妄想の四「少年バント参上!」
-その3-

月子萌えで

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 さて、月子の萌えぇもいや増す能登まみまみ嬢の息芝居に誘われて踏み込むメタの世界。ここでは少年バットが現れる、という現象である。何しろ少年バット は月子が10年以上も前にその内面から欠落させることで生み落としたメタよりの使者なのである。とはいえ、1話のこの時点でお客がそんなことを分かるわけ もなく、素直な視聴者には単なる通り魔に見えてもらえば良いし、勘の鋭い視聴者にはメタからの使者の可能性を暗示する程度に考えていた。
 一部で萌えぇと評判を呼んだここでの月子の芝居。原画は松本憲生氏。
 作打ち時に私は氏にこうお願いした。
「月子萌えでお願いします」
 けっこう萌え狙ってました、私。この一連のシーンのコンテを描いていたときの私の目論見はこうだ。
「2チャンあたりで月子萌えって言われますように」
 半分以上本当だ。「言われますように」というよりは「言わせてくれる」という偉そうな思い上がりだったようにも思う。違う言い方をすればこうだ。
「君たちはどうせこういうのが好きなのだろう」
 このシーンの中でもとりわけ萌えをターゲットに作ったのがC.70、月子が泣きそうになって鼻をすするカットだ。どうだ、萌えているか。ラッシュチェック時にプロデューサー豊田君も嬉しそうにこんなことを言っていた。
「うっわ、月子萌えだよ。世界が認めた才能が萌えアニメ作ってるよ!」
 ああ、そうとも。下心いっぱいだ。
 同じように「君たちはどうせこういうのが好きなのだろう」という偉そうな態度で作ったカットには後半のカフェのシーンで出てくる「透けブラ」がある。案の定こんな書き込みがあったと聞く。
「透けブラ来たーッ!」
 もう、思惑通り。私は嬉しいです(;´Д`)ハァハァ。
 ちなみに私は2チャンの反応は見ていない。2チャン自体ほとんど読んだことがないので、顔文字や語句の使用方法はよく分かりません。詳細キボン。
 ウソです、詳細を知らせたりしないでください。
 月子が自室で見ていたBBSに2チャン風の書き込みがあったが、この素材は演出担当の平尾君の手によるもの。当時私はその元が何か知らなかったくらい で、撮出し時にその素材を見て「上手いもんだなぁ。私にはこんなにそれらしく作れないなぁ」と素直に感心していた。

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 さていよいよC.81で少年バット登場。少年バットのシルエットが金属バットを振り下ろす、というカット。その後この話数内でも、「夢告」ラストやオー プニングや他話数でも何度もバンク(使い回すこと)として使用されている。私は気に入っているカットの一つでいわば「妄想代理人」という作品の「顔」とも いうべきカット。振り下ろされる金属バットのぶれた処理は撮出し時に平尾君が作成。0+18くらいの短いカットだが、後々使い回す予定もあったし、少年 バット登場の大事なカットなので割と手間をかけて作っている。
 振り下ろしたバットでガーンとブン殴ってやりたいところだが、月子が殴られる絵は、ない。シナリオ段階から、そういう直接的な絵は使用しない、という制 約の下に作っている。テレビの規制を考慮しての自主規制ではなく、そういう直接的な描写はおとなげがない、という制作者の態度でもあるが、インパクトの強 い映像を濫用するとそのインパクトのせいで他のシーンの微妙な味わいが消し飛んでしまう可能性もあるので、「地味アニメ」の王道を行く監督作品としては地 味な面白さのためには刺激の強い映像を使わないという意図でもあった。

 続く慌ただしいM&F社内。社内に貼られているマロミのポスターなどは私が撮出し時にでっち上げたもの。また携帯電話で話ながら右へOUTして 行く鳩村の奥、会議室らしきブースのテレビ内に映っているワイドショー画面は「東京ゴッドファーザーズ」からの使い回し。ミユキの夢のシーンで出てくるテ レビに映っていたもの。制作のデジタル化によって、データの保管が容易になったため、背景を初め、こうした「一々作ると面倒だけれど無いと困る素材」は以 前の作品からの流用が可能になった。もっとも、SFやファンタジーのように流用の利かない世界観の作品を作っているとあまり財産には出来ないかもしれない が。
 ちなみに1話冒頭に出てくる携帯電話で話す男も、ここでの鳩村も手前(カメラ側)に携帯電話を持っているのは口を隠すため。歩きながらの口パクは枚数が 余計にかかるので手間を省くための苦肉の策。月子が夜道を歩きながらマロミに話しかけるところでは髪の毛で無理矢理隠してみたりしている。

