを作って、絵を描く治樹の方は顔のサイズを「よりアップにして行く」という流れでこのシークェンスをベタに盛り上げようとしている。

 時間経過を表すための典型的なカットだが、それまでの治樹の心情や絵を描く行為を受けて、「絵が完成した」という高揚感を朝陽に象徴させている。

 C.34のオフで「出来た」というセリフの間で治樹の表情変化はすでに終わっているであろうから、35の頭から「高揚感を湛えた治樹のアップ」。
 これはやり口が分かれるのではないかと思える。34で完成した絵を見せて、35でそれを見つめる治樹の顔を撮して「……出来た」といいつつ表情変化を見 せる方が普通に見られるやり口かもしれないが、ここではラストに向かってテンポを上げて行く方が宜しかろうと判断した。
 すでに高揚感でいっぱいの治樹のアップを見せて、背後を振り返るアクションに合わせて付けPAN、と。そこにはこちらを見ている亜希子がいるわけだが、ここでもシナリオから一つ演出を加えている。シナリオではこうなっている。

電気のついた亜希子の部屋――少年バットがカーテン
を開け放ち、亜希子に一部始終を見せていた!

 一発でオチを見せよう、というのがシナリオの狙いであろう。なのだが、コンテではオチを2段に分けている。つまり「亜希子が見ていた」と「見せていたの は少年バット」という2段階。一発で見せるにはちょっと情報量が多いかな、という気がしたのと、それまでのロマンチックなムードとは反転させて治樹の芝居 を間の抜けたように見せたかったため。ここでは劇的に一気に驚くより徐々に驚く方が間抜けに思えた。

 反転させたムードを強調するために、「なるべく落下はあっけない感じで」としている。さらに間を外して画面がBLになった後に「ウグ」という絶命の声を入れることにした。私はこのラストをけっこう気に入っている。
 ということでまたもや蛇に足をつけてみた。

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