各話の雑感を少々書いてみる。
まず、「晴美とまりあ」という二重人格の女を主人公にした3話
「ダブルリップ」。
このサブタイトルは私が考えたのではなかったろうか。3話の内容を表すいいタイトルだと思う。造語のつもりだったのだが、ネットで検索したらクラリネット
を奏する際に用いられる「ダブル・リップ・アンブシュア」(アンブシュアは口の形ということらしい)という用語が出てきた。
う〜む、意味深。
ホテトルも確かにその口で上手に……以下自粛。
私のイメージでは無論「晴美とまりあ」という二人の人格を差して「ダブル」という言葉を思いついたのだが、同時に上の口と下の……以下自粛。
このタイトルを決めるに当たっては、電話ボックスなどにひしめいているその手の風俗広告チラシを集めてきて、なるべくそれらしくしようと智恵を捻った記憶がある。
「う〜ん……どのホテトルがいいかな」
いや、そういう悩みじゃない。まじめな打ち合わせの席上でピンクチラシを広げて頭を悩める姿は少々歪に見えたかもしれない。
内容的には3話は「パーフェクトブルー」……へのオマージュか。自分の過去作品にオマージュというのもどうかと思うが、私の監督作品を見てきてくれた人にだけ分かるサインのつもりでもある。
元々この話数のアイディアは二重人格ということよりホテトルをキーワードにして始めたように記憶している。そこに「東電OL事件」のイメージが重なって
きたのではなかったろうか。なので「東電OL殺人事件」(佐野眞一・著)を読んでみたりもした。参考になることはあまり見当たらなかったと思うが、ただ、
普段の生活とはまったく異なる生活を持つ人が世の中には実際にいるのだな、という実感は強く持った。うっかり「普段の生活」と書いてしまったが、当人に
とってはどちらも含めて「普段の生活」ということであろう。会社勤めが普段で売春行為が普段じゃない、というのは他人が勝手に引いた区別でしかなかろう
し、見方によっては売春婦が普段の顔とも言える。そこに「どっちが本当の自分か」といった安手の問いは立てられないように思える。両方が込みでその当人で
あろうし、だいたい「本当の私」なんてものはどこにもない。
シナリオは二重生活を送る女の独り言を留守番電話と携帯電話を使って対話の形式にまとめようとした。モノローグというか「語り」が多いので、シナリオの
ように文字で読んだ方が頭に入りやすい内容だと思う。絵にするのが難しい内容ではないと思うが、語られる内容と絵のハーモニーや対立や皮肉を生み出すのが
少々難しいシナリオだったかもしれない。
シナリオから絵コンテにされる段階で大きく変更された点が一つ。元のシナリオには「精神科医」の登場はない。コンテ担当の高橋さんが色々と多重人格に関
して調べたとのことで、「晴美自身がもっと積極的に治したいと思うのではないか」また「尺的に元のシナリオの分量だと足りないように思える」という事情な
どもあってコンテ時に精神科医のシーンを追加している。
同じシナリオでもコンテの描き手によって、使うカット数や尺はかなり異なる。強調するシーンやあっさりと済ますシーンが各人によって変わるのは、シナリ
オをどう解釈するかの問題で、そこに大きくコンテマンの個性が出ると言える。またコンテマンの生理的リズムというのもあって、こちらの方も大きく個性が反
映しやすい。「間」をたくさん取る人間もいれば詰め込み気味にしたがる描き手もいる。
コンテや演出は担当する人間のいわば「語り口」や「口調」みたいなものである。個性にあたるものなので「これが正解」というものは無いが、話の上手な人
や下手な人がいるように、「語り口」「口調」にも技術はある。情報伝達で最低限必要な、いわゆる「5W1H」、「Who(誰が)」「What(何を)」
「When(いつ)」「Where(どこで)」「Why(なぜ)」「How(どうやって)」などはコンテだ演出だという以前の初歩的な技術であろう。コン
テ演出といった職業的なポジションにおいては、その物語が語ろうとしていることのために、最低限提示しておかなくてはならない情報を把握して、手際よく、
かつさりげなく折り込むことが必要とされる。とはいえ、易しい技術ではないし、、技術や才能も重要だろうが経験と訓練が必要と思われる。また語り口や口調
は聞く側見る側の生理にもかかわる問題なので、良し悪しを判断するのは実に難しい。
3話において本当に「尺的に元のシナリオの分量だと足りない」かどうか、私もよく分からない。自分でコンテを描けばまた違ったであろうが、私はコンテ担