 病室内での月子と猪狩、馬庭のやりとりは楽しくコンテを描いたと思う。初稿で考えた「噛み合わない」会話をさらに水上さんが膨らませてくれたお陰で、コンテでは間の外し方やセリフのタイミングでさらに噛み合わなさ加減を強調したつもりだ。
 2話に出てくるM&Fでの月子の事情聴取も同じパターンだが、こちらも気に入っている。月子のキャラクターがキャラクターの芝居や表情そのもの ではなく、他の人間との関係やムードで月子らしさを多少は出せたのではないかと思っている。逆に月子単体という意味では、2話Bパートで出てくる自室の シーンで、月子がベッドに寝そべって頭を逆さまにしてテレビを見ている、というポーズはキャラクターが出ていると思える。要するに月子には世の中が正しく 見えていない、と(笑)
 月子の逆さまになったポーズはシナリオにはなかった描写なのだが、2話は極力作画内容を楽にしなければならないという制約もあって、なるべくキャラクターに芝居をさせずに「らしさ」を表す必要があった。苦肉の策としてひねり出したアイディアである。

 月子とはまったく対照的に、そのキャラの芝居や豊かな表情でキャラらしさを表すというオーソドックスなスタイルを取っているのが川津。病院のロビーでボ ケ老人にののしられているシーンから、同病院内エレベータ前のシーンは江口寿志氏が原画を担当してくれており、川津にいい味を出してくれている。私は川津 はデザインが上がったときから描きやすそうなキャラクターだな、と思っていたのだが、実際描いてみるとなかなか思うに任せなかった。江口さんが上手に描い ておられて、江口さん描くところの川津を作監共々参考にさせてもらった。
 ちなみに江口氏はその後の駐車場の猪狩と馬庭のシーンまでを担当している。

 1話において川津は月子と同じくらいに重要な位置にある。何せ、月子が「対決」しなくてはならなくなる相手なので、その対決までに川津のキャラクターを視聴者に把握しておいてもらわないと、対決が楽しみに感じられなくなる。
 また「よく分からない人」月子は「静」の人なので、月子を描写するためにも「動」の人、川津がより重要になってくる。川津の下世話な動の部分で月子を照射しようというのが「対決」シーンの狙いである。
 先ほどから「対決」といっているのは後に登場するカフェのシーンのことである。私にとっては1話の一番の見せ所はここであった。その対決のシーンに行く前に順序通りBパート頭から振り返る。

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社会問題を論じている方の問題

 B パート頭は猪狩と馬庭の聞き込みシーン。電器店の店頭、住宅街やゲームセンターで聞き込みするカットの間に、ワイドショーのコメンテーターのカットが挟ま る。私はこのコメンテーターをバカにして描いている。ワイドショーに出てくるコメンテーターすべてではなかろうが、したり顔して正論らしきことを口にして いるコメンテーターを見ると私は不快になる方だ。なのでそういう人をバカにしてやろうという意図も同時に込められている。要するにこういうことだ。
「オマエなんかの社会分析なんか現実とはかけ離れていて役に立つもんか」
 だからといって私が描写した女子高生や小学生が実体に即したものだというわけではない。私が今時のガキ共のことなんか分かるものか。彼らの描写は、した り顔のコメンテーターの分析はたいがい実態とずれている、ということを言いたいがための装置くらいにしか考えていない。
 私は巷間よく耳にする「最近の若者たちはゲームなどのせいで現実とバーチャルの区別が付かなくなっている云々」というお定まりの指摘はまるで信用できないと思っている。
 この指摘にもいくばくか頷けるものもあるかもしれないが、しかし現実とバーチャルの違いがどうとか言う前に、子供たちの目の前から「世の中は不公平だし 理不尽なことに溢れている」という非常に重要な現実を隠して、現実をこそバーチャルにすり替えて来たことにまず問題があると思うのだが、どうか。そんなも のはない、と教えられているにもかかわらず、しかし目の前には不公平と理不尽に溢れた子供たちなりの現実があり、その中で対処し生き残って行く術を、彼ら が日常的に接する漫画やアニメやゲームから学ぶのは当然ではないか。だいたいバーチャルと現実が区別出来ないのではなく現実とはバーチャルを込みのものだ ろう。いい年した大人がたとえばキャバクラというバーチャルな世界に溺れて入れあげている様は、現実とバーチャルの区別が付かなくなっている、まさに典型 ということになるではないか。現実にはバーチャルが必要なのだ。何が近頃の子供だ。子供は大人を映す鏡だとよくいうではないか。
 私は何をそんなに力んでいるのか。健康に悪いので可愛い月子の話に戻る。

※補  こんなテキストを書いていた矢先。長崎県で小学校6年の女児が同級生をカッターナイフで切り付けて死亡させるという痛ましい事件が起きた。事件内容につい ては痛ましいとしか言いようがないので触れないが、ニュースを見ていたら、国家公安委員長という肩書きの女性が発言していた。その様を見て女房が大笑いし た。
「あはは、まるで妄想のコメンテーター!」
 私もゲラゲラ笑わせてもらった。国家公安委員長の発言とは次のようなもの。
「バーチャルな世界と現実を子供たちにどう対応させていくのか、大人が心を砕いていかなければならない云々」
 こんな認識の方が国家公安委員長なのか、と思うと気鬱になる。この発言は正論だと思う。だが正論は、誰もが否定しない範囲でなされる、しかし何の役にも 立たない意見だと思う。まぁ公に発言する場合、当たり障りのないことを言うのが世故に長けた社会人というものだろうが。
 今後、こうした痛ましい事件が起きないようにそれこそ「大人が心を砕いて」いくべきだと私も思う。しかし私がもっとも根本的な問題だと思うのは、こうし た事件は必ず起きるしそうした場合のもっとも肝心な対処が考慮されていない、ことだと思う。無論、そうした事件が起きた場合、心のケアとして臨床心理士等 が対応するといった具体策もあるのだろうが、その臨床心理士が厳しい現実に対処出来るように導いてくれるわけでもなかろう。あくまで傷を癒すということで あり、今後起こりうる傷に心の抵抗力をつけてくれるものでもあるまい。
 こうした痛ましい事件に対して「あってはならないこと」「繰り返されてはならない」といった正論は、あってはならないことも繰り返されてはならないことも、必ずあるし繰り返されるという現実の前には無意味に思える。
 この追加テキストを書いているのが2004/6/8。ちょうど3年前の2001年のこの日、大阪教育大学付属池田小学校に包丁男が侵入して1、2年生8 人を殺害し、教師を含む15人に重軽傷を負わせたという事件が起きた日。追悼集会の模様がテレビで流れていた。
 こちらの痛ましい事件についても、その後再び繰り返されぬよう、具体的な対応策が大人たちによって講じられたと思われる。外部の者が勝手に侵入しないよ うに警備の強化など考えられたであろう。しかし、どんなに対応策が考えられても、例えば今回の長崎の事件のように、内部の者によって犯行が行われることも あるだろう。カッターがなければ鉛筆で刺すだろう。鉛筆がなければ窓から突き落とすことだって出来る。いくらでも方法はある。児童や生徒ばかりではない。 先生の頭がどうかして児童や生徒に切りつけないとも限らない。リビドーを抑えきれない先生が女児を強姦するなんて朝飯前だ。
 対応策は出来るだけ講じられるべきだとは思う。だが、そうしたことはどのような対処を施したところで起きうるものだ、という可能性の考慮とそれを前提とした教育が必要ではないかと思える。
 この3年の間を経て起きた二つの事件からそんなことを考えていたのだが、こうした事件に限らず、多くの事件や事故から得られるもっとも重要な知見は次のようなものだと私は思う。
「世の中は理不尽で不公平に出来ている」
 大人が心を砕いて子供に伝えなければならないのはこの一点から始まるように思える。

補の補/このテキストを書いている頃、私が運営する掲示板にこんな書き込みがあった。
「“妄想代理人の少年バットに憧れて、金属バットで人を殴りました”という小学生なんかが出てきたらどう思うか?」
 これは仕事場の冗談でも時折かわされたネタである。
「金属バット通り魔事件なんてのが起きたら宣伝になるんだろうな(笑)」
 実際に起きたら、(笑)いごとじゃないのだが現場では得てして不謹慎な会話がなされるものだ。
 先の書き込みに対して私が応えたテキストがある。上に書いていることを少しだけ詳しく考えてみた内容で重複していることも多いが再録しておく。興味のある方はどうぞ。

「私はこう思う」(掲示板から再録)

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