当者のリズムや解釈を尊重して「精神科医の登場」に納得したのだが、後で考えたらやはり上手くなかったかもしれない。
実は「本人(晴美)だって違う自分(まりあ)を望んでいる面がある」ということが大事だったのではないか。それを「精神科医」というそれらしい権威を登
場させ「多重人格」と明言してしまうことで、「障害」として描写したことになったのは、やはり作品として本意ではなかったように思える。早い話が「悪いの
は病気のせい」にしてしまっては身も蓋もなかったかな、ということ。晴美はあくまで「多重人格的」であって、実は「望んで二重生活を送っている」という解
釈でなければ、少年バットによる救済も成り立たなかったように思える。本当の病気の人をぶん殴るんじゃあんまりだもの。コンテの読みが浅かった私のエラー
だと思う。
本篇中「私は誰?本当の私は?」などと繰り返される青臭い問いは、さきほど記したように勿論制作者にとっては本気ではない。我々もそこまで若くないしコ
マーシャリズムに踊らされてはいない。いまだにそれが大まじめに通用しているらしき若い娘(若い男もだが)をむしろバカにしようとした態度の現れであろ
う。本当の私を探したい方はラッキョウの皮でも剥いてみてください。そういうことです、きっと。
3話のキャラクターイメージがテキストで残っていたので引用しておく。私が書いたものだ。
●まりあ
蝶野晴美(25)の中のもう一人の人格。シナリオ上、晴美を白、まりあを黒というイメージで表現されていますが、必ずしも清楚な美女と、淫乱な悪女とい
う対立でなくても良いかと思います。むしろそうした単純な二項対立になっていない方が良いです。まりあは性に対して奔放で、セックスを楽しんでいるという
イメージでしょうか。
多くの男性諸氏が望む「こんな都合のいい女がいてくれたらな」というイメージを体現しているというか(笑)。晴美とはまったく違うタイプながら、同じくらいのイメージ量を持った外見が欲しいです。
打ち合わせでもお伝えしたとおり、髪型はかつらなどを使用しているという前提でかまいません。
具体的なイメージがなかなか無いのですが、イザベル・アジャーニとかニコール・キッドマンみたいな感じでしょうか。成熟した悪魔的美女というよりは、コケティッシュでちょっと足りない感じ(笑)がある方がいいかと思われます。
余計分かりにくいかな(笑)
私の女優さんに対するイメージは変なんだろうか。聞くところによるとニコール・キッドマンって理知的な役が多いということだが、あの顔が頭良さそうに見えるのか? 私には疑問だ。
●秋彦
哲学の世界に没頭して、世情に疎い学者タイプ。常日頃、形而上のことを考えていながら自分の好きな女(晴美)の内面はまったく分かっていない、という皮
肉な構図になります。私がシナリオからすぐに連想したのは佐野史郎みたいな外見でしょうか。ありきたりな感じもしますが、出番が多いわけではないので、あ
る意味記号に負う方が無難に思われます。あまり「うらなり」みたいになってしまうのもどうかと思いますので、学者風で少しこざっぱりしてるくらいであれば
問題はないです。
●蛭川
48歳の制服警官(※実際にはもっと年上の設定になったと思う)。仕事上ではまるで出世していないと考えて良いでしょうね。打ち合わせでも出ましたが、
プロ野球解説の江夏豊みたいな外見をイメージしました。ほとんど「ヤクザ」みたいですが、ヤクザ的な人種はある意味非常に家族とか仲間を大事にする人たち
ですから、蛭川のイメージに外れてないと思います。
猪狩が仕事に求道的なのに対して、蛭川の場合は実生活における形而下の楽しみ、金銭とか女といった実利をひたすら求めている。それはもちろん個人の欲望
のためでもあるけれど、外で悪事を重ねても自分の家族の幸せは何より大事に思っている、というある種、金の亡者に成り下がった日本人の典型といえるかもし
れません。
田舎の成金おやじみたいなイメージでもいいかもしれません。知性や教養は低いですね。ただ何か強運も持っている。
猪狩に対して仕事上、コンプレックスを感じてはいるのだけれど不器用な生き方をバカにしてもいる。
猪狩と蛭川の関係でいいますと、猪狩はそれまで積み上げてきた仕事の在り方が「少年バット事件」で通用しなくなってしまったことを改めて認識しているよ
うな感じです。時代に追いつけなくなっている、と。なので、「少年バット」を捕まえることができれば今後もやっていけるかもしれない、というような思い詰
め方です。
一方、そんなことなんかまったくお構いなく、世を享楽的に渡っている蛭川がその少年バット(実は模倣犯ですが)を捕まえてしまう、という皮肉な構図を考えています